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2019年01月06日

チェコの貴族(正月四日)



 チェコの貴族で最も有名なのはと考えると、王家の出身でもなく、王族と姻戚関係を結んだわけでもないのに、ボヘミア王に選出されたポデブラディのイジーだろうか。この人物の名前はチェコ語で、Jiří z Poděbradと書くのだが、z Poděbradは、温泉で有名なポデブラディに所領があったことをウォ示しているのだろう。出身地と考えてもいいのかもしれないが、このポデブラディのイジーの出生地についてはいろいろな説があって、オロモウツの近くのボウゾウフ城に比定する説もある。
 チェコの貴族の名前に現れる「z」は、ドイツ語の「von」みたいなものだろうと想像するのだが、ポデブラディのイジーを輩出した貴族は、ポデブラディ家とは呼ばれず、クンシュタート家と呼ばれる。クンシュタートは、南モラビア地方のブルノから40キロほど北に上ったところにある町で、この町を家の本拠地、もしくは重要拠点としていたことから、チェコ語で「z Kunštátu」と呼ばれるのである。そのクンシュタート家の所領の中にボウゾフ城やポデブラディがあったため、イジーの出生地が確定できないのだろう。

 さて、問題はこの町の名前である。クンシュタート家を創設した人物の名前は、クナだと言われている。人名の「Kuna」に「štát」を付けて地名化したものと考えて問題あるまい。典型的なチェコ語の人名からの地名の作り方だとはいえないのだが、「štát」はドイツ語から入ったものであろうかと推測できる。
 何を問題にしているかと言うと、人名と地名の関係である。このクンシュタート家の場合には、恐らく何らかの功績を挙げたクナが、所領として得た町、もしくは自らの出身地だった町にクンシュタートという名前を付け、その町の名前に基づいて貴族としての家名が決められたと考えればよさそうなのだが、初代のクナを「Kuna z Kunštátu」と呼ぶのには、違和感を禁じえない。

 チェコの貴族家の初代にはこういう例が多く、この前買った事典の最初のほうを見ただけでも、ベネショフ家のBeneš z Benešova、ディビショフ家のDiviš z Divišovaなどいくつも出てくる。こちらは末尾に「ov」をつける典型的なチェコ語の地名の作り方で、BenešやDivišは、現在でも名字としてしばしば出てくるものなので、それぞれベネシュ家、ディビシュ家と呼んだほうがいいような気もしてくる。
 ベネショフという地名は、中央ボヘミアのもの以外にも、シレジアのオパバの近くにドルニー・ベネショフとホルニー・ベネショフという町があるらしい。こちらはベネショフ家が領有したことで、ベネショフと呼ばれるようになったと考えていいのだろうか。もちろんこちらが最初にベネショフと名づけられた可能性もあるだろうけど。貴族の家名から地名がつけられた例と考えてよかろう。
 ディビショフ家のほうは、子孫がディビショフの近くのチェスキー・シュテルンベルクに所領を得てシュテルンベルク家の祖になるのだが、こちらは人名起源ではない地名起源の貴族の家名ということになる。シュテルンベルク家は後にモラビアに所領を得て、建設した町に家名のシュテルンベルクという名前を与えることになるのだが、どうして新しいモラビアのシュテルンベルクが形容詞なしで、本来の拠点であるホヘミアのシュテルンベルクにチェスキーという形容詞がつくことになったのかはわからない。

 地名と家名の関係で言えば、日本でも名字の地なんてのがあって、領地の地名を家名にするのはよくあった話だし、その家名の地から別な土地に移った場合に、移った先の地名を家名と同じものに変えてしまうなんてこともあったはずだ。いや、それ以前に古代の豪族の氏の姓自体が、地名をもとにしているか。吉備の国の吉備氏とか、葛城山の葛城氏とか、地名が先か氏の名が先か疑問は残るけど、『小右記』の時代にも、下級官人で姓が播磨とか美濃、下野なんて旧国名になっている人が結構登場する。
 こんなことを考えて、上に書いた違和感の正体が見えた。日本では地名と関係があるのは、姓、名字であって、個人個人の名前ではないのだ。個人の名前が付けられた地名がないとは言わないが、それはあまり一般的ではないし、個人の名前のついた地名から名字が付けられたなんてのは探せばあるのかもしれないが、誰でも知っているようなレベルでは存在しない。

 チェコでは、王家であるプシェミスル家からして、伝説上の祖プシェミスル・オラーチの名前から取られている。そう考えると、貴族家の家名も初代の名前を取ったほうがいいような気もするのだが、そうすると他の地名に基づいてつけられた貴族の整合性が取れなくなるか。
2019年1月5日22時。









タグ:家名 貴族
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