2016年11月03日
お金がない・・・から始まる介護
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父の介護が始まった時、
父と母二人暮らしでのスタートとなった。
父が突然発症した脳梗塞・・・
その時の対応は全て母一人で・・・だった。
自分への報告も姉への報告も事後報告だった。
母らしい気遣いで始まった父の介護は
当時から前途多難であることは、
誰もがわかりきっていた。
母は子供の世話にはなりたくない・・・というよりは
子供に迷惑を掛けたくない・・・そういう人だった。
だから、自分でできることは全てやった。
出来ないことも出来るように努力してきた。
母という生き物はパワーが違う・・・。
しかし、そのパワーでも賄えきれないもの・・・
それがお金だ・・・、わかり切った答えだが
この壁がなかなかどうして、高い・・・高くて分厚い・・・。
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それでも近年の介護サービスは充実している・・・
当時のケアマネージャーさんは言った。
少し前まではこのようなサービスは無かったとか、
障害者認定が前より厳しくなったとか、
いいこと悪いことの説明は、時折説得されているようにも
感じられた。
結局のところ、大したサービスは受けられなかった。
退院してすぐに介護が必要になった父。
サービスや給付金を受け取るのには障害者手帳が必要なものが多い。
障害基礎年金・・・医師の診断後すぐには給付されない。
障害の原因となった傷病の初診日から1年6か月経過した日が
障害認定日となる。
今すぐにでも欲しい給付金は
18ケ月待たなければならなかった。
何の稼ぎもないまま・・・
当時、父は56歳・・・まだまだ働き盛りの年齢だった。
決まりは決まり・・・なんの特例もないと言われた。
年金は何もしなくても受給できるが、給料は働かないと
もらえない・・・働かざる者食うべからず・・・
当時の母は、国のシステムに見放された気分だっただろう・・。
あれから15年が経とうとしている。
あの当時よりは少しはましになった介護サービス。
その恩恵を受けている身でもある。
しかし・・・今も障害認定のルールはそのままだ・・。
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突然始まる介護
父の介護が始まった時、
父と母二人暮らしでのスタートとなった。
父が突然発症した脳梗塞・・・
その時の対応は全て母一人で・・・だった。
自分への報告も姉への報告も事後報告だった。
母らしい気遣いで始まった父の介護は
当時から前途多難であることは、
誰もがわかりきっていた。
母は子供の世話にはなりたくない・・・というよりは
子供に迷惑を掛けたくない・・・そういう人だった。
だから、自分でできることは全てやった。
出来ないことも出来るように努力してきた。
母という生き物はパワーが違う・・・。
しかし、そのパワーでも賄えきれないもの・・・
それがお金だ・・・、わかり切った答えだが
この壁がなかなかどうして、高い・・・高くて分厚い・・・。
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障害認定日
それでも近年の介護サービスは充実している・・・
当時のケアマネージャーさんは言った。
少し前まではこのようなサービスは無かったとか、
障害者認定が前より厳しくなったとか、
いいこと悪いことの説明は、時折説得されているようにも
感じられた。
結局のところ、大したサービスは受けられなかった。
退院してすぐに介護が必要になった父。
サービスや給付金を受け取るのには障害者手帳が必要なものが多い。
障害基礎年金・・・医師の診断後すぐには給付されない。
障害の原因となった傷病の初診日から1年6か月経過した日が
障害認定日となる。
今すぐにでも欲しい給付金は
18ケ月待たなければならなかった。
何の稼ぎもないまま・・・
当時、父は56歳・・・まだまだ働き盛りの年齢だった。
決まりは決まり・・・なんの特例もないと言われた。
年金は何もしなくても受給できるが、給料は働かないと
もらえない・・・働かざる者食うべからず・・・
当時の母は、国のシステムに見放された気分だっただろう・・。
あれから15年が経とうとしている。
あの当時よりは少しはましになった介護サービス。
その恩恵を受けている身でもある。
しかし・・・今も障害認定のルールはそのままだ・・。
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