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2020年02月14日

浄土真宗の異端・カルト

浄土真宗では、異安心といわれる異端があります。

安心というのは信心のことで、親鸞聖人と異なる信心を
異安心といいます。

現代にも存在します。

たとえば、いつどこで救われられたか、を強調します。
これは親鸞聖人も蓮如上人もいわれていないことです。
箝口令が敷かれているかのようにどこにも言われていません。

そして、異安心の人は、自分は救われたと言っているが布教はしません。
親鸞聖人も蓮如上人も救われたと言われていて、恩徳讃の気持ちで布教されています。

もちろん布教していないから、救われてないとはいえません。
三業で他力信心ははからうことはできません。
それも異安心です。

そこにいたら異安心ともいえません。

誘った人は異安心でも、真実にあえるということはあります。

救われたらどうなるかというのはありますが、
こうなっているから救われているというのはありません。

三業で信心をはからおうとしているのは自力の信心てす。
予測されることはあっても断定はできません。
こう言っているから信心決定していないともいえません。
親鸞聖人の教えの理解が浅いだけかも知れませんし、
親鸞聖人の教えを理解していても、ウソを言うこともできますから、
分かりません。

しかしながら、他力の信心を獲ていない人は、みんな自力の信心なので、
共鳴しやすいのです。
すぐに洗脳されてしまいます。

そして、他力の信心からあっという間に離れて行きます。
そしてお世話になったら感謝すべきでしょうに、
他力の信心の人を怨み呪い、批判し始めます。
恐ろしいのは自力の信心です。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心
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