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2019年04月23日
クロア篇−8章1
クロアたちは幸か不幸か、強力な魔人たちと出会えた。彼らの助力を得られるよう、これから交渉したい──のだが、クロアはどうも疲れてしまった。剣士の魔人とはうまく調子が合わないのだ。それゆえ、会話の主導権をレジィにゆずった。少女が「単刀直入がいいですか?」と対話の方針をたずねるので、クロアは「好きにやって」と投げやりに答えた。
「えーと、じゃあ……あたしたち、賊をこらしめるために強い人を雇いたくて──」
リックが兜をゆらして「あんたのご主人だけじゃいけねえのか?」と口をはさむ。
「チュールにあれだけ啖呵を切れるくせして、実力ないってこたぁねえだろ?」
「クロアさまはひとりででも戦いたいと考えているんですけど、周りが引き止めるんです。この町の公女ですから、万一のことがあってはいけない、という理由で」
「ほーん、公女ねえ……」
リックは腕組みをして、なにかを考える。
「ここは聖王の国だったな?」
「はい、ゴドウィン王が治める国です……」
レジィは不安げに答えた。思えばこの国と魔人とは名目上、相容れなさそうな立場にある。この国では最高位の権力者を聖王と呼ぶ一方、魔人の最上位の実力者を魔王と呼ぶ。まるで正反対な集団だ。レジィが言葉をにごすのも、そういった異質さを感じてのことだろうとクロアは思った。
(この国の手助けなんかしたくない、と言ってこられてもヘンじゃないのよね)
ここはこの大陸でもっとも神族をたてまつる国である。その風土を魔人がきらっても納得のいく話だ。神と魔とは対立する生き物なのだから。
クロアたちの不安をよそに、リックは不意に背すじを正す。
「ワシが手伝ってもいいぜ」
意外にも大食漢の魔人は前向きに答える。
「ワシがいる間のメシをそっちが負担してくれりゃ、かまわんぞ」
「クロアさま、ご飯付きですって」
レジィは主人に判断をあおいだ。リックに提供する飲食費はクロアの経費でまかなうことになる。その支出を認可できるか、とレジィは問うているのだ。クロアはリックの食べっぷりをかんがみながら、「その条件を飲みましょう」と受け止める。
「経費がかさんでしまいそうだけど……背に腹はかえられないわ」
「おう、ワシもチュールに負けねえぐらい強いとこを見せてやる」
クロアはやる気充分な相手に「ご協力に感謝しますわ」と礼を述べた。次なる候補のチュールに視線を移す。しかしこの色魔の雇用条件はどうせロクなものではない、と思うと、あまり乗り気になれなかった。
「俺は参戦しないでおこう」
剣士はおもむろに席を立つ。
「リックの獲物を奪ってしまうからな」
「あら……それだと、こちらの人手が足りなくなりますわね」
「リックが精兵何人に相当すると思っている。ただの大飯食らいだと馬鹿にしてやるな」
チュールは連れの女剣士と共に酒場を出ていった。クロアは安心したような残念なような、複雑な気持ちになる。
「得られたのはおひとりだけね……」
剣士の二人組を仲間に引き入れられれば、規定の人数は充足できた。そう思うと惜しいことをした気にもなった。
「ああ、ワシには飛竜が一体いてな。そいつも傭兵の数に入れていいぞ」
「飛竜……いまはどこに?」
「さがしものをしてんだ。ワシとチュールたちも付き合ってたんだが、疲れちまってよ。ワシらだけ、一足先にこの町へ休憩しにきたわけだ」
なにをさがしているの、とクロアはたずねようとした。だが目の端に従者の顔が目について、気持ちが逸れる。レジィは惚けた顔をして店の出入口を見ていたのだ。クロアは少女の反応をよからぬ感情の揺れだと見て、叱責する。
「あんなケーハク男を良いと思ってはダメよ」
レジィは恥ずかしそうにうつむく。
「はい……ちょっとかっこいいと思ってしまって……」
「何人の女性をたぶらかしてきたんだか、わかったものではないわ。ねえマキシ?」
クロアは魔人の経歴を知っているマキシに裏付けを要求した。彼はうなずく。
「昔、帝都の竜騎士の女性がチュールに攫われたという記録はあるな。それとは別に、愛人の魔人がいるとか」
「ほら見なさい。女たらしなんてそんなもんなのよ」
クロアは貞節をおもんじる教育を受けており、多情な人物には否定的な感情をいだく。
「男も女も、ひとりの異性をとことん愛するくらいでなくちゃね」
「おや? アンペレ公には前妻がいたと聞くが……」
まるっきり忘却していた事実を指摘され、クロアは胸いっぱいに罪悪感をおぼえる。
「お父さまの場合はちがうわ! お母さまとお付き合いしたのは、前の御夫人が亡くなったあとだったんだから。ちゃんとその時々で、ひとりの女性と恋愛していますの」
どうにか言い繕い、クロアは父への弁明をすることで罪の意識を払拭した。レジィが「前の御夫人?」と食いつく。
「クノードさまは再婚されていたんですか」
「そうよ。屋敷じゃ話題にしないけれど、お母さまは後妻なの」
「あたし、クノードさまに前妻がいたことはぜんぜん知りませんでした」
「だいたい二十年前の話だものね……わたしもお父さまが教えてくれなかったら、知らないままだったわ」
クロアは早死した前妻のことを話題にするのは不適当だと判断し、「時間があるときに話すわね」とレジィに言いふくめた。
リックの視線が店の出入口に留まる。クロアはその注目のさきを見てみると、菫色の長髪の女性がとぼとぼと歩いてきた。どこか憔悴した雰囲気をまとっている。
「フィル、空いてる席に座れ」
肌の露出のすくない女性が弱々しくうなずき、リックの隣席へ座った。
「えーと、じゃあ……あたしたち、賊をこらしめるために強い人を雇いたくて──」
リックが兜をゆらして「あんたのご主人だけじゃいけねえのか?」と口をはさむ。
「チュールにあれだけ啖呵を切れるくせして、実力ないってこたぁねえだろ?」
「クロアさまはひとりででも戦いたいと考えているんですけど、周りが引き止めるんです。この町の公女ですから、万一のことがあってはいけない、という理由で」
「ほーん、公女ねえ……」
リックは腕組みをして、なにかを考える。
「ここは聖王の国だったな?」
「はい、ゴドウィン王が治める国です……」
レジィは不安げに答えた。思えばこの国と魔人とは名目上、相容れなさそうな立場にある。この国では最高位の権力者を聖王と呼ぶ一方、魔人の最上位の実力者を魔王と呼ぶ。まるで正反対な集団だ。レジィが言葉をにごすのも、そういった異質さを感じてのことだろうとクロアは思った。
(この国の手助けなんかしたくない、と言ってこられてもヘンじゃないのよね)
ここはこの大陸でもっとも神族をたてまつる国である。その風土を魔人がきらっても納得のいく話だ。神と魔とは対立する生き物なのだから。
クロアたちの不安をよそに、リックは不意に背すじを正す。
「ワシが手伝ってもいいぜ」
意外にも大食漢の魔人は前向きに答える。
「ワシがいる間のメシをそっちが負担してくれりゃ、かまわんぞ」
「クロアさま、ご飯付きですって」
レジィは主人に判断をあおいだ。リックに提供する飲食費はクロアの経費でまかなうことになる。その支出を認可できるか、とレジィは問うているのだ。クロアはリックの食べっぷりをかんがみながら、「その条件を飲みましょう」と受け止める。
「経費がかさんでしまいそうだけど……背に腹はかえられないわ」
「おう、ワシもチュールに負けねえぐらい強いとこを見せてやる」
クロアはやる気充分な相手に「ご協力に感謝しますわ」と礼を述べた。次なる候補のチュールに視線を移す。しかしこの色魔の雇用条件はどうせロクなものではない、と思うと、あまり乗り気になれなかった。
「俺は参戦しないでおこう」
剣士はおもむろに席を立つ。
「リックの獲物を奪ってしまうからな」
「あら……それだと、こちらの人手が足りなくなりますわね」
「リックが精兵何人に相当すると思っている。ただの大飯食らいだと馬鹿にしてやるな」
チュールは連れの女剣士と共に酒場を出ていった。クロアは安心したような残念なような、複雑な気持ちになる。
「得られたのはおひとりだけね……」
剣士の二人組を仲間に引き入れられれば、規定の人数は充足できた。そう思うと惜しいことをした気にもなった。
「ああ、ワシには飛竜が一体いてな。そいつも傭兵の数に入れていいぞ」
「飛竜……いまはどこに?」
「さがしものをしてんだ。ワシとチュールたちも付き合ってたんだが、疲れちまってよ。ワシらだけ、一足先にこの町へ休憩しにきたわけだ」
なにをさがしているの、とクロアはたずねようとした。だが目の端に従者の顔が目について、気持ちが逸れる。レジィは惚けた顔をして店の出入口を見ていたのだ。クロアは少女の反応をよからぬ感情の揺れだと見て、叱責する。
「あんなケーハク男を良いと思ってはダメよ」
レジィは恥ずかしそうにうつむく。
「はい……ちょっとかっこいいと思ってしまって……」
「何人の女性をたぶらかしてきたんだか、わかったものではないわ。ねえマキシ?」
クロアは魔人の経歴を知っているマキシに裏付けを要求した。彼はうなずく。
「昔、帝都の竜騎士の女性がチュールに攫われたという記録はあるな。それとは別に、愛人の魔人がいるとか」
「ほら見なさい。女たらしなんてそんなもんなのよ」
クロアは貞節をおもんじる教育を受けており、多情な人物には否定的な感情をいだく。
「男も女も、ひとりの異性をとことん愛するくらいでなくちゃね」
「おや? アンペレ公には前妻がいたと聞くが……」
まるっきり忘却していた事実を指摘され、クロアは胸いっぱいに罪悪感をおぼえる。
「お父さまの場合はちがうわ! お母さまとお付き合いしたのは、前の御夫人が亡くなったあとだったんだから。ちゃんとその時々で、ひとりの女性と恋愛していますの」
どうにか言い繕い、クロアは父への弁明をすることで罪の意識を払拭した。レジィが「前の御夫人?」と食いつく。
「クノードさまは再婚されていたんですか」
「そうよ。屋敷じゃ話題にしないけれど、お母さまは後妻なの」
「あたし、クノードさまに前妻がいたことはぜんぜん知りませんでした」
「だいたい二十年前の話だものね……わたしもお父さまが教えてくれなかったら、知らないままだったわ」
クロアは早死した前妻のことを話題にするのは不適当だと判断し、「時間があるときに話すわね」とレジィに言いふくめた。
リックの視線が店の出入口に留まる。クロアはその注目のさきを見てみると、菫色の長髪の女性がとぼとぼと歩いてきた。どこか憔悴した雰囲気をまとっている。
「フィル、空いてる席に座れ」
肌の露出のすくない女性が弱々しくうなずき、リックの隣席へ座った。
タグ:クロア
2019年04月22日
クロア篇−7章7
「俺はお前の召使いじゃないんだぞ」
長身の男剣士が愚痴りながら料理をもってきた。続く女剣士も、さきほど座っていた席にあった葡萄酒と酒杯を卓上に置いた。女剣士は一言も発さず、むすっとした表情でいる。こちらは無口なようだ。
剣士の二人組は椅子に座らず、クロアたちの顔ぶれを確認する。
「冒険者仲間、にしては気品があるように見えるな」
クロアは育ちの良さを見抜かれ、いたく満足する。
「ふふん、魔界育ちの魔人にも人を見る目がおありなのね」
「どこの神官の娘だ?」
「神官?」
クロアはこの場で一番聖職者にちかしい少女を見た。するとレジィの隣りに剣士が座っている。おまけに彼は少女の手をにぎっていた。
「あ、あたしは……ふつうの、平民です」
レジィの顔は赤い。彼女は剣士から顔をそむけて、クロアに助けを求める視線を送ってきた。クロアはその救援に応じる。
「わたしの従者にちょっかいをかけないでくださる?」
キツく言ったつもりだったが、剣士は堪えない。
「手をとるくらいいいだろう」
まったくわるびれていない返答だ。クロアはマキシのほうへ上体を寄せて「なんなんですのあの男は」と質問した。マキシが答えるまえにリックが「見てのとおりだ」と言う。
「三度の飯より女が好きなんだ。剣仙だなんだともてはやされてっけど、ワシから見りゃ女にだらしねえだけの男だ」
「どうとでも言え。俺が生きるために必要なことだ」
「おめえも夢魔と変わんねえな。他人の精気を吸い続けなきゃならんってのは」
リックは鳥足のから揚げに食らいついた。それきり食事にかかりきりになる。リックのほうから話すことはもうないようだ。
食事に夢中な巨漢に代わり、男剣士がクロアの話を聞くことになる。
「用件を聞かせてもらうか」
「話のまえに、レジィから離れていただけます?」
クロアはあくまでも穏便な態度を心がける。
「その子はわたくしの護衛です。男性をたのしませる遊女ではありません」
「ずいぶんと潔癖なことだ。この程度で俺がこの娘を遊女あつかいしているだと?」
「あら、そのつもりがないとおっしゃるの? でしたら代わりにこの子をお渡ししますわ」
クロアは成猫の大きさのベニトラを掲げた。剣士は目をまるくする。
「どういうつもりだ?」
「お手がヒマなのでしょ。この猫をお好きなだけさわってもよろしいですわ」
クロアは「退屈しのぎになりましてよ」と丁寧に提案した。クロアなりに譲歩した交渉だったが、剣士は鼻で笑う。
「ふん、そんな獣にはなんのおもしろみもない」
「では手ぶらでお話をする、ということでよろしい?」
「そうもいかんな」
話は平行線をたどった。クロアはいい加減に嫌気がさしてきて、色魔を目で殺す勢いでねめつける。
「あんまりしつこいと、無理にでも引き離すことになりますわ」
剣士も目が据わる。このときになってやっと彼はレジィの手をはなした。
「気の強い女だな。俺の名を知ってなお挑発するか」
「挑発だなんてとんでもありません。わたくしは正当な申し立てをしておりますの」
「俺の機嫌を損ねれば命が無いとは思わないのか」
「そのときは、あなたも無傷ではいられませんわ」
剣士の殺気がクロアに突き刺さる。敵意を向けられてなおクロアは眼力を緩めない。
「あなたがどれほどお強いのか存知あげませんが……強い者は他者への礼を失してよい、だなんてバカげた道理はありませんのよ」
以後、無言のにらみ合いになる。クロアは腰に提げた杖をにぎり、警戒態勢をとる。もう片方の手で、膝の上にいるベニトラの背をかるく叩いた。乱闘が発生した際はベニトラの助太刀が必須。その意思を手で伝えているのだが、ベニトラは四肢を投げ出していた。
(この殺気を感じとれないはずは……?)
ベニトラはのんきに伸びたままだ。血を見る未来など起こりえない、とばかりに。
「からかうのはよせよ、チュール」
咀嚼音のまざった勧告が入った。リックは酒で口の中を一掃する。
「おめえが女と遊ぶのが好きだっつうのはわかるが、いまやることじゃねえだろ?」
クロアは「遊び?」と疑問に思い、下を見る。くつろいでいた猫は長い尻尾を立てて、クロアの頬をなでた。もう大丈夫、と言いたげだ。
「あの、どういうことですの?」
クロアはリックのほうにたずねた。彼は首をこきこきと鳴らす。
「こいつが女を殺すわけがねえ。どんな赤ん坊や老いぼれでもな」
剣士はふくみ笑いをした。マキシがほっとした様子で「文献によると」と解説を始める。
「大昔の大戦では神族の軍も人の兵隊にも女性を従軍させたそうだ。理由は、わかるかい?」
「もしかして、この魔人が……本気を出さないようにするため?」
「そうだ。そう知っていても、この空気じゃ本当に殺し合いになるかと思ったよ」
マキシは顔ににじんだ脂汗を手巾でぬぐう。レジィも大きなため息を吐いて、緊張をほぐした。二人はすっかり安堵の域だが、クロアは不機嫌になる。
「趣味のわるい冗談だわ! わたし、ますます不愉快になりましてよ」
「そう怒るな。俺はおまえのほうが好みだ」
「あなたの好みなんてどーでもよろしいわ!」
クロアは話の通じない男を放っておき、自身の膝にいる猫の両脇を抱えあげた。ベニトラのすまし顔をしっかと見つめる。
「この魔人に敵意がないと知ってたのでしょ。どうして教えてくれないの?」
「この身で教えた」
たしかにベニトラのくつろぎぷりには違和感をおぼえた。だが確証のもてる態度ではなかった。それゆえクロアは半ばあきらめた調子で「ちゃんとしゃべってちょうだい」と苦言を呈した。
長身の男剣士が愚痴りながら料理をもってきた。続く女剣士も、さきほど座っていた席にあった葡萄酒と酒杯を卓上に置いた。女剣士は一言も発さず、むすっとした表情でいる。こちらは無口なようだ。
剣士の二人組は椅子に座らず、クロアたちの顔ぶれを確認する。
「冒険者仲間、にしては気品があるように見えるな」
クロアは育ちの良さを見抜かれ、いたく満足する。
「ふふん、魔界育ちの魔人にも人を見る目がおありなのね」
「どこの神官の娘だ?」
「神官?」
クロアはこの場で一番聖職者にちかしい少女を見た。するとレジィの隣りに剣士が座っている。おまけに彼は少女の手をにぎっていた。
「あ、あたしは……ふつうの、平民です」
レジィの顔は赤い。彼女は剣士から顔をそむけて、クロアに助けを求める視線を送ってきた。クロアはその救援に応じる。
「わたしの従者にちょっかいをかけないでくださる?」
キツく言ったつもりだったが、剣士は堪えない。
「手をとるくらいいいだろう」
まったくわるびれていない返答だ。クロアはマキシのほうへ上体を寄せて「なんなんですのあの男は」と質問した。マキシが答えるまえにリックが「見てのとおりだ」と言う。
「三度の飯より女が好きなんだ。剣仙だなんだともてはやされてっけど、ワシから見りゃ女にだらしねえだけの男だ」
「どうとでも言え。俺が生きるために必要なことだ」
「おめえも夢魔と変わんねえな。他人の精気を吸い続けなきゃならんってのは」
リックは鳥足のから揚げに食らいついた。それきり食事にかかりきりになる。リックのほうから話すことはもうないようだ。
食事に夢中な巨漢に代わり、男剣士がクロアの話を聞くことになる。
「用件を聞かせてもらうか」
「話のまえに、レジィから離れていただけます?」
クロアはあくまでも穏便な態度を心がける。
「その子はわたくしの護衛です。男性をたのしませる遊女ではありません」
「ずいぶんと潔癖なことだ。この程度で俺がこの娘を遊女あつかいしているだと?」
「あら、そのつもりがないとおっしゃるの? でしたら代わりにこの子をお渡ししますわ」
クロアは成猫の大きさのベニトラを掲げた。剣士は目をまるくする。
「どういうつもりだ?」
「お手がヒマなのでしょ。この猫をお好きなだけさわってもよろしいですわ」
クロアは「退屈しのぎになりましてよ」と丁寧に提案した。クロアなりに譲歩した交渉だったが、剣士は鼻で笑う。
「ふん、そんな獣にはなんのおもしろみもない」
「では手ぶらでお話をする、ということでよろしい?」
「そうもいかんな」
話は平行線をたどった。クロアはいい加減に嫌気がさしてきて、色魔を目で殺す勢いでねめつける。
「あんまりしつこいと、無理にでも引き離すことになりますわ」
剣士も目が据わる。このときになってやっと彼はレジィの手をはなした。
「気の強い女だな。俺の名を知ってなお挑発するか」
「挑発だなんてとんでもありません。わたくしは正当な申し立てをしておりますの」
「俺の機嫌を損ねれば命が無いとは思わないのか」
「そのときは、あなたも無傷ではいられませんわ」
剣士の殺気がクロアに突き刺さる。敵意を向けられてなおクロアは眼力を緩めない。
「あなたがどれほどお強いのか存知あげませんが……強い者は他者への礼を失してよい、だなんてバカげた道理はありませんのよ」
以後、無言のにらみ合いになる。クロアは腰に提げた杖をにぎり、警戒態勢をとる。もう片方の手で、膝の上にいるベニトラの背をかるく叩いた。乱闘が発生した際はベニトラの助太刀が必須。その意思を手で伝えているのだが、ベニトラは四肢を投げ出していた。
(この殺気を感じとれないはずは……?)
ベニトラはのんきに伸びたままだ。血を見る未来など起こりえない、とばかりに。
「からかうのはよせよ、チュール」
咀嚼音のまざった勧告が入った。リックは酒で口の中を一掃する。
「おめえが女と遊ぶのが好きだっつうのはわかるが、いまやることじゃねえだろ?」
クロアは「遊び?」と疑問に思い、下を見る。くつろいでいた猫は長い尻尾を立てて、クロアの頬をなでた。もう大丈夫、と言いたげだ。
「あの、どういうことですの?」
クロアはリックのほうにたずねた。彼は首をこきこきと鳴らす。
「こいつが女を殺すわけがねえ。どんな赤ん坊や老いぼれでもな」
剣士はふくみ笑いをした。マキシがほっとした様子で「文献によると」と解説を始める。
「大昔の大戦では神族の軍も人の兵隊にも女性を従軍させたそうだ。理由は、わかるかい?」
「もしかして、この魔人が……本気を出さないようにするため?」
「そうだ。そう知っていても、この空気じゃ本当に殺し合いになるかと思ったよ」
マキシは顔ににじんだ脂汗を手巾でぬぐう。レジィも大きなため息を吐いて、緊張をほぐした。二人はすっかり安堵の域だが、クロアは不機嫌になる。
「趣味のわるい冗談だわ! わたし、ますます不愉快になりましてよ」
「そう怒るな。俺はおまえのほうが好みだ」
「あなたの好みなんてどーでもよろしいわ!」
クロアは話の通じない男を放っておき、自身の膝にいる猫の両脇を抱えあげた。ベニトラのすまし顔をしっかと見つめる。
「この魔人に敵意がないと知ってたのでしょ。どうして教えてくれないの?」
「この身で教えた」
たしかにベニトラのくつろぎぷりには違和感をおぼえた。だが確証のもてる態度ではなかった。それゆえクロアは半ばあきらめた調子で「ちゃんとしゃべってちょうだい」と苦言を呈した。
タグ:クロア