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2019年01月05日
失われしもの4ハバーニのワイン(正月三日)
消えた四回目は、ハバーニ派についての続き。思い返せば、ハバーニ派の存在を知ったのは、かつてコメンスキー研究者のH先生と食事に出かけたときのことだった。ワインを頼もうとなったときに、先生がリストの中にハバーンスケー・ビーノがあるのに気づかれて、注文することになったのだ。ハバーンスケーというから、ハバナからできた形容詞かと勘違いして、キューバのワインなのかと思ったのだが、先生の説明によれば、かつてモラビアに定住していた人たちで特殊な技術を持っていることで知られているのだという。
その技術の中でも特に有名だったのが陶器で、貴族たちがこぞって買い集めるような製品だったらしく、現在でもかつての貴族の城を博物館として一般公開しているところでは、ハバーニの陶器が展示されているところがあるようだ。特徴は白地に4色の色を使って、植物をモチーフにした装飾が描かれているところだという。4色は、参考にした雑誌によれは、緑、黄色、青、紫だったかな。
モラビアのお城の見学をしていて、そんな陶器を見つけたら、案内の人にハバーニのものですかと聞いてみると、面白い反応が返ってくるかもしれない。ただ、観光シーズンのお城の案内人は、歴史の専門家ではないアルバイトがテキストを丸暗記して語っていることが多いので、反対に何それと質問されることになるだろうか。
それはともかく、きっかけとなったワインだが、モラビアに一時定住していたハバーニ派の人たちが、ワインの醸造に長けていたのは事実らしい。ただ、ハバーニ派がモラビアから追放されてしまったことを考えると、現在でもハバーニ派の人々がモラビアでワインを造り続けているとは考えにくい。カトリックに改宗することで追放を逃れた人たちの子孫が造っているワインだったらできすぎの物語になるのだけどどうだろうか。
というわけで探してみた。それで見つけたのが、このハバーンスケー・スクレピという会社である。H先生と飲んだワインのラベルがどんなデザインだったかなんてもう覚えていないし、あれからもう何年もたって変更されている可能性もあるから、これがあのとき飲んだハバーンスケー・ビーノを造った会社だと断言はできないのだけど、ハバーニ派のワイン醸造の伝統を受け継いでいることを売りにしている醸造会社が、南モラビアのワイン産地の中心の一つであるベルケー・ビーロビツェにあるのは確かなことのようだ。
この会社の説明を読むと、ハバーニ派の人たちが、独自の集落を営みブドウを育てワインを醸造していたところで、ブドウとワインの生産をしているということのようだ。ちなみに社名につくスクレピは、スクレプの複数形で、普通は地下室を指す言葉だが、ワインと結びつくと、斜面に水平に穴を掘って造られたワインの貯蔵庫を指す。そこからワインを生産する業者をも指すようになるのだが、この会社の建物は妙に近代的に見える。
ハバーニ派のワイン醸造に他とは違う特別な技法が使われていて、それを再現してハバーンスケー・ビーノと名乗っているのかという予想は、この説明による限り当たってはいないようだ。ちょっと期待はずれである。気になるのは、宗教を否定した共産党の時代にも、宗教と関係するハバーンスケー・ビーノという名前を使えていたかどうかということなのだけど、弾圧されたハバーニ派の存在を共産党に都合のいいように解釈しなおしてプロパガンダに使用していたのではないかという気もする。チェコ人の中にも知らない人が多いから、やっぱり違うかなあ。
最初に書いたのと比較したらどっちがましなんだろう? どちらもしょうもないという点では変わらないかな。
2019年1月3日23時55分。
2019年01月04日
失われしもの3宗教の話(正月二日)
三つ目と四つ目は、16世紀にスイスやドイツから追放されてチェコにやってきたハバーニというキリスト教の一派ハバーニのお話。キリスト教という宗教の排他性、独善性、他宗教や他宗派に対する非寛容性などは、いくら当のキリスト教が否定しようと、現在でも紛れもない事実だが、近代以前は現代とは比べ物にならないほどひどかった。
14世紀のイギリスのウィクリフから始まったキリスト教の改革運動においては、チェコのヤン・フス、ドイツのルター、スイスのカルビンなどの改革者が有名だが、スイスのチューリヒで改革運動を始めた人物にツビングリがいる。世俗の権威も宗教的な権威も否定して聖書に戻ることを強く主張したツビングリの支持者たちは、カトリックからだけでなくルター派などのプロテスタントからも迫害を受けていたという。このツビングリ派でチェコに逃げてきて一時期定住を許されていた一派を、チェコ語でハバーニと呼ぶのである。
ツビングリ派のキリスト教は、スイスだけでなくドイツにも支持を広げていたらしいのだが、16世紀に起こった農民の反乱、いわゆるドイツ農民戦争との関係を問われ、追放処分を受けた。逃げてきた先がフス派戦争の余燼で宗教的にも経済的にも、政治的にも混乱していたチェコだったのだが、ハプスブルク家のフェルディナンド1世がボヘミアの王位を獲得すると、チェコからも追放の命令が出されてしまう。
ただ、王のお膝もとのボヘミアでは追放が実行されたが、モラビアでは貴族たちの反対もあって追放令はうやむやにされ、居住し続けることが許されたという。特にミクロフを領有していたリヒテンシュテイン家は、ハバーニ派のキリスト教を庇護し、子弟の教育まで任せていたらしい。他にもフス派の兄弟団の庇護者として知られるジェロティーン家の領地などに、一番多い時期で3万人前後のハバーニが住んでいたらしい。
ハバーニ派の人たちも、他のキリスト教の宗派に負けず劣らず排他的で、自分たちだけの居住地を作り上げ、そこで能力に応じた共同生活、一種の共産主義的な生活を営んでいたらしい。ただ、居住の許可を得るために、領主に対しては多額の税金を支払うことを求められ、その額は、同時期にユダヤ人が払わされていたものよりも高い場合もあったという。領主の側としても、そのぐらいのメリットがなければ、国王の命令を無視することはできなかったのだろう。
ハバーニ派が財源としていたのは、自分たちで生産した手工業品で、同業者組合に加入している手工業者たちの製品よりも廉価で品質も高かったことから、都市の住人達からも迫害を受けることになったという。
ハバーニ派の人たちがモラビアを離れなければらなくなった原因は、ボヘミアのフス派の貴族たちが、ハプスブルク家に対して暴発したビーラー・ホラの戦いに敗れたことだった。その結果、モラビアの貴族たちも、領内に異端とされたハバーニ派をかくまうことはできなくなり、多くは東のスロバキア、さらにはハンガリーへと移住していった。
残念ながら、移住先の人たちともやがて軋轢を起し、長く定住することはできず、さらに東に、ルーマニアを経てロシアに移住した。最終的にハバーニ派の人たちが安住の地を見つけたのは、海を越えたカナダとアメリカだったらしい。ヨーロッパ内での定住がうまく行かなかったのは、宗教的な問題はもちろんだが、ハバーニ派の組織が長きの弾圧を受けて変容し、指導者の中に過度の蓄財に走る人が出たからだとも言う。
当初はツビングリの主張の通り、聖書、とくに新約聖書に基づいた生活を営んでいたというから、なぜか日本でも名前だけは有名なアーミッシュの人たちと同じような集団だったのだろう。現在アメリカとカナダに住んでいるハバーニ派の人たちは、独自の共同体を作って聖書に基づいた生活している点では、500年前と変わらないらしいが、手工業はやめて農業に従事しているらしい。ただ、その農業に最新のテクノロジーを使っているというのだけど、それが聖書に基づいた生活と矛盾しないのかちょっと疑問である。
とまれ、キリスト教内の改革運動の引き起こした悲劇は、カトリックの側も、非カトリックの側も、別な言い方をすれば迫害する側もされる側も排他的で、一部を除けば相手の話を聞かなかったところに原因があるのではないかなんてことを、ハバーニ派についての雑誌の記事を読んで考えてしまったのである。うーん、現在の世界中を覆っている、相手の話を聞かずに自分の主張しかしないという「議論」の源流はキリスト教にあったのか。
フス派戦争の時代、ハバーニ派の時代に、例外的に反対陣営との間で常に妥協点を探して話し合いを続けていたのが、モラビアのジェロティーン家だというから、親ゼマンと反ゼマン、親バビシュと反バビシュで完全に二分されたチェコの両陣営の間に立って、チェコの国民を再び一つにまとめるような存在はモラビアから出てくるに違いない。ということで、次に大統領になるべきは、モラビアで生まれ育った人物だと断言しておく。
今回は、参考にした雑誌が手元になかったこともあって、これまで以上にオリジナルからの逸脱が激しいけど、年末にこんなことを書いたのだよ。
2019年1月2日17時15分。
さて、この本にハバーニは出てくるのだろうか。
タグ:キリスト教
2019年01月02日
失われしもの2電子書籍の話(十二月卅一日)
二つ目は、ネット上のニュースで見つけた電子書籍リーダーの話。超高精電子漫画という画質を誇っている点にはあまり惹かれないのだけど、見開きで読めるのとPCに接続せず、通信機能も有していないという読むことに特化している点にはものすごく惹かれる。こんな電子書籍リーダーで漫画だけではなく、普通の本も読めるようになれば、先の見えない日本の電子書籍にも、出版業界にも未来に希望が出てくると思うのだけどどうだろうか。
それはともかく、現在の電子書籍は不便極まりないものである。便利だとすれば、外国からも購入でき、郵送されるのを待たずに読めるという点につきる。これは日本に、特に書店がたくさんある都市部に住んでいる人には何のメリットにもならないし、電子書籍の販売サイトによっては日本国内発行のクレジットカードがないと購入できないところもあるから、便利なんて言ったら鬼が笑ってしまう。
何が不便かって、まずは、販売サイトに会員登録しなければならないこと。国外から買えるという便利さと引き換えだったから、我慢していくつかの販売店で会員登録をして電子書籍を何冊かかったけれども、普通に本屋で本を買える環境にいたら、会員登録してまで本を買おうとは思わなかったはずだ。
クレジットカードでしか買えないのも不便だった。一時はウェブマネーで買える販売サイトを苦労して探したものだが、パピレスとhontoでチェコ発行のクレジットカードが使えるようになって楽にはなった。でも、店頭でクレジットカードを使う気軽さに比べると便利だとは言いたくない。
そして、電子書籍の何回目かの夜明けと言われたソニーのリーダー、シャープのガラパゴスが発売されたあとに不便になったことだが、PCや専用の端末で購入した電子書籍を読むために機械の登録が必要になった。登録できるのも一人当たり5台までで、6台目を使うためには登録済みのものと入れ替えなければならないなんて話には、そこまでして電子書籍を読む価値があるのかとさえ思ったものである。
かつて出版業界で仕事をしていたこともあるから著作権を守ることの大事さは十分理解しているつもりである。同時に出版社が主張する海賊版による著作権侵害の被害想定額が現実離れしたものであることも明白なので、コピーしやすい電子書籍とはいえ、著作権を守るための方法は他にもあるだろうし、こんな購入者に不便を強いるようなやり方しか存在しないのは、出版業界、販売会社の怠慢でしかないなんてことを考えていた。
それで電子書籍自体を買うこともまれになっていたところに、この全巻一冊という新しい専用端末が存在し、電子書籍は、ネット上の販売サイトではなく、専用の記憶媒体に入れて書店の店頭で販売するということを知ったのである。そこに日本の出版業界の未来を見たとしても不思議はないだろう。この方式が漫画だけでなく、一般の書籍にまで拡大され、専用端末もいくつかの大きさの版型を取り揃えることができたら、再販制の維持はともかく、取次ぎも書店も電子書籍の流通にかかわることができて万々歳だと思うのだけど。
現在の日本の出版業界には、電子書籍リーダーを開発販売してきた家電メーカーの影響もあって、電子書籍というとネット上で販売し、端末もネットに接続できなければならないというような思い込みがあるように見受けられる。その結果、出版社はコンテンツ、言い換えれば単なるソフトの提供者に成り下がっている。紙の本は、ハードであると同時にソフトでもあるという点が強みだったはずだ。その強みを生かせていないのが今の出版社なのである。だから電子書籍に限らずネット上で販売力を誇るアマゾンなんかにいいようにされてしまうのだ。
この全巻一冊が日本の出版社の目を覚まさせる一撃になってくれると、日本語出版の将来を憂える海外在住の日本人としては嬉しい。
またまた結構変わってしまったけど、消えてしまった二回目の概要である。
2019年1月1日1時10分。
2019年01月01日
失われしもの1本の話(十二月卅日)
USBがいかれたことに気づいたときには、もう一度書き直せばいいやと思ったのだが、やはりなんだか気力がわかない。もしかしたら他もPCにつないだら読めるかもしれないという根拠のない希望も感じるし、一篇だけならともかく、数篇、一から書きなおすとなると、何を書いたかおぼえていないことも多い。覚えていても書き直すと違うほうに話が展開していくのだけどさ。
ということで、USBを復活させられたらこれまでに書いたものを投稿するだろうし、駄目でも同じテーマで書き直すかもしれないけど、念のためにどんなことを書いたかだけ紹介しておこう。
一つ目は、久しぶりにチェコ語の本を買ったという話。3冊で合計1300コルナほどだったのだけど、支払ったのは100コルナほどだった。100コルナ分のクーポンを12枚使ったのである。これは職場の福利厚生の一環で毎年もらっているもので、毎年、あまらせることも多いし、使い方に苦労しているのだが今年は本屋で本を買うのにも使えるようになっていた。これまでは、薬屋とかマッサージ、フィットネスセンターなんかでしか使えなかったから、使い道を探すのが大変だったのだ。
国外に旅行をするというのなら、旅行代理店なんかでも使えるのだけど、原則として国内しか動かないから、電車のチケットを旅行代理店で買うのもバカらしい話である。眼鏡屋もあるけど、眼鏡なんて毎年飼うようなものでもないしって、もう十年以上同じ眼鏡をかけているのか、久しぶりに新しい眼鏡を買うのもいいかもしれない。同年代の知り合いが老眼が入って大変なんだとか言っていたことを考えるとやめたほうがいいかなあ。
それはともかく、プリオール、ではなくてその跡地に建ったガレリエ・モリツの中に入っている書店に本を探しに出かけた。この本屋は、出版社と組んで刊行した本を、会員向けにカタログを送りつけて割安で販売しているクニジュニー・クゥプという組織の直売店も兼ねていて、定価と会員価格の二つの値段が書かれた本が多い。会員ではないのだけど、このクルプの本を選んでしまった。会員制で売り上げが計算できるおかげか、よその出版社が出さなさそうな渋い内容の本が結構あるのである。
選んだのは以下の三冊。
1Encyklopedie šlechtických roů
これは、中世のプシェミスル王朝以降のチェコ(ボヘミア、モラビア、シレジア)に領地を持っていた貴族についての事典である。貴族家の中でも重要な150家ほどが取り上げられている。プシェミスル王朝初期に断絶した貴族家については資料が少ないせいか、名前が知られているものでも取り上げられていないものもあるようだ。
この本を選んだのは、ひとえにジェロティーン家について知りたかったからである。いずれこの本をもとにジェロティーン家についても書くつもりだが、オロモウツにジェロティーン広場があり、コメンスキーの伝記にも登場してくるのに、ジェロティーン家については、あまり知られていない。オロモウツから北に20キロほど行ったところにあるジェロティーンは、小さな村で、大貴族の本拠地にふさわしいようなお城があるわけでもない。
2Šternberkové
1冊目と同じ著者の本で、副題に「ボヘミアとモラビアの貴族家」と付いているが、ボヘミアにも、モラビアにも、家名のついた町シュテルンベルクがある、シュテルンベルク家についての本である。この貴族家も名前は有名なわりに、その実態についてはあまり知られていない。そんなことを言うと、ほとんどの有名なチェコの貴族家がそうなのだけど、同じ棚に並んでいたシュバルツェンベルク家、ロプコビツ家と比べたら、断然シュテルンベルク家について詳しいことを知りたかったのである。
3Císařův levoboček
三冊目は、読みきる自信はないけど、以前読みたいと書いたマサリク大統領の出生を巡る歴史小説である。時代小説の方がいいかもしれないけど。マサリク大統領本人が、自らの出生の謎を探るというから推理小説仕立てになっているのだろうか。ちなみに題名は『皇帝の私生児』とか『皇帝の庶子』なんて訳せるだろうか。
以上が、消えた一回目の内容である。かなり変わっていると思うけど、
2018年12月31日23時。
2018年12月31日
悲劇、もしくはまたまた言い訳(十二月廿?日)
ここ数年使用していたUSBメモリーが壊れてしまった。USBをさしたままノートPCを運んでいたら、壁にぶつけてしまったのである。PCにさすコネクターの部分がゆがんだように見えて不安だったのだが、電源を入れてみたら、案の定反応しなくなった。記憶媒体自体がおかしくなったのではなく、コネクターとの接続がいかれたのだろう。
ということは物理的な接続さえ確保できれば、メモリーに保存してあったファイルのサルベージは可能ではないかと思うのだが、そこまでする価値があるのか悩んでしまう。以前作成した大量のファイルの中に、今後も必要なものがいくつか存在するのは確かだけど、1から作り直しても大差ないような気もする。そもそも大した物ではないし、仕事関係ものは別のUSBメモリーやハードディスクに入っている。
一番の問題は、年末に更新するつもりで書いていた何日か分のテキストが消えてしまったことである。ここ3年ほど書き続けたブログの記事や、『小右記』の訓読分につけた注なんかも全部消えてしまったのだが、これはブログから改修できるのではないかと期待している。だから完全に失われたのは数日分だけだということになる。
大した内容でも、分量でもないのだけど、せっかく書いたものが消えてしまったのは正直ショックで、やる気をなくすできごとではあった。どこかにUSBメモリーの中身がコピーしてあるのではないかと、PCのハードディスクや、外付けのハードディスクの中をあさって、昔書いた文章が、同じものがあちこちにあることを発見して、大掃除が必要なことに気づいてしまった。
重要なものはSDカードか何かに、分類して保存しなおすべきだろうか。今のままではどこに最新版が存在するのかわからない。わからなくても困らないといえば困らないのだけど、どこに何があるのかは確実に、そして簡単にわかるようにしておきたい。フォルダ名と中に入っているファイルが一致しないものも多いし。
昔書いたものの内容を確認したのは、消えた記事の代わりに投稿できそうなものはないかと考えたからなのだが、よく考えたらブログをはじめてすぐの、3年近く前にも同じことをして、使えそうなものはすでに投稿してしまったのだった。残っているのは、そのまま載せてしまうには問題のあるモノばかりだった。すでに似たようなテーマで書き直したものもあるし、自分で読み返す分にはそれなりに面白く読めるけど、人様が読んで面白いと思ってくれるかどうかはわからない。
ということで、二日ほど落とした言い訳である。同時にこれからまた何日か落としてしまうかもれないという言い訳でもあるなあ。それにしても、1年、1月1日から12月31日まで、365日、毎日更新し続けることの大変さよ。来年2019年の目標はそれにしてみようか。ってことは明日から毎日更新しなければらないのか。最初の数日はショックからのリハビリもかねて短いものにすることにしよう。
2018年12月30日24時。
2018年10月25日
変なコメント再び(十月廿一日)
一時期、多かった変なコメントは、「コピーブランド」と「スーパーコピー」を禁止ワードに登録して以来、ぱったり止んでいたのだけど、久しぶりに復活した。せっかくなのとネタもないのとで、取り上げて分析してみよう。ただし、今回のは前回のほどは面白くない。
コメントの見出しっぽいのがこれ。
日本最大級のブランド時計・バッグ・財布N級品専門店
「日本最大」ではなく「日本最大級」というあたりに、過大広告じゃないよという主張が見えておかしい。コピー品を売る店が、そんなところを気にしてどうするというのだろうか。自分で書くならここは、「日本最大のブランドN級品専門店」とやって、時計なんかの内容は地の文に回すか、後ろに括弧で入れるかだなあ。「――時計・バッグ・財布など各種商品を取り揃えております」とかやってもいいかなあ。
よくわからないのは「N級品」。ヤフーで検索してみたら、出るわ出るわ、コピー品を売っているお店のサイトがずらずらと並んでいた。その下に「このサイトは不正あるいは危険である可能性があります」とか、「このサイトは第三者によって改ざんされている可能性があります」という警告も並んでいたので、さすがに開けはしなかったけど、検索結果に引用された文章からすると、コピー品の中でも最高級のものがN級品と呼ばれているようだ。何の略なんだろう。
それにしても、気になるのはこんないわゆる高級ブランド品のコピーを販売する店が大量に存在することで、これって規制の対象にならないのだろうか。例の外国でやっているから手が出せないって奴かな。それはともかく、最初からコピー品だとして販売しているから詐欺にはならないのだろうけど、コピーだとわかっていて購入するお客さんがいるのかね。いるからこんな商売が成り立っているのだろうけど、そこまでしてブランド品がほしいという気持ちも理解できない。
本文の冒頭はこんな感じ。
2018年人気貴族ブランドコピー(N級品)優良店!
どうにもこうにも座りが悪い。「貴族ブランド」って何だ? 貴族が生産しているということなのか、それとも貴族が愛用しているということか。「貴族御用達ブランド」とか、いっそ貴族を捨てて「最高級ブランド」とかにしてしまった方がいい。ここも「最高級ブランドN級コピー専門店。2018年人気商品販売中」とかにしたほうがわかりやすくないか。
続いてブランド名が羅列される。
ルイヴィトン、シャネル、グッチ、ロレックス、バレンシアガ、
エルメス)、コーチ、ブラダ、クロエ大激売中
個々のブランド名の表記について云々するだけの知識はないけど、受けの括弧しかないのはタイプミスだろうか。末尾の「大激売中」というのもなんだか変な表現である。大安売りをしているというのか、売れて売れて笑いが止まらないというのか。この部分はなくして、最初に「取り扱いブランド例」とか入れよう。もしくは、昔よく見た「大好評発売中」とかね。
★高級品☆┃時計┃バッグ┃財 布┃その他┃
◆★ 誠実★信用★顧客は至上
●在庫情報随時更新!
次の三行はなんともコメントしがたいのだけど、真ん中の行は、わざわざこんなことを書くお店を信用する人はいるのかね。「顧客」ってあたりは、一回ではなく定期的に購入してねというお店側の願望なのだろうか。星が一つだけ白抜きになっているのも意味不明だし。
品質がよい 価格が低い 実物写真 品質を重視
ここは、最初の部分は漢字だけにして、「高品質、低価格、品質重視」で並べよう。「実物写真」は、ブランド品の実物なのか、コピー品の実物なのか不明なので、意図的にわかりにくくしてあるのかもしれないが、なくてもいいような気がする。
100%品質保証 100%満足保障 信用第一
今までの慎重さは何だったんだと言いたくなるような大言壮語(大げさか)が並んでいる。これならいっそ「信用第一」にも「100%」を付けたらどうだろうか。順番も変えて「品質保証100%、満足保障100% 、信用第一100%」。「満足保障」の「保障」は間違いだろうから、「顧客満足度100%」のほうがいいかな。どっちにしても真実じゃありえないわけだし。
★人気最新品┃特恵中┃☆腕時計、バッグ、財布、ベルト、アクセサリー、小物☆
おお、取扱商品が増えている。それはともかく「特恵中」ってのは何なんだろうか。「特価販売中」とか「全品特別価格にて販売中」なんてことなのかな。よく考えたら、「人気最新品」もなんかおかしい。直すなら「最新の人気商品、全品特別価格にて販売中」ってところかな。
★当店商品送料無料日本全国!
ここも「日本全国送料無料」か、「日本全国へ無料で発送致します」なんて文にしたほうがよさそう。「当店商品」は不要だろう。
休業日: 365天受付年中無休
一番意味不明なのはここかな。「365天」の「天」は、日のことだろうか。「休業日」なら、「無し」で受ければいいのにというか、突然こんな表記が現れても困るから、「御購入の御申込は年中無休で受付しております」とか文にしたほうがわかりやすいかな。もしくは、「購入受付1年365日24時間営業中」とかさ。
正直、今回のは文になっていなかった分、あれこれ遊べる余地がなくてつまらなかった。禁止ワードを潜り抜けて届いたものだから、工夫されているかと期待したのだけど、期待外れだった。この手のコメントが禁止ワードに登録されなさそうな言葉を探して進化するなんてことはないのかなあ。進化に協力するためにも、「ブランドコピー」という言葉を禁止ワードに登録してみた。「N級品」も入れたほうがいいかもしれない。次に届くものは、もう少し楽しいものであることを願っておく。ネタにもなるし。今回のは無理やり仕立て上げた感が強すぎて……。
2018年10月22日18時30分。
2018年10月04日
十月一日、丙寅
依穢疑、例幣不奉于賀茂、請三日仮、称有所労、而自内有召参内、小選退出、今朝寒如冬、
ということで前回は暑さにやられたが、今回は寒さにやられてダウン。とりあえず三日で復活する予定だが、駄目なときには更なる仮文を提出する。
一ヶ月前まで30度を越えていたのに、すでに零度近くまで下がるようになってしまった。チェコには秋がない。本当の秋がない。この季節だけは日本で過ごしたいと思うのだけどねえ……。
2018年08月27日
久しぶりの言い訳(短編)
前回の記事を投稿した翌日の火曜日の夜、急に体調を崩して、多少快復してからも、記事を書くどころか、PC上で文字を読むのもつらいという状態になってしまった。あと二日三日頑張れば暑さが和らいで体調を壊すこともなかったのだろうけれども、最後の最後でぶっ倒れてしまった。この辺の細かいことはいずれ長い言い訳を書くつもりである。
ということで、サマースクールの最後の記事は、もう少し先、明日か明後日の投稿ということにする。多少の体調不良ではがんばって何とか書き続けてきたけど、今回のはちょっと無理だった。ここまで苦しかったのは久しぶりである。熱中症とまでは行かなくても、暑さに負けて体調管理に失敗したのは間違いない。
以上、今月二度目の「落とした」原因である。
2018年23時20分。
2018年06月01日
復活に際して(六月一日)
当初の予定では一週間程度で再開するはずだったのが、そのぐらいの期間は写真と似非漢文でしのげると思っていたのだけど、ここまで中断期間が延びたのは、忙しさが停まらなかったからというわけではない。かなり無理をしてチェコ語の文章を大量に生産していたのは、最初の十日ほどである。あとは生来のなまけ癖が爆発していたのに過ぎない。
いや、中断期間もほそぼそとネタのあるときに書いてはいたのだよ。ただなかなか筆が進まず、中途半端なところで放置して完結させないというかつての悪癖が再び現れてしまっていた。なまけ癖は、ブログの管理画面にログインするのも面倒だと思うほどで、無理やり書いたものにけりをつけようという意欲はほとんどわかず、中断から一週間目とか十日目とか、何度か再開をしようと考えたことはあるのだけど、踏ん切りがつかなかった。
それなら切りのいいところにしようということで、月始めの本日再開ということになった次第である。チェコ時間の6月1日夜にするか、日本時間の6月1日朝にするかでちょっと悩んだけど、日本時間の6月1日朝、チェコ時間で6月1日午前0時過ぎということにした。切りがいいと言えば、夏越の祓を経た7月1日のほうがいいのだろうけど、そこまで中断期間を延長すると、再開できる自信がない。
自分の性格を考えると、ここまで二年半近く曲がりなりにもほぼ毎日連続で更新してこられたのは、文字通り奇蹟である。逆に言えば、毎日という縛りがあったからこそ続けられたと言ってもいいかもしれない。これが、週一とか、二日に一回とかの緩さだったら、際限なく緩めて行って、文章が書けたら更新というルールにしてしまうに違いない。そして書く際にもけりをつけないままに、どうやってけりをつけようかと考えながら忘れていくのである。
こんな自分なので、今回の再開後も毎日更新を義務付けることにする。ただ、初期と比べると一日当たりの分量が増えているような気がするので、初心に返って毎日A4一枚ぐらいの分量にしようか。例によって無駄に長くなってしまったときには分割である。中途半端な長さになった場合には、枕の部分を延長してから分割。これまでも長いのは分割していたからあまり変わらないかもしれないし、書いているうちに、また少しずつ一日当たりの分量が長くなっていくだろうけれども、一度短くしておかないと際限がないしね。
中断期間中に書いたものは、日付を付けるのをやめようかなあなんてことも考えているのだけど、どうしようか。日付を入れて話の初めにいつ頃書いたかわかるような記述を追加しようか。月刊誌や週刊誌の刊行日と同じだと考えよう。記事の後ろに着く日付は、その日付けで発表した記事だということにしておく。ということで、この記事は6月1日付けである。書いているのは5月の晦日だけどもさ。この辺はしばらく試行錯誤させてもらう。
2018年04月30日
久しぶりにブログのことなど(四月廿七日)
ブログを始めたころは、頻繁にと言うほどでもないけれども、しばしば模様替えをしていた。季節感を、記事の内容ではあまり表現できていないから、ブログのデザイン上だけでもあらわせるようにと考えていた。確か、秋の森までは背景を季節に合わせられていたのだが、冬の森がなかった。冬っぽいデザインには気に入るものがなく、一度はオロモウツの冬の写真を背景にしてみたことさえある。写真の大きさの調整をしていなかったせいで、肝心の部分がブログの背景として表示されないという大失敗をやらかして、いずれ再挑戦をしようと思っていたのだが、放置してしまった。
今使っている金魚のデザインが妙にすわりがよかったというのもあるのだけど、放置している間にデザインの細かい編集の遣り方を忘れてしまったというのも大きい。以前しばしばデザインを変えていたころは、どこの数値をいじると真ん中のテキストの幅が広がるとか、サイドバーとの間を狭くできるとか、ある程度覚えていてすぐに調整できたのだけど、この前久しぶりにデザインで遊んでみようとしたら、どこをいじっていいのかさっぱりわからなくなっていた。
これはもう、デザインを変えるとしても、以前使っていたものをローテーションさせるぐらいしかできなさそうである。提供されているデザインは、真ん中のテキストの幅が狭すぎて、両端の再度バーの外側の余白の部分が広すぎて、そのままだと文章しかない我がブログには使いにくいのである。ブログを初めて三年目になるけれども、まだまだ使いこなしているとは言いにくい、というか、最近は毎日書くことのみに集中してその努力さえ怠ってしまっている。忍者もブログ村も最近は放置状態だし。
忍者といえば、最近思わず忍者にログインしてあれこれ確認してしまったことがあるのだった。いやその日すぐにその件について書こうと思っていたのだけど、妙にためらいたくなるものがあって、再び同じようなことが起こったらと決めたら起こらなかった。ネタもないしその驚愕について書くのも悪くなかろう。
ブログの管理ページから確認できるPVの数も、でこぼこはあるものの三年目に入って、三桁で安定し、平均で300前後ということになっている。それだけでも一年目を思い出すと信じられないような数字なのだが、三月の終わりのある日、昨日のPV数の数字を見て思わず何かの間違いだろうと思ってしまった。1500を越える数字が表示されていたのだ。それまでの最高が600ぐらいだったから三倍近い数である。
シークレットモードなどが数えられないため、ブログの管理ページよりも少な目の数字が出る忍者のカウンターでも、あれいくつだったっけっか、とにかく少なくとも1000に迫るような数字が出ていて、思わず忍者の管理ページにログインしてしまった。一人で大量に閲覧してくださった方がいたようで、ありがたいやら申し訳ないやらである。
その後は、また300前後で落ち着いているから、これが我がブログの顧客の数ということになるのかな。いや、その全てが定期的に読みにきてくれているとは思えないから、実際の固定客は更に少ないということになるか。読んでもらうことよりも、自分が書き続けることが目的とはいえ、どこかに読んでいる人がいてくれるというのは、何ともうれしいことである。数が減らないことを祈ろう。記事で読者を増やすとかひきつけるとか言うのは無理そうだし、ここは神頼みをするしかない。
ちょっと気になるのが、ブログサービスならどこでもやっているだろうブログの順位である。PVの数はそれほど増えていないのに、順位が妙に高くなっていることがある。順位がどのようにしてつけられているのかは知らないけれども、日記カテゴリーで20位とか30位とか言われても困ってしまう。この程度の数でこの順位ということは、ファンブログ全体の閲覧が少ない日には相対的に順位が上がるということなのだろうか。
ブログについて書くと毎回おんなじ話になっているような気もするけれども、たまのことだからよかろうってこれも前回と同じかもしれない。考えてみれば題名からして同じか。日付が違うからよしとしよう。
2018年4月28日22時。