2021年09月06日
職場の人付き合い
世にはさまざまな職場があるが、その中ではどのくらいの人間関係を構築しているのだろう…。
私たちの教員の世界では、職場は学校である。
学校の先生たちの職場における人間関係とは、どのくらいの深さなのだろうか。
自分の経験では、最初に勤めた私立学校では、仲の良い友人が何人もいた。
先輩先生もおり、いろいろな所に連れ出されたりもしたが、かわいがってもらった。
毎日のように一杯引っかけて帰った同僚もいたし、自動車通勤になってからも、しばしば飲みに行ったことを思い出す。
だが、どうしても超えられない一線があった。それは信仰の問題だ。
彼等とは同じ信仰を持っているわけではなく、どこか距離感があったのだ。
二度目の職場では、途中採用ということもあり、もっと関係は薄くなった。
仕事の上でも、あまり話し合う機会の少ない学校で、多くのことは、上意下達で決められた。職員会議も、校長が一方的にしゃべって終わるスタイルだった。
その職場で務めた期間が短かったこともあり、今やつきあいのある人はいない。
今の職場が、学校としては三番目。
同じく信仰を持つ人の集まりではあるのだが、何とも希薄な人間関係であるようにも思う。
仕事上、同じ学年であれば、話す機会も多いが、学年が変われば、下手をすると何ヶ月も会話をしていない、なんてこともある。
プライベートでどこかに出掛ける機会も、飲みに行く機会もない。
自分が壁を作っているのかも知れないが、何となく上辺だけの、軽薄な人間関係のようにも思えてしまうのだ。
お互い尊敬はしている。
いろいろな意見も尊重する。
困ったときは助け合う。
一緒にお祈りをしたりもする。
だが、疎遠感は否めない。
コロナ禍でさらに、その関係が薄くなっているようだ。
何となく友達がいないような気持ちなり、少し淋しい…。
私たちの教員の世界では、職場は学校である。
学校の先生たちの職場における人間関係とは、どのくらいの深さなのだろうか。
自分の経験では、最初に勤めた私立学校では、仲の良い友人が何人もいた。
先輩先生もおり、いろいろな所に連れ出されたりもしたが、かわいがってもらった。
毎日のように一杯引っかけて帰った同僚もいたし、自動車通勤になってからも、しばしば飲みに行ったことを思い出す。
だが、どうしても超えられない一線があった。それは信仰の問題だ。
彼等とは同じ信仰を持っているわけではなく、どこか距離感があったのだ。
二度目の職場では、途中採用ということもあり、もっと関係は薄くなった。
仕事の上でも、あまり話し合う機会の少ない学校で、多くのことは、上意下達で決められた。職員会議も、校長が一方的にしゃべって終わるスタイルだった。
その職場で務めた期間が短かったこともあり、今やつきあいのある人はいない。
今の職場が、学校としては三番目。
同じく信仰を持つ人の集まりではあるのだが、何とも希薄な人間関係であるようにも思う。
仕事上、同じ学年であれば、話す機会も多いが、学年が変われば、下手をすると何ヶ月も会話をしていない、なんてこともある。
プライベートでどこかに出掛ける機会も、飲みに行く機会もない。
自分が壁を作っているのかも知れないが、何となく上辺だけの、軽薄な人間関係のようにも思えてしまうのだ。
お互い尊敬はしている。
いろいろな意見も尊重する。
困ったときは助け合う。
一緒にお祈りをしたりもする。
だが、疎遠感は否めない。
コロナ禍でさらに、その関係が薄くなっているようだ。
何となく友達がいないような気持ちなり、少し淋しい…。
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