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2017年07月04日

離婚する総理大臣(七月一日)



 六月末のことだったと思うが、秋の総選挙の後に退任することが決定的になっているソボトカ首相が、離婚するというニュースが流れた。あまり大きなニュースにはなっていなかったけれども、これで総理大臣が離婚するのは四人目ということになるらしい。暫定内閣の臨時の総理大臣を除けば、1993年のチェコとスロバキアの分離独立以後の総理大臣は八人しかいないことを考えると、チェコは一般的に離婚率が高いとはいえ、多すぎると言ってもいい数字である。

 1993年1月から98年1月まで、チェコ共和国の初代総理大臣を務めたのは、後に大統領になったバーツラフ・クラウス氏である。クラウス氏は離婚していないけれども、それはひとえに奥さんのおかげらしい。クラウス氏に愛人がいるのは、公然の秘密だったようだが、いや、秘密ですらなく誰でも知っていることだったかもれないが、奥さんは特にクラウス氏を責めることもなく、現在でも夫婦を続けている。
 このクラウス氏の奥さんもちょっと変わった人で、一言で言うとクラウス氏の信者である。クラウス氏の大統領時代に、インタビューなんかで、自分の旦那のことを話すのに、チェコ語で「ムシュ」、つまり日本語の主人に当たる言葉を使わず、大統領(パン・プレジデント)という言い方を使っていたのには違和感を感じてしまった。ハベル大統領の二人目の奥さんが、「バシェク」と愛称を連発するのもなんだかなあなんだけど。とまれ、クラウス夫人は、そういう献身?が身を結んだのか、クラウス氏とゼマン大統領の密約で、現在は出身地のスロバキアでチェコ大使を務めている。

 クラウス氏が身内の市民民主党の内紛の結果辞任し、暫定首相のトショフスキー氏を挟んで、首相に就任したのが、現大統領のミロシュ・ゼマン氏である。ゼマン氏も、首相としては離婚していないが、それ以前に離婚して、首相に就任したのは、二人目の奥さんと結婚した後だった。
 この二人目の奥さんと総理大臣になったというのは、次の二人の社会民主党出身の総理大臣も同様だった。ゼマン氏の後をうけて総理大臣になったものの、大統領選挙でゼマン派と反ゼマン派の間に挟まれて心労のあまり死にそうな顔をしていたシュピドラ氏は、現在はEU議会の議員になっているのかな。その後のグロス氏は、三十代の若い首相として話題を呼んだけれども、金銭スキャンダルで政権を放り出してしまった。その後ALSという難病を発症して45歳という若さでなくなってしまった。

 グロシュ氏の辞任の後を受けて首相に就任したのがイジー・パロウベク氏である。パロウベク氏は一年ほどで首相を辞任したが、野党としての社会民主党を率いて2010年の下院選挙で勝利する。しかし、その後の連立交渉がうまく行かず政権を取れなかったことで党首を辞任してしまう。有名なのは、共産党との連立を否定しなかったことで、演説では必要なら共産党とでも火星人とでも連立すると叫んでいた。
 このパロウベク氏が、退任直後に離婚した最初の首相である。離婚の理由となった相手は通訳の女性で、20歳以上若いんだったかな。離婚を決めるのは首相在任中でも、実際に離婚するのは退任後というルールがあるのかもしれない。以後のトポラーネク氏もネチャス氏も離婚したのは退任後だったような気がする。
 パロウベク氏は、党首を自認した後しばらくして社会民主党を飛び出し、ナーロドニー・ソツィアリステー、日本語に訳すと国民社会主義とでも訳せるなんだかナチスっぽい名前の政党を結成して党首に納まっていた。パロウベク氏の引きで社会民主党から立候補して国会議員になっていた元アイスホッケーのチェコ代表選手だったシュレーグル氏なんかも結党に参加したのかな。この党はスポンサーの問題で消滅したのだが、最近このパロウベク氏が社会民主党への復帰を申請して拒否されたというニュースが流れた。社会民主党も大変だねえ。

 パロウベク氏の次に首相になったのは、市民民主党のトポラーネク氏である。トポラーネク氏がネチャス氏を破って党首に選ばれたことで、市民民主党と創設者のクラウス氏の関係が疎遠になったと言われる。トポラーネク氏の内閣は、チェコが旧共産圏の国としては初めてEUの議長国を務めている最中に国会で不信任案を可決されて辞職に追い込まれ、世界に恥をさらしたのだった。不信任案を提出した野党の側も、政権に対する嫌がらせとして提出したのであって、可決されるとは思っていなかったのではないかと思う。内閣が倒れても誰も得しない状況だったし。
 トポラーネク氏は、首相在任中から同じ上院議員の女性と生活をともにしていたのだったか。奥さんが別れることを拒否しているとかいう新聞記事を読んだ記憶もあるのだけど、その後無事に離婚が成立して、再婚したようである。

 そのトポラーネク氏が、市民民主党の党内クーデターで党首の座を追われた後に座ったのが、クラウス氏の秘蔵っ子と呼ばれたネチャス氏である。2010年の下院選挙では、社会民主党に第一党の座を奪われたものの、その後の連立交渉でうまく立ち回り、クラウス氏からの首班指名を受けて内閣を組織した。
 ネチャス氏の離婚問題は、ネチャス氏の辞任に直結したという点で、他の首相たちの離婚とは一線を画する。付き合いのあった女性を内閣府の一部門の長に任命したところまでは、チェコではよくある話で済んだのだけど、その女性が、軍の諜報部門を動かして、首相夫人の動向を探らせていたというのだ。いちおう首相夫人が新興宗教関係者と付き合いがあって、国家の安全に問題にかかわる可能性があったという言い訳は存在したけれども、実際は離婚につながるねたを求めての行動だったのだろうと言われている。

 これ以外にも、市民民主党内部の反ネチャス派の国会議員に、報酬のいい国営企業のポストと引き換えに議員辞職を迫ったなんて疑惑もあって、今のネチャス夫人は追い詰められていく。ネチャス氏は、メディアによる政治的な目的を持ったでっちあげだと主張していたけれども、トポラーネク氏のの雑誌での失言とは違って、警察、検察まで動く大事件で、現在も裁判が続いている。
 ここで今の夫人を切り捨ててしまえば、いや、切り捨てなくても、首相の地位にしがみつこうと思えば、今回のソボトカ首相と同じで、下院の総選挙が半年後ぐらいに近づいていたから、そこまでは頑張れたはずである。しかしネチャス氏は、現夫人を支えることを選び、首相を辞任してしまった。この無責任な政権の投げ出し方が、2013年の下院の選挙で市民民主党が壊滅的な惨敗を喫した大きな理由の一つになっている。

 ソボトカ首相の離婚の原因はいまだ報道されていないと思うけれども、これで四人連続の首相の離婚である。クラウス氏以外の三人も離婚経験者であることを考えると、チェコの首相というのは、離婚する仕事なのかもしれない。
7月2日23時。



 普通にそれぞれの総理大臣について書いた方がましだったかもしれない。7月3日追記。




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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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