新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2020年08月28日
ツィムルマンの夏最終回(八月廿五日)
14. Dobytí severního pólu
表題になっているのはツィムルマンの北極探検隊の活動を描いた戯曲である。「Dobytí」というと普通は戦争で街や城を陥落させることを言うのだが、困難を乗り越えて高山の山頂などに到達するのにも使われる。当然南極点や北極点への到達も同様で、チェコ人の一団が困難を乗り越えて北極点に到達するまでの様子が、日記を基にして書かれた戯曲として「再現」される。
チェコ人と北極と言うとザーブジェフ生まれのヤン・エスキモー・ベルツルの名前が思い浮かぶのだけど、この人は登場しないと思う。その代わりにと言うことでもないのだろうけど、リトベルと関係の深いレスリングのヨーロッパ王者のグスタフ・フリシュテンスキーの兄か弟が登場する。実際にいたのかどうかは知らんけど。
プラハの何かのグループで、北極探検隊を組織しようという話になって、家庭持ちがさまざまな理由で辞退したせいで、独身者だけで出かけることになった旅の発端から、これで北極まで行けるとは思えないシーンが続出するのだけど、ツィムルマンだから仕方がない。食料が足りなくなったときに、犬ぞりは使っていなのに犬の肉を食べようと言い出すのは、メンバーの一人にそりを引かせて犬ぞり扱いをしてからその犬を食べると言うことだと理解したのだが、間違っているかもしれない。
氷の柱を見つけて溶かしたら、前年北極探検に出かけて行方不明になっていたチェコ系アメリカ人(名前はそれっぽくなかったような気がしたけど)が出てきて、冷凍睡眠とか言っていたかなあ。話が予想外のほうに転がっていくので、自分の理解が正しいのかどうか確信が持てないシーンが多いのが困りものである。
前半の研究発表の部分で一番印象残るのは、「živý obraz」についての部分である。直訳すると「生きた絵」となるので、「活動する写真」と同じで映画のことかと思ったら、むしろ「動かない演劇」だった。生きた人間が何かの役を演じて静止した状態を「絵」に見立てているらしい。最後のプラハの保険会社のためのものだという集合写真のような「živý obraz」は、ツィムルマンの書いた演者への役柄の説明を読んでも演じようもないという役が多い。それを、観客席に座っている客を舞台に引っ張りあげてやらせるのである。いい思い出にはなるのだろうけどさ。
15. České nebe
全部で15の作品のなかで、今回最後に放送された作品。放送する順番に何らかの基準があったのかどうかは不明。劇場の舞台での初演の順番というわけでもなさそうだし。とまれ題名は「チェコの天国」とでも訳せるもの。
前半の研究発表の部分では、どうしてと疑問に思うほどに、詳細にそしてまじめに、チェコ社会を揺るがした古文書偽造事件を扱うのだが、これが後半のツィムルマンの演劇の伏線になっていた。重要なのは、ゼレナー・ホラ手稿、ドゥブール・クラーロベー手稿と呼ばれる偽文書の作成者がハンカとリンダという名前であること、偽造であることを指摘した人たちが、民族の敵扱いされたことなどである。
もちろん笑えるシーンもあるのだけど日本語にできるかと言うと……。本当かどうかは知らないが、手稿をハンカの偽造だと見抜いた師匠も、実はロシアの古いとされる手稿の偽造の疑いがあるらしいのだが、怪しいのは発見された時期に発見された場所にいたチェコの「スラブ学者」と言った直後に、「スラビアファン(選手でも可)」じゃないからね、スラブ学者とスラビアファンが違うのはわかるよねとかいうコメントをはさむ。
日本語だと勘違いの使用もない二つの言葉だけど、チェコ語ではスラブ学者は「スラビスタ(slavista)」で、スラビアファンは「スラービスタ(slávista)」で、チャールカ一つ分の違いしかないので、混同したり言い間違えたりしても不思議はないのである。ツィムルマンの演劇や映画に出てくる冗談はこういう翻訳しようもないものが多い。
後半の劇のほうは、誰をチェコ天国に受け入れるかを決める天国評議会の様子を描いたものである。最初は、プラオテツ・チェフ、聖バーツラフ、コメンスキーという三人しかいない評議会のメンバーを増やそうというところから始まる。ヤン・フス、カレル・ハブリーチェク・ボロフスキーを加えた後、女性が必要だというコメンスキーの意見で、ボジェナ・ニェムツォバーではなく、なぜかニェムツォバーが書いたバビチカ(おばあさん)が選ばれる。その選択の過程で、ツィムルマンがまだ生きているのが残念だなんて言葉が漏れる。
その後、誰を天国に迎え入れるかという議論で、民族を騙した形になっているハンカとリンダをどうするかという話になって、バビチカが、その女の子たちは良かれと思ってやったんだからと弁護するのだが、ハンカとリンダというのは確かに女性の名前だけど、この二人の場合は男性の名字なのである。手稿だけでなくて名前でも騙すのかなんて話になるのかな。
ボロフスキーがパラツキーは駄目だと批判したり、フスがヤン・ジシカを高く評価してみせたり、チェコ出身のラデツキーがオーストリアの天国の代表としてチェコの天国を傘下に収める交渉に来たり、チェコの歴史を知っている人には嬉しいくすぐりに満ちている。戯曲が書かれたことになっている当時の状況を反映して、チェコを独立させてマサリクを国王にしようとか、もともとの名字マサーリクがスロバキア語っぽいからマサジークに変えさせようなんてシーンには、思わず納得しそうになってしまった。「Masařík」ならスロバキア語ではありえないし父親がスロバキア人であってもチェコの国王にふさわしい。
この作品、チェコの歴史的な知識があればあるほど理解が進みそうだから、ツィムルマン完全理解計画をはじめるには、一番よさそうではあるのだよなあ。
2020年8月26日11時。
タグ:ツィムルマン