新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2017年12月17日
迷惑コメントその後(十二月十四日)
一月ほど前だっただろうか。変なコメントの書き込みがあってうざったくてたまらないという話を書いた。あの時は、「ブランドコピー」という言葉を、禁止ワードに設定したら、その手の書き込みが消えたという、いわばハッピーエンドだったのだけど、その後、一時的に迷惑コメントが復活した。失敗したと思うのは、思いついたのが遅すぎて、迷惑コメントをコピーして保存したのが、最後の一本だけだということで、何も考えずに消してしまったやつのほうが、日本語もめちゃくちゃだったし、ここに取り上げるのにふさわしかったかもしれない。
ブログの設定で、コメントに関しては特に承認が必要にした記憶はないのだが、前回の対策を採ったあとに、管理ページで承認待ちのコメントがあるというメッセージが出たことがある。トラックバックは承認必要の設定にしてあると思うのだけど、コメントに関しては迷惑物も含めて、こちらの承認なしに表示されるはずである。管理ページからではなく、これまで何を書いたかを確認するために自分のブログを開いたときに、コメントを発見したことも結構あるわけだし。
その承認待ちのコメントも、迷惑物だったので、特に読みもせずに消してしまったのだが、それがどうして承認待ちになっていたのかはわからない。禁止ワードが使われていたのだろうか。その次に二本連続で入ったコメントは、ちらっと読んで、日本語になっていない部分が多いのに、自動翻訳を使っているのか、外国の人がアルバイトでやってるのかなんて感想を持った記憶がある。
そして、今回紹介する迷惑コメントが来たときに、この手のコメントをまとめて記事のネタにしようと思いついたのだが、ついでに設定した禁止ワードが機能したのか何なのか、あれから一本も入らなくなってしまった。コンピューター関係は、結果は見えても、その原因理由が何なのか理解できないことが多いのが素人にはつらいところである。
さて、件の迷惑コメントだけれども、まず、
スーパーコピー 時計N品質シリアル付きも有り付属品完備!
「N品質」て何なんだろう。「シリアル」は、シリアルナンバーかなあ。「スーパーコピー」というからには、オリジナルではなくコピー品だろうに、シリアルナンバーまでコピーしたということなのか。すべての言葉が切れ目もなくつながっている辺りが、不自然である。
スーパーコピー 時計楽天オークション、当社のロレックススーパーコピー,パネライスーパーコピー,ウブロスーパーコピー,シャネル スーパーコピー商品は絶対の自信が御座います。
楽天のオークションに出品しているということなのか。それにしても、ロレックスとシャネルは聞いたことがあるけど、「ウブロ」と「パネライス」は知らない。いわゆるブランド品に縁のある生活は送っちゃいないし、ほしいとも思わないのである。だからコメントの送り先を間違えていると思う。ブログの読者に読ませたいのだとしても、そんなに多くの読者がいるわけでもないだろうし、下手な鉄砲数打ちゃ当たるとは言っても下手すぎである。
おすすめ人気Rolex腕時計, 最高等級時計大量入荷!、売店、卸売りと小売りの第一選択のスーパーコピー 時計の店。
「Rolex」とカタカナにしていないのは何か理由があるのかな。問題はこの部分、意味が理解できないことである。「売店」で、「卸売りと小売り」を両方やっているということか。次の「第一選択」とか、下手くその翻訳っぽいよなあ。
それは世界で最も複雑な時計やブライトリングが20合併症で生産している最も複雑なコピー時計の一つです。
「それ」がさすのは、前の部分の「店」なのかなあ。内容から行くと「Rolex腕時計」なのだろうけど文脈が……。まあそれも「20合併症」の意味不明さに比べれば何でもないけどさ。まさか病気が生産しているなんてことはないだろうから、合併企業とか言いたいのかね。そうだとしても生産しているのが、オリジナルなのかコピーなのか判然としない。
これは33合併症との150周年を記念して1988年に発売されたキャリバー89である彼らの最も複雑な[ポケット]見て、と混同しないようにされている。
「33合併症」ということは、合併した病気の数が増えたのか。それはともかく、「キャリバー89である彼ら」ってことは、「キャリバー89」は何なんだ? その前の「発売された」というのもつながることを考えると、「彼らは1988年に発売された」ようである。人身売買ってことはないだろうから、お粗末過ぎる翻訳ということにしておこう。
なぜか括弧に入っている「[ポケット]」も、名詞のポケットなのか、擬態語の「ぽけっと」なのかわからない。どちらでとっても意味不明だから、どっちでもいいんだろうけどさ。
★N品質シリアル付きも有り 付属品完備!
これは最初の部分の繰り返し。
内容をチェックしてみて思うのは、こんなコメントを読んで、併記してあるリンクからこのお店のページ(試していないからたぶん)に行ってみようと考える人はいるのかということである。怖いもの見たさとか、間違いでクリックしてしまうとかいうことがないとは言わないけどさ。行った先の日本語もどうせろくでもないものだろうから、売れるとは思えないのだけど。
それでも、この手の「お店」が、おそらくは宣伝目的で、こんな迷惑コメントを送り続けているということはつぶれずに存続しているということで、ということは買う人がいるということでもある。うーん。謎である。自分ではこんなネット上のお店には近づきたくもないから、謎解きに手を出す気はないのだけど。
それで、このコメントに出てくるどの言葉を禁止するのがいいのかというのを考えた。ブランド名を禁止しても実害はないのだろうけど、今回は冒頭に登場する「スーパーコピー」というのを登録してみた。この組み合わせは自分では絶対に使わないと断言できるし、このブログにちゃんとしたコメントをくれる方が使うとも思えない。「スーパー」と「コピー」それぞれ単独だったら使うことも多いけど、組み合わせると使えない言葉になってしまう。
設定をしたら、それ以後、この手の迷惑コメントが、再びぱったり途絶えてしまった。うれしいことではあるのだけど、この記事を書こうと考えていただけに、同時にちょっと残念でもあった。本当は、いくつかまとめて分析して、傾向を出そうと計画していたのに、いちゃもんをつけるだけに終わってしまった。
2017年12月14日23時。
2017年11月18日
このうざったさは何だ?(十一月十五日)
先日、知人のブログに触発されて吉田拓郎の歌を何曲も聞きまくってしまったときに、「ああ、このけだるさは何だ?」というフレーズが耳に残った。あれは「たどりついたらいつも雨降り」だっただろうか。ちょうどその頃に、うざったいと思うことが、ブログ関係で頻発したので、こんなタイトルになってしまった。この記事を書くのは、そのうざったさの原因になったことがひとまず終結したようだからである。
初めてコメントを頂いたのは、ブログを初めて一年以上経ってからのことだった。今でもなんだかどきどきしながら読ませてもらったのを思い出す。その後、少しずつ増えて、今では二桁にまでなっているのだけど、他のブログでよく見かけるコメントへの返信というのがよくわからないので、頂いたコメントには、本文中で触れて関連するような内容の文章を書くことで返事代わりにさせてもらっている。
すでに700本近くの文章を書いて、ネタは多分いくらでもあるのだけど、ちょうどいいタイミングで思いつけないことが増えている。あのとき中途半端な書き方したし、今更これについて書いてもなあなんてことが多いのである。それが頂いたコメントを読むことで、文章を書く際の方向性が見えてくるというか、頭の中にあるネタの使い道が見えてくる。それで、特に具体的に何を書くか決めかねているときには、コメントを頂くのを待ちかねるようになっていた。
チェコ語の文法復習シリーズは、書こうと思えばいくらでも書けるのだけど、万人向けじゃないし毎日この手のテーマで書いているとうんざりしてくるので、政治ねたでも何日も続くといやになるし、頂いたコメントをヒントにちょっと違ったことを書くのは楽しくもあるのだ。それに何を書くのか悩んでなかなか思いつけないこともある。
そんな期待を裏切るかのように、管理ページでコメントの数が増えているのを見て、いそいそと内容を確認に行くと、このブログとは関係のないコメントだったというのが頻発したのである。そのうざったさと来たらない。それは、「うざったい」を「うざい」と言い、「何気なく」を「何気に」という東京の連中の話し方と同じくらいうざったかった。
コメントの内容は、どこぞのブランド品、いやその模造品を販売するサイトを宣伝するもので、サイト側から書き込んだように見えるものと、そのサイトを利用した人が御礼を言う形で宣伝につなげようという書き込みの二種類あるようだった。ちゃんと読んだわけじゃないけど。
不思議なのは、そんな宣伝めいたものをこのブログに置いても何の役にも立たないだろうに、どうしてそんなことをするのだろうかということだ。所謂ブランド品なんて、それがコピーであってもほしいとは思わないし、それについて記事を書いた覚えもない。アルバイトでも雇って手当たり次第に書き込みさせてでもいるのだろうか。下手な鉄砲数うちゃあたるとは言っても、下手すぎるだろうに。
もう一つ不思議なのは、この手の似非コメントがつけられる記事が、閲覧数が最も多いはずの最新の記事でも、長期的に閲覧数の多い記事でもないことで、なぜか、昔の一つはチェコで頻発した雪の重さで建物が落ちる記事、もう一つは飲食店の全面禁煙が導入されたことについての記事につくのである。なぜなんだろ。思い返してみれば、最初のちゃんとしたコメントを頂く前にも、何回か似非コメントがついたことがあるのだけど、それが屋根が落ちる話だったかもしれない。でもそのときも、すでに最新の記事ではなくなっていたと思うんだよなあ。
そんなコメントもどきを置いていく側の魂胆はともかくとして、うざったさに耐えられなくなったので、抹消しておしまいではなく対策をとることにした。ブログの管理画面からコメントやトラックバック(いまいちよくわかっていないのだけど)の削除は、これまでもしていたのだが、コメントにコメントした人のサイトのURLが記入されている場合には、禁止することができるようなのである。それで、似非コメントにURLがある場合には、禁止設定をしてから削除することにした。しかし、効果がないので、IP(IPアドレスかな?)も禁止してみた。それでも似非コメントがなくなるわけではなかったし、禁止リストに入っているのと同じIPが表示されていることもあったような気がする。うーん。
このまま放置するのもいやなので。「禁止設定」の項目を確認した。最初にブログを開設した時に半角英数字だけのコメントとかトラックバックは禁止したけど、それ以外は触らなかったのだ。コメント時の認証も設定できるようだけど、そんな面倒なことにしたらちゃんとしたコメントをくれる人もいなくなってしまいそうである。名前やメールアドレスを必須にするのも、自分自身が匿名でやっているのに、コメントする人に強要するのも申し訳ない。
もう、諦めようかと思っていたら、「禁止WORD」というのがあるのに気づいた。コメント内に特定の禁止されている言葉が出てきたらコメントできなくなるということだろうか。試す価値はありそうだったので、禁止すべき言葉を検討することにした。似非コメントをまともに読まずに削除してしまったのを、ちょっと後悔してしまった。
ブランド品についてのコメントだったのは覚えているので、「ブランド」という言葉を禁止しようかと思ったけれども、これではバテャ、ボタスキなんかのチェコの、この場合は靴のブランドについてのコメントが来ないとも限らない。具体的なブランドの名前は、何が出てきたか覚えていない。どうしようと悩んでいたら、タイミングよく似非コメントが飛び込んできた。
その中に出てきた「コピーブランド」という言葉を登録してみたら、あら不思議、それ以来似非コメントが、全く来なくなった。それまでは十日ほどとはいえ、毎日のように、ひどいときには日に何回かこの手の似非コメントが来ていたのに、完全に止まったのである。
今確認のために数えてみたら禁止URLは23、禁止IPは35も登録されていた。これだけ登録してどうにもならなかったものが、言葉一つの禁止でうまくいくのだから、不思議なものである。そのおかげでちょっとだけ今までよりブログを使いこなせるようになった気がして気分がいい。その気分のよさのままに、こんな文章を書いてしまった。
2017年11月16日21時。
2017年09月20日
日付(九月十七日)
チェコとの国際親善交流をなさっていると言う方からコメントをいただいた。ここに垂れ流している文章が国際交流に役に立つようなものだとは自分では思えないのだが、貴重かどうかはともかく、面白いと言っていただけるのはありがたいことである。
眠くて朦朧とした頭で何とか書き上げたものを推敲もしないでそのまま投稿してしまうことも多いので、自分で読み返して何でこんなことを書いたんだろうと思うことも少なくない。以前は間違いを発見したらこまめに修正をしていたのだが、最近は記事が増えすぎたせいもあって、チェコ語の文法の間違いとか大きな間違い以外は放置してしまっている。怠慢極まりなく申し訳ないことである。
さて、コメントを頂いた記事で気になったことがある。それは、「九月十二日」付けの記事にコメントを頂いているのだが、今年の九月ではなく、去年の九月の記事にコメントされている点である。毎日書く日記ということで、題名の後ろには必ず日付(必ずしも書かれた日と一致するわけではない)を付けるようにしている。しかし、考えてみればすでに一年半以上続いていて、一年の三分の二以上は、同じ日付の記事が存在しているのだ。
このことに全く気付いていなかったというわけではないのだが、あまり深く考えたくなくて、ここまで放置してきた。今後も続く、いや続けるつもりであることを考えると、題名の後の日付を外すか、何年というのを入れるかしたほうがいいのかもしれない。おんなじ日付が三つ以上もあるのは、あんまりよくなさそうだし。
でもなあ、日付に「廿」「卅」なんて普通は使わない文字を使っている以上「2017年」にはしたくないし、「平成廿九年」というのも何だか芸がない。それで、昔よく使っていた年号に干支を付けて年を表す方法を使おうかと考えた。今年はたしか「平成丁酉」になるのかな。でも、毎日「平成丁酉九月十日」とか書いていくのは一般的だったのだろうか。
いっそのこと「猛春、仲春、季春」で月を表してみようか。「平成丁酉季秋朔日」とか、「平成丁酉季秋晦日」だったら、それなりに見えるけれども、「平成丁酉季秋二日」なんて数字が入ってくるとあんまり見てくれがよくない。一般的な月の異名を使って「平成丁酉長月二日」というのも落ち着きが悪いし、こんなのを採用するなら日付そのものも旧暦を採用したほうがいい。外国に住んで、中国ならともかく、チェコで旧暦の日付に基づいて文章を書くというのは無理がある。時々でてくる日付ネタで自分自身が混乱することになりそうだ。
思い出してみれば、二年目に入ったときにこんなことをちょっと考えたような記憶もある。途中で考えるのが面倒くさくなって、後で考えようと思ってそのまま考えなかったという落ちだな、これは。では、これからどうすしようか。とりあえず、末尾の書き終えた日時に年を追加してみようか。これでしばらく様子を見ることにして、今日の記事は短くおしまい。
2017年9月19日16時。
2017年07月13日
大スランプ(七月十日)
まともな人様に読んでもらえるような文章が書けないという意味では、万年スランプというか、このブログを書き始めて以来解消できていない問題なのだが、いや、そこは単なる実力不足だと言われればその通りなのだけど、前を見るのをやめたら、ほら終わりだし、いつかはまともな文章が書けることを夢見て書き続けているのだから気にしないことにして、ブログを始めて一年半、今年の七月に入って筆が全く進まなくなった。
これまでも何度か筆が進まないとか、必要以上に時間がかかるとか、ねたがないとか、しょうもない愚痴めいたことを書き散らしてきたけれども、今回の大スランプに比べればかわいいものだった。何だかんだで、ネタが見つかって、ネタさえあれば、それなりに書くことも思いついて、それなりに、このブログ内のレベルでは、そこそこのものが書けていたのだ。ただし、よそ様の読める文章と比べてはいけない。
それが、今年もきゅうりの季節が始まって、書くことがなくなりよなあと思っていたのがいけなかったのか、七月に入って、いや六月末に久しぶりに『小右記』のまとめ記事を投稿したあたりから、何について書くのかを決められなくなった。いくつか暖めてあるテーマはあるのだけど、その中のどれを頭の中でいじくりまわしてみても、話が広がっていかない。断片的な文章、文は思いつく。それをどうつなげて一つの文章にするのかが見えてこなかった。
そもそも、このブログの文章は、それほど構成に気を使っていないので、書き出しから最後の部分まで、かっちりと結びついたものにはなっていない。こう書くと、意図的にそうしているように感じられてしまうけれども、構成的にきっちりしたものを書くには、時間と気力と体力をつぎ込んで意識して書く必要があるから、普通に書いたらこんな文章になるという面もある。
それで、きっちりと結構のある文章ではないけれども、それぞれの部分が、緩やかに結びついて、何となく一つの文章として読める、書いた本人としてはそう感じられる文章を書いてきたつもりである。それなのに、具体的にどの文章がとは言わないが、それぞれも文が別の方向を向いていて一つの段落にならない。段落にはなっても文章になっていないような、そんな感覚に襲われてしまった。
頭の中で文章の展開が出来上がらないまま無理やりに書き始めたから、まとまりのかけらもない文章になったという面はある。それでも頑張れば何とかなると思っていたのだ。結局、書き始めた文章を没にして、別なテーマで書き直すことも何度もあったし、文章全体ではなく、書きかけた段落や、分を丸ごとカットしてしまうこともあった。こっちは普段でもないわけではないけど、途中まで書いた文章を没にするというのは、これまでほとんどなかったんだけどねえ。
その結果、書くのに遅れが生じ、毎日のように投稿直前まで二日前づけの文章を書いていた。文章末尾の脱稿日時は、見得も入っているからフィクションの部分もあるのだよ。仕事の都合であまり時間が取れなかったとか、酒飲んで酔っ払ってかけなかったとか、そんなまっとうな理由がないのに書けないのがつらかった。
そう、久しぶりに書くことの辛さを味あわされたのだ。もう、今年の正月のように、一時休んでしまおうかと思ったくらいである。正月は寝込んでしまって物理的にかけなかったのであって、書きたくなくなったわけではない。今回は書きたくないという気持ちが芽生えてしまっていたのが危険な気がして休むという選択はできなかった。自堕落な人間なので、一度休んだら永久に休んでしまう可能性が高いので、嫌がる自分に鞭を打って書き続けることにしたのである。
そのため、普段からどうしようもない文章を垂れ流しているこのブログのレベルからいっても、どうしようもなさ過ぎる文章をお目にかけることになってしまって、申し訳ないの一言なのだけど、大スランプ中の文章の方がましだったとか思われていたら悲しい。本当はこのテーマも、大スランプのどん底のときに書こうと思いついたのだけど、ただでさえややこしい話になりそうなものを、文章に脈絡が付かない状態で書いたら、えらいことになると思って、多少回復するまで待つことにしたのだ。
それで、何とか最悪の状態は脱したことを確信できた今日になって、書くことにしたのだけど、冒頭部分のぐだぐだっぷりは、完全回復には程遠いことを思わせる。しかし、書きたくないという気持ちは消えたし、書き始めるに当たって、段落一つ、いや二つ分ぐらいまではめどが立ち、そこまで書く間に、次が見えてくるようになっているから、大スランプは終わったということにしよう。後はまた毎日毎日、愚にも付かない文章を書き続けるだけである。
久しぶりに当日分の記事を終わり近くまで書き進めることもできた。完成させるのは翌日のことになるだろうけど、ほかのことに使える時間が増えるのはありがたいことである。何をどう書くか考えるだけで、何時間も費やすのは時間の無駄以外の何物でもないし。
それにしても、何故に六月末にこんなことになったのだろうと考えて、去年夏越の祓について書いたことを思い出した。昔の人の知恵ってのは侮れないね。一年の真ん中に当たる六月の末に、大きな祓をして、次の半年に向けて気持ちを立て直していたのだろう。来年は茅輪くぐりの真似事でもしてみようか。
7月11日20時。
トマソンのことを書いたのがいけなかったのかもしれないとふと思ってしまった。トマソンの呪いなんてのなかったっけ? 7月12日追記。
タグ:愚痴
2017年06月06日
日本ブログ村(六月三日)
最近、ファンブログの仕様が一部変わって、カテゴリーの設定の位置が変わったので、ついつい忘れてしまうことが多い。ブログの管理ページで直接書くのではなく、ワードで書いたものをコピーして貼り付けているのだが、その際、下から順番に、末尾の日付の右寄せ、文章中の改行の追加、リンクなどの処理をした後、一番上にある日付つきの記事のタイトルのようなものを、「記事タイトル」のところに移動して、その下のカテゴリーを設定するというのがルーチンになっていたのだ。
それが、タイトルを移動した後、記事の先頭から末尾までを選択して、文字を大きくする指定をしたあと、投稿のボタンを押す前にカテゴリーを設定しなければならないように変わったのだけど、本文を処理してそのまま投稿してしまうことが多い。書くことだけでなく、ブログに投稿すること、いやその手順までもが習慣になっていたということだから喜んでいいのだろうか。
問題は、最近書くのに時間をかけすぎていることである。あまり考えずにさっと書いてしまいたいのだけど、余計なことを考えているうちに時間が飛んでいってしまう。余計なことを考えている間に、最初に想定した記事の内容を忘れてしまって、必要以上に苦吟することも多い。後で読み返すと、脈絡がない記事が増えているのも考えすぎて細切れな書きかたになっているせいだろう。以前も同じような反省をしたような気もする。進歩がないなあ。
ブログに忍者のアクセスランキングを貼り付けたのは、もうだいぶ前のことになる。一月分の多分どこのページからこのブログに到達したかを示しているのだろう。グーグルが一番多いというのは、検索で使う人が多いのだから、まあよかろう。二番目にこのブログが上がっているのは、ブログ内であちこちしたということなのだろうか。そうすると過去に書いた記事を確認するために検索したりしているから、自分自身のアクセスもいくつか入っていそうだ。
よくわからないのが、ここに挙がる数字と、ブログの管理ページで確認できるリンク元の数字があっていないこと。同じ忍者でもアクセス解析の数字ともあっていないような気がする。こういうサービスごとの数値の違いはそういうものだと受け止めることにしている。ときどきブログの管理ページで提供される数字は大幅に水増しされているという批判を目にすることもあるけれども、カウンターとの数のずれに規則性はないし、シークレットモードだとカウンターではカウントされないとか素人にはわからないことがいろいろありそうなので、そんな無茶な数字が出ているわけでもないと思う。
数字といえば、アクセスカウンターで一月分表示させて、日本ブログ村からのアクセスが60件ぐらいある。ブログの管理ページのリンク元のページから概算すると、もう少し多くてもよさそうな印象だけど、とにかくブログ村に登録したことで、アクセス数が増えているのは確かなようだ。ブログ村に登録するところまでは、むやみに忙しかった時期であとさき考えずに登録だけしたのだが、そこから先に進めていない、つまりあれこれあるらしい機能を使っていないのは、少し考える余裕ができたからである。どうしようかなと考えているうちに時間がなくなってしまう。
しかし、ブログ村に登録をした最大の収穫は、ターボル在住のakkieさんからコメントを頂いたことだろう。おかげで昔自分がターボルに行ったことがあるのを思い出して一文物せてしまった。問題は、肝心要のターボルの街についてほとんど何も思い出せなかったことなのだけど。
そして、こんなブログも発見。ご本人のだと思うけど、違ったら申し訳ない。写真がふんだんに使われた生活感あふれるブログである。こちらが文章だけの引きこもりブログで、基本的にオロモウツ以外の話は昔の記憶で書いているのに対して、あちこち出かけてもいらっしゃるようで、ちょっとうらやましい。
ターボルの写真もたくさんあって、その写真を何枚も見たのだけど、ターボルのことが思い出せないわが記憶の情けなさである。廿年以上前だから改修が済んでと思わなくもないけど、改修というのは、ぼろぼろだったものが新品同様に変わるというだけで形や物が変わってしまうわけではないはずである。
ブログのタイトルの「hezký den」というのもいい。これは「いい一日をお過ごしください」とでも訳せる別れの際に使う挨拶の一つである。いくつかバリエーションがあって、午後だと一日の代わりに、一日の残りになることがあるし、金曜日だと週末、長期休暇の前だと休暇なんて言葉を使ってその場の状況に合わせた挨拶にする。
問題は、これにどう返すかで、「hezký den」と言われて「hezký den」と返すのは芸がないし、チェコ人同士のやり取りを聞いていると違うことを言っているようである。ということで昔師匠に質問したら、「vám také」か「tobě také」と返しておけばいいと教えてくれた。「hezký den」というのは、「přeji vám hezký den」の略で、文字通りに直訳すると「あなたにいい一日を願います」ということになるので、「(私も)あなたに(願います)」と返すのがいいらしい。
自分から「hezký den」ということはないのだけど、役所なんかで手続きが終わって部屋を出るときなんかに言われることは結構あって、最初のころは緊張したのか何なのか、なかなかうまく「vám také」と返せなかった。別れの挨拶といえば「ナスフレダノウ」だという思い込みがあったのかもしれない。それで、うまく「vám také」と返せたら、部屋を出たところで思わず小さくガッツポーズをしたりしたものだ。最近は、「také vám přeji」とか「také vám přeji hezký den」とか、あれこれバリエーションを交えて使えるようになったので、そんなこともしなくなったけどさ。
とまれ、「“hezký den“ vám přeji」という言葉で今日の記事を終わろう。「いい一日をお過ごしください」という意味で使っていないのは、わかってもらえるよね。
6月4日23時。
2017年04月09日
ブログ模様替え(四月六日)
長かった冬も終わり完全に春になったと言えるような日々がやってきたこのごろ、しかも花粉症にも悩まされないということで、日本にいない幸せを噛み締めてしまう。春なのにブログのテーマを秋のままにしておくのも何なので模様替えをすることにした。実は、冬になったばかりのころに、一度オロモウツの冬景色の写真をアップロードして、背景を変えようとしたことがある。画像の変更には成功したのだけど、教会の屋根の一部しか表示されず、画像のサイズを変更しなければいけなかったのだということに気づいた。その日は時間が本当になかったので、仕方なく諦めて後日を期したのだけど、すっかり忘れていた。忘れていたというよりはめんどくさかったと言ったほうがいいか。
今回は、大掛かりなことはせずに、既存のデザインから選ぶ。最初の真っ白の奴は左サイドバーだったし、次の夏と秋の森は、右サイドバーだった。だから両サイドバーのものを使ってみることにする。いろいろごちゃごちゃ入れすぎたせいで、サイドバーが記事三日分ぐらいに長くなっていたので、両脇に分けることで短くしようと思ったのもある。
デザイン一覧から両サイドバーのものを探すと、殆どがシンプルとか、カスタム向けとかいう奴でヘッダーに画像が入らない奴だった。これまでと同じように季節物を探すと「春」は花柄でちょっと使うには気後れしてしまう。最初にいいなと思った「カフェスタイル」は、以前CSSを徹底的にいじって右サイドバーに改造したので、本来の両サイドバーとしては使えない。結局選んだのは深い青色もりりしい「金魚」である。
最初の設定どおりだと、サイドバーと本文のスペースの幅が細すぎたので、CSSをいじってはブログを再読み込みさせて、少しずつ調整していく。それから左右のバランスを考えて、コンテンツを配置する。ちょっと本とバナーが増えすぎて雑多な感じになっていたので、多少整理。
ついでに、A8.netの機能にローテーションバナーというのがあることに気づいたので、参加中プログラムのバナーを十個登録して、記事を投稿するときに、一番下にリンクコードを貼り付けてみた。プレビューでは表示されなかったのだけど、掲載されたページを開くごとに別な広告バナーが表示されるようになっているようだ。本当は表示したらくるくるバナーが変わっていくやつかなと思ったのだけど、違っていた。
それから、せっかくなので、「楽天モーションウィジェット」というのも試してみる。言葉を聞いてもなんだかわからなかったけれども、実際に使ってみたらあちこちのサイトで見かける商品の表示が移動する奴だった。うちは本屋みたいなものなので、優先して表示されるカテゴリーを「本」にしておく。ブログを開くと、この部分に表示されるのは、自分が楽天で選んで掲示した商品が中心になっていた。ということは、このブログを見ている人が、以前見た楽天にある商品が掲示されることになるのかな。
ここまでやって、以前忍者のアクセスランキングに登録したのだけど、それに登録したブログのランキングを見たことがないのに気づいた。自分のブログで見られるのは、自分のブログからの出入りだけであって、他にどんなブログがランキングに登録されているのかは、全く見えない。ブログのランキングをクリックしてたどり着く先は、忍者のサービス一覧みたいなページである。いろいろ探しても新着ページ一覧というところまでしかたどり着けなかった。「忍者ホームページ広告」なんてところからうちに来ている人がいるのだけど、そのもとになるページはどこにあるんだ。
いつまでも考えていてもしょうがないということで、別なブログランキングにも登録してみた。あちこちのブログで、ボタンを見たことのある日本ブログ村というやつである。こっちもいまいち何がどうなっているのかわからんけど、適当に登録してしばらく放置である。カテゴリーをどうするか悩んだけれども、とりあえず「日記」(今日のはちょっと日記っぽい? でも一日の出来事じゃないか)の「その他日記」にして、サブカテゴリーというのが出てきたので、「与太話」はなかったから、「たわごと」に設定しておく。
翌日にカテゴリーを三つまで登録できることに気づいて、チェコ関係のカテゴリーを探したら、「海外生活」の「チェコ情報」というのがあった。あんまり生活についても、チェコの情報についても書いていない気はするけど、チェコだからチェコにしておく。二つ以上登録するときには、ポイントを分割する割合を決めろという。面倒くさいので50%ずつにしておく。
忍者のランキングに手を出した三月は、確かにアクセスは増えた。一年前と比べたら十倍ぐらいになったのだけれども、登録したおかげで劇的に増えたというわけでもない。ブログ村への登録ではどうなるだろうか。登録前から四月は三月よりも多くなりそうな感じなのだけど。
4月7日23時。
タグ:ブログランキング
2017年03月24日
アクセスランキングなど(三月廿一日)
ブログをご覧の方は、お気づきだろうが、先日仕事に追われて忙しかったので、発作的に忍者のアクセスランキングというものに手を出してしまった。出したはいいんだけど、なんだか意味が分からない。
そもそもこのアクセスランキングが何を示すものなのかがわかっていないことに、設置してから気づいた。現時点では一番上にあるのが自分のブログである。inとoutもいまいちよくわからないけど、ヤフーの検索が三つに分かれて表示されているのは何故なんだ。
ヤフー検索、グーグル、ビングが並んでいるということは、どのポータルサイトで検索してこのブログにたどり着いたかを示す指標ということだろうか。忍者ホームページ広告というのは、アクセスランキングに登録したから出てきたものだろうけど、具体的にどのページなのかがわからない。クリックすると忍者ツールズのホームページに行ってしまって、忍者ホームページ広告にはたどり着かないのだ。
このブログに来る人の多くがグーグルで検索した結果来ていることがわかってしまった。グーグル嫌いとしてはなんかちょっと悔しい。このブログが一番上にきているのが何故なのかは、現時点ではわからない。inよりもoutの方が多いのも、?である。
しかし、忍者のアクセスランキングはちゃんと表示されているからいいのである。ついでに使ってみたファンブログの記事ランキングは、閲覧数の多い記事を勝手にランキングしてくれるものだろうと思って放置しているのだが、未だに何も表示されない。ランキングの対象となる記事を設定する必要があるのだろうか。うーん、すでに記事数が四百を越えた今となっては、設定するが面倒くさい。
そもそも話の種になるかと思って設置したものだから、いっそのこと削除してしまおうかとも考えているのだが、踏み切れない。そのうち、ファンブログの設定が変わるかもしれないし。この辺は、マニュアルもちゃんと読まずに適当にやってしまう弊害である。
ランキングといえば、ブログの管理ページに表示されるブログランキングというのの順位が上がっている。最近アクセス数が増えてきて、毎日三桁を越えているせいで、順位も三桁で安定している。こっちは分母がわからないのだけど、ブログカテゴリーのほうは、分母がほとんど六桁の五桁で、順位は二桁。「日記・その他」というカテゴリーだけで十万近くのブログが少なくとも開設はされているという事実には、驚くほかない。
そのうちのどれだけが定期的に更新されているかとなるとまた別問題なのだろうけど、ファンブログ全体だと百万のオーダーで開設されたブログが存在しそうである。他のブログサービスの事なんか考えてしまえば、日本語で書かれたブログは日本人の人口並みに存在するのではないかと思われてくる。
これまでにも無数のブログ、その中には更新が止まってしまったものも多かったけれども、を読んできた。だけど、ここまで多くの数のブログが存在し、少なくとも一度は記事が投稿されたなんてことは想像もしなかった。学校教育の間は作文などの文章を書くのは嫌いだとか、苦手だとか言う人の多い印象があるのだけど、課題でもなんでもなく、好きなように文章をつづるのはまた別問題だということか。かく言うい自分も、学校の課題の作文は、型にはめてきれいな文章を書かなければいけないような気がしてあまり好きではなかった。
好き勝手に文章を書き散らす楽しさを覚えたのは大学時代だっただろうか。受験英語の日本語訳の呪縛からも自由になっていたし、大枚はたいてワープロ買って具にもつかぬことをあれこれ書き散らしていたのだが、考えてみれば今と大差ない。書いたものをを、不特定少数の人に公表するかどうかの違いである。時代は変われど人は変わらずということか。一億総インターネット時代は、一億総白痴化時代の延長線上にあるわけだし。
3月22日10時。
2017年03月03日
衝撃の……事実(二月廿八日)
気が付けば、今年最初の小の月である二月も晦日、時間が経つのが早すぎる。とはいえ、年末年始の数日の体調不良の時期を除けば、毎日一本、それなりにまとまっていて読めるのもあれば、どうしようもく読めないのもあるけれども、何とか書き上げる生活を、かれこれ一年二ヶ月続けてきたことになる。正確には、いろいろな事情で、ほとんどかけない日もあって、別の日にたくさん書いて穴埋めしたり、時間をかけてまとめている『小右記』関係の記事を分割掲載したりすることで、一日一本投稿しているというのが正しいか。クリスマス進行の時期には、前倒しで何日分かまとめて予約投稿したわけだし。
いずれにしても、最初は一ヶ月も続かないことを危惧していたわけだから、自分でも驚きの継続振りである。昔お世話になった先生が、口癖のように「継続は力なり」と仰っていたけれども、この書きなぐりプロジェクトの場合、継続はしているけれども、まだまだ力というには不足している。第一の目標であった毎日書く、暇があれば書くというのは、身につきつつあるので、ここは第二の目標に目を向けてもいいかも知れない。
第二の目標としては、毎日真面目なテーマで、頭を使わなければかけないようなものを書くというのがいいのか、文章の質を上げるというのがいいのか、悩ましいところである。前者はこれまでもたまに挑戦してきたけれども、選んだテーマに対する考えがまとまりきらないうちに書くと、考えが堂々巡りに陥って地獄を見る。でも書かないで放置しておくと永遠に考えがまとまらない。ぐちゃぐちゃになりかけた文章を、ぶった切るように強引にまとめて終わらせるという点にかけては、訓練になっているし向上しているのかな。
後者は、そもそも質の高い文章とはなんぞやという問題がある。書き上げてうまくかけたと思えた文章など一つもない。それなのに、ブログを表示させて読んでみると、そこそこ読める。自分で書いた文章なのに、読み込んでしまうこともある。一度あまりのひどさに、慌てて書き直したことはあるけど。つまり、何に気をつけながら書けば、文章の質が上がるのかよくわからんということだ。最初は、適当に書いているうちに、少しはうまく書けるようになるんじゃないかと期待していたのだが、どうもそういうことにはなりそうもない。
大学時代の友人らしき人物がツイッターに漏らしていた、文章は一年は寝かした上で修正しないといいものにならないというのを実践するしかないのか。一方で新しい文章を書き散らしつつ、去年書いた分を修正していくのか。うーん、想像するだけでも逃げ出したくなる。間違いやわかりにくいところの修正ならともかく、文章の質を上げようとして、いや気取った文章にしようとして修正に手を付けると、一箇所の直しが連鎖反応を起こして、最終的には全面的な書き直しになってしまうこともある。それもできれば避けたい。
いや、そんなことよりツイッターである。これまでも、何度かもらしてきたような気がするが、フェイスブックとかツイッターというものが嫌いである。ラインとかなんとかいうものは、嫌いを通り越してどんなものか実態を知りたいとも思えない。現実がどうなのかは知らないが、これらのサービスについての記事を読むたびに、有用性を説く記事であっても、お互いに監視しあっているような窮屈さを感じないのだろうかと不思議に思ってしまう。こんなことを書くと、あいつがツイッターで書いていたことが全く正しく、自分が大学時代から、それこそ一歩も進歩していないことを再確認させられてしまう。
ブログの管理ページから、去年の二月のアクセス解析なんてものみていたら、リンク元というところにヤフーでの検索結果のページらしきものが出ていたので、興味半分に開けてみた。そしたら、一覧にあがっているページの中に、件のツイッターのページがあったのだ。ツイッターのページに行って、コメントを読んで思ったのは、「これどう読んでも俺のことやんけ」。
旧友達とは音信不通になって久しいから、チェコで仕事をしているなんて知られていないはずなのだけど誰だろう、こんなことを書くのは。ああ数年前にチェコに来るといって連絡くれたのがいたなあと思い出して、ツイッターの主の名前を見たら、そいつを連想させる名前だった。フェイスブックならやりそうなタイプだったけど、ツイッターとは意外だぜと、表示されたものを読んでいったら、そいつじゃなくて、これも我が悪友たる旦那のほうだった。
意外といえば意外だったけれども、短く辛らつなコメントを残すのが得意だった大学時代を考えれば、ツイッターはあっていると言えば言えるのか。あまり辛らつな発言が見当たらなかったのは、こっちのこれもそうだけど、お互い年をとったねえということだな。しかし、ツイッターよりブログで長い文章を読ませてくれないかとも思う、
とまれ、○○先生、このブログの存在に気づいていたら、昔から進歩しない冗長に過ぎる文章と内容から、こっちの正体にも気づいてんだろ。匿名で他の人にはわからないようなコメント残してくんな。期待しないで待ってるから。コメントするのは嫁さんのほうでもいいぞ。
2月28日23時30分。
最近、末尾の日付と時間がほとんどフィクションと化していたけれども今日はほぼ正確である。問題が一つ、このツイッターの存在を知って、喜ぶべきか、喜ばざるべきか。うーん、とりあえず、二度とは言わないが、しばらくは見に行くことはあるまい。3月2日追記。
2017年01月22日
ミー・チテナージ(正月十九日)
最近自転車操業である。つまり各記事の題名の後の名目上の日付と、末尾の一応の完成を見た日時がずれていることからもわかるように、書き上げるのが遅れ気味である。いや、正確には書き始めるのが遅れているのである。それは、前の分が遅れているからおせおせで次も遅れるという面もあるけれども、何について書くか決めかねているうちに、書き始められないまま寝床に向かってしまうのも大きな原因である。そして、翌日にえいやで、どんなことが書けるかもあまり考えないまま見切り発車で書き始めるのも、書くのに時間がかかりすぎる原因である。
書けることは、多分まだまだある。ただそれを思い出せないのが問題である。昨日の「スラブ叙事詩」の話だって、書きながらなんで今まで書いていなかったんだろうかと不思議に思ってしまったぐらいだ。ここで書いた理由は、アジアツアーをめぐって裁判が起こされたことがニュースになったからである。ピルスナー・ウルクエルのコマーシャルについて書いたときに、どうしてモチーフの一つとなっているムハと「スラブ叙事詩」について書かなかったのか、自分でも首をひねるしかない。
以前、チェコ語の発音について、これでわかってもらえるのだろうかと疑念を持ちながらも、延々と描き続けたのは、自分のアイデアではなかった。当時サマースクールでチェコ語を勉強していた知人に、発音について書いてほしいと言われて、書き始めたら収拾がつかなくなったのだった。二月の末にこの方に、ブログの存在を教えて以来、十人内外の方々に教えてきたけど、内容についてリクエストされたのはこのときだけである。
そうか、自分でテーマを思いつけなければ、人に考えてもらえばいいのだ。三人寄れば文殊の知恵ともいうわけだし。定期的に読みに来てくれている人が、どれだけいるのかはわからないけど、モーツァルトがプラハ市民に呼びかけたように、「読者?」の方々に呼びかけてみよう。真似するのは呼びかけの部分だけね
ミー・チテナージ(我が読者の皆様)
もし、チェコ関係、チェコ語関係で、こんなことを知りたいとか、ここがわからないとか、こんな話を読みたいという要望があれば、コメント欄に書き残していただけないでしょうか。もちろん、要望を寄せられても、能力的に書けないというものも出てくるかもしれませんが、できる限り調べてでも書きますので。我が正体をご存知の方はメールでお伝えくださってもかまいません。伏してご協力、お願い申し上げます。
平成丁酉正月廿日
筆者識
筆者識
うーん、ごた混ぜだな、こりゃ。いつもの文章もあれこれ混ってるっちゃあ混ざってるけど。
とまれ、この計画が発動したからといって、要望が出てくるとは限らないし、出てくるにしても時間はかかるだろうから、しばらくは、自転車操業が続くのだろう。それだけでなく、この記事のように、何とか頑張ってA4一枚分埋めようと、無理やり引き延ばした記事も増えてしまいそうだ。
さて、明日の分は、いや今日の分は何にしようか。
1月20日17時。
2017年01月08日
ばれた(正月五日)
という題で書いて、珍しく短くまとめた文章を書き上げたのに、保存に失敗してどこかに行ってしまった。どうしよう。探しだしてから改めて掲載するか。いや、内容を思い出しつつ書き直すことにしよう。発見できたら旧バージョンもさらすかもしれない。
とまれ、昨年の今頃は、ブログを始めたばかりで、自分がブログを始めたことを知り合いに知られたらどうしようと戦々恐々としていたものだ。メールのチェックをするたびに、誰からかブログとかいうタイトルのメールが来ているのではないかと不安と期待の入り混じった気分になっていた。自己顕示欲はないわけではないけれども、読者対象も想定せずに適当に書き散らしたものを、知人に読まれると思うと何ともいえない気恥ずかしさがあった。北村薫の推理小説『覆面作家』シリーズの主人公の気持ちが少しわかった気がした。
それが、一月経っても誰からもそんな連絡はなかった。考えてみればインターネットという大海の中で、日本語で書かれたものに限定したとしても、このささやかにひそやかに始めたブログに、決して数が多いとは言えない、今でも連絡のつく我が友人、知人たちがたどり着くのは、砂漠に落ちた一本の針を見つけ出すのと同じぐらいには困難なのだろう(この例えは、どこかで読んで気に入っていつか使ってやろうと思っていたものである)。
二月の終わりだったと思うが、非常にうれしいことがあって発作的に、三人の方にこのブログの存在をお伝えした。同時にとくに犯人については内緒にしてくれるようにもお願いしたので、そこから広がって連絡がくるということもなかった。その後は、五月雨式にポツ、ポツと全部で十人いかないぐらいの方に教えただろうか。
こちらから教えることはあっても、お前だろというメールもコメントも来なかったので、これはもうばれることはないだろうと安心していたのだけど、ばれた。ばれてしまった。たまたま、オロモウツ在住の日本の方に会う機会があったときに、いきなり「ブログ」と言われて、しらばっくれることができなかったのだ。ブログを初めてちょうど一年経つ今年の初めにばれたというのも運命なのかもしれない。
その人の話によると、自分で発見したのではなく、昨年末に日本の知り合いから、こんなブログがあるけどと連絡を受けて犯人ではないかと疑われたらしい。それで、実際にブログを見てみたら……。知り合いが見ればわかるようなことがあちこちに書いてあるから、当然、犯人の正体は一発でわかったと。
知人が見ればわかるというのは予定通りなのだけど、ばれたルートが想定外だった。友人知人のうちの誰かが、「チェコ」「オロモウツ」あたりで検索したら、何かの間違いでこのブログに到着して、メールをよこすか、ブログのコメント蘭に書き込むかするのではないかと予想していたのだ。そうなのだよ、チェコに住んでいる人に直接言われることも想定していなかったのだ。だから、とぼけられなかったのか。
さて、これからどうしよう。当初の予定では、誰かにばれたら全面的に公表しようと思っていたのだけど、「実はブログを」なんてふれて回るのは、始めてから一年以上経った今となっては、今更という気がして、気が進まない。だから、これまでブログについてお伝えした方にお願いした内緒というのを撤回することにしよう。もし誰かにこのブログの存在を教えたいなんてことがあった場合には、「どうぞお願いします」と申し上げよう。ただ、「犯人についてだけは、言を左右にして明言しないでいていただけるとうれしいです」と付け加えておきたい。ということでよろしく。
1月6日23時。
最初のバージョンとはかなり変わってしまった。1月7日追記。