信心決定、信心獲得とは如何なる事か。
信を獲れと言われる、
信を獲るとはどういうことなのか。
信心獲得章。五帖目の第五通。
信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり。
この願を心得るというは、南無阿弥陀仏のすがたを心得るなり。
非常に明解に蓮如上人が信心獲得とはこういうことだと私達に教えていられる。
第十八の願を心得ると。
阿弥陀仏は、四十八の願を建てておられますが、
その第十八番目の 願。それが十八願です。
信心獲得すると言うことは、第十八の願を心得る。
心得るというのは
「はい左様でございますかわかりました。わたくしめは心得ました」、
と言う聞いてその内容がわかった ということではない。
「お前判ったか」「はい心得ました」
そういう意味ではない。
これどういうことかな。
体験すると言うこと。第十八の願を体験する。
そこに誓われて いる通りの身になる。
これを第十八の願を心得る。
こう仰有っています。
第十八願の ことを別にどんな言い方をするか?
「至心信楽の願」
「弥陀の誓願」
「難思の弘誓」
四十八の中から阿弥陀仏が十八番目を選び取られた。
選択の本願。
これどう言う意味?
何から何を選びとられたの?
阿弥陀如来が四十八の誓願の中からこの十八願を選びとられた。
それはどういうことかな
「阿弥陀仏の本心が十八願の中に説かれている」
四十八願の中で弥陀の本心、
本当の願いが説かれているのは十八番目の願。
それで選び取られたと。
他にどんな言い方しますか。
「王本願」
どうして王本願というの?
「四十八願の中の」
王とは?
ダイエーの王か?
じゃあ、長島本願は?
ないね、そんなの。
最高の本願という意味です。
最も優れた本願。
大統領本願とはいわない。語呂がわるいね。
首相本願。最低。
阿弥陀仏の本心が誓われている。
『随自意の願』
『阿弥陀仏の心にしたがって説かれた本願』
阿弥陀如来が自らの心にしたがって、
自らの心のままに説かれたのが十八願です。
ご自分の本心を説かれたと言うことです。
自主的に行った、とは自分の意思で行ったこと。
自らのお心にしたがって。
阿弥陀仏がご自分の本心を説かれたと言うことです。
じゃあそれ以外。
『随他意の願』
随他意の願とは?これはどう言う意味?
『阿弥陀仏の本心ではない。相手の機に応じて』
相手とは?
衆生の心に応じて。
他というのは衆生と言うことです。
相手に応じて説かれた。
随他意。だから本心ではない。
相手に気を使って言わなければならないことは本心ではない。
これから私の本心を言う、というときは相手の顔色を見てはいけない。
相手が何を言おうとこれが私の本心。
ところが私の本心言えない、相手の顔色を窺わないといけない。
これが随他意。
四十八の本願の中で阿弥陀仏が御自身の本心を説かれた。
それが十八願。
それで選択本 願、王本願、随自意の本願。
何れもここに弥陀の本心が説かれている。
その第十八の願。阿弥陀仏の本心の通り心得る。
体験する。
これが信心獲得すると言うこと。
信心獲得するというは、第十八の願を心得る。