2016年05月24日
抗がん剤治療開始前に出会いたかった”核酸ドリンク”
核酸ドリンクとの出会い
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母が核酸ドリンクに出会ったのは抗がん剤治療が
終了した後でした。
友人からの紹介で知り得たもので、ネットワークビジネスであった
ために、母が私に相談してくれたことで私も知ることになりました。
傷ついたDNAを修復させるなどの効果が期待されるもので、
病期の予防にとても効果のありそうなものだと感じました。
と同時に、がん細胞がもともと自分の正常な細胞であり
それが何らかの要因で傷つき変異して、がん細胞化するという
ようなことを思い出しました・・・
がん細胞=傷ついた細胞と考えれば、がんに効果があるとも
考えられる・・・
更には、母に対する説明の仕方次第では「プラセボ効果」が
期待できるかもしれない。
そうすれば二重の効果が生み出せることになる。
そんな思いもあり、私は母に核酸ドリンクをススメたのでした。
母67歳、非小細胞肺がん・ステージWが発覚
ペメトレキセド(アリムタ)+ カルボプラチン療法
全6クール終了後に、抗がん剤治療停止を決断。
数日で効果
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飲み始めて数日すると、食欲が増し、顔色も表情も
とても良くなり出しました。
この要因としては、ずっと続けていた抗がん剤治療を
停止したことも重なり、副作用症状が緩和されてきた
ことが大きいとも思いました。
ただ、飲み始める以前に抗がん剤治療は停止していて、
感覚的なタイミングとしては、核酸ドリンクを飲用して
数日後に、体調の改善を感じることが出来たという強い
印象が残り、良いイメージが残ったことも幸いしました。
決して安くはない核酸ドリンク・・・医療費も重なり、
経済面に不安を抱えながらの母でしたので、毎日飲用
する量も、最低限の量に控えていた母に、毎食後飲用
することを強くススメ、より強い効果が期待できると
母の背中を押すような気持ちで促しました。
以後、母は毎食後・・・1日3回の飲用を続けた・・・
肺がん症状が悪化し始めても・・・
痛み止めの服用量が増え続けても・・・
末期になり、むくみの症状が出始めても・・・
母は最期の最後まで信じ続けた・・・
いや・・・すがり続けていたのかもしれません・・・
抗がん剤投与を継続することを拒絶した母にとって、
抗がん剤は母の命を延命してくれたものとは
思っていなかったのだと思います。
結果だけで判断するのであれば、食欲の低下により
体力が低下し、筋力が低下したことで、また更に体力が低下。
体はみるみるやせ細り、気が付けば骨と皮のような状態。
免疫力低下期間中は、食事や行動の制限がありました。
退院して、自宅で療養することはできたが、そこに
本当の意味での自由はなかった様な気がします。
当初から抗がん剤治療を受けることに抵抗を感じていた母
だっただけに、出来れば治療を受けて欲しいと願ったこと
に対する後悔の念は拭えません。
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母が核酸ドリンクに出会ったのは抗がん剤治療が
終了した後でした。
友人からの紹介で知り得たもので、ネットワークビジネスであった
ために、母が私に相談してくれたことで私も知ることになりました。
傷ついたDNAを修復させるなどの効果が期待されるもので、
病期の予防にとても効果のありそうなものだと感じました。
と同時に、がん細胞がもともと自分の正常な細胞であり
それが何らかの要因で傷つき変異して、がん細胞化するという
ようなことを思い出しました・・・
がん細胞=傷ついた細胞と考えれば、がんに効果があるとも
考えられる・・・
更には、母に対する説明の仕方次第では「プラセボ効果」が
期待できるかもしれない。
そうすれば二重の効果が生み出せることになる。
そんな思いもあり、私は母に核酸ドリンクをススメたのでした。
母67歳、非小細胞肺がん・ステージWが発覚
ペメトレキセド(アリムタ)+ カルボプラチン療法
全6クール終了後に、抗がん剤治療停止を決断。
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飲み始めて数日すると、食欲が増し、顔色も表情も
とても良くなり出しました。
この要因としては、ずっと続けていた抗がん剤治療を
停止したことも重なり、副作用症状が緩和されてきた
ことが大きいとも思いました。
ただ、飲み始める以前に抗がん剤治療は停止していて、
感覚的なタイミングとしては、核酸ドリンクを飲用して
数日後に、体調の改善を感じることが出来たという強い
印象が残り、良いイメージが残ったことも幸いしました。
決して安くはない核酸ドリンク・・・医療費も重なり、
経済面に不安を抱えながらの母でしたので、毎日飲用
する量も、最低限の量に控えていた母に、毎食後飲用
することを強くススメ、より強い効果が期待できると
母の背中を押すような気持ちで促しました。
以後、母は毎食後・・・1日3回の飲用を続けた・・・
肺がん症状が悪化し始めても・・・
痛み止めの服用量が増え続けても・・・
末期になり、むくみの症状が出始めても・・・
母は最期の最後まで信じ続けた・・・
いや・・・すがり続けていたのかもしれません・・・
抗がん剤投与を継続することを拒絶した母にとって、
抗がん剤は母の命を延命してくれたものとは
思っていなかったのだと思います。
結果だけで判断するのであれば、食欲の低下により
体力が低下し、筋力が低下したことで、また更に体力が低下。
体はみるみるやせ細り、気が付けば骨と皮のような状態。
免疫力低下期間中は、食事や行動の制限がありました。
退院して、自宅で療養することはできたが、そこに
本当の意味での自由はなかった様な気がします。
当初から抗がん剤治療を受けることに抵抗を感じていた母
だっただけに、出来れば治療を受けて欲しいと願ったこと
に対する後悔の念は拭えません。
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