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2018年12月02日

a其参〈私的チェコ語事典〉(十一月廿七日)



 最初から、無駄に長くなっているのだけど、他の言葉に関してはこんなに書くことがあるとも思えないから、分量は稼げるところで稼ぐ。ということで「a」についてはもう少し続く。

 次は動詞を並列する場合だけれども、単に動詞だけを並べる場合だけでなく、他の文節もくっつけてほとんど文をつなぐような形になる場合もある。動詞だけを並べるときには、もちろん並列する動詞は同じ形、不定形(原形)、過去形などに統一されている。チャールカ「,」と「a」の使い分けは名詞と同じなので、例の有名なカエサルの言葉「来た、見た、勝った」も「přišel, viděl a zvítězil」になると思うのだが、これをもじったリトベルのビール会社の広告は「přišel, viděl, Litovel」で「a」は使われていなかったような気もする。
 動詞だけを並べる場合には、その前に助動詞「moct」「muset」なんかがあっても、「a」でつなぐだけで問題ないのだが、あれこれ付いた場合に、助動詞を繰りかえすべきなのかで悩むことが多い。例えば、「Musím jíst a pít(食べて飲まなければならない)」なら、特に悩むことなく繰り返さないが、「Dnes musím dojíst několik starých japonských jídel a vypít několik lahví nedobrého japonského piva(今日、いくつかの古い日本の食べ物を食べて、何本かのまずい日本のビールを飲んでしまわないといけない) 」なんてことになると、「pít」の前にも「musím」を追加した方がいいような気がしてくる。

 この点で一番悩むのが、過去形を使ったときの人称を示すための「být」の変化形である。「V hospodě jsme hodně pili a jedli(飲み屋で大いに飲んで食った)」ぐらいなら、繰り返さないけど、「Jel jsem do Prahy vlakem a tam jsem se setkal s kamarády(電車でプラハに行って友人と会った)」なんて文は、ついつい「být」の変化形を繰り返してしまう。なくてもいいのか、あったほうがいいのか、誰に聞いても明確な答えは返ってこない。
 だから、仕方なく個人的なルールを作って、「飲んで食った」のように同時に二つの動作をしてもおかしくないときには繰り返さず、「プラハに行って友人に会った」のように前後関係がはっきりしている場合には繰り返すようにしている。繰り返しておくが、このやり方が正しいという保証はないし、よくわからない理由で修正されてしまうこともままある。この辺はチェコ人は感覚で判断してやがって、自覚的に使ってないから、うまく言葉で説明できんって人が多いんだよなあ。日本人も日本語について同じような感覚で使っているのだろうし仕方がない。

 ここに書いた文章を読んでもらえば、読まなくてもちょっと見ればわかると思うが、日本語で文章を書くときにはついつい個々の文が長くなってしまう。その癖はチェコ語でも消せず、「a」を使った二つの文の単純接続や、関係代名詞や関係副詞を使った連体修飾節などを組み合わせて長い文を書いてしまう。日本語でなら、長大な文になっても、語順を入れ替えたり、接続の仕方を変えたりして、わかりやすい文に修正することはできる。チェコ語だと……、書いた直後であっても、読み直して自分が何を書きたかったのかわからないなんて事態も発生してしまうのである。「a」で文を単純につなげるのはしないほうがいいのかもしれない。別々の二文になっていても、意味はあまり変わらないのだしさ。

 それで思い出したのだが、以前、師匠に教わっていたころ、森雅裕の小説の冒頭をチェコ語に訳して、そこに現れる間違いをネタにして勉強するという方法をとっていたことがある。日本語の接続詞の「そして」「それで」なんかをあまり考えずに「a」と訳していたら、「文を「a」で始めるのはよくない」と指摘された記憶がある。「a」を使うのなら前の文とつなげてしまえということだったのかな。以来、文頭に「a」は使わないようにしているのだが、最近なぜかしばしば「a」で始まる文を見かけるのである。いいのかねこれと思いつつ、意味は分かるから特に文句を言ったりはしないのだけど、自分では師匠の言葉を守って、大文字の「A」ではなく、小文字の「a」にして前につなげるようにしている。

 ここまでつらつらと「a」を使う状況ごとに、問題になることを書いてきたのだが、自分が使うとき、特に書くときに一番困るのは、これらが組み合わされているときである。「a」がありすぎて気持ち悪いというか、変な感じがしてしまう。例えば、変な文だけど「Včera jsme si koupili já a Pavel v obchodě české a japonské pivo a slovenské a maďarské vino a rozdali jsme je kamarádům Petrovi a Karlovi(昨日私とパベルはお店でチェコのビールと日本のビールとスロバキアのワインとハンガリーのワインを買って友達のペトルとカレルにあげた)」とか。日本語も「と」が連発していてちょっと落ち着かないけど、チェコ語ではさらに変な感じがしてしまう。

 読んで意味を取るだけなら簡単だけど、実は、正しく使おうと思うと「a」ってのは奥の深い言葉なのだよ。もう一つ悩んでいるのは、「a」を使って二つの関係代名詞を使った連体修飾節を、一つの名詞につなげられるかなのだけど、そこまで行くと、何が問題なのかをわかりやすく説明できるとは思えないので、この件はこれでお仕舞ということにする。
2018年11月28日20時55分。





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