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2021年01月02日

聖ボイチェフ1(十二月卅日)



 オロモウツに戻ってきて、ブログの管理ページを開けたら、コメントが三つ増えていた。最近目にしなくなっていた偽ブランド販売ショップの宣伝めいた書き込みが、かなり昔の記事についていた。それで今朝、増えていた三つのコメントも、同じようなものかと思ったら、以前書いた日本を訪れた最初のポーランド人であるアルベルト・メンチンスキ神父に付いての記事につけられたコメントで、以前コメントをいただいたにっしゃんさんからのものだった。前回コメントをいただいたときもこんな書き出して新たな記事を書いたような気がする。

 コメントは三つあって、二つは以前もコメントを頂いた「メンチンスキ神父の謎」につけられたもので、質問に答えておくと、パンフレットは、クラクフにあるイエズス会系の大学でもらってきたもので、恐らく長崎で印刷されたものの一部が、出身地のクラクフのイエズス会に寄付され、傘下の大学で配布されていたということなのだと思う。どれだけの数がすでに配布されて、どれだけ残っているのかは当然不明だけれども、大学以外にも、イエズス会関係の施設に置かれていて日本の人、日本に関心のある人が見学に来たら配っているのではないかと想像する。
 にっしゃんさんはポーランド語もできる方のようで、ポーランド語の記事も紹介していただいたのだけど、読もうにも読めなかった。ポーランド語は耳で聞くと、ところどころわかるような気がするのだけど、目で見ると表記体系の違いからか、もう完全にお手上げである。ポーランド語よりは聞き取れるスロバキア語の場合には、逆に目で見たほうがわかるような気がするから不思議である。ポーランド語の記述の仕方を覚えればいいのだろうけど、怠け者なので今更勉強したくない。

 ところでコメントには、パンフレットに書かれていた「メンチンスキ」というカタカナ表記でなく、「ミェンチンスキー」という表記が使われている。こちらのほうが、ポーランド語の発音に近いのだろう。とするとポーランド語の「ę」は、チェコ語の「ě」に「n」をつけたような発音と考えていいのかもしれない。こういう似ているけど、微妙に違うところが多いのが、自分が勉強して身につけた以外のスラブ語を使おうとしたときに困る点の一つである。スラブ語をいくつも勉強したと言う人も苦労しているに違いない。

 三つ目のコメントは、時間的には最初かもしれないけど、「メンチンスキ神父考再び」という記事につけられていた。この記事自体が、頂いたコメントに触発されて書いたものだが、今回書かれていたのは、アメリカから始まる、日本とポーランド、過去と現在を結ぶ壮大な話で、こんな経験をされた方にあんな与太話を読ませてしまったのかと申し訳ない思いがする。

 ということで、今回はミェンチンスキー神父のことではなく、ポーランドについては詳しくないし、ポーランド語も読めないからこれ以上かけることもないのだけど、ポーランドでは「ヴォイチェフ」という名前が、ドイツやイタリアなどではアルベルトになってしまうきっかけを作ったチェコの聖人、聖ボイチェフについての文章を記すことにする。この聖ボイチェフ、チェコの貴族家の出身ではあるけれども、ポーランドとの関係も深く、チェコだけではなくポーランドの守護聖人にもなっているのである。

 例によって枕が長くなって、本編はまた明日ということになりそうだが、名前の話だけをしておくと、ボイチェフがアダルベルト(アルベルト)と呼ばれるというのは、ヤン=ヨハネ、パベル=パウロのような語源を同一にする名前が、それぞれの言葉で微妙に違う形になっているものとは趣をことにする。チェコの聖ボイチェフが、外国で聖アダルベルトと呼ばれることはあっても、ドイツのアダルベルトがチェコでボイチェフと呼ばれることはないのである。
 チェコのボイチェフがアダルベルトと呼ばれるようになったのは、堅信を受けた際に堅信名として、師匠のマグデブルグのアダルベルトの名前をもらったからである。以後、キリスト教会の中では本名のボイチェフではなく、アダルベルトと呼ばれるようになる。そしてチェコ語版のウィキペディアによれば、アダルベルトの短縮形であるアルベルトや、アルブレフトと呼ばれることもあったようだ。ハンガリー語だとベーラになるらしいし、知らない人には誰が誰やらさっぱりである。
 ミェンチンスキー神父が、キリスト教会の中でアルベルトと呼ばれたのも、この聖ボイチェフの故事に倣うのである。アダルベルトではなくアルベルトなのは、アダルベルトが古い形で嫌われたのかもしれない。
2020年12月30日24時。










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