2019年04月18日
クロア篇−7章5
昼食時の執務室が講義室へと変わる。部屋の在りようを変えた者は、秀才を自負する青年だ。
「魔族というものは大きく分けると二種類になる。人型の魔人と、獣型の魔獣だ。この二つのちがいは知っているかな」
マキシは一拍おいて、だれも答えないのを見るや、即座に話をつづける。
「どちらにも高い魔力と知能をそなえた個体がいる。おまけに、人に変化する魔獣だっている。魔獣が人に化けてしまえば魔人と区別がつかないと思わないかい?」
いつもならクロアとレジィは会話を交わしながら食事をとる時間だ。しかし二人はだまっていた。講義を中止させるのは昼食が食べおわったときでよい、とクロアが判断したためだ。
「実は魔人と魔獣に明確な差はない。われわれ人間が、彼らの人形態と獣形態のどちらをより多く目撃したかによって区分が変わるんだ。いい加減なものだね」
受講生の反応がないながらも講師は講釈をとめない。
「有名な魔人でいうと……療術士クラメンスがいい例だ。彼は隻腕の療術士ともよばれ、卓越した療術と薬学をもちいて数多くの人を救済した。すこし前までは、この聖王国のどこかにやってきては薬を人々に売るとも噂されたことがあった。そのときは当然、人間の姿であらわれる。だが彼はもうひとつの姿をもっている。それは巨大な白い熊だ」
クロアはこの説明に矛盾点を感じ、ようやく講義に口をはさむ。
「その魔人は人の姿で人里にくるのでしょ。なぜ熊が同じ魔人だと言えるの?」
クロアが指摘すると講師は「いいところを突く」と得意気な笑顔をつくる。
「魔界でいろんな魔人に取材をした人がいてね、その人がつづった手記に載っている。ほかの資料と照らし合わせても、うなずける箇所が多いんだ」
「ほかの資料って、どんなのがありますの?」
「大昔、人界と魔界が繋がる時代よりも前……北の大陸の村に、とある伝承があった。雪深い森の奥に白い熊が住んでいた。その熊はあらゆるケガを癒す力を持っていた。動物も、人も、傷ついた者をわけへだてなく治療して、次第に人々から『土地の守り神』としておもんじられるようになった。ある日、村の娘とそっくりな人が村にやってきた。そのよそ者はしばらく村に滞在したあと、己と顔がよく似た娘と一緒に別の大陸へ渡った。それからというもの、療術をほどこす熊は出現しなくなり、村の者たちは守り神が去ったのだと考えたそうだ」
「村の娘にそっくりなよそ者が、守り神だったということ?」
「伝承だけでは断言できないが、そう考えられるね」
魔獣が人に変化することもある、という点をクロアは理解した。その本旨とは異なる部分で、疑問を投げかける。
「べつの大陸へ、なにをしに行ったのかしら。伝承では伝わらなくとも、取材した人は聞けたんじゃなくて?」
「ああ、どうやら薬学を学びに行ったらしい。というのも療術には病を治す力はないからね。僕の憶測だが、きっと熊は病人も救いたいと思うようになったんだろう」
「魔人だの魔獣だのとよばれるわりに、ずいぶんお人好しですのね」
「そんなもんさ。神とはよばれない魔力の高い人外を、便宜的に魔族と名付けただけだから。中には神族が魔界へ行って、魔人と化している者もいるというし……魔族全体の性質が悪だと決まってはいないんだ。もちろんクラメンスのような善良な魔人はめずらしいようだがね」
「まるで人間といっしょですわね……」
講釈を述べた青年は満足そうに笑った。次に黙っている少女に視線を向ける。
「レジィは元医官だそうだね、僕がいま話した魔人のことは知ってるかな?」
「白熊のくだりは初耳です。でもクラメンスさん自体は療術を学ぶときに聞きました」
「そうだろう。帝王国でもクラメンスを知らない療術士がいないほど、彼は有名だ。その弟子になりたいという者がいるくらいにね。だがそれは過大評価だという学者もいる。彼が奇病の治療や新薬の開発に精を出していたのは昔のこと。最近はめっきり活躍を聞かなくなった。それはどうしてだと思う?」
「え? それは……片腕がないからじゃないですか? 片手だと研究がはかどらないから」
「彼が隻腕になったのは千年ちかくもむかしの話だ。それに現在は自身の手となる妻子がいるし、研究を手伝う人造の生命体もいるらしい。両腕があったころより、研究の環境は整っていると思うよ」
レジィは「そうなんですか」とちぢこまって言う。返答に窮した彼女は「じゃ、理由はなんなんです?」とたずねた。マキシは自信満々に「わからない!」と言い放つ。
「本には載っていなかった。斜に構えた学者の主張では『人間の医術にかなわなくなった』というけれど、僕はそう思わない。彼の作った薬は、たとえ一般的な風邪薬であっても普通のものより効くと評判だ。一部の薬は彼独自の調合配分が公開されていて、だれでも模倣することはできるが、だれもが彼以上の効果には到達できない。それは千年以上もの経験とずば抜けた魔力が合わさった製薬なんだ。ほかの者には真似できないんだよ」
要領をえない話だ。クロアは結論を急ぐ。
「で、あなたはその魔人が薬の開発をしなくなった原因はなんだとお考えなの?」
「僕は……人間に愛想が尽きたんじゃないかと思っている」
マキシは白い招獣を呼んだ。小型犬の大きさで、机にちんまりと座っている。その外見の特徴は、マキシとユネスの試合の際にあらわれた美しい魔獣とよく似ていた。
「この子はアゼレダという種族名の魔獣だ。知っているか? この鱗は軽くて硬度があり、防具に最適な素材になる。外観の美麗さもあいまって高値で取引されるんだ。そのせいで乱獲され、個体数が激減した。現在は保護生物に認定されたが、残念ながら増加は確認できない。僕の招獣になったこの子も、密猟者に捕われていた……」
「クラメンスさんは、私利私欲で魔獣を殺す人間のせいで人間嫌いになった、と?」
「ああ、可能性のひとつとしてそう思う。アゼレダは北の大陸に生息する魔獣だ。彼にとっては故郷の同胞だと言える」
「そう……ありえる話かもしれませんわね」
「だから一度、真相を聞いてみたい。この国のどこかで会える……希望はあるからね」
「あら、人を嫌いになってもこの国にきてらっしゃる方なの?」
「いや、彼はこないが、息子さんが時々くるらしい。それもあって、僕はここにいたいんだ」
「取材ついでで、わたしの従者になろうとおっしゃるの?」
「取材は『運がよければ』のオマケ感覚だが、まあそういうことでもある」
「魔界に行って取材なさったら手っ取りばやいんじゃありません?」
マキシは天井をあおぎ、大笑いする。
「あっはっは! きみは本当に剛胆な人だ。有象無象がひしめく魔界に行って、無事に帰ってこれると思っているんだから」
「もどってこれた方がおられるのでしょ?」
「それはそうだが、僕みたいな招術頼りの人間にはどだい無理な話だ」
マキシは食器を片づけ始めた。移動配膳台に自身の盆を置くと、クロアの席へやってくる。クロアの昼食はすんでおり、その盆をマキシが持ち上げる。
「午後からまた出かけるんだろう。僕も行かせてもらえるかな」
「いいですけど……昨日はそんなことおっしゃらなかったのに?」
昨日の昼もマキシはクロアたちと一緒に昼食をとっていた。ただそのときはクロアとレジィがさっさと食事をおわらせて、出かけてしまったので、マキシが同行を申請する暇はなかったようにもクロアは思いかえした。
「もうベニトラの観察はじゅうぶんだ。今度はきみについていくよ」
朱色の猫はねむってばかりで、めぼしい調査結果が出そうにないことはクロアでも予想できた。クロアはマキシの要求を飲んだ。そして胸中で、町中の偵察に放った魔人に語りかける。
『ナーマ、調子はどう?』
『いま尾行中! ごっつい魔人の集団がきてる』
『ごつい? それはおもしろそうね』
『簡単に傭兵になってくれそうにないよぉ?』
『話してみなくちゃわからないわ』
クロアは勇み足で外出の準備をする。なにも言わずともレジィは出かける気配を察知し、足早に昼食の膳を返却しに行った。
「魔族というものは大きく分けると二種類になる。人型の魔人と、獣型の魔獣だ。この二つのちがいは知っているかな」
マキシは一拍おいて、だれも答えないのを見るや、即座に話をつづける。
「どちらにも高い魔力と知能をそなえた個体がいる。おまけに、人に変化する魔獣だっている。魔獣が人に化けてしまえば魔人と区別がつかないと思わないかい?」
いつもならクロアとレジィは会話を交わしながら食事をとる時間だ。しかし二人はだまっていた。講義を中止させるのは昼食が食べおわったときでよい、とクロアが判断したためだ。
「実は魔人と魔獣に明確な差はない。われわれ人間が、彼らの人形態と獣形態のどちらをより多く目撃したかによって区分が変わるんだ。いい加減なものだね」
受講生の反応がないながらも講師は講釈をとめない。
「有名な魔人でいうと……療術士クラメンスがいい例だ。彼は隻腕の療術士ともよばれ、卓越した療術と薬学をもちいて数多くの人を救済した。すこし前までは、この聖王国のどこかにやってきては薬を人々に売るとも噂されたことがあった。そのときは当然、人間の姿であらわれる。だが彼はもうひとつの姿をもっている。それは巨大な白い熊だ」
クロアはこの説明に矛盾点を感じ、ようやく講義に口をはさむ。
「その魔人は人の姿で人里にくるのでしょ。なぜ熊が同じ魔人だと言えるの?」
クロアが指摘すると講師は「いいところを突く」と得意気な笑顔をつくる。
「魔界でいろんな魔人に取材をした人がいてね、その人がつづった手記に載っている。ほかの資料と照らし合わせても、うなずける箇所が多いんだ」
「ほかの資料って、どんなのがありますの?」
「大昔、人界と魔界が繋がる時代よりも前……北の大陸の村に、とある伝承があった。雪深い森の奥に白い熊が住んでいた。その熊はあらゆるケガを癒す力を持っていた。動物も、人も、傷ついた者をわけへだてなく治療して、次第に人々から『土地の守り神』としておもんじられるようになった。ある日、村の娘とそっくりな人が村にやってきた。そのよそ者はしばらく村に滞在したあと、己と顔がよく似た娘と一緒に別の大陸へ渡った。それからというもの、療術をほどこす熊は出現しなくなり、村の者たちは守り神が去ったのだと考えたそうだ」
「村の娘にそっくりなよそ者が、守り神だったということ?」
「伝承だけでは断言できないが、そう考えられるね」
魔獣が人に変化することもある、という点をクロアは理解した。その本旨とは異なる部分で、疑問を投げかける。
「べつの大陸へ、なにをしに行ったのかしら。伝承では伝わらなくとも、取材した人は聞けたんじゃなくて?」
「ああ、どうやら薬学を学びに行ったらしい。というのも療術には病を治す力はないからね。僕の憶測だが、きっと熊は病人も救いたいと思うようになったんだろう」
「魔人だの魔獣だのとよばれるわりに、ずいぶんお人好しですのね」
「そんなもんさ。神とはよばれない魔力の高い人外を、便宜的に魔族と名付けただけだから。中には神族が魔界へ行って、魔人と化している者もいるというし……魔族全体の性質が悪だと決まってはいないんだ。もちろんクラメンスのような善良な魔人はめずらしいようだがね」
「まるで人間といっしょですわね……」
講釈を述べた青年は満足そうに笑った。次に黙っている少女に視線を向ける。
「レジィは元医官だそうだね、僕がいま話した魔人のことは知ってるかな?」
「白熊のくだりは初耳です。でもクラメンスさん自体は療術を学ぶときに聞きました」
「そうだろう。帝王国でもクラメンスを知らない療術士がいないほど、彼は有名だ。その弟子になりたいという者がいるくらいにね。だがそれは過大評価だという学者もいる。彼が奇病の治療や新薬の開発に精を出していたのは昔のこと。最近はめっきり活躍を聞かなくなった。それはどうしてだと思う?」
「え? それは……片腕がないからじゃないですか? 片手だと研究がはかどらないから」
「彼が隻腕になったのは千年ちかくもむかしの話だ。それに現在は自身の手となる妻子がいるし、研究を手伝う人造の生命体もいるらしい。両腕があったころより、研究の環境は整っていると思うよ」
レジィは「そうなんですか」とちぢこまって言う。返答に窮した彼女は「じゃ、理由はなんなんです?」とたずねた。マキシは自信満々に「わからない!」と言い放つ。
「本には載っていなかった。斜に構えた学者の主張では『人間の医術にかなわなくなった』というけれど、僕はそう思わない。彼の作った薬は、たとえ一般的な風邪薬であっても普通のものより効くと評判だ。一部の薬は彼独自の調合配分が公開されていて、だれでも模倣することはできるが、だれもが彼以上の効果には到達できない。それは千年以上もの経験とずば抜けた魔力が合わさった製薬なんだ。ほかの者には真似できないんだよ」
要領をえない話だ。クロアは結論を急ぐ。
「で、あなたはその魔人が薬の開発をしなくなった原因はなんだとお考えなの?」
「僕は……人間に愛想が尽きたんじゃないかと思っている」
マキシは白い招獣を呼んだ。小型犬の大きさで、机にちんまりと座っている。その外見の特徴は、マキシとユネスの試合の際にあらわれた美しい魔獣とよく似ていた。
「この子はアゼレダという種族名の魔獣だ。知っているか? この鱗は軽くて硬度があり、防具に最適な素材になる。外観の美麗さもあいまって高値で取引されるんだ。そのせいで乱獲され、個体数が激減した。現在は保護生物に認定されたが、残念ながら増加は確認できない。僕の招獣になったこの子も、密猟者に捕われていた……」
「クラメンスさんは、私利私欲で魔獣を殺す人間のせいで人間嫌いになった、と?」
「ああ、可能性のひとつとしてそう思う。アゼレダは北の大陸に生息する魔獣だ。彼にとっては故郷の同胞だと言える」
「そう……ありえる話かもしれませんわね」
「だから一度、真相を聞いてみたい。この国のどこかで会える……希望はあるからね」
「あら、人を嫌いになってもこの国にきてらっしゃる方なの?」
「いや、彼はこないが、息子さんが時々くるらしい。それもあって、僕はここにいたいんだ」
「取材ついでで、わたしの従者になろうとおっしゃるの?」
「取材は『運がよければ』のオマケ感覚だが、まあそういうことでもある」
「魔界に行って取材なさったら手っ取りばやいんじゃありません?」
マキシは天井をあおぎ、大笑いする。
「あっはっは! きみは本当に剛胆な人だ。有象無象がひしめく魔界に行って、無事に帰ってこれると思っているんだから」
「もどってこれた方がおられるのでしょ?」
「それはそうだが、僕みたいな招術頼りの人間にはどだい無理な話だ」
マキシは食器を片づけ始めた。移動配膳台に自身の盆を置くと、クロアの席へやってくる。クロアの昼食はすんでおり、その盆をマキシが持ち上げる。
「午後からまた出かけるんだろう。僕も行かせてもらえるかな」
「いいですけど……昨日はそんなことおっしゃらなかったのに?」
昨日の昼もマキシはクロアたちと一緒に昼食をとっていた。ただそのときはクロアとレジィがさっさと食事をおわらせて、出かけてしまったので、マキシが同行を申請する暇はなかったようにもクロアは思いかえした。
「もうベニトラの観察はじゅうぶんだ。今度はきみについていくよ」
朱色の猫はねむってばかりで、めぼしい調査結果が出そうにないことはクロアでも予想できた。クロアはマキシの要求を飲んだ。そして胸中で、町中の偵察に放った魔人に語りかける。
『ナーマ、調子はどう?』
『いま尾行中! ごっつい魔人の集団がきてる』
『ごつい? それはおもしろそうね』
『簡単に傭兵になってくれそうにないよぉ?』
『話してみなくちゃわからないわ』
クロアは勇み足で外出の準備をする。なにも言わずともレジィは出かける気配を察知し、足早に昼食の膳を返却しに行った。
タグ:クロア
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