中でも最大の特徴は、花果同時の徳です。
蓮華は、ぱさっと一気に開きます。
そして花が開いた時には、実ができているという特徴があります。
それと同じように、真実の他力信心は、一念で獲る信心です。
一念というのは、何億分の一秒よりも短い時間です。
信じた瞬間に、絶対の幸福になれます。
信じているという場合、時間で深めていくものですから、
一念で助かる、本当かと思います。
助かるというのも、一瞬で助かるということは、ありません。
借金をずっとしてきたのを返すの相当時間がかかります。
それについて曇鸞大師は、
譬えば千歳の闇室に光若し暫く至れば即便ち明朗なるが如し。
闇・豈・室に在ること千歳にして去らずということを得んや。
(浄土論註)
と教えられています。
闇がはれるのは、光が来た瞬間です。
千年も真っ暗だったからといって闇が晴れるのに時間がかかるということはありません。
たとえ飛鳥時代の古墳に入っていく時でも、
懐中電灯を照らした瞬間、明るくなります。
ちょうどそのようなもので、
心の闇が破れて
信心獲得するのは一瞬なのです。
ところが他力の信心は、時刻の極促でえられます。
時剋の極促とは、時間の窮まりということで、
時間はかからないということです。
どうして他力の信心は一念でえられるのか
覚如上人が教えられています。
如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。
若し多念をもって本願とせば、命一刹那につづまる無常迅速の機いかでか本願に乗ずべきや。
されば真宗の肝要一念往生をもって淵源とす。(口伝鈔)
ですから、息が切れるまであきらめる必要はありません。
今救われていなくても、臨終まで救われるかどうかぎりぎりまで分かりません。
一念で助かるということは、
意識のある時に助かっていなくても、
助かっている人もいるということです。
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