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2019年04月19日
クロア篇−7章6
「ほら、あそこの三人。大物のにおいがプンプンする」
ナーマの案内により、クロアたちは町一番と評判の酒場に来た。ナーマがねらいをつけた者とは、兜を被った巨漢と、布を頭に巻いた長身の男と、青みがかった銀髪の女の三人。巨漢以外の男女は帯剣している。三人の見てくれは魔人でなくとも強そうだった。
クロアはベニトラを抱えて、店の食卓に着席する。レジィとマキシも普通の客として席に座り、異彩を放つ三人に注目した。ナーマは座らず、クロアにぴったりと寄り添う。
「あいつら、かなり長生きしてるみたいよぉ」
「見た目は人間と変わらないわね……」
「魔族は雰囲気でわかるの。魂に刻んだ年齢を見るって感じ」
「長生きしている魔人なら有名なのかしら。マキシ、あの外見でだれか思いつく?」
マキシは魔人の集団を凝視しながらうめく。
「うむむむ、もしや……あの水色か銀色の長髪の女性は、有名な飛竜じゃないか?」
「飛竜? 竜が人に化けているの?」
「ああ! 高い魔力を持つ魔獣は人に変化できる。竜も例外じゃない」
「それで、その竜はどう有名なのかご存知?」
「名前はミアキス。おそろしく剣の腕が立つそうだ」
「竜なのに剣術が得意なの? 変わってるわね……」
「それはご主人さまの趣味さ。あの男の剣士……彼が高名な剣豪ならば曲刀を提げているはずなんだが──」
マキシはさらに目を凝らした。客の合間から剣士の武器を確認する。その鞘の形状は直線を描いていた。魔族に詳しい青年は首をひねる。
「うーん? 普通の直剣みたいだな……」
レジィが「あの剣士をだれだと思ったんですか?」と聞くと、青年は財布から金貨を一枚出した。硬貨の中央には髪の長い女性の横顔が浮き彫りになっている。
「この女性はどういう人物か、知っているかな? さぁ公女!」
「なんですの、いきなり……」
とまどいつつもクロアは懸命に硬貨に彫られた人物を思い出す。該当する人物は三名。ひとりはこの聖王国のむかしの王。硬貨の中の彼は中年の男性の顔をしている。この人物ではない。もうひとりは帝王国のむかしの女王。硬貨の彼女は兜を被る、中性的な顔をしていた。この人物でもない。のこるは剣王国の、女王ではなく王妃とも異なる女性──
「大昔の剣王国の王族でしょう。剣術が巧みで、ひとつの流派を生み出した始祖……」
「おお、よくおぼえていたね」
「それくらい教わりましたわ。この大陸の住民すべての常識ですもの」
なによりこの三名はクロアにとっておぼえやすい人物だった。彼らはみな、武勇を誇った著名人である。その勇壮な伝記はクロアの興味を惹きつけ、長年記憶の原型をとどめている。
「その女性と魔人がどう関係しますの?」
「このウルミラ王弟妃に剣術を教えた魔人がいる」
「? そんなお話、あったかしら……」
「表向きはウルミラが自力で剣術を体得したものとして伝わっている。だから僕が言うことは正規の歴史の外にある話だ。真相はともかく、彼女の師匠は魔人一の武芸者だとも言われる」
魔人一の武芸者。その肩書きはクロアの胸にずんとのしかかった。その強さを知りたい、と興味が湧いたのだ。
「それはぜひとも屋敷にお招きしたいですわ」
「でも彼ぐらいの強者になると、盗賊退治だなんてみみっちい仕事は──」
マキシが説明の途中で体を強張らせた。目線だけが上部へと泳ぐ。
「あいつが一番たぁ、聞き捨てならんなあ!」
巨漢がクロアたちの席に押し寄せた。彼は口にふくんだ食べ物をごくんと飲み、マキシの顔をのぞきこむ。マキシは椅子がかたむくほどに上半身をのけぞらせた。完全にビビっている。
「学者さんよぉ、ワシのことはどういうふうにニンゲンに伝わってんだ?」
「いや、あの……どうして僕の話を?」
蓬髪の巨漢は自身の耳を引っ張り「ワシは耳がいいんだよ」とにんまり笑う。
「で、だ。アンタは魔人のエーベリックをどんなやつだと思ってる?」
「え……あだ名はリックといって、大飯食らいで、珍味な食材や料理には目がないとか……」
巨漢が額に手を当て、頭を左右にふって残念がる。
「っかー! ワシは食うしか能がねえと思ってやがる。これだからニンゲンはイヤだぜ」
巨漢がマキシとレジィの間にある空席にどっかと座った。彼は右手で頬杖をついて、大胆不敵な雰囲気をつくる。
「魔人の特徴はひとつしかねえってのか? チュールは剣、クラメンスは医療、ブリガンディは統率者ってえ感じでよ」
統率者、に該当する魔人がクロアにはわからなかった。話題に逸れることを承知で口に出す。
「『統率者』とは魔界を統べる王のことかしら?」
荒々しかった巨漢が急に目を伏せ、口をとがらせる。
「魔王のことを言ってんならちがうぜ。シーバはおっちんじまった」
「マオウ……?」
クロアはその名称が意味する存在を知っていたものの、特定できなかった。そうよばれた魔人は二体いるのだ。それゆえ隣席のマキシに「どっちの?」とたずねた。マキシはあきれて、
「そりゃきみ、二代目のほうだよ。初代はとっくのむかしに滅んでいるんだからね」
と、クロアに耳打ちした。マキシの小声で発した言葉は巨漢の耳にも届いており、その大きな頭をうんうんとうごかす。
「最初の魔王の子が、シーバだ。つっても魔王の子なんざ、うじゃうじゃいたがな。特別なもんじゃねえ」
クロアは話が脱線するのを承知で、マキシに「そうなの?」と聞いた。彼はまた耳打ちする。
「そうだよ、かなり好色な魔人だったらしくてね。女性だけに飽き足らず、獣も男性も、人型の女性に変化させてから、子を産ませたとか」
「他者の姿を、変化させる?」
「ずば抜けた魔力をもつ者だからできる芸当だ。そうまでして自分の種をこの世界にばらまきたかったんだろう」
クロアにはどうもすぐに飲み込めない話だ。しかしいつまでもマキシの解説を聞いていては、せっかくの戦士候補が話に飽きて、去ってしまうかもしれない。そう考えたクロアは話題の軸を元にもどす。
「ところで、そのブリガンディさんはどういう立場の魔人なんですの?」
「んあ? どういうって……どう言えばいいんだろうな」
大食漢の魔人が天井を見上げた。言葉をひねり出そうとしている。その間にマキシがそっとクロアに教える。
「……魔王とは別に、大勢の魔族をとりまとめる者がいるんだ。それがブリガンディ。魔人の中でもっとも気位が高い竜騎士だという」
リックが破顔して「おう、それだ!」とマキシの説明に大声で同調した。同意を得られたマキシはびくびくして、はにかむ。
「は、はぁ……」
逃げ腰なマキシはクロアに小声で「なんできみは普通に話ができるんだ?」と聞いてくる。
「相手は歴戦の魔人なんだぞ。こわくないのか?」
「過去がどうであれ、いまはお食事をしに来られたお客人ですわ。ヘタに警戒したほうが無礼に当たると思いません?」
リックが豪快に笑う。クロア以外はその大声で驚いた。
「こっち住まいの『ニンゲン』のわりに、よくわかってるじゃねえか」
クロアは違和感をおぼえた。自分が魔族混じりであるのに、そのことにまったく気づかないかのような発言だったからだ。
(ベニトラとナーマはわたしを混血児だと見抜いたのに……?)
ここ最近クロアが会った魔獣と魔人は、クロアを魔障の血を継ぐ者だと造作もなく告げた。これはつまり、人外は人外をひと目で見分ける能力がそなわっていることを示す。
(でも、ヘンではないのかしら。わたしは人間の血が濃いはずだし……)
ベニトラたちはとりわけ、魔障を嗅ぎ分ける感覚がするどいのかもしれない。そのようにクロアは自分を納得させた。
「おめえ、ワシらになんの用だ? 仕事がどうとか言ってたみてえだが」
「わたくし、腕っぷしの強い方をさがしていまして……できればお連れの方もご一緒にお話しできます?」
「ワシはかまわんが、ビビりの学者さんやほそっこい娘は、それでいいのか?」
意外にも巨漢はクロアの連れを気遣ってみせた。レジィは緊張した顔ながらに「クロアさまのお供をします」と言い張り、マキシは手に震えを見せつつ「こんな機会は滅多にない!」と学者魂を見せた。
「アタシは抜けようかな……座る場所、足りないし?」
ナーマはすいっと飛びあがり、酒場を出ていく。クロアは彼女を引き止めなかった。ナーマにはほかの猛者の発見を任せたいので、その自己判断は適切だと思ったのだ。
巨漢が仲間に声をかける。離れた席にいた男女が、料理を手にして近寄ってきた。
ナーマの案内により、クロアたちは町一番と評判の酒場に来た。ナーマがねらいをつけた者とは、兜を被った巨漢と、布を頭に巻いた長身の男と、青みがかった銀髪の女の三人。巨漢以外の男女は帯剣している。三人の見てくれは魔人でなくとも強そうだった。
クロアはベニトラを抱えて、店の食卓に着席する。レジィとマキシも普通の客として席に座り、異彩を放つ三人に注目した。ナーマは座らず、クロアにぴったりと寄り添う。
「あいつら、かなり長生きしてるみたいよぉ」
「見た目は人間と変わらないわね……」
「魔族は雰囲気でわかるの。魂に刻んだ年齢を見るって感じ」
「長生きしている魔人なら有名なのかしら。マキシ、あの外見でだれか思いつく?」
マキシは魔人の集団を凝視しながらうめく。
「うむむむ、もしや……あの水色か銀色の長髪の女性は、有名な飛竜じゃないか?」
「飛竜? 竜が人に化けているの?」
「ああ! 高い魔力を持つ魔獣は人に変化できる。竜も例外じゃない」
「それで、その竜はどう有名なのかご存知?」
「名前はミアキス。おそろしく剣の腕が立つそうだ」
「竜なのに剣術が得意なの? 変わってるわね……」
「それはご主人さまの趣味さ。あの男の剣士……彼が高名な剣豪ならば曲刀を提げているはずなんだが──」
マキシはさらに目を凝らした。客の合間から剣士の武器を確認する。その鞘の形状は直線を描いていた。魔族に詳しい青年は首をひねる。
「うーん? 普通の直剣みたいだな……」
レジィが「あの剣士をだれだと思ったんですか?」と聞くと、青年は財布から金貨を一枚出した。硬貨の中央には髪の長い女性の横顔が浮き彫りになっている。
「この女性はどういう人物か、知っているかな? さぁ公女!」
「なんですの、いきなり……」
とまどいつつもクロアは懸命に硬貨に彫られた人物を思い出す。該当する人物は三名。ひとりはこの聖王国のむかしの王。硬貨の中の彼は中年の男性の顔をしている。この人物ではない。もうひとりは帝王国のむかしの女王。硬貨の彼女は兜を被る、中性的な顔をしていた。この人物でもない。のこるは剣王国の、女王ではなく王妃とも異なる女性──
「大昔の剣王国の王族でしょう。剣術が巧みで、ひとつの流派を生み出した始祖……」
「おお、よくおぼえていたね」
「それくらい教わりましたわ。この大陸の住民すべての常識ですもの」
なによりこの三名はクロアにとっておぼえやすい人物だった。彼らはみな、武勇を誇った著名人である。その勇壮な伝記はクロアの興味を惹きつけ、長年記憶の原型をとどめている。
「その女性と魔人がどう関係しますの?」
「このウルミラ王弟妃に剣術を教えた魔人がいる」
「? そんなお話、あったかしら……」
「表向きはウルミラが自力で剣術を体得したものとして伝わっている。だから僕が言うことは正規の歴史の外にある話だ。真相はともかく、彼女の師匠は魔人一の武芸者だとも言われる」
魔人一の武芸者。その肩書きはクロアの胸にずんとのしかかった。その強さを知りたい、と興味が湧いたのだ。
「それはぜひとも屋敷にお招きしたいですわ」
「でも彼ぐらいの強者になると、盗賊退治だなんてみみっちい仕事は──」
マキシが説明の途中で体を強張らせた。目線だけが上部へと泳ぐ。
「あいつが一番たぁ、聞き捨てならんなあ!」
巨漢がクロアたちの席に押し寄せた。彼は口にふくんだ食べ物をごくんと飲み、マキシの顔をのぞきこむ。マキシは椅子がかたむくほどに上半身をのけぞらせた。完全にビビっている。
「学者さんよぉ、ワシのことはどういうふうにニンゲンに伝わってんだ?」
「いや、あの……どうして僕の話を?」
蓬髪の巨漢は自身の耳を引っ張り「ワシは耳がいいんだよ」とにんまり笑う。
「で、だ。アンタは魔人のエーベリックをどんなやつだと思ってる?」
「え……あだ名はリックといって、大飯食らいで、珍味な食材や料理には目がないとか……」
巨漢が額に手を当て、頭を左右にふって残念がる。
「っかー! ワシは食うしか能がねえと思ってやがる。これだからニンゲンはイヤだぜ」
巨漢がマキシとレジィの間にある空席にどっかと座った。彼は右手で頬杖をついて、大胆不敵な雰囲気をつくる。
「魔人の特徴はひとつしかねえってのか? チュールは剣、クラメンスは医療、ブリガンディは統率者ってえ感じでよ」
統率者、に該当する魔人がクロアにはわからなかった。話題に逸れることを承知で口に出す。
「『統率者』とは魔界を統べる王のことかしら?」
荒々しかった巨漢が急に目を伏せ、口をとがらせる。
「魔王のことを言ってんならちがうぜ。シーバはおっちんじまった」
「マオウ……?」
クロアはその名称が意味する存在を知っていたものの、特定できなかった。そうよばれた魔人は二体いるのだ。それゆえ隣席のマキシに「どっちの?」とたずねた。マキシはあきれて、
「そりゃきみ、二代目のほうだよ。初代はとっくのむかしに滅んでいるんだからね」
と、クロアに耳打ちした。マキシの小声で発した言葉は巨漢の耳にも届いており、その大きな頭をうんうんとうごかす。
「最初の魔王の子が、シーバだ。つっても魔王の子なんざ、うじゃうじゃいたがな。特別なもんじゃねえ」
クロアは話が脱線するのを承知で、マキシに「そうなの?」と聞いた。彼はまた耳打ちする。
「そうだよ、かなり好色な魔人だったらしくてね。女性だけに飽き足らず、獣も男性も、人型の女性に変化させてから、子を産ませたとか」
「他者の姿を、変化させる?」
「ずば抜けた魔力をもつ者だからできる芸当だ。そうまでして自分の種をこの世界にばらまきたかったんだろう」
クロアにはどうもすぐに飲み込めない話だ。しかしいつまでもマキシの解説を聞いていては、せっかくの戦士候補が話に飽きて、去ってしまうかもしれない。そう考えたクロアは話題の軸を元にもどす。
「ところで、そのブリガンディさんはどういう立場の魔人なんですの?」
「んあ? どういうって……どう言えばいいんだろうな」
大食漢の魔人が天井を見上げた。言葉をひねり出そうとしている。その間にマキシがそっとクロアに教える。
「……魔王とは別に、大勢の魔族をとりまとめる者がいるんだ。それがブリガンディ。魔人の中でもっとも気位が高い竜騎士だという」
リックが破顔して「おう、それだ!」とマキシの説明に大声で同調した。同意を得られたマキシはびくびくして、はにかむ。
「は、はぁ……」
逃げ腰なマキシはクロアに小声で「なんできみは普通に話ができるんだ?」と聞いてくる。
「相手は歴戦の魔人なんだぞ。こわくないのか?」
「過去がどうであれ、いまはお食事をしに来られたお客人ですわ。ヘタに警戒したほうが無礼に当たると思いません?」
リックが豪快に笑う。クロア以外はその大声で驚いた。
「こっち住まいの『ニンゲン』のわりに、よくわかってるじゃねえか」
クロアは違和感をおぼえた。自分が魔族混じりであるのに、そのことにまったく気づかないかのような発言だったからだ。
(ベニトラとナーマはわたしを混血児だと見抜いたのに……?)
ここ最近クロアが会った魔獣と魔人は、クロアを魔障の血を継ぐ者だと造作もなく告げた。これはつまり、人外は人外をひと目で見分ける能力がそなわっていることを示す。
(でも、ヘンではないのかしら。わたしは人間の血が濃いはずだし……)
ベニトラたちはとりわけ、魔障を嗅ぎ分ける感覚がするどいのかもしれない。そのようにクロアは自分を納得させた。
「おめえ、ワシらになんの用だ? 仕事がどうとか言ってたみてえだが」
「わたくし、腕っぷしの強い方をさがしていまして……できればお連れの方もご一緒にお話しできます?」
「ワシはかまわんが、ビビりの学者さんやほそっこい娘は、それでいいのか?」
意外にも巨漢はクロアの連れを気遣ってみせた。レジィは緊張した顔ながらに「クロアさまのお供をします」と言い張り、マキシは手に震えを見せつつ「こんな機会は滅多にない!」と学者魂を見せた。
「アタシは抜けようかな……座る場所、足りないし?」
ナーマはすいっと飛びあがり、酒場を出ていく。クロアは彼女を引き止めなかった。ナーマにはほかの猛者の発見を任せたいので、その自己判断は適切だと思ったのだ。
巨漢が仲間に声をかける。離れた席にいた男女が、料理を手にして近寄ってきた。
2019年04月18日
クロア篇−7章5
昼食時の執務室が講義室へと変わる。部屋の在りようを変えた者は、秀才を自負する青年だ。
「魔族というものは大きく分けると二種類になる。人型の魔人と、獣型の魔獣だ。この二つのちがいは知っているかな」
マキシは一拍おいて、だれも答えないのを見るや、即座に話をつづける。
「どちらにも高い魔力と知能をそなえた個体がいる。おまけに、人に変化する魔獣だっている。魔獣が人に化けてしまえば魔人と区別がつかないと思わないかい?」
いつもならクロアとレジィは会話を交わしながら食事をとる時間だ。しかし二人はだまっていた。講義を中止させるのは昼食が食べおわったときでよい、とクロアが判断したためだ。
「実は魔人と魔獣に明確な差はない。われわれ人間が、彼らの人形態と獣形態のどちらをより多く目撃したかによって区分が変わるんだ。いい加減なものだね」
受講生の反応がないながらも講師は講釈をとめない。
「有名な魔人でいうと……療術士クラメンスがいい例だ。彼は隻腕の療術士ともよばれ、卓越した療術と薬学をもちいて数多くの人を救済した。すこし前までは、この聖王国のどこかにやってきては薬を人々に売るとも噂されたことがあった。そのときは当然、人間の姿であらわれる。だが彼はもうひとつの姿をもっている。それは巨大な白い熊だ」
クロアはこの説明に矛盾点を感じ、ようやく講義に口をはさむ。
「その魔人は人の姿で人里にくるのでしょ。なぜ熊が同じ魔人だと言えるの?」
クロアが指摘すると講師は「いいところを突く」と得意気な笑顔をつくる。
「魔界でいろんな魔人に取材をした人がいてね、その人がつづった手記に載っている。ほかの資料と照らし合わせても、うなずける箇所が多いんだ」
「ほかの資料って、どんなのがありますの?」
「大昔、人界と魔界が繋がる時代よりも前……北の大陸の村に、とある伝承があった。雪深い森の奥に白い熊が住んでいた。その熊はあらゆるケガを癒す力を持っていた。動物も、人も、傷ついた者をわけへだてなく治療して、次第に人々から『土地の守り神』としておもんじられるようになった。ある日、村の娘とそっくりな人が村にやってきた。そのよそ者はしばらく村に滞在したあと、己と顔がよく似た娘と一緒に別の大陸へ渡った。それからというもの、療術をほどこす熊は出現しなくなり、村の者たちは守り神が去ったのだと考えたそうだ」
「村の娘にそっくりなよそ者が、守り神だったということ?」
「伝承だけでは断言できないが、そう考えられるね」
魔獣が人に変化することもある、という点をクロアは理解した。その本旨とは異なる部分で、疑問を投げかける。
「べつの大陸へ、なにをしに行ったのかしら。伝承では伝わらなくとも、取材した人は聞けたんじゃなくて?」
「ああ、どうやら薬学を学びに行ったらしい。というのも療術には病を治す力はないからね。僕の憶測だが、きっと熊は病人も救いたいと思うようになったんだろう」
「魔人だの魔獣だのとよばれるわりに、ずいぶんお人好しですのね」
「そんなもんさ。神とはよばれない魔力の高い人外を、便宜的に魔族と名付けただけだから。中には神族が魔界へ行って、魔人と化している者もいるというし……魔族全体の性質が悪だと決まってはいないんだ。もちろんクラメンスのような善良な魔人はめずらしいようだがね」
「まるで人間といっしょですわね……」
講釈を述べた青年は満足そうに笑った。次に黙っている少女に視線を向ける。
「レジィは元医官だそうだね、僕がいま話した魔人のことは知ってるかな?」
「白熊のくだりは初耳です。でもクラメンスさん自体は療術を学ぶときに聞きました」
「そうだろう。帝王国でもクラメンスを知らない療術士がいないほど、彼は有名だ。その弟子になりたいという者がいるくらいにね。だがそれは過大評価だという学者もいる。彼が奇病の治療や新薬の開発に精を出していたのは昔のこと。最近はめっきり活躍を聞かなくなった。それはどうしてだと思う?」
「え? それは……片腕がないからじゃないですか? 片手だと研究がはかどらないから」
「彼が隻腕になったのは千年ちかくもむかしの話だ。それに現在は自身の手となる妻子がいるし、研究を手伝う人造の生命体もいるらしい。両腕があったころより、研究の環境は整っていると思うよ」
レジィは「そうなんですか」とちぢこまって言う。返答に窮した彼女は「じゃ、理由はなんなんです?」とたずねた。マキシは自信満々に「わからない!」と言い放つ。
「本には載っていなかった。斜に構えた学者の主張では『人間の医術にかなわなくなった』というけれど、僕はそう思わない。彼の作った薬は、たとえ一般的な風邪薬であっても普通のものより効くと評判だ。一部の薬は彼独自の調合配分が公開されていて、だれでも模倣することはできるが、だれもが彼以上の効果には到達できない。それは千年以上もの経験とずば抜けた魔力が合わさった製薬なんだ。ほかの者には真似できないんだよ」
要領をえない話だ。クロアは結論を急ぐ。
「で、あなたはその魔人が薬の開発をしなくなった原因はなんだとお考えなの?」
「僕は……人間に愛想が尽きたんじゃないかと思っている」
マキシは白い招獣を呼んだ。小型犬の大きさで、机にちんまりと座っている。その外見の特徴は、マキシとユネスの試合の際にあらわれた美しい魔獣とよく似ていた。
「この子はアゼレダという種族名の魔獣だ。知っているか? この鱗は軽くて硬度があり、防具に最適な素材になる。外観の美麗さもあいまって高値で取引されるんだ。そのせいで乱獲され、個体数が激減した。現在は保護生物に認定されたが、残念ながら増加は確認できない。僕の招獣になったこの子も、密猟者に捕われていた……」
「クラメンスさんは、私利私欲で魔獣を殺す人間のせいで人間嫌いになった、と?」
「ああ、可能性のひとつとしてそう思う。アゼレダは北の大陸に生息する魔獣だ。彼にとっては故郷の同胞だと言える」
「そう……ありえる話かもしれませんわね」
「だから一度、真相を聞いてみたい。この国のどこかで会える……希望はあるからね」
「あら、人を嫌いになってもこの国にきてらっしゃる方なの?」
「いや、彼はこないが、息子さんが時々くるらしい。それもあって、僕はここにいたいんだ」
「取材ついでで、わたしの従者になろうとおっしゃるの?」
「取材は『運がよければ』のオマケ感覚だが、まあそういうことでもある」
「魔界に行って取材なさったら手っ取りばやいんじゃありません?」
マキシは天井をあおぎ、大笑いする。
「あっはっは! きみは本当に剛胆な人だ。有象無象がひしめく魔界に行って、無事に帰ってこれると思っているんだから」
「もどってこれた方がおられるのでしょ?」
「それはそうだが、僕みたいな招術頼りの人間にはどだい無理な話だ」
マキシは食器を片づけ始めた。移動配膳台に自身の盆を置くと、クロアの席へやってくる。クロアの昼食はすんでおり、その盆をマキシが持ち上げる。
「午後からまた出かけるんだろう。僕も行かせてもらえるかな」
「いいですけど……昨日はそんなことおっしゃらなかったのに?」
昨日の昼もマキシはクロアたちと一緒に昼食をとっていた。ただそのときはクロアとレジィがさっさと食事をおわらせて、出かけてしまったので、マキシが同行を申請する暇はなかったようにもクロアは思いかえした。
「もうベニトラの観察はじゅうぶんだ。今度はきみについていくよ」
朱色の猫はねむってばかりで、めぼしい調査結果が出そうにないことはクロアでも予想できた。クロアはマキシの要求を飲んだ。そして胸中で、町中の偵察に放った魔人に語りかける。
『ナーマ、調子はどう?』
『いま尾行中! ごっつい魔人の集団がきてる』
『ごつい? それはおもしろそうね』
『簡単に傭兵になってくれそうにないよぉ?』
『話してみなくちゃわからないわ』
クロアは勇み足で外出の準備をする。なにも言わずともレジィは出かける気配を察知し、足早に昼食の膳を返却しに行った。
「魔族というものは大きく分けると二種類になる。人型の魔人と、獣型の魔獣だ。この二つのちがいは知っているかな」
マキシは一拍おいて、だれも答えないのを見るや、即座に話をつづける。
「どちらにも高い魔力と知能をそなえた個体がいる。おまけに、人に変化する魔獣だっている。魔獣が人に化けてしまえば魔人と区別がつかないと思わないかい?」
いつもならクロアとレジィは会話を交わしながら食事をとる時間だ。しかし二人はだまっていた。講義を中止させるのは昼食が食べおわったときでよい、とクロアが判断したためだ。
「実は魔人と魔獣に明確な差はない。われわれ人間が、彼らの人形態と獣形態のどちらをより多く目撃したかによって区分が変わるんだ。いい加減なものだね」
受講生の反応がないながらも講師は講釈をとめない。
「有名な魔人でいうと……療術士クラメンスがいい例だ。彼は隻腕の療術士ともよばれ、卓越した療術と薬学をもちいて数多くの人を救済した。すこし前までは、この聖王国のどこかにやってきては薬を人々に売るとも噂されたことがあった。そのときは当然、人間の姿であらわれる。だが彼はもうひとつの姿をもっている。それは巨大な白い熊だ」
クロアはこの説明に矛盾点を感じ、ようやく講義に口をはさむ。
「その魔人は人の姿で人里にくるのでしょ。なぜ熊が同じ魔人だと言えるの?」
クロアが指摘すると講師は「いいところを突く」と得意気な笑顔をつくる。
「魔界でいろんな魔人に取材をした人がいてね、その人がつづった手記に載っている。ほかの資料と照らし合わせても、うなずける箇所が多いんだ」
「ほかの資料って、どんなのがありますの?」
「大昔、人界と魔界が繋がる時代よりも前……北の大陸の村に、とある伝承があった。雪深い森の奥に白い熊が住んでいた。その熊はあらゆるケガを癒す力を持っていた。動物も、人も、傷ついた者をわけへだてなく治療して、次第に人々から『土地の守り神』としておもんじられるようになった。ある日、村の娘とそっくりな人が村にやってきた。そのよそ者はしばらく村に滞在したあと、己と顔がよく似た娘と一緒に別の大陸へ渡った。それからというもの、療術をほどこす熊は出現しなくなり、村の者たちは守り神が去ったのだと考えたそうだ」
「村の娘にそっくりなよそ者が、守り神だったということ?」
「伝承だけでは断言できないが、そう考えられるね」
魔獣が人に変化することもある、という点をクロアは理解した。その本旨とは異なる部分で、疑問を投げかける。
「べつの大陸へ、なにをしに行ったのかしら。伝承では伝わらなくとも、取材した人は聞けたんじゃなくて?」
「ああ、どうやら薬学を学びに行ったらしい。というのも療術には病を治す力はないからね。僕の憶測だが、きっと熊は病人も救いたいと思うようになったんだろう」
「魔人だの魔獣だのとよばれるわりに、ずいぶんお人好しですのね」
「そんなもんさ。神とはよばれない魔力の高い人外を、便宜的に魔族と名付けただけだから。中には神族が魔界へ行って、魔人と化している者もいるというし……魔族全体の性質が悪だと決まってはいないんだ。もちろんクラメンスのような善良な魔人はめずらしいようだがね」
「まるで人間といっしょですわね……」
講釈を述べた青年は満足そうに笑った。次に黙っている少女に視線を向ける。
「レジィは元医官だそうだね、僕がいま話した魔人のことは知ってるかな?」
「白熊のくだりは初耳です。でもクラメンスさん自体は療術を学ぶときに聞きました」
「そうだろう。帝王国でもクラメンスを知らない療術士がいないほど、彼は有名だ。その弟子になりたいという者がいるくらいにね。だがそれは過大評価だという学者もいる。彼が奇病の治療や新薬の開発に精を出していたのは昔のこと。最近はめっきり活躍を聞かなくなった。それはどうしてだと思う?」
「え? それは……片腕がないからじゃないですか? 片手だと研究がはかどらないから」
「彼が隻腕になったのは千年ちかくもむかしの話だ。それに現在は自身の手となる妻子がいるし、研究を手伝う人造の生命体もいるらしい。両腕があったころより、研究の環境は整っていると思うよ」
レジィは「そうなんですか」とちぢこまって言う。返答に窮した彼女は「じゃ、理由はなんなんです?」とたずねた。マキシは自信満々に「わからない!」と言い放つ。
「本には載っていなかった。斜に構えた学者の主張では『人間の医術にかなわなくなった』というけれど、僕はそう思わない。彼の作った薬は、たとえ一般的な風邪薬であっても普通のものより効くと評判だ。一部の薬は彼独自の調合配分が公開されていて、だれでも模倣することはできるが、だれもが彼以上の効果には到達できない。それは千年以上もの経験とずば抜けた魔力が合わさった製薬なんだ。ほかの者には真似できないんだよ」
要領をえない話だ。クロアは結論を急ぐ。
「で、あなたはその魔人が薬の開発をしなくなった原因はなんだとお考えなの?」
「僕は……人間に愛想が尽きたんじゃないかと思っている」
マキシは白い招獣を呼んだ。小型犬の大きさで、机にちんまりと座っている。その外見の特徴は、マキシとユネスの試合の際にあらわれた美しい魔獣とよく似ていた。
「この子はアゼレダという種族名の魔獣だ。知っているか? この鱗は軽くて硬度があり、防具に最適な素材になる。外観の美麗さもあいまって高値で取引されるんだ。そのせいで乱獲され、個体数が激減した。現在は保護生物に認定されたが、残念ながら増加は確認できない。僕の招獣になったこの子も、密猟者に捕われていた……」
「クラメンスさんは、私利私欲で魔獣を殺す人間のせいで人間嫌いになった、と?」
「ああ、可能性のひとつとしてそう思う。アゼレダは北の大陸に生息する魔獣だ。彼にとっては故郷の同胞だと言える」
「そう……ありえる話かもしれませんわね」
「だから一度、真相を聞いてみたい。この国のどこかで会える……希望はあるからね」
「あら、人を嫌いになってもこの国にきてらっしゃる方なの?」
「いや、彼はこないが、息子さんが時々くるらしい。それもあって、僕はここにいたいんだ」
「取材ついでで、わたしの従者になろうとおっしゃるの?」
「取材は『運がよければ』のオマケ感覚だが、まあそういうことでもある」
「魔界に行って取材なさったら手っ取りばやいんじゃありません?」
マキシは天井をあおぎ、大笑いする。
「あっはっは! きみは本当に剛胆な人だ。有象無象がひしめく魔界に行って、無事に帰ってこれると思っているんだから」
「もどってこれた方がおられるのでしょ?」
「それはそうだが、僕みたいな招術頼りの人間にはどだい無理な話だ」
マキシは食器を片づけ始めた。移動配膳台に自身の盆を置くと、クロアの席へやってくる。クロアの昼食はすんでおり、その盆をマキシが持ち上げる。
「午後からまた出かけるんだろう。僕も行かせてもらえるかな」
「いいですけど……昨日はそんなことおっしゃらなかったのに?」
昨日の昼もマキシはクロアたちと一緒に昼食をとっていた。ただそのときはクロアとレジィがさっさと食事をおわらせて、出かけてしまったので、マキシが同行を申請する暇はなかったようにもクロアは思いかえした。
「もうベニトラの観察はじゅうぶんだ。今度はきみについていくよ」
朱色の猫はねむってばかりで、めぼしい調査結果が出そうにないことはクロアでも予想できた。クロアはマキシの要求を飲んだ。そして胸中で、町中の偵察に放った魔人に語りかける。
『ナーマ、調子はどう?』
『いま尾行中! ごっつい魔人の集団がきてる』
『ごつい? それはおもしろそうね』
『簡単に傭兵になってくれそうにないよぉ?』
『話してみなくちゃわからないわ』
クロアは勇み足で外出の準備をする。なにも言わずともレジィは出かける気配を察知し、足早に昼食の膳を返却しに行った。
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