2019年01月05日
失われしもの4ハバーニのワイン(正月三日)
消えた四回目は、ハバーニ派についての続き。思い返せば、ハバーニ派の存在を知ったのは、かつてコメンスキー研究者のH先生と食事に出かけたときのことだった。ワインを頼もうとなったときに、先生がリストの中にハバーンスケー・ビーノがあるのに気づかれて、注文することになったのだ。ハバーンスケーというから、ハバナからできた形容詞かと勘違いして、キューバのワインなのかと思ったのだが、先生の説明によれば、かつてモラビアに定住していた人たちで特殊な技術を持っていることで知られているのだという。
その技術の中でも特に有名だったのが陶器で、貴族たちがこぞって買い集めるような製品だったらしく、現在でもかつての貴族の城を博物館として一般公開しているところでは、ハバーニの陶器が展示されているところがあるようだ。特徴は白地に4色の色を使って、植物をモチーフにした装飾が描かれているところだという。4色は、参考にした雑誌によれは、緑、黄色、青、紫だったかな。
モラビアのお城の見学をしていて、そんな陶器を見つけたら、案内の人にハバーニのものですかと聞いてみると、面白い反応が返ってくるかもしれない。ただ、観光シーズンのお城の案内人は、歴史の専門家ではないアルバイトがテキストを丸暗記して語っていることが多いので、反対に何それと質問されることになるだろうか。
それはともかく、きっかけとなったワインだが、モラビアに一時定住していたハバーニ派の人たちが、ワインの醸造に長けていたのは事実らしい。ただ、ハバーニ派がモラビアから追放されてしまったことを考えると、現在でもハバーニ派の人々がモラビアでワインを造り続けているとは考えにくい。カトリックに改宗することで追放を逃れた人たちの子孫が造っているワインだったらできすぎの物語になるのだけどどうだろうか。
というわけで探してみた。それで見つけたのが、このハバーンスケー・スクレピという会社である。H先生と飲んだワインのラベルがどんなデザインだったかなんてもう覚えていないし、あれからもう何年もたって変更されている可能性もあるから、これがあのとき飲んだハバーンスケー・ビーノを造った会社だと断言はできないのだけど、ハバーニ派のワイン醸造の伝統を受け継いでいることを売りにしている醸造会社が、南モラビアのワイン産地の中心の一つであるベルケー・ビーロビツェにあるのは確かなことのようだ。
この会社の説明を読むと、ハバーニ派の人たちが、独自の集落を営みブドウを育てワインを醸造していたところで、ブドウとワインの生産をしているということのようだ。ちなみに社名につくスクレピは、スクレプの複数形で、普通は地下室を指す言葉だが、ワインと結びつくと、斜面に水平に穴を掘って造られたワインの貯蔵庫を指す。そこからワインを生産する業者をも指すようになるのだが、この会社の建物は妙に近代的に見える。
ハバーニ派のワイン醸造に他とは違う特別な技法が使われていて、それを再現してハバーンスケー・ビーノと名乗っているのかという予想は、この説明による限り当たってはいないようだ。ちょっと期待はずれである。気になるのは、宗教を否定した共産党の時代にも、宗教と関係するハバーンスケー・ビーノという名前を使えていたかどうかということなのだけど、弾圧されたハバーニ派の存在を共産党に都合のいいように解釈しなおしてプロパガンダに使用していたのではないかという気もする。チェコ人の中にも知らない人が多いから、やっぱり違うかなあ。
最初に書いたのと比較したらどっちがましなんだろう? どちらもしょうもないという点では変わらないかな。
2019年1月3日23時55分。
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