2016年03月01日
悪性リンパ腫で骨髄移植した母の友人にお会いしました
友人が悪性リンパ腫
母が入院するよりも一足早く闘病生活に入っていた母の友人が
いました。
悪性リンパ腫・・・母が入院したのが2014年末、
友人はその数か月前から入退院を繰り返していた。
病院で年越しをした母に届いた年賀はがき・・・
その中の一枚に、母の友人からの告白が書かれていた。
2015年春に骨髄移植の予定と綴ってありました。
母は当然驚いていました。
私も驚きました。
その母の友人は、私も小さいころから良く知っている方で
大変なのは、我が家だけではないのだと我に帰った瞬間
でもありました。
母が退院した前後に骨髄移植が叶ったその友人は
夏前に晴れて退院をすることが出来たのです。
早くも仕事に復帰する意気込みも見せて、母も勇気を
もらったのではないかと思います。
その友人にさえ会わなかった
母は、旧友に対して頑なに会わなかった。
母のこだわりであり、わがままでもあった様な気がしています。
年齢の割に若く見えて綺麗だった母は、その印象を崩したく
無かったのだと思います。
実際、入院してからの母は愕然と老け込んでいました。
それは治療が進めば進むほど・・・。
やせ細った顔や体が、更にその容姿を悪く見せていた。
結局、電話で会話しただけで会うことはありませんでした。
母は旧友には誰とも顔を合わさずに他界してしまいました。
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骨髄移植後も順調ではない様子
その母を弔いに訪れてくださった中に、その方はいらっしゃいました。
以前は綺麗な顔立ちで、きりっとした目元が印象的な方でした。
お会いしたのは20数年ぶりでしたが、目元ですぐにわかりました。
しかし、顔はむくんでパンパンになり身体も思うように動かない
様子で、杖を突いていらっしゃいました。
体調がすぐれず、その後も入退院を繰り返しているとか・・・
骨髄移植も、完全に適合しているドナーが見つかれば一番良いのだ
そうですが、完全一致のドナーが見つからない場合でも、移植は
行なわれるそうです。
一緒に来てくれた方々とお話する傍らで、静かにされていました。
掛ける言葉も見当たらず、母についの質問に答えることが精いっぱい
でした。
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