2016年10月09日
一周忌法要の準備の前の心の準備
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母の一周忌・・・と言っても
年末の事なのですが・・・なにぶんはじめてなもので
何をどうして良いのかがわかりません。
法要に呼ばれて出席したことは何度かあるのですが
呼ぶ側になったのは初めて。
何もかもが初めてで、難しいことは何にもないのですが
何をどうしたら良いのかがわからないのが現実です。
その度に周りの方や、葬儀屋さんに教わったりしながら
やってきました。
もちろん、一周忌の法要も同じような流れになるのでしょう。
我が家は家族葬でした。
ほぼ密葬に近い形のもので、寂しいものでした。
ですので、流れとしては一周忌もそれ以上にはならない。
生前の母の想いを参考に、全ては私が独断で決めたこと。
何を言われようが、後ろめたさは無い。
自分の決断は信じて疑わない。
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告別式同様、四十九日の法要と同様に、
一周忌の法要も子供たちと孫たちのみで
にぎやかに楽しく過ごす。
すべての感想は、いつか私が天国に逝ったとき
その時に母から感想を聞ければそれでいい。
正直・・・納骨が済むまでの間、
通夜と葬儀、四十九日の法要、そして納骨。
少なくともそこまでの間、
私は地に足がついていない状態だった気がしている。
何が何だかわからないまま過ぎてしまった時間だった。
今回の一周忌の法要は、違った自分を見せるいい機会だ。
母が永眠してから、思考停止してしまっていた時期もあった。
だからと言って、何もしてこなかったわけでもない。
少しは成長した自分を、母に見せることは必要だ。
それが供養となるのなら尚更である。
天国の母が安心していられるように・・・。
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母の一周忌・・・と言っても
年末の事なのですが・・・なにぶんはじめてなもので
何をどうして良いのかがわかりません。
法要に呼ばれて出席したことは何度かあるのですが
呼ぶ側になったのは初めて。
何もかもが初めてで、難しいことは何にもないのですが
何をどうしたら良いのかがわからないのが現実です。
その度に周りの方や、葬儀屋さんに教わったりしながら
やってきました。
もちろん、一周忌の法要も同じような流れになるのでしょう。
我が家は家族葬でした。
ほぼ密葬に近い形のもので、寂しいものでした。
ですので、流れとしては一周忌もそれ以上にはならない。
生前の母の想いを参考に、全ては私が独断で決めたこと。
何を言われようが、後ろめたさは無い。
自分の決断は信じて疑わない。
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告別式同様、四十九日の法要と同様に、
一周忌の法要も子供たちと孫たちのみで
にぎやかに楽しく過ごす。
すべての感想は、いつか私が天国に逝ったとき
その時に母から感想を聞ければそれでいい。
正直・・・納骨が済むまでの間、
通夜と葬儀、四十九日の法要、そして納骨。
少なくともそこまでの間、
私は地に足がついていない状態だった気がしている。
何が何だかわからないまま過ぎてしまった時間だった。
今回の一周忌の法要は、違った自分を見せるいい機会だ。
母が永眠してから、思考停止してしまっていた時期もあった。
だからと言って、何もしてこなかったわけでもない。
少しは成長した自分を、母に見せることは必要だ。
それが供養となるのなら尚更である。
天国の母が安心していられるように・・・。
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