2016年08月28日
癌の発見から他界までを振り返る
入院
母が職場で倒れたのが2014年の12月。
意識障害ありで脳の検査すること1週間。
脳腫瘍の疑いありで、更なる精密検査が必要になり
年明けの2015年1月に順天堂大学付属病院へ転院しました。
検査の結果、転移性脳腫瘍・・・原発巣は「肺」ということが判明。
母の肺は癌に侵されていました。
その時すでにステージW・・・肺の腫瘍は両肺にありました。
頭蓋内腫瘍摘出手術
手術は1月に受けました。約2.5cmの腫瘍は綺麗に摘出され、無事に成功。
心配された言語野への影響もありませんでした。
難なく終わった摘出手術は、母にとっては
がん治療のほんの始まりでした。
放射線治療
頭部放射線治療を受けたのは2月。
頭蓋内腫瘍摘出手術だけでは、癌細胞の除去が不完全である。
より完全に近い状態にするために、放射線治療が欠かせない。
母は、頭部放射線治療に、全脳照射を選択。
腫瘍があった部位のみにではなく、脳全体に放射線を照射した。
もちろんリスクは高いのですが、医師の勧めもありで
全脳照射治療を了承し、受けることとなった。
総放射線量は30Gy(グレイ)ででした。
この数値が高いか、低いかは何とも言えませんが、
母の入っている生命保険では、給付対象外の数値でした。
総放射線量50Gy以上が給付対象だそうです。
治療は10回に分けて受けました。
1度の放射線量は3Gy・・・治療初日から副作用は始まりました。
耳鳴り・・・吐き気・・・口内の痺れ・・・
放射線の怖さを知りました。
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脱毛
頭部放射線治療が終わって、約1週間後に脱毛が始まりました。抜け落ちた髪の毛は見た目60〜70%程度で、
まつ毛や眉毛はノーダメージでした。
しかも、頭部を開頭しているためか、手術した部位は
髪の毛の再生が遅く、見た目はまばらな状態となっていました。
化学治療
化学治療が始まったのは3月でした。
約5か月間掛けて、全6クールを受けきりました。
母の受けた抗がん剤治療は
ペメトレキセド(アリムタ)+カルボプラチン療法です。
3〜5クール目はがんが減少するなど一定の効果が得られましたが
最期の6クール目で、がん細胞の増殖が活発化しました。
この結果を受けて、母はこれ以上の抗がん剤治療の停止を決断。
・・・8月に入っての出来事でした。
無治療
以後、母の医学的無治療の生活が始まりました。
抗がん剤の副作用から解放された母は、
元気と食欲を取り戻し、仕事復帰するなど
活発な日常が始まりました。
その陰には、核酸ドリンクの効果も・・・
毎日飲み続けている核酸ドリンクの効果は抜群でした。
当時、母の肺がんにどこまで良い作用をもたらしてくれるのかは未知数で、
期待を胸に飲用し続けていました。
それでも癌は少しずつ母の体を蝕み続け、
他界1か月前になると、高濃度酸素吸入装置を処方されたり
痛み止めや咳止めの薬の処方を追加して頂いたりと
症状にも大きな変化が出始めました。
むくみは身体全体に・・・老廃物排出を促進させるために
毎日リンパマッサージ施術も続けました。
力尽きた
母の最期は病院でした。
本当は自宅で最期を迎えたかったのだと・・・
後になってしみじみと感じています。
あの最期の「壮絶な闘い」は絶対に忘れられません。
肺がんという病気の最終段階を目の当たりに、
言葉にならない悲しみは大量の涙となって流れ落ちました。
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