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2018年12月19日
だから環境保護活動家は……(十二月十四日)
先日こんな記事を発見してしまった。ポーランドで開催されている気候変動会議とやらで肉を使った食事が提供されることに対して、環境保護活動家たちがいちゃもんをつけているという内容なのだが、思わず正気を疑ってしまった。そもそも、この手の国際会議の食事というのは、開催国にとっては自国の産物の見本市のようなところがある。だからポーランドという畜産が盛んで、肉類、乳製品の輸出も多い国で会議を開催することが決まった時点で、こうなることは明らかだったはずである。
記事中に「家畜だけで世界の温室効果ガスの14.5%を排出している」という国連の概算が引用されているが、この人たちは、人類が畜産をやめることを望んでいるのだろうか。地球温暖化を防ぐためなら、ある産業を衰退に追い込んで、その産業に従事している人たちに廃業を押し付けてもかまわないと考える。この傲慢さが、おそらく地球温暖化を訴える環境保護活動家たちの意見や、活動が一般社会に受け入れられにくい原因となっているのだろう。
仮に、家畜が排出する温室効果ガスが14.5%だというのが正しいとして、人間が肉食を減らすことと、そのガスの量が減るのとの因果関係がはっきりしない。もちろん、現在飼育されている家畜をすべて処分してしまって、家畜のいない世界にしてしまえば、14.5%分の温室効果ガスは減るかもしれない。いや、肉の代わりに人間が食べるものの生産にかかる温室効果ガスのコストを考えれば、そこまでは減らないか。
12日にわたっておこなわれる会議の期間に、出席者たちが肉料理を食べ続けることで、約190万リットルの恐らくガソリンを燃やすのと同等の温室効果ガスを排出する可能性があるという主張も記されているが、これが出席者たちが自宅で普通の食事をしていた場合との差なのか、肉類を提供しなかった場合との差なのか、単に会議で提供される食事に使われる肉類を生産する際に発生する温室効果ガスの量でしかないのか判然としない。
会議が、冬のポーランドで開催されていることを考えると、環境保護活動家が主張する野菜や果物、ナッツ類中心の食事を供する場合には、そのほとんどが国外からの輸入品ということになろう。これらの食品は、下手をすれば、南米やアジアから輸入することになるのだから、輸送によって発生する温室効果ガスの量も馬鹿になるまい。
それに、こんなデータを出すのであれば、会議を開催したことによって発生する温室効果ガスの量についても触れなければ、不公平というものであろう。会議のために世界中から集まった人々の移動や、会議の会場の暖房などによって発生した温室効果ガスの量と、肉食を提供するために発生した温室効果ガスの量を比べると、どちらが多いのか気にならないのだろうか。
そんなことを考えると、いわゆる地球温暖化を防ぐには、グローバリゼーションを抑制するのが有効だという声が聞こえてこないのが不思議である。かつてないほどの数が地球の空を飛びまわっている飛行機や、大陸間の貨物の輸送のために海を行く多くの船舶は、地球温暖化に影響は与えないのか。人工衛星を打ち上げるためのロケットはどうなのか。その辺りのことを無視して肉食を減らせば温暖化が緩和できると言われても、反感を生むだけである。
ポーランドでの国際会議で肉をつかった食事が提供されることを批判するなら、ポーランド産の肉を使った料理を提供するために排出された温室効果ガスの量と、環境保護活動家が主張する野菜、果物を中心とする食事を提供するために排出された温室効果ガスの量を、輸送、保存にかかる分まで算出して比較するべきであろう。その結果、肉料理の提供のためにかかる温室効果ガスの量のほうが、はるかに大きいというのであれば、活動家の言葉も説得力を持つが、ただ肉を生産するために温室効果ガスが大量に出ているから、肉食を減らそうなどと言われても、食文化の破壊としてしか受け止められない。
これは自動車についても同じで、自動車を走らせるためのいわゆるランニングコストが、電気自動車のほうが小さいのはわかる。問題は電気自動車とガソリン自動車を、部品も含めて開発、生産、廃棄処分するために必要な温室効果ガスの量まで含めた比較したデータはないのだろうか。それなしに電気自動車の方が環境にいいとか言われても、両手を挙げての賛成はできない。環境保護活動家は一方的なデータしか出さないとか、自分たちの考えに都合の悪いデータは隠すとかいう批判が消えないのは、環境保護活動家たちのやり方に原因があるのである。
件のプラスチックストローの問題にしても、プラスチックを紙に置き換えることですべて問題は解決するみたいな風潮があるけれども、割り箸の使用を森林を破壊するものとして批判していた環境活動家たちのことを思い出すと、どうにもこうにも信用できない。これだから環境保護活動家というのは……。
2018年11月14日20時35分。
2018年12月18日
チェコのチーム三連勝(十二月十三日)
今週行われたサッカーのチャンピオンズリーグとヨーロッパリーグのグループステージ最終戦で、チェコから出場している三つのチームが、三つとも勝利を挙げた。チャンピオンズリーグとヨーロッパリーグの本戦にチェコのチームが合わせて三チーム進出するということ自体が滅多にないことを考えると、同じ週にチェコのチームが3連勝するというのが初めてのことだったとしても不思議はない。
最初は、水曜日のプルゼニュである。最終節の相手は、勝ち抜けを決めているASローマ。ジェコがけがで欠場中のためチェコ人のパトリク・シクが出場するのも楽しみだった。グループの状況は、レアルとASローマが、それぞれ1位、2位でも勝ち抜けを決め、プルゼニュとCSKAがヨーロッパリーグの春の部に出場できる3位の座を争うという構図だった。
大本命のレアルがモスクワでCSKAに負けるという余計なことをしてくれたおかげで、本来なら直接対決の結果で、プルゼニュの3位が決まっているはずのところが、最低でも最終節でCSKAと同じ勝ち点を取らなければならないという状況に追い込まれていた。つまり、プルゼニュが3位に入るためには、CSKAが勝った場合には、勝たなければならなかったのである。
CSKAが負ければ、負けても問題なかったのだけど、クラブ・ワールドカップを間近に控えるレアルは、そちらに気が向いていたのか、前半終了時点で0−2で負けていた。プルゼニュのほうは0−0で、このまま試合が終わればプルゼニュは4位に転落するところだった。後半に入って、最近ヤブロネツ時代の輝きを取り戻しつつあるコバジークのゴールで先制したものの、リンベルスキーのミスから失点して同点に追いつかれたのだが、コバジークのシュートをキーパーがはじいたところにいたホリーが押し込んで勝ち越し。そのまま最後までリードを守ってプルゼニュが勝利し、グループ3位とヨーロッパリーグ行きを決めた。
プルゼニュは、これが確か三回目のチャンピオンズリーグなのだが、毎回3位でヨーロッパリーグに勝ち残っている。グループ上位2位に入るようなヨーロッパのトップチームにはかなわなくても、何とか3位の座を勝ち取るのブルバ率いるプルゼニュのしぶとさなのである。今回は勝ち点7で3位になったのだが、これはプルゼニュがチャンピオンズリーグで獲得した最高の勝ち点で、そのおかげで臨時収入となるボーナスも過去最高の額になったのだとか。でも、レアルは最下位のCSKAに2敗で、他は全勝だったのか。何とも不思議な成績である。
木曜日のヨーロッパリーグでは、まず初出場で未だ勝利のないヤブロネツが、グループ首位を決めているディナモ・キエフと対戦した。ウクライナのキエフは雪が降っていたようで、オレンジ色のボールを使用していた。すでに最下位での敗退が決まっているヤブロネツが、前半10分ぐらいにあげた得点を最後まで守り切って、初勝利を挙げた。得点者はドレザルではなくドレジャル。
これまで、試合の最後の最後に失点して、勝てた試合が引き分けになったり、引き分けの試合に負けたりしてきたヤブロネツだが、この試合も最後のほうは守りに入ってあわやというシーンがあったようだが、これまでの失敗を糧に、最後まで失点を許さなかったようだ。キエフがすでに一位通過を決めていて、無理して勝ったり引き分けたりする必要がなかったというのも大きいのだろうけど、勝ちは勝ちで、ヤブロネツにとっては価値ある初勝利である。今まで予選でもほとんど勝てていないからなあ。
午後9時からの試合で、最後のチェコチームとして登場したのは、負けなければ2位での勝ち抜けが決まるスラビア・プラハである。相手は1位通過が決まっているゼニト・ペトロフラット、ではなくてサンクトペテルブルク。昔はチェコ人が監督、選手として活躍したチームだが、現在は誰もいないのかな。前半は0−0で終了したが、後半に入ってズムルハルとストフのゴールが決まったスラビアが2−0で危なげなく勝利した。特にストフのゴールは思わず声が漏れてしまうような見事なゴールだった。気温が−4度ぐらいまで下がる中、スタジアムに集まった1万5千人を越える観客も大喜びだっただろう。
チェコのチーム3連勝で、国別クラブランキングでも、1.2ポイント加算して、順位を一つ16位に上げている。もう一つ上げて15位にしておきたいところである。15位までは5チーム、ヨーロッパのカップ戦に送り込むことができるが、16位以下は4チームになるのである。そのためにはヨーロッパリーグでスラビアと、プルゼニュが最低でも1ポイント獲得する必要がある。そうすれば、14位のデンマークを抜くことができる。ただ17位のクロアチアもディナモ・ザグレブが勝ち残っていて、逆転される可能性は残っている。
今週の結果は、対戦相手がすでに勝ち抜けどころか順位まで確定していて、勝ち負けにそれほどこだわる必要のないチームだったおかげでもあろう。しかし、これまではこんな状況であっても、勝てないチームが多かったのだ。それを考えると3チームとも勝ったというのは、チェコのサッカーが上昇気流に乗り始めている証拠なのかもしれない。代表もいい方向に回り始めたようだし。
オロモウツの人間としては、プルゼニュのホリー、ヤブロネツのドレジャルというオロモウツ育ちの選手たちが得点を決めたのが嬉しい。この二人がオロモウツにいてくれたら、オロモウツもここまで点が取れないなんてことはなかったのだろうけど。イラク代表に誘われているというユニスが化けてくれるといいんだけど、ネシュポルとかドボジャークあたりをよそからつれてくるぐらいだったら、ユニスの成長と不調のプルシェクの再覚醒にかけてもいいと思う。
明日はバニークとの試合である。オロモウツでの試合だったら、試合前の時間帯には街に出ないほうがいいなあ。確認したら試合が行なわれるのはオストラバだった。ふう。
2018年12月13日23時25分。
2018年12月17日
海外医学部の話2(十二月十二日)
以前、ブルノに住む知り合いから、マサリク大学でも医学部に日本人の学生を受け入れ始めたという話を聞いた。その人の話では、一度に二十人以上の日本人学生が入学し、その大半は英語能力が高くなく、日常会話さえおぼつかず、これじゃ医学の勉強なんて無理だろうという状態だったらしい。これについてはすでに触れたような気もする。
その後、パラツキー大学に医学部生を送り出している日本側の事務局の人とお話をする機会があったのだが、ブルノのマサリク大学への学生の送り出しをやっているのは別の組織で、パラツキー大学とは違って、マサリク大学の医学部で直接勉強を始めるのではなく、まず予備コースに通って英語などを勉強した上で、学力的に問題がないと認められた人だけが、医学部の本科に進めるような形になっているのではないかと教えてもらった。
だから、その予備コースの一年なら一年で、英語で医学を勉強できるだけの力をつければいいということなのだが、果たしてそれは可能なのだろうか。日本でしっかり勉強して、それこそ医学部の入試に合格できるようなレベルの英語力がある人なら、一年外国で英語を使って勉強、生活することで、実践力を身につけて英語で医学を勉強するところまで行けそうだけれども、高校を卒業した時点で片言レベルの英語しか使えない人が、たった一年で英語で医学を勉強するところまでいけるのか大いに疑問である。
少なくとも中学、高校で6年間英語を毎日とは言わないまでも、週に何回かの授業を受け続けた成果を、たった一年で上回ることができるものなのだろうか。心機一転、勉強に対する態度を変えて、他にすることのない環境で集中して勉強することで、能力を大きく伸ばす人も出てくるかもしれないが、それは例外に留まるのではなかろうか。日本ではない以上、英語も日本語ではなく、直接英語で勉強することになるのである。予備コースから学部に進める人がどのくらいいるのか、そして学部に進んだ人のうちどのくらいの人が卒業までたどり着けるのかと考えると、この記事のように安易に外国で医学を勉強することを勧める気にはなれない。
ハンガリーの医学部についても、問題があるという話を聞いたことがある。すでに卒業して日本の国家医師試験に合格した医学部生がいる一方で、10年以上ハンガリーの大学で勉強したものの卒業できずに、つまりは日本の国家医師試験を受ける資格を得られないままに帰国してしまう人もかなりの数いるらしい。それは、ハンガリーの大学では、外国人向けの医学部だけかもしれないが、一度入学してしまえば、成績が悪くても在籍だけはさせてもらえるのが原因だという。
だから、取得単位が足りず、留年を繰り返し、在学できる期間の限度内に卒業できる見込みがまったくなくなった学生でも、最低限の単位さえ取っていれば、10年なら10年在学だけはできるのだという。その辺のいかにして大学に残るかというのは、代々の日本人学生が情報として受け継がれているため、本来の医師になるという目的を忘れて、途中からは大学残ることが目的になってしまう人もいるのだとか。
10年内外ハンガリーにいたのだから、少なくともハンガリー語はできるようになっているんじゃないかと、話をしてくれた人に質問したら、大学に残るためにはハンガリー語は必要ないし、外国人留学生として生活する分にはハンガリー語はほぼ不要だから、できる人はほとんどいないという答えが返ってきた。むしろ、ハンガリー語ができるようになる人は、医学の勉強でも優秀で順調に進級して卒業する人に多いらしい。学年が進むと病院での実習なんてのも入ってくるだろうから、それに向けてハンガリー語を勉強しなければならないと言う面もあるのかな。
このハンガリーの留年への寛容さと、チェコの二年生への進級が一番大変で、一年目で大学を辞める人が一番多いという現実と、どちらが学生本人のためになるのだろうか。医学の勉強に失敗しても別な分野でやり直せる、もしくは医学の勉強を別の学校で一からやり直せるという意味では、パラツキー大学の制度の方が、結果的には学生のその後の人生にはプラスになるのだろうか。はかない夢を見続けていられる、もしくは見続けている振りができるという点ではハンガリーの方がいいかもしれないけど、それはあまりに刹那的過ぎる。
最後に記事を一点だけ訂正しておくと、ハンガリーは知らず、チェコでは医師資格試験は存在しない。それに代わるのが大学の医学部の卒業の資格である。ただ、チェコ国内で医師として仕事をするためには、チェコの医師会への登録が必要で、外国人が登録するためには、チェコ語のEU規準の語学能力判定でB2レベルの試験に合格する必要があるらしい。
これは卒業して日本の国家医師試験を受ける準備をしている人に聞いた話だが、日本の厚生省が受験希望者に課す提出書類を集めるのが厄介らしい。ある程度の共通性はあるとはいえ、国によって出してくれる書類が微妙に違うので、厚生省が必要かつ十分な書類として認定してくれるかどうか、事前にわからないのが一番大変だと言っていた。
無事に大学を卒業しても、医師試験を受けるためだけにも、日本の医学部を卒業した学生以上の苦労が待っているのである。そう考えると、チェコであれ、ハンガリーであれ、医学部を卒業して日本の医師試験に合格した人の努力には賞賛以外の言葉は出てこない。今後もパラツキー大学をはじめ、外国の大学で医学を勉強する人たちが卒業まで頑張り続けられることを祈りたいと思うが、同時に、外国に行けば何とかなると安易な気持ちで外国の医学部を目指す人が増えないことを願っている。
2018年12月12日23時55分。
2018年12月16日
海外医学部の話(十二月十一日)
昨日の話を書き始めたきっかけは、ヤフーの雑誌のところでこんな記事を見かけたことにある。日本の医学部ではなく外国の大学で医者になる勉強をする人が増えていて、中でもハンガリーの人気が高いという記事で、書かれていることはおおむね正しいのだけど、海外で医学を勉強することに対してあまりに楽観的ではあるまいかという疑念を抱いてしまった。海外で英語で医学を勉強しようと考え、それを実行している人たちには頭が下がるけれども、当初の志を貫徹して大学を卒業して医師になれる人は、それほど多くないというのが現実である。
この記事を読んで数字に驚かされたところが2つある。一つは毎年100人ほどの日本人がハンガリーの大学に入学しているという点で、もう一つは2013年以降ハンガリーの医学部を卒業して日本の医師試験を受けた学生が56人という点で、どちらも意外に多い数字でである。この二つの数字を見比べただけでも、ハンガリーで医学部に入って、毎年100人入学しているのに、2013年以降の6年で卒業までたどり着いたのは50人ちょっとでしかない。それでも海外で医学を学ぶ人たちの実態を知っている人間からすると多いと思えてしまう。それが現実なのである。
思い返せば2003年か2004年だっただろうか。ハンガリーの大学の医学部に学生を送り出している組織の人から、パラツキー大学について教えてほしいという相談を受けたことがある。確か当時すでにハンガリーでのプロジェクトが動き出していて、第一期生を送り込めたからだったか、軌道に乗ったからだったか、覚えていないけれども、周辺国でも同様のプロジェクトを考えていて、チェコでの候補としてパラツキー大学も上がっているので情報を集めていると言っていた。
実際に、その数年後にパラツキー大学での日本人学生の受け入れが始まるのだが、その頃、2008年か2009年ごろにはすでにハンガリーの大学では日本人卒業生が出始めていたと聞いている。ただ、その数は、当然入学した学生の数よりはるかに少なかった。
パラツキー大学の医学部の話をすれば、毎年日本人の入学者はいるが、その数は多くても数人でしかない。これは大学側が、日本まで出向いて入試を行い、英語の能力などかなり厳しく審査した上で合格者を決めているからだと聞く。入試が難しい分、志望者もハンガリーほどは多くないようだが、その分、優秀な外国で医学を勉強する覚悟を決めた学生が集まるといってもいいだろう。
それなのに、入学してくる学生の過半は、二年生に進級することなく大学を離れてしまう。中には英語の授業に全くついていけず、自ら諦めてしまう人もいるし、二年に進級するための試験に合格できずに退学になる人もいる。学生たちの覚悟が足りなかったとも、努力が足りなかったとも思わない。外国で、医学という日本語で勉強しても大変なものを、外国語である英語で学ぶというのは、それだけ大変なのだ。記事中にも識者のコメントとして「語学のハンディさえ乗り越えて」と書かれているが、そのハンディの山は、我々実際に体験したことのない人間には想像もできないほど大きく高いに違いない。
以前関係者に、英語で学ぶという問題を除くと、一年生でつまずく原因になっているのは解剖学だという話を聞いたことがある。英語で授業を受けるのには問題なくても、解剖学の単位が取れずに進級できない人もいるらしい。ということは、外国に出る前に。日本で解剖学を学んでおいても悪くないのかもしれない。どこでという問題はあるだろうけど。
もちろん、英語の能力が必要になるのは言うまでもない。それもいわゆる日常会話レベルのものではなく、専門的な講義を聞いて理解し、理解できない場合には質問するだけの語学力が必要になるわけである。パラツキー大学に来た初期の学生達は、入学前にアメリカかどこかで一年の語学研修を受けた上で、医学部の勉強を始めたと聞いている。それが初期の学生達の過半が二年生に進級し、すでに数人の卒業生を輩出できている理由となっているのだろう。
最近はその語学研修はなく、中には高卒の現役でやって来る人もいるようだが、苦戦している人が多い印象である。だから、外国の医学部で勉強するためには、日本の大学の医学部の入試に合格するため以上に、英語の能力を上げておく必要がありそうだ。それも試験のための英語ではなく、実際に読み書き、聞き話す能力が大切である。
パラツキー大学の医学部で日本人学生が勉強を始めて10年ほど、入学者は多くて年に5、6人なので、多く見積もっても入学した学生の総数は50人ほどになる。そのうち半分はまだ終了年限が来ていないのだから、卒業していておかしくない学生の数を半数と見て、25人のうち卒業までたどり着いたのが5人。パラツキー大学のように念入りに入試を行ってさえ、卒業できるのは概算で20パーセントにすぎないのである。実際には入学者の数が少ないはずなので、もう少し確率は上がるだろうが、50%を越えることはありえない。
日本の医学部の入学した学生が卒業する割合というのはどのくらいなのだろうか。その数字によっては、記事の中の識者のコメントの東欧の大学が大健闘しているというのはむなしいものになってしまう。
この話もう少し続く。
2018年12月11日23時10分。
2018年12月15日
医学部「不正」入試について(十二月十日)
東京医大から始まった医学部入試の「不正」問題は、拡大を続け、地方の大学にも飛び火し、地元出身の受験生優遇や、編入試験における自学の卒業生の優遇にまで批判の矛先が向けられるようになっている。理解できないのは管轄官庁である文部省まで、マスコミに踊らされてこれらの事実を適切ではないと批判しているところである。医学部、もしくは医科大学が全国各地に設立された事情を考えれば、地元の受験生優遇というのは、当初は文部省の意を汲んで始められたものではなかったのかという疑念を禁じえない。
また、医学部の入試以上に批判されるべき不公平な入試を認め導入を推進してきたのは文部省である。80年代の終わりには、すでに大学受験における推薦入試というものが、かなりいびつなものになっていたが、指定校推薦にしても、自己推薦にしても、少なくとも田舎の公立高校の人間から見れば不公平極まりないものだった。大学合格者の数を稼ぎたい高校にしてみれば、推薦入試で合格させるのは、学力優秀な学生ではなく、一般受験では合格の見込めない大学進学を希望する学生の方が都合がいい。ということで、真面目に勉強して好成績を維持していた学生、本来推薦されるべき学生には推薦は回ってこなかったのである。どういう事情で大学が指定校に指定するのかも不明だったし、推薦入試なんて怒りの対象でしかなかった。
それに、私立大学には、付属校枠というものが存在していた(多分今もあるはず)。高校の成績上位者は推薦で受験なしで合格し、それよりも下の学生は優先入試と称して、入試の際にある程度下駄を履かせるという制度で、その下駄の高さが寄付金の額によって変わるなんて生臭い話もあった。その結果、普通に入試を受けたのでは合格できないような学生が、何人も、いや何十人も合格していたのである。こちらはまだ、附属の私立高校に高い学費を払ったという実績があるから、許せなくもなかったけど、不公平感がなかったわけではない。スポーツ推薦で体育学部以外のスポーツとは何ら関係のない学部に入れるのも、変な話といえば変な話である。
各地の医学部の入試のあり方を不正だと糾弾するなら、この手の推薦入試、優先入試も批判の対象とするべきであろう。そもそも、文部省が大学入試において、推薦入試、ことに自己推薦だの、一芸入試だの意味不明な推薦制度を導入し推進したのは、単なる学力テストに過ぎない入試では計りきれないものがあるというのが建前ではなかったのか。その計りきれないものの中に、地元出身で地元の医療に貢献する可能性が高いというものが入っていたとしても、浪人せずに現役で合否のボーダーラインまで成績を上げたというのが入っていても、特に非難するには当たるまい。もっとくだらない理由で合否を決めている大学はいくらでもあるのだから。
こんなことを書いたからと言って、推薦入試そのものを批判するつもりはない。ただ、今回の医学部の入試「不正」に対する批判を見ていると、先に批判されるべきは他にもあるだろうと思ってしまうのである。この医学部の入試を批判する前に、大学入試全体を俯瞰した上で、批判しないと意味のない批判のための批判になってしまう。入試というものが、私学であれば特に、100%「公正」だと評価されるものである必要はないし、100%公正な入試などありえないというのが、一連の報道を見た上での感想である。共通一次の理科で試験後に、結果に基づいて点数の補正を行うような不正が行われた恨みは忘れられない。
そもそも、これも袋叩きに遭っている愛媛県の獣医学部誘致にしても、地元の獣医師の数が足りないから獣医学部を誘致して地元の子を入学させて卒業後も地元で仕事をしてもらおうというのが、誘致に向かうきっかけだったはずである。補助金を出してまで、もしくは土地の取得で優遇してまで大学を誘致するのは、地元の子供たちをある程度優先的に取ってもらえるという期待があるからだろうし、それがなければ公費を私企業である私立大学に対して支出することもできまい。
そう考えると、地方の医科大学は、私立大学であれ、地方医療を支える人材を輩出することを期待されているのだから、地元出身で、地元に残る可能性の高い学生を優先的に合格させるのも当然だと言える。いや、そういう配慮をしなかったら、地元の自治体からは大きな反発が出るのではないだろうか。そういう事例が、医学部に限らず、なかったのかどうか、調査して報道してくれるマスコミは、大学叩くことしか考えていないだろうから、ないだろうなあ。
医学部の入試で男子学生が優先的に合格にされていたというのは、弁護しにくいけれども、一応男性医師の数を確保したい現場の要請という言い訳は用意されているわけである。現在の日本の医療制度を支えるためには仕方がなかったのというのが正しいのであれば、医療現場の医師の過重勤務や、無報酬勤務の問題を放置してきたマスコミや政治家に対しても批判の矛先が向かなければならない。
現在の日本の医療制度の歪みが目に見える形で端的に表れたのが、今回の入試「不正」だと言えるのだから、医療制度の歪みをただすことなく、入試だけ変更した場合に、医療制度全体が破綻する恐れはないのだろうかと心配になる。その辺まで分析して報道するようなマスコミは……。入試を管轄する文部省は、医療制度がどうなろうと知ったこっちゃないだろうしさ。この問題について厚生省の見解を聞いてみたいものである。
またまた本題に入る前に分量が尽きてしまった。本題についてはまた明日。
2018年12月10日22時15分。
2018年12月14日
ブルノ駅改修工事(十二月九日)
先日レギオジェットからメールが届いて知ったのだが、今日からブルノの中央駅の大改修工事が始まるらしい。たしか去年か一昨年も春から夏にかけて改修工事が行われ、一部の電車が中央駅まで行かず途中の駅どまりになった結果、大混乱を引き起こしていたが、今回の改修工事はそれを上回る規模で行われ、レギオジェットの電車も、中央駅まで行くのは夜行電車一本だけで、それ以外は郊外のジデニツェ、もしくは中央駅近くのドルニー駅に停車することになるらしい。
夜のニュースによれば、鉄道の時刻表が新しいものに切り替わるこの日に合わせて改修工事を開始したようである。工事の予定期間は1年と言っていたから、来年の時刻表の切り替えに合わせて、改修が終わった中央駅の使用を元通りにするのだろうか。前回の改修の際には、中央駅の代役となった駅はドルニー駅一つで、中央駅まで行く電車もかなりあったのだが、今回はほとんどの電車が中央駅まで行かず、郊外の駅発着に変更されるようである。
今回も改修工事による発着駅の変更でかなりの混乱が起こっており、ニュースでは朝から情報不足で立ち往生したり、特別に配置された係員に質問する人たちの姿が映し出された。中には説明を聞いてもよくわからなかったり、一度別の駅まで出てきたけど中央駅に戻らなければならなかったりしている人の姿もあった。外国人の観光客が英語で説明を受けた挙句に、確実性を重視してタクシーを呼んでいたのが、この混乱を象徴している。
代理の発着駅となるのは、ブルノの北部にあるクラーロボ・ポレ駅、東部のジデニツェ駅、南のフルリツェ駅と前回も使われたドルニー駅の四つ。レギオジェットの電車はプラハを出てブルノを経由してブジェツラフのほうに抜けるのだが、ジデニツェを出た後は中央駅を迂回してドルニー駅に停車して、南東のブジェツラフに向かうようである。
ジデニツェ駅から中央駅まではチェコ鉄道が改修中に特別に走らせる電車が往復していて、所要時間は3分らしい。中央駅からドルニー駅までは、市の交通局が走らせる無料バスが利用できる。61番のバスで10分おきに駅をでて右に行ったところの停留所から出ているらしい。ただ、直線距離で200mほどというから歩いても10〜15分ぐらいか。大きな荷物がなければ歩いてもよさそうである。中央駅の裏側からテスコの前を通って、ショッピングセンターのバニュコフカの中を抜けて、バスターミナルを越えたところにドルニー駅があるらしい。
個人的に関係がありそうなオロモウツからブルノに向かう便は、ジデニツェに停車した後、クラーロボ・ポレ駅まで向かうことになっている。ジデニツェ止まりにならないのは、駅の規模が小さすぎて始発駅にできないということだろうか。とまれブルノの中心に用があるときには、ジデニツェで降りて、別の特別な電車に乗り換えて中央駅に向かうことになりそうである。
それなら最初から電車を使うのは諦めて、バスを使った方が、便利で早く、そして値段も安いということになる。ただただでさえ込んでいるレギオジェットのバスはチケットを押さえるのが大変になりそうな気もする。そうするとARRIVAのバスということになるのだけど、この会社実はドイツ鉄道の子会社らしくて、最近のドイツ鉄道の体たらくを知ってしまうと、利用するのをためらう気持ちが起こってしまう。レギオジェットが本数を増やしてくれないかなあ。レギオの方がちょっと高いけど早いしさ。
プラハからブルノに向かう場合は、ブルノが終点の電車を使うと、中央駅まで行くものがある。それに対して、ブルノを出て、ブジェツラフを経由してウィーン、ブラチスラバなどに向かうものは、チェコ鉄道の電車でも、中央駅は迂回してジデニツェとドルニー駅の二つに停車する。町の中心に行くならドルニー駅の方が便利である。また、幹線ではないビソチナのほうを通る電車を使うと、北部のクラーロボ・ポレ駅が終点となる。
ということでプラハ発、チェスカー・トシェボバー経由、ブルノ終点の電車に乗るのが一番便利なのだが、ブルノ終点の電車は数が少ないうえに、国内線のため停車駅が多く、時間が3時間以上かかるのが難点である。他の国際線は2時間半程度でブルノのドルニー駅に到着するから、その差をどう判断するかである。オロモウツからのブルノ行きもドルニー駅まで行ってくれれば楽なのだけど。
ブルノは現在トラムの路線も改修していて、市内交通も結構混乱しているようである。ということは特に必要なことがなければブルノには行かないのが吉だな。
2018年12月10日8時55分。
2018年12月13日
オロモウツのホテル1(十二月八日)
「オロモウツ」とブログ名につけておきながら、最近オロモウツについての記事を全く書いていなかった。観光案内とか二三回しか書いていないんじゃないだろうか。いずれ再開するつもりはあるのだけどなかなか気がむかないというか、思い切りが付かないというか。ということで、助走代わりにオロモウツのホテルをいくつか紹介することにする。
booking.comやトリバゴでオロモウツの宿泊施設を検索すると60件以上の宿泊施設が出てくるけど、いくつかダブりもあるし、郊外過ぎて車でもなければ利用しづらいところもある。というよりも存在を知らないところの方が多い。ということで、町の中心、もしくは駅の近くで知り合いが宿泊したことがあって、どんなところか多少はわかっているところをいくつか選ぶことにする。
先ず最初は、名前だけはすでに何度も登場しているホテル・ブ・ラーイ。以前は日本から知り合いが来ると必ずこのホテルを勧めていた。その理由となっていたレストランが閉店してしまってからは、このホテルを勧める機会もほとんどなくなってしまったが、オロモウツのホテルというとここを一番に挙げてしまうのは変わっていない。
場所は旧市街の共和国広場から坂を下りた旧市街の中と外の境目に当たるところで、近くには歴史的建造物もあるけれども、このホテルの建物は新しい。チェコ語の「ラーイ」は楽園、天国を意味する言葉だが、ここではどうも聖書のエデンの園を意味させているようで、かつてのレストラン、今はホテルの朝食用の食堂の内装は、芸術的にデフォルメされたアダムとイブがモチーフになっていたと記憶する。
部屋のほうもベッドなどの設備は普通のホテルと同じだが、細かいところのデザインが凝っていた。一番記憶に残っているのは、洗面所の水道の蛇口で、どうすれば水が出るのか、しばらく悩んでしまった。一度できてしまえば簡単なのだけど。そういえば以前ここに泊まった人が、暖房の温度の設定変更の仕方がわからなくて苦労したなんてことも言っていたなあ。
部屋数はそれほど多くなく、予約が一杯で泊まれないこともあるが、泊まった人たちの評価は結構高かった。強いて難点を挙げれば、トラムの停留所のある共和国広場に出るのに急な坂を上らなければならないところか。駅まで大きな荷物がある場合にはタクシーを呼んでもらったほうがいいかもしれない。車でオロモウツに来る場合には、隣の立体駐車場内に宿泊客用の駐車場が確保されていて、ホテルの出入り口のところの裏口から駐車場に直接入れるようになっている。
以前は自前のHPから宿泊の予約なんかもできるようになっていたのだが、やめてしまってbooking.comを通じての予約になっているようだ。電話や直接の予約も可能だろうけど。数年前に知り合いのために予約したときには、ブ・ラーイのHPで部屋の種類など条件を入れたのに、予約の確定をしようと思ったらbooking.comのページに遷移するようになっていたから、レストランを閉店した後、自前のHPの運営もやめてしまったのだろう。宿泊費は二人部屋で一泊7000円ほどか。オロモウツの中では平均よりちょっと高目というところか。
booking.comのブ・ラーイのページには、最寄のスポットとかレストラン、マーケットなんかも表示されているのだが、何でこんなのがというものも上がっていて興味深い。普通のスーパーで上がっているのがリードルだけで、シャントフカとオプフーデク・ウ・エビというお店もスーパー扱いになっている。前者はスーパーと呼ぶには大きすぎ、後者は小さすぎる。しかもシャントフカは、近くのトルジュニツェ(青空市場)まで1キロになっているのに、3キロも離れていることになっているし、どうやって情報を引き出しているのか不思議である。
ブ・ラーイを出て坂を上って共和国広場に出て、左にトラムの通り沿いに緩やかな坂を下りていくと、100メートルほどで次の停留所であるウ・ドームがある。左右の停留所に挟まれた交差点を左に曲がると、ホテル・ウ・ドーム、右に曲がるとペンション・ロイヤルがあるのだけど、実はどちらもあまり知らない。
ウ・ドームの方が古くからあって、15年以上前に、知り合いが泊まったときにはクレジットカードで支払いができなかったとか言っていたかな。今は多分大丈夫なはず。ここもロケーションは、旧市街の中でも静かなところなので、いいいい場所にあるのだけど、トラム通までがちょっと坂になっているのが、大荷物を持っての移動には不向きかもしれない。ブ・ラーイに比べればはるかにましである。
ここは中には入ったことがないのだけど、泊まった知り合いは、ペンション風の宿だといっていたから、そういうのが好きな人にはあっているかもしれない。ブ・ラーイとは違って、ぎりぎり旧市街の中だから建物自体もそれなりに古くからあるはずだし。
ということで一回目はお仕舞い。次がいつになるかはわからないけど、またねたのないころに取り上げることにする。
2018年12月9日23時50分。
2018年12月12日
ゼマン大統領問題発言またまた(十二月七日)
今年の初め、ゼマン大統領が大統領選挙での当選が決まったとき、喜びに沸くゼマン大統領とその周辺の人々の中に、バランドフというテレビ局のオーナがいたという話は書いたと思う。このバランドフテレビも、放送を始めるまでの期待は大きかったのだけど、ふたを開けてみたらチェコの誇る映画製作スタジオの名前を冠するにふさわしいとは思えなかった。
このバランドフテレビの特徴の一つに、無駄に、あえて無駄にと言いたくなるほど政治番組が多いことがあげられる。毎日のように、政治家を招いてのインタビュー番組や討論番組が放送され、そのインタビュアー、司会を務めているのがオーナーのソウクプ氏である。そして、ミロシュ・ゼマン大統領もソウクプ氏と組んで「大統領の一週間」とでも訳せる番組を一つ持っている。
その番組ではあれこれ問題発言を連発しているらしいのだが、その一つがイギリスで起こったロシアの元エージェント暗殺に関して、使用された毒物のノビチョクがチェコで生産されたという発言だっただろうか。軍の化学部隊で実験的にごく少量作成したという話だったのだが、軍事機密に当たるような話をテレビでぺらぺら喋ってしまうような大統領で大丈夫なのかと心配してしまった。大統領に提出された情報部の書類に書かれていたことというのは、公開しないことを前提にしてるのではないのか。
最終的には、チェコで試作されたノビチョクと暗殺に使われたノビチョクとでは番号が違っていて(よくわからないけど)、別物だったということで、ゼマン大統領の発言はロシアのプーチン大統領を支援するためのものだったのではないかと批判されていた。しかし、問題はロシア云々以上に、大統領以下国の指導者しか触れられないはずの情報を、ぽろぽろと垂れ流してしまうところにある。
そのゼマン大統領が、またまた国の諜報・防諜機関であるBISについて、バランドフテレビの番組で発言してあちこちから批判を浴びている。ゼマン大統領によると、BISは防諜に関してまったく役に立っていないと言うのだ。具体的にはチェコに入りこんでいるはずの他国の諜報組織も、イスラム国につながるイスラム教の過激派についても存在するはずなのに、まったく摘発されていないというようなことを語っていた。
それに対して、これまで何度かゼマン大統領の批判を受けても形どおりのコメントを出すだけで沈黙を守っていたBIS側が初めて具体的に反論した。BISによれば、これまでに外務省、大使館関係者に扮してチェコに入りこんでスパイ網を築こうとしていたロシアと中国のエージェントを何人か国外追放にしているし、すでに形成されていたスパイ網も破壊することに成功しているという。また、ノビチョクが使われた按察事件に関してロシアの外交官を二人国外退去処分にしたのもBISの活動の成果らしい。
また、チェコテレビのニュースによれば、チェコを出てイスラム教徒の過激派として活動している人物に関しても、もともとはBISが目をつけて監視体制を取り、また事情聴取を行うなどした結果、チェコ国内ではほとんど活動できないままに、出国することになったのだとか。BIS側から自らの業績を誇るようなコメントが出てきたり、ニュースで報道されたりしているのもなんだか落ち着かない。
さらに、共産党以外の政党が、バビシュ氏のANOも含めて、ゼマン大統領の発言に対して否定的で、BISの活動を称賛しているのも腑に落ちない。共産党は大統領が不満を評するということは、何か問題があるに違いないと言っているけれども、問題はそこではなくて、やはり、諜報・防諜期間の活動について政治家がメディアであけっぴろげに語ってしまうところにあるのではないか。
諜報・防諜活動なんて秘密にすることが大切で、情報公開の時代とはいえ、活動内容を公表してしまえば、問題が起こる可能性も高い。公表するにしても何年もたってからというのが普通で、今回のように事件の概要だけだったとはいえ、防諜活動に付いての情報がメディアをにぎわしたこと自体が、問題だと思うのだが違うのだろうか。
第一期目のゼマン大統領は、あれこれ問題のある発言はしていたけれども、ここまで軽率な発言はしていなかったような気もする。政府が推薦したBISの長官の階級の昇進をゼマン大統領は何度か拒否しているというから、個人的な確執があるのかもしれない。
2018年11月8日23時55分。
ゼマン大統領のBIS批判は、仕事を全うしていないだけではなく、中国やロシアのスパイを国外追放したという事実に対しても、無駄な警戒じゃないのかと苦言を呈しているようだ。
2018年12月11日
ačとať〈私的チェコ語辞典〉(十二月六日)
この二つの言葉は、時々どちらがどちらかわからなくなるというか、「ač」を目にしたり耳にしたりしたときに、「ať」だと思ってしまうことがあるのだが、意味は全然違う。その説明に入る前に、間違いやすい理由を指摘しておくと、チェコ語のカタカナ表記に行きつく。「č」も「ť」も語末では子音だけの発音になり、カタカナで書くときに「チ」もしくは「チュ」と書かれることが多い。日本のチェコ語関係者は、「ť」に「i」を付けた「ti」を、「či」と同様に「チ」で書くべきだと主張しているため、子音のみの「č」と「ť」も同じ表記をされてしまうのである。
その結果、「ač」も「ať」も、「アチ」「アチュ」と書かれ、同じように発音するようになり、区別できなくなってしまう。これも個人的に「ti」を「チ」と書いたり、「ティ」と書いたりして統一していない理由の一つである。子音のみの「ť」をどう書くかも決めかねているのだけど、「ať」だけでも表記が揺れていれば別物として認識しやすくなる。と言いながら混同することがあるのだから仕方がない。
この二つのうち、どちらを自分でよく使うかというと、断然「ať」である。日本語で命令形で処理するような、命令ではない表現をこの「ať」で表すことができる。この説明ではよくわからないだろうから、具体的な例を挙げると、「行くにしろ行かないにしろ」の命令形で表されている「にしろ」の部分にあたるのが、「ať」なのである。この場合は「ať půjdu nebo ne」なんて訳せるわけである。文体によっては「であれ」、「にせよ」と訳してもいいだろう。
だから、同じ命令形を使った「何であれ」「誰であれ」なども、もちろんこの「ať」で表すことができる。それぞれチェコ語では「ať je to cokoliv」「ať je to kdokoli」となる。日本語でもチェコ語でもパターンが確立しているから、一見難しそうに見えて、知っていれば簡単に使える表現である。ということで、使えるようになったばかりの頃は連発していたものだ。
もちろん、日本語の枠内で考えるなら、むりやり命令形を使って訳す必要はない。「行くにしても、行かないにしても」とか、「行く行かないにかかわらず」なんて訳し方をしても問題はない。問題はないのだけど、命令形で訳したくなるのは、チェコ語の「ať」に命令形的な意味があるからである。命令形とは言っても二人称ではなく三人称の動詞と組み合わせて使うもので、目の前でもたもた仕事をしている人を見て「ať to dělá」と現在変化と合わせて「とっととやれよ」と独り言を言うときなんかに使う。
それから、「Řekni mu, ať mi píše mail」のように、「あいつにメールくれと伝えてくれ」とか、「メールをくれるように伝えて」なんて、直接話法的に命令形で訳したり、間接的に「ように」を使って訳したりできる文も作れる。二人称の命令と、三人称の命令を同時に使うというなかなか面白い文なので、これも一時期よく使った。文法的に特徴のある文というのは使いたくなるものである。
この命令的な「ať」が慣用句に使われているものとして、「ať žije」がある。これは日本語の「万歳」と同じような使い方をされる。たとえば「ať žije císař」であれば、直訳すると「皇帝、生きよ」となるのだが、ようは皇帝が長生きすることを祈るもことばなのである。日本の「万歳」も「一万年」つまりは「永久に」生きることを祈るところからきているはずだから、発想は同じである。
これに対して、「ač」のほうは逆接の接続詞なので、「〜けれども」「〜にもかかわらず」などと訳すことが多い。自分では「ať」との混同を避けるために使わない。使わなくても逆接の表現は、「ale」をはじめとして十分に存在しているから困らないのである。それに、「ač」には「ačkoliv」「ačkoli」という長い形も存在するから、どうしても「ač」を使わなければいけない理由もない。問題は、文章を読んでいて出てきたときなのだけど、「ač」よりも「ačkoli」を見かけることのほうが多いような気もする。
繰り返しになるが、「ač」を見て「ať」と間違えることはあっても、その逆はない。その差は実際に自分で使っているかどうかである。ついつい自分の知っている、よく使う表現にひきつけて理解、いや誤解してしまうのである。「ač」と「ať」の場合には、最初誤解したとしても、文脈から誤解に気づけるから実害はないのだけどね。
2018年12月7日23時25分。
2018年12月10日
気になる日本語(十二月五日)
日本語には時制に関して特殊な使い方をする動詞がいくつかある。一番わかりやすいのは「知る」だろうか。現在の肯定形では必ず「知っている」を使うのに対して、否定形の場合には「知らない」を使う。過去だと、肯定形は、意味によって「知った」「知っていた」のどちらも使うことができるが、否定の場合には「知らなかった」を使い、「知っていなかった」なんて形を使うのは例外中の例外である。例外と言えば、作家の池波正太郎は、現在形でも「知っていない」を使用していたが、あれは池波正太郎だからこそ許された表現で、新人作家などが使用したら、校正の段階でゲラに赤字が入るはずである。
「知る」だけでなく、「わかる」も、「わかる」「わかっている」「わからない」「わかっていない」の使い分けが特殊だが、最近気になる使い方をされているのは「思う」である。現在形の「思う」と「思っている」の使い分けについて、おかしいと思うことが増えている。もちろんこの二つの表現の境目は結構微妙だから、どちらがいいとも言いかねるような場合も多い。しかし、最近明らかに「思う」を使うべきところに「思っている」を使う例が散見されるのである。
一般に、自分の意見、考え、印象などを表明する場合に「思う」を使い、認識を表明するのには「思っている」を使う。だから「今後はこのようなことはないようにしたいと思います」だし、「あの人のことは友達だと思っています」というふうに使い分ける。境目になるのは、「これは大きな問題だと思います」と「これは大きな問題だと思っています」のような場合で、これは状況に応じて使い分けるはずである。どう思うか意見を聞かれたときには前者で、自分がどう認識しているかを述べるときには後者という具合に。
もちろん、ある程度の期間ずっと思い続けていることを強調するために、「思っている」を使うことはあるから、すべての「思っている」が気になるというわけではないのだが、以前はここまで「思っている」は使われていなかったと思う。ってこんなところで「思っている」を見かけたりもするのである。「思う」で十分なところにも、「考えている」でいいじゃないかと思えるようなところにも、「思っている」が使われていて、四六時中思い続けているのかと言いたくなる。
もう一つ気になるのが、やり・もらい動詞の「頂く」と「下さる」を混同している文である。正確には、この二つの動詞と助詞の組み合わせが、おかしいと思う場面が増えている。最初に気づいたのは安倍首相が演説で「有権者の皆様が御支援いただいた」とか言うのを聞いたときだったのだが、最近、スポーツ選手のインタビューで、「応援していただいた」とある前に、記者がわざわざ「(ファンが)」と注記を入れているのを発見した。
話している時に、文末に「下さる」を使うつもりで「ファンが」を使ったあとで、「いただく」と言ってしまうのはわからなくはない。しかし、編集の段階で、文章のプロである編集者がこういう間違いを付け加えるのはいただけない。それとも、最近では日本語のやり・もらい動詞の使い方が変わったとでも言うのだろうか。
それはともかく、安倍総理大臣の「有権者が〜いただく」というのは、有権者を動作主として謙譲語を使っているわけだから、有権者を見下している証拠だとか何とか、揚げ足取りが大好きな野党が批判するかと期待していたのだが、野党の揚げ足取りに選ばれたのは、「そもそも」だった。そもそもをめぐる野党の批判も愚かなもので、首相だけでなく、野党側もその意味、用法をちゃんと理解できていないことが明らかだったから、補助動詞としての「いただく」も首相同様まともに使えないのかもしれない。
念のために書いておくと、「有権者の皆様が御支援いただいた」は、「有権者の皆様に御支援いただいた」か「有権者の皆様が御支援くださった」となるべきものである。日本語の中でも重要な一部をなす、やり・もらい動詞の敬語形を、首相も新聞記者もちゃんと使えないというのは、嘆くべきことであろう。首相をはじめとする政治家たちも、敬語ではない「くれる」と「もらう」に関しては間違えないことを祈っておこう。そうか、政治家たちは自分たちは偉いと思い込んでいて、他人に対して敬語を使わない生活をしているから、まともに使えないのかもしれない。問題は、やり・もらい動詞ではなく、敬語だったのか。
有権者に敬意を払えない政治家、そんなの選ぶなよ。
2018年12月6日9時30分。