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2021年01月15日
エール
明日の共通テストに向けて、朝の集会で高校3年生に向けて、全校でエールを送った。
いよいよ大学入試のスタートである。
センター試験から共通テストに代わって最初の年であるにも関わらず、コロナ禍で制約の多い中での実施になる。
ずっとマスクをつけていなくてはならないことはもちろん、引率の教員も最低限、高3の担任であっても、校長であっても、応援にすら行けない…。
共通テストは彼らの人生がかかった大切な試験である。
そのために、年末年始もすべてをなげうって勉強してきたのである。
「これから高3生にエールを送ります。」
という生徒会長の第一声、後輩たちが高3に向かい合った瞬間、私は泣きそうになった。
彼らの頑張りを思って「うっ」と来たのだろうか。
もし、そばに生徒たちがいなかったら、私はその場で泣き出したかも知れない。
人生の一時期、高校生の大方は、大学入試を迎える。
自立への一歩である。
人生航路への出発地点でもある。
今年も校長は、高3生全員に差し入れを用意している。
そして、その一つひとつにメッセージを添えた。
学年団でも、全員分のお守りを作った。
たくさんの愛を感じながら、彼らは明日のテストへと臨む。
今ごろは教職員が作った激励メッセージビデオを見ている頃だろう。
笑いの中に、愛を感じ、人によっては涙する生徒だっているに違いない…。
頑張れよ。
私はそっと彼らにささやく。
おそらくは、ニコッと笑って送り出すことしかできまいが…。
いよいよ大学入試のスタートである。
センター試験から共通テストに代わって最初の年であるにも関わらず、コロナ禍で制約の多い中での実施になる。
ずっとマスクをつけていなくてはならないことはもちろん、引率の教員も最低限、高3の担任であっても、校長であっても、応援にすら行けない…。
共通テストは彼らの人生がかかった大切な試験である。
そのために、年末年始もすべてをなげうって勉強してきたのである。
「これから高3生にエールを送ります。」
という生徒会長の第一声、後輩たちが高3に向かい合った瞬間、私は泣きそうになった。
彼らの頑張りを思って「うっ」と来たのだろうか。
もし、そばに生徒たちがいなかったら、私はその場で泣き出したかも知れない。
人生の一時期、高校生の大方は、大学入試を迎える。
自立への一歩である。
人生航路への出発地点でもある。
今年も校長は、高3生全員に差し入れを用意している。
そして、その一つひとつにメッセージを添えた。
学年団でも、全員分のお守りを作った。
たくさんの愛を感じながら、彼らは明日のテストへと臨む。
今ごろは教職員が作った激励メッセージビデオを見ている頃だろう。
笑いの中に、愛を感じ、人によっては涙する生徒だっているに違いない…。
頑張れよ。
私はそっと彼らにささやく。
おそらくは、ニコッと笑って送り出すことしかできまいが…。
2021年01月14日
痛い痛い
年末大晦日にぎっくり腰になった。
犬の餌の入れ物を洗っている時に、台所でビリっと来た。
今回は軽めだったので、日常生活でさほど不自由はないが、二週間以上経った今日になっても、まだくすぶっている。
念のため、コルセットを着けているが、今でも時々ビリッとくるし、たまに痛くなる…。
併せて、例年のことだが、乾燥して踵(かかと)が割れている。
右も左もざっくりと、深さ1センチくらいまで亀裂が入った。
当然のことながら痛い。
歩くたびに傷口が開くようで、通常の歩行が困難である。
その上、どこかに触れるだけでも痛いので、仰向けで寝たときに踵が布団に接したときに痛い。
今回は深いクレパスなので、今までは、絶対にしなかったが、今回は靴下を履いたまま寝ている。
薬をつければいいのだろうが、ベタベタするのがいやで、今年もつけてはいない。
それに傷口に染みるのだ。
歩くときに踵をかばうには、つま先立ちのように歩くしかなく、そうするとふくらはぎやすねのあたりが筋肉痛になり、痛い。
という訳で、昨今、痛い痛い続きの毎日になっている。
歳をとったということなのだろう。
こうやって人は老いていくのかも知れない…。
踵が割れてるという症状は、実は生徒の中にもいる。
その痛みはよく分かる。
靴を履くにも不自由だからだ。
当然、走ったりするのも苦しい…。
人間の体はいろいろなので、若くとも乾燥しやすい生徒もいるのだろう。
先日彼と二人で温泉に浸かったが、その効果は数日というところだ…。
また行くか…。
学校から自動車で5分のところに温泉がある。
犬の餌の入れ物を洗っている時に、台所でビリっと来た。
今回は軽めだったので、日常生活でさほど不自由はないが、二週間以上経った今日になっても、まだくすぶっている。
念のため、コルセットを着けているが、今でも時々ビリッとくるし、たまに痛くなる…。
併せて、例年のことだが、乾燥して踵(かかと)が割れている。
右も左もざっくりと、深さ1センチくらいまで亀裂が入った。
当然のことながら痛い。
歩くたびに傷口が開くようで、通常の歩行が困難である。
その上、どこかに触れるだけでも痛いので、仰向けで寝たときに踵が布団に接したときに痛い。
今回は深いクレパスなので、今までは、絶対にしなかったが、今回は靴下を履いたまま寝ている。
薬をつければいいのだろうが、ベタベタするのがいやで、今年もつけてはいない。
それに傷口に染みるのだ。
歩くときに踵をかばうには、つま先立ちのように歩くしかなく、そうするとふくらはぎやすねのあたりが筋肉痛になり、痛い。
という訳で、昨今、痛い痛い続きの毎日になっている。
歳をとったということなのだろう。
こうやって人は老いていくのかも知れない…。
踵が割れてるという症状は、実は生徒の中にもいる。
その痛みはよく分かる。
靴を履くにも不自由だからだ。
当然、走ったりするのも苦しい…。
人間の体はいろいろなので、若くとも乾燥しやすい生徒もいるのだろう。
先日彼と二人で温泉に浸かったが、その効果は数日というところだ…。
また行くか…。
学校から自動車で5分のところに温泉がある。
2021年01月13日
どうして解けないの
「これ、おかしいよね。とっても簡単な問題だよね。これが解けないということは、全然分かっていないということだよね。こんな状態で、勉強したって言えるの。私にはまったく分からないよ。どうして解けないのか全然分からないよ。どうなっているの。教科書の例題に出てくるような基本的な問題じゃない。こんなんで、対策したって言えるの。本当不思議でしょうがないよ。」
私は反駁しそうになったが、それをとどまった。
何を言っても言い訳にしか聞こえず、しかも、その対策すら思いつかなかったからだ。
「途中で間違えてしまうなら、解くとき、一行一行確認しながらやればいいんだ。時間がかかるようで、実はトータルとしては時間がかからない。あとから見直すのは大変だからね。君もそうすればいいんだ。少なくとも私はそうしている。そうすることでミスをふせいでいるんだ。それにしても、この点数はひどい。」
「僕には無理かも知れません…。」
完全に自信を失っている私は、半ば諦めかけている。
自分は他の人より極端に頭が悪く、要領も悪く、集中力も欠けているのだろう。
「いやぁ、できるよ思うよ。○○だって、△△だって、勉強したら点が取れるようになったんだから…。結局は、勉強していない、ってことじゃない? いやあ不思議だな。なんでできないんだろう。とうして解けないんだろう。もっと頑張ろうよ。もっと点数を取ろうよ。上を目指そうよ。やればできるようになるんじゃない?」
「緊張しちゃうの? プレッシャーで解けなくなっちゃうの? そうなら何とか克服しなきゃ。頑張らなきゃ。いやいやしかし、何でこんな点なんだろうね。こんな問題、暗算で解けるよ。一瞬で答え出るよ。君は、そんな問題を間違えているんだよ。おかしいおかしいね…。それに、君の答案。難しめの問題には手をつけていないよね。なんか、やる気ないように見えない? うーん、どうしたものかな…。」
夢を見た。
先生に責め立てられているのが私である。
これまでどれほどの生徒を傷つけてきたか、よく分かるようでもある。
と同時に、自分自身の実力のなさを、徹底的に指摘され、「おまえなんて、ここには必要ない存在だよ」と言わんばかりの勢いだ。
後味が悪い…。
私は反駁しそうになったが、それをとどまった。
何を言っても言い訳にしか聞こえず、しかも、その対策すら思いつかなかったからだ。
「途中で間違えてしまうなら、解くとき、一行一行確認しながらやればいいんだ。時間がかかるようで、実はトータルとしては時間がかからない。あとから見直すのは大変だからね。君もそうすればいいんだ。少なくとも私はそうしている。そうすることでミスをふせいでいるんだ。それにしても、この点数はひどい。」
「僕には無理かも知れません…。」
完全に自信を失っている私は、半ば諦めかけている。
自分は他の人より極端に頭が悪く、要領も悪く、集中力も欠けているのだろう。
「いやぁ、できるよ思うよ。○○だって、△△だって、勉強したら点が取れるようになったんだから…。結局は、勉強していない、ってことじゃない? いやあ不思議だな。なんでできないんだろう。とうして解けないんだろう。もっと頑張ろうよ。もっと点数を取ろうよ。上を目指そうよ。やればできるようになるんじゃない?」
「緊張しちゃうの? プレッシャーで解けなくなっちゃうの? そうなら何とか克服しなきゃ。頑張らなきゃ。いやいやしかし、何でこんな点なんだろうね。こんな問題、暗算で解けるよ。一瞬で答え出るよ。君は、そんな問題を間違えているんだよ。おかしいおかしいね…。それに、君の答案。難しめの問題には手をつけていないよね。なんか、やる気ないように見えない? うーん、どうしたものかな…。」
夢を見た。
先生に責め立てられているのが私である。
これまでどれほどの生徒を傷つけてきたか、よく分かるようでもある。
と同時に、自分自身の実力のなさを、徹底的に指摘され、「おまえなんて、ここには必要ない存在だよ」と言わんばかりの勢いだ。
後味が悪い…。
2021年01月12日
活動停止
久しぶりに学校のグランドで練習し、「あとはきちんとグランド整備をするように」、とグランドを後にしたら、その後、部員内でケンカが起こった。
キャプテンである中2のTが、中1のSに変なあだ名をつけた。
それを聞いて怒ったSは、地面を蹴り土を飛ばす。
その土が中2のKの目に入り、Kは怒り出す。
SとKはお互い収まりがつかず、取っ組み合いになり、その後も反目したままになった。
その話を聞いた私は、全員を集めた。
「せっかくいい練習ができたのに、こんなことで味噌をつけてしまうのは情けない。これからしばらく、活動停止にする。自主練もだめ。道具を使うこともだめ。」
その後彼らはミーティングを開いたようだが、そこにはキャプテンのTは不在だった。
中2の副キャプテンのGが、「発端はTじゃないのか」、と意見したら、Tは怒ってGを殴ってどこかに行ってしまったのだという。
その後、全員が集まり、再度ミーティング行われたようだが、まだまだ彼らの心の中にはわだかまりがあるだろう。
ちょうど冷静になる期間としての活動停止は、いいのかも知れない。
キャプテンのTは、自己変革の真っ最中。
野球が上手な上に、自分の感情や言動を抑えられず、始終トラブルを起こしてきたが、昨今は、他の部員に優しく接しながら、チーム力を上げてゆこうと頑張ってきたのである。
一方、中1のSは発達の偏りのある生徒。
ほんのわずかのことで、感情がコントロールできずに、暴れ出す傾向がある。
このところ落ち着いていたが、入学以来、気に入らないことがあると、廊下に寝転んでだだをこねたり、授業を抜け出したりする生徒である。
また、中2のKも精神的に幼い。
自分に自信が持てず、素直になれず、人の話もなかなか理解できないタイプ。
以前、Sの面倒をみようとして失敗して、以来距離を置いていたのだ。
爆弾を抱えているような野球部の部員たち。
ほかにも、普通でない部員が何人かいる。
だが、彼らもこの集団の中で学ぶことは大きいだろう。
しばらく彼らの心が変わり、前向きに成長してゆこうとするのを待つとしよう…。
キャプテンである中2のTが、中1のSに変なあだ名をつけた。
それを聞いて怒ったSは、地面を蹴り土を飛ばす。
その土が中2のKの目に入り、Kは怒り出す。
SとKはお互い収まりがつかず、取っ組み合いになり、その後も反目したままになった。
その話を聞いた私は、全員を集めた。
「せっかくいい練習ができたのに、こんなことで味噌をつけてしまうのは情けない。これからしばらく、活動停止にする。自主練もだめ。道具を使うこともだめ。」
その後彼らはミーティングを開いたようだが、そこにはキャプテンのTは不在だった。
中2の副キャプテンのGが、「発端はTじゃないのか」、と意見したら、Tは怒ってGを殴ってどこかに行ってしまったのだという。
その後、全員が集まり、再度ミーティング行われたようだが、まだまだ彼らの心の中にはわだかまりがあるだろう。
ちょうど冷静になる期間としての活動停止は、いいのかも知れない。
キャプテンのTは、自己変革の真っ最中。
野球が上手な上に、自分の感情や言動を抑えられず、始終トラブルを起こしてきたが、昨今は、他の部員に優しく接しながら、チーム力を上げてゆこうと頑張ってきたのである。
一方、中1のSは発達の偏りのある生徒。
ほんのわずかのことで、感情がコントロールできずに、暴れ出す傾向がある。
このところ落ち着いていたが、入学以来、気に入らないことがあると、廊下に寝転んでだだをこねたり、授業を抜け出したりする生徒である。
また、中2のKも精神的に幼い。
自分に自信が持てず、素直になれず、人の話もなかなか理解できないタイプ。
以前、Sの面倒をみようとして失敗して、以来距離を置いていたのだ。
爆弾を抱えているような野球部の部員たち。
ほかにも、普通でない部員が何人かいる。
だが、彼らもこの集団の中で学ぶことは大きいだろう。
しばらく彼らの心が変わり、前向きに成長してゆこうとするのを待つとしよう…。
2021年01月10日
富士山
富士山
近隣の温泉に生徒とのんびり浸かっていたら、新たにやってきた方が、「今日は富士山が見えるね」、と話された。
「え、富士山が見えるんですか?」
私は興奮して尋ねる。
富士山は「日本人の心のふるさと」とも言える存在。
古事記にも謂われる木花開耶姫が守る美しい山である。
私は幼い頃から、富士山の見えるところで育ってきた。
ほとんど東京で暮らしていたが、東京でも富士山が見えるところに住んでいたのである。
それが、北関東に移り、ここ十年、新幹線か飛行機に乗ったときしか富士山を見られずにいて悶々としていたのである。
近隣の山の上に行けば、見えることが分かっていたが、そうそう登頂できるわけでもなく、それも年に何度あるか分からない好条件のそろった日でしか見えないとあっては、半ば諦めかけていたのである。
だが、違った。
ここから富士山が見える。
私は、矢継ぎ早に尋ねる。
「どっちの方向ですか?」
「どのくらいの方向ですか?
「そんなに言うなら、見てきたら…。」
と言うので、私はそそくさと温泉をあがって、温泉のロビーに急いだ。
「出ちまうんかい?」
そう、呼び止められた声を制止して、私は慌てて西の空を見る。
果たしてロビーの全面ガラスの窓からは、思ったよりは遙かに大きな富士山が鎮座していた。
駐車場に出て、私は写真を撮る。
さっき、夕日の写真を撮った以上に、興奮してシャッターを押しまくる。
「富士山が、富士山が見える!
距離にして220キロ弱。
空気の澄んだ冬にしかなかなか見られないのだろうが、そこにはゴールデンアワーのシルエットに浮かぶ富士がくっきりと見えた。
次はシルエットではなく、日中にも見えるかチャレンジしたいと思う。
いいものを見た。
今年は幸先がよいスタートになった…。
近隣の温泉に生徒とのんびり浸かっていたら、新たにやってきた方が、「今日は富士山が見えるね」、と話された。
「え、富士山が見えるんですか?」
私は興奮して尋ねる。
富士山は「日本人の心のふるさと」とも言える存在。
古事記にも謂われる木花開耶姫が守る美しい山である。
私は幼い頃から、富士山の見えるところで育ってきた。
ほとんど東京で暮らしていたが、東京でも富士山が見えるところに住んでいたのである。
それが、北関東に移り、ここ十年、新幹線か飛行機に乗ったときしか富士山を見られずにいて悶々としていたのである。
近隣の山の上に行けば、見えることが分かっていたが、そうそう登頂できるわけでもなく、それも年に何度あるか分からない好条件のそろった日でしか見えないとあっては、半ば諦めかけていたのである。
だが、違った。
ここから富士山が見える。
私は、矢継ぎ早に尋ねる。
「どっちの方向ですか?」
「どのくらいの方向ですか?
「そんなに言うなら、見てきたら…。」
と言うので、私はそそくさと温泉をあがって、温泉のロビーに急いだ。
「出ちまうんかい?」
そう、呼び止められた声を制止して、私は慌てて西の空を見る。
果たしてロビーの全面ガラスの窓からは、思ったよりは遙かに大きな富士山が鎮座していた。
駐車場に出て、私は写真を撮る。
さっき、夕日の写真を撮った以上に、興奮してシャッターを押しまくる。
「富士山が、富士山が見える!
距離にして220キロ弱。
空気の澄んだ冬にしかなかなか見られないのだろうが、そこにはゴールデンアワーのシルエットに浮かぶ富士がくっきりと見えた。
次はシルエットではなく、日中にも見えるかチャレンジしたいと思う。
いいものを見た。
今年は幸先がよいスタートになった…。
2020年12月22日
二学期終業式
無事二学期の終業式を迎えることができた。
今年はコロナの影響で、学校のさまざまな行事に影響を及ぼしたが、私の学校では中止になった行事は一つもなく、すべて例年かそれ以上の実績を上げたと思う。
まさに奇跡的と言えるだろう。
生徒たちは普段と変わることなく、元気に二学期を過ごしてくれた。
途中、遠足や研修旅行もあり、一部宿泊行事もできたし、来客のある行事も何とか乗り切った。
本当にありがいことだ。
コロナ渦の中、もっとも恐れるべきは『恐怖心』である。
連日の報道は、国民に対して、この恐怖心を煽るものばかり。
その恐怖心がお互いを疑心暗鬼にさせ、明るさを奪い、免疫力をも低下させる。
報道機関が、「恐怖心に負けず、免疫力をアップしよう」とキャンペーン運動を行えば、感染力も感染速度も格段に低下するだろう。
多くの人々は、連日の報道に洗脳され、不安と悲しみと苦しみの中にある。
科学的根拠という名の下の唯物論が、人類を恐怖に陥らせ、何かを警告しているかのようだ。
そんな中で、そうした世界とは隔絶された学校生活を送ることができたいのは何よりも幸せなことだ。
免疫力アップに一番簡単な方法は、『明るさ』だろう。
明るく元気に、爽やかに生きることができていれば、多少の体調不良など吹っ飛んでいく。
学校現場でこれを実現するためには、我々教員が率先してこの『明るさ』の中に生きることを実践しなくてはならない。
今年一年、学校として無事に過ごすことができている。
高3の受験生は、いよいよ共通テスト直前で佳境に入っているが、彼らも明るく元気だ。
私の学校で一番元気なのは校長だ。
校長の元気さが、教職員に伝播し、それが生徒にも広がっている。
やや制約の多い一年にはなったが、教育活動は順調に進んでいる。
感謝しかない。
今年はコロナの影響で、学校のさまざまな行事に影響を及ぼしたが、私の学校では中止になった行事は一つもなく、すべて例年かそれ以上の実績を上げたと思う。
まさに奇跡的と言えるだろう。
生徒たちは普段と変わることなく、元気に二学期を過ごしてくれた。
途中、遠足や研修旅行もあり、一部宿泊行事もできたし、来客のある行事も何とか乗り切った。
本当にありがいことだ。
コロナ渦の中、もっとも恐れるべきは『恐怖心』である。
連日の報道は、国民に対して、この恐怖心を煽るものばかり。
その恐怖心がお互いを疑心暗鬼にさせ、明るさを奪い、免疫力をも低下させる。
報道機関が、「恐怖心に負けず、免疫力をアップしよう」とキャンペーン運動を行えば、感染力も感染速度も格段に低下するだろう。
多くの人々は、連日の報道に洗脳され、不安と悲しみと苦しみの中にある。
科学的根拠という名の下の唯物論が、人類を恐怖に陥らせ、何かを警告しているかのようだ。
そんな中で、そうした世界とは隔絶された学校生活を送ることができたいのは何よりも幸せなことだ。
免疫力アップに一番簡単な方法は、『明るさ』だろう。
明るく元気に、爽やかに生きることができていれば、多少の体調不良など吹っ飛んでいく。
学校現場でこれを実現するためには、我々教員が率先してこの『明るさ』の中に生きることを実践しなくてはならない。
今年一年、学校として無事に過ごすことができている。
高3の受験生は、いよいよ共通テスト直前で佳境に入っているが、彼らも明るく元気だ。
私の学校で一番元気なのは校長だ。
校長の元気さが、教職員に伝播し、それが生徒にも広がっている。
やや制約の多い一年にはなったが、教育活動は順調に進んでいる。
感謝しかない。
2020年12月20日
温泉効果
近隣に温泉ができて約一年。
当初露天風呂が完成しておらず、「それじゃぁ、つまらん」、と足を向けることがなかったが、このところの寒さで、体を芯から温めるために、その温泉に出かけてみた。
学校から5分、隠れ家からは3分で着く。
標高300mほどの山の上にある温泉は、こじんまりとして、何十人も入ることはできないが、そのロケーションから、露天風呂からの眺望が素晴らしい。
今日は、一時間以上、露天風呂につかって、体を温め疲れを癒やした。
少しぬるめの露天風呂は、氷点下の風が吹いていても暖かいのは、温泉効果だろうか。
ナトリウム泉特有のんぬるぬる感が、肌を包み込む。
ふと、西の空を見ると、大接近した木星と土星が見える。
暗くなって見えないが、正面はこの地域の主峰の山並みが見えるはずだ。
冬型が強いと、山は雪になって雲に隠れてしまうが、山も晴れているような日には、絶景が見られることだろう。
氷点下の中、露天風呂に浸かっていると、何とも言えない幸福感に包まれる。
その上、星も見えるとなれば、至福の時間だ。
小さいとはいえ、こんな近くにいい温泉ができていたのはありがたい。
コロナで、来客が減っているのかもしれないが、時々は出かけて、疲れを癒やしたいと思った。
温泉に浸かりながら、生徒とのんびり語るのも面白い。
温泉効果と、絶景に、心も癒やされるに違いない。
今日は、二学期にいろいろ悩み元気がなかったH君とT君で隠れ家でバーベキューをした。H君は夕方クラスの集まりがあったので先に送り、T君と片付けをしたのち、温泉に寄ったのだ。
湯上がりにどっと疲れが出たが、楽しいひとときだった。
「また来年来ようぜ」と言うと、「分かりました」とT君は満面の笑顔。
この先も、ずっとお互いを励ます関係でありたいものだ。
当初露天風呂が完成しておらず、「それじゃぁ、つまらん」、と足を向けることがなかったが、このところの寒さで、体を芯から温めるために、その温泉に出かけてみた。
学校から5分、隠れ家からは3分で着く。
標高300mほどの山の上にある温泉は、こじんまりとして、何十人も入ることはできないが、そのロケーションから、露天風呂からの眺望が素晴らしい。
今日は、一時間以上、露天風呂につかって、体を温め疲れを癒やした。
少しぬるめの露天風呂は、氷点下の風が吹いていても暖かいのは、温泉効果だろうか。
ナトリウム泉特有のんぬるぬる感が、肌を包み込む。
ふと、西の空を見ると、大接近した木星と土星が見える。
暗くなって見えないが、正面はこの地域の主峰の山並みが見えるはずだ。
冬型が強いと、山は雪になって雲に隠れてしまうが、山も晴れているような日には、絶景が見られることだろう。
氷点下の中、露天風呂に浸かっていると、何とも言えない幸福感に包まれる。
その上、星も見えるとなれば、至福の時間だ。
小さいとはいえ、こんな近くにいい温泉ができていたのはありがたい。
コロナで、来客が減っているのかもしれないが、時々は出かけて、疲れを癒やしたいと思った。
温泉に浸かりながら、生徒とのんびり語るのも面白い。
温泉効果と、絶景に、心も癒やされるに違いない。
今日は、二学期にいろいろ悩み元気がなかったH君とT君で隠れ家でバーベキューをした。H君は夕方クラスの集まりがあったので先に送り、T君と片付けをしたのち、温泉に寄ったのだ。
湯上がりにどっと疲れが出たが、楽しいひとときだった。
「また来年来ようぜ」と言うと、「分かりました」とT君は満面の笑顔。
この先も、ずっとお互いを励ます関係でありたいものだ。