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2017年07月09日

聖モジツ教会――オロモウツ観光案内(七月六日)



 共和国広場からトラム通を町の中心のほうに下りていくと、小さな広場に突き当たる。その広場にどっしりとそびえているのが聖モジツ教会である。教会に隣接して典型的な社会主義時代のショッピングセンター、悪名高きプリオールが建っていたのだが、近年完全に改装されて外観を一新し、名前もガレリエ・モリツに改名された。今のガラスをふんだんに使った外観の方がデザイン的に美しいのは確かなのだが、どちらが旧市街の建物の間に建てられるのにふさわしいかとなると、簡単には決めかねる。
 ガレリエ・モリツの完成に伴って、トラムの停留所も聖モジツという名前に変わった。それまでは、上りと下りで位置がずれていたこともあって、プリオールとコルナという停留所のところにあったショッピングセンターの名前が付けられていた。ショッピングセンターに当たるチェコ語の「オプホドニー・ドゥーム」は、デパートと訳されることも多い表現なのだけど、プリオールはぎりぎりで許せるにしても、コルナはデパートと呼ぶにはかなり無理のある施設である。

 ゴシック様式で建てられた聖モジツ教会は、すでに13世紀の半ばに存在していたことを証明する文書が残されているらしい。その後、14世紀末にオロモウツを襲った大火災の後に、特徴的な二本の塔が建てられた。南側の塔の完成が1403年で、この部分は現存する最古の部分だという。そして少し高い北側の塔が完成したのが1412年である。
 この北側の塔は、一般に公開されていて、教会に入ることなく登ることができる。以前は入場料のようなものを取っていたが、現在は心づけ程度のお金を、教会と塔の整備のために寄付する、つまり募金箱の中に入れるだけで、自由に登れるようになっている。お金を入れずに登る人もいるかもしれないが、反対にかつての入場料以上の額を入れる人もいるだろうし、人を雇ってまで入場料をとる意味がないと判断されたのだろう。

 この塔の階段は最初は狭い石造りの螺旋階段で、壁に肩をぶつけながら上っていくことになる。そして、教会の鐘がつるされた部屋に出る。ここからは鉄製の階段になるのだけど、段と段の間には何もなく、向こう側が見えるようになっているので、高いところが苦手な人は恐怖を感じるかもしれない。それよりも怖いのが、塔の屋上出るところにある前に押し上げる形になっているドア?なのだけど。
 ホームセンター辺りで売っていそうなプラスチックの素材を使った手作り感満載のドアは、上ってきたときはまだいいのだけど、下りるときにはバランスを崩しそうになったり、ドアを手で支えながら階段に足を踏み入れなければならなかったりと結構厄介なのである。
 高さ約50メートルの塔の上からの見晴らしはよく、オロモウツの旧市街は歴史的町並保存地区で背の高い建物がないので、他の建物を眼下に見下ろすことができるのも気持ちがいい。ただ足元がどうにも落ち着かない。石の上に何か黒いものが敷いてあるのだが、それが水を吸ってなのか何なのか、波打っているのである。慣れれば平気になるのかもしれないけれども、慣れるほど何度も登る人がいるとも思えない。

 また聖モジツ教会は、パイプオルガンでも有名である。18世紀の半ばに設置されたオルガンは、大きさでも品質でもヨーロッパで最高のものの一つだという。知人のスロバキア人の父親がパイプオルガンを弾くことができて、この教会の人に引かせてほしいとお願いをしたことがある。実際に弾けたかどうかは知らない。以前、日本から来た人が、最近旅行会社ではただの観光旅行では終わらないツアーを企画していて、ヨーロッパでパイプオルガンを演奏しようという企画を見かけたことがあると言っていたけれども、チェコなら聖モジツ教会のオルガンも候補になるはずである。

 聖モジツ教会に名前を与えた聖人の聖モジツは、チェコ語ではスバティー・モジツとなる。スバティー・モジツと言えば、冬季オリンピックも開催されたスイスのサンモリッツのチェコ語名である。聖モジツについて、ちょっと調べてみたら、3世紀に活躍した古代ローマ帝国時代の軍人で、エジプトで生まれ現在のサンモリッツの辺りで亡くなったらしい。
 聖モジツは、テーベ軍団の指揮官としてガリアでの作戦に参加した際、当時のローマ軍団の習慣であった戦いの前にキリスト教徒を生贄として神にささげる儀式に参加することを拒否したことで、罪に落とされ、十分の一刑というのに処されたらしい。これは古代ローマ軍団に特徴的な刑罰で罪に落とされた軍人十人のなかから一人を選んで、残りの九人に撲殺させるというものだという。聖モジツも指揮官でありながら殺される一人に選ばれて、撲殺されたのだろう。
 この伝説がどこまで真実を伝えているのかも、どうしてそんなローマ軍団の指揮官だった人の名前がオロモウツの教会に付けられているのかもわからない。聖ミハル教会のある丘の上で、古代ローマ帝国の駐屯地のようなものが発見されているのと関係があるのだろうか。

 ところで、教会の隣のギャラリー・モリツの前身のプリオールの建築に際して、かつて存在したオロモウツ城下のチェコ人のものと思われる集落と11世紀に建てられたロトンダ形式の教会の跡が発掘されたらしい。また教会の周囲は18世紀の後半までは、墓地となっていたということである。ということは。ギャラリー・モリツは、墓の上に建つショッピングセンターということになるのか……。日本だとちょっとおどろおどろしい印象を持ってしまいそうだが、チェコだとぜんぜん気にならない。むしろシャントフカが、かつての工場の跡、土壌が汚染されていた土地に建てられているという事実の方が気になるなあ。
7月7日23時30分。






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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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