2019年04月16日
クロア篇−7章4
レジィが食器のならんだ盆を運ぶ。その盆をまずクロアの机上に置いた。移動配膳台にのこった盆はひとつ。それをレジィは彼女自身の席へもっていき、着席した。
クロアは出された食事に手をつけず、他国からきた青年を見る。彼はすでに昼食の汁物をすすっていた。クロアは数日前、彼に見せられた卒業証書を思い出しながら、
「あなた、学都の学校を卒業なさったのよね?」
とたずねた。問われた青年は口元に寄せていたサジを食器にもどす。
「ああ、高等部をね。それがどうした?」
「卒業してからはどうすごしておいでなの? 学校の研究員を?」
「いや、僕はまだ研究員にはなれないな」
「どうして?」
「上等部にすすんでないからさ。専攻にもよるが、研究員は上等部に所属する者か、上等部を卒業した者にかぎられるんだよ」
つまりマキシは高等部を卒業したのち、その上級学府には進学しなかったということになる。
「ええと、学生じゃないし研究員でもないとなると……どうなるの?」
「学者の真似事をしている素人、になるかな」
自信家らしき青年が自身を「素人」とおとしめたことに、クロアは面食らった。これほど面の皮が厚い有識者にはたいそうな肩書きがあるのだろうと思っていたのだ。
意外な自己評価をくだした瞬間のマキシはなおも自信に満ちていた。けして成績不振ゆえに進学をあきらめたわけではなさそうだ。
「そんなに研究熱心なのに……?」
「ほかにやりたいことがあってね。それをやってから上等部に行こうかと考えたんだよ」
マキシは壁に架けた棚へ顔を向けた。その視線のさきにはベニトラがいる。骨太の猫は棚板のうえでうつ伏せになり、目を閉じていた。猫のまどろむさまは無防備で愛らしい。愛玩動物に通じる愛嬌ぶりを見ていると、かつての凶暴な害獣の姿がウソのようだとクロアは感じる。
(マキシは「石付きの魔獣を調べにきた」と言っていたし……)
野生の魔獣をじかに研究したくて学府の所属から外れた、とクロアは青年の心境を推測した。
学者もどきの若者は「きみはいい装具を与えたね」と、クロアの想像とずれた着目をする。
「やはり職人の町の公女は金持ちなんだな」
「あの首輪がいいものだと、わかるんですの?」
「ああ、僕も招獣用の装具を作る仕事をしていたんだ」
「あなたが、職人?」
魔獣の研究と物作りの二分野は知識も技術も共通していない。思いきった転身だ。そうクロアは感じたが、実際魔獣に使う道具はそれ専門の知識も必要になりそうだとも思った。
マキシはこの経歴を明かしてはじめて、恥じ入った顔を見せる。
「『元』がつくがね……」
「いまはお辞めになったの?」
「この町へくる直前にクビを切られてしまったのさ」
「それでルッツさんといっしょにこちらへ?」
「よくもわるくも、彼が店にきたからこうなった」
以前、マキシが勤めた店にルッツがおとずれた。ルッツの目的はベイレという招獣が身につける装具の修復だった。装具の損傷具合は軽度で、その場で簡単に直せる──とはマキシ以外の職人の基準。マキシは修復の仕事を務められないため、業務中はおもに接客をこなした。その業務には客との世間話もふくまれる。ルッツは装具の仕上がりを店内で待つというので、待ち時間の間、マキシは魔獣に関する話を客にした。おりしもアンペレで石付きの魔獣が出没することを噂された時期で、マキシが「聖王国ではまた石付きがあばれているそうですね」となにげなく話した。すると客はにこやかだった顔をけわしくして、噂の詳細を求めてきた。マキシが知りうるかぎりの情報を教えていくうちに、ルッツは石付き魔獣を退治すると言いだした。
「僕はずっと石付きに興味があったから、深く考えずに『僕も行ってみたい』と口に出してしまってね。それを聞いた親方はもうよろこんで『ついでにアンペレで修行してこい』なんて言うんだ。たしかにアンペレのほうが未熟な者でも技術が身に付く場所だと聞いていたよ。僕にはいい学びの場だろうさ。でもそれは建前で、ようは僕が邪魔だったのだろうな」
「で、すなおに厄介払いされてしまったの?」
「ああ、もともと僕の肌に合ってない工房だったしな。僕が論理の矛盾を指摘してるのを『口答えだけは一人前』だとか怒鳴られるんだ」
「そうでしょうね。学校で弁論を学んだ人とそうでない人では常識も感性もちがいますもの」
工房ではおそらく従順で手先の器用な者がこのまれるはず。良家の出身で勉強漬けだったろうマキシでは、それらの適性が無くともいたしかたない側面がある。
(おまけにナマイキな性格だし……)
本人の自覚があるのかは知らないが、マキシは厚顔不遜。この性情では周囲との衝突はまぬがれえず、どの職場にいってもうまくいかない可能性は高い。
(うちで面倒を看てあげるのが、いろんな意味でいいのかも)
マキシはおそらく職人には不向きな人材だ。町の工房へ再度弟子入りして、また不和を引き起こすよりは、クロアのそばで対等に言い合ったほうが平和的かもしれない。平和的、というのはあくまで精神面での話だが、とクロアは文具立てにもどした鉄尺を横目で見ながら思った。
クロアが考えこんでいる間にマキシは昼食を食べすすめていた。クロアも食事をはじめる。クロアがもっとも食べ始めがおそかったせいで、マキシがさきに食べおわった。手持無沙汰な彼は急に「せっかくだから魔族について教えてあげようか」と言い出す。
「混血児なきみなら知っておいて損はないだろう」
青年は善意の押し売りをはじめる。クロアはそれをデキのよくない演奏かなにかの代わりに聞くことにした。
クロアは出された食事に手をつけず、他国からきた青年を見る。彼はすでに昼食の汁物をすすっていた。クロアは数日前、彼に見せられた卒業証書を思い出しながら、
「あなた、学都の学校を卒業なさったのよね?」
とたずねた。問われた青年は口元に寄せていたサジを食器にもどす。
「ああ、高等部をね。それがどうした?」
「卒業してからはどうすごしておいでなの? 学校の研究員を?」
「いや、僕はまだ研究員にはなれないな」
「どうして?」
「上等部にすすんでないからさ。専攻にもよるが、研究員は上等部に所属する者か、上等部を卒業した者にかぎられるんだよ」
つまりマキシは高等部を卒業したのち、その上級学府には進学しなかったということになる。
「ええと、学生じゃないし研究員でもないとなると……どうなるの?」
「学者の真似事をしている素人、になるかな」
自信家らしき青年が自身を「素人」とおとしめたことに、クロアは面食らった。これほど面の皮が厚い有識者にはたいそうな肩書きがあるのだろうと思っていたのだ。
意外な自己評価をくだした瞬間のマキシはなおも自信に満ちていた。けして成績不振ゆえに進学をあきらめたわけではなさそうだ。
「そんなに研究熱心なのに……?」
「ほかにやりたいことがあってね。それをやってから上等部に行こうかと考えたんだよ」
マキシは壁に架けた棚へ顔を向けた。その視線のさきにはベニトラがいる。骨太の猫は棚板のうえでうつ伏せになり、目を閉じていた。猫のまどろむさまは無防備で愛らしい。愛玩動物に通じる愛嬌ぶりを見ていると、かつての凶暴な害獣の姿がウソのようだとクロアは感じる。
(マキシは「石付きの魔獣を調べにきた」と言っていたし……)
野生の魔獣をじかに研究したくて学府の所属から外れた、とクロアは青年の心境を推測した。
学者もどきの若者は「きみはいい装具を与えたね」と、クロアの想像とずれた着目をする。
「やはり職人の町の公女は金持ちなんだな」
「あの首輪がいいものだと、わかるんですの?」
「ああ、僕も招獣用の装具を作る仕事をしていたんだ」
「あなたが、職人?」
魔獣の研究と物作りの二分野は知識も技術も共通していない。思いきった転身だ。そうクロアは感じたが、実際魔獣に使う道具はそれ専門の知識も必要になりそうだとも思った。
マキシはこの経歴を明かしてはじめて、恥じ入った顔を見せる。
「『元』がつくがね……」
「いまはお辞めになったの?」
「この町へくる直前にクビを切られてしまったのさ」
「それでルッツさんといっしょにこちらへ?」
「よくもわるくも、彼が店にきたからこうなった」
以前、マキシが勤めた店にルッツがおとずれた。ルッツの目的はベイレという招獣が身につける装具の修復だった。装具の損傷具合は軽度で、その場で簡単に直せる──とはマキシ以外の職人の基準。マキシは修復の仕事を務められないため、業務中はおもに接客をこなした。その業務には客との世間話もふくまれる。ルッツは装具の仕上がりを店内で待つというので、待ち時間の間、マキシは魔獣に関する話を客にした。おりしもアンペレで石付きの魔獣が出没することを噂された時期で、マキシが「聖王国ではまた石付きがあばれているそうですね」となにげなく話した。すると客はにこやかだった顔をけわしくして、噂の詳細を求めてきた。マキシが知りうるかぎりの情報を教えていくうちに、ルッツは石付き魔獣を退治すると言いだした。
「僕はずっと石付きに興味があったから、深く考えずに『僕も行ってみたい』と口に出してしまってね。それを聞いた親方はもうよろこんで『ついでにアンペレで修行してこい』なんて言うんだ。たしかにアンペレのほうが未熟な者でも技術が身に付く場所だと聞いていたよ。僕にはいい学びの場だろうさ。でもそれは建前で、ようは僕が邪魔だったのだろうな」
「で、すなおに厄介払いされてしまったの?」
「ああ、もともと僕の肌に合ってない工房だったしな。僕が論理の矛盾を指摘してるのを『口答えだけは一人前』だとか怒鳴られるんだ」
「そうでしょうね。学校で弁論を学んだ人とそうでない人では常識も感性もちがいますもの」
工房ではおそらく従順で手先の器用な者がこのまれるはず。良家の出身で勉強漬けだったろうマキシでは、それらの適性が無くともいたしかたない側面がある。
(おまけにナマイキな性格だし……)
本人の自覚があるのかは知らないが、マキシは厚顔不遜。この性情では周囲との衝突はまぬがれえず、どの職場にいってもうまくいかない可能性は高い。
(うちで面倒を看てあげるのが、いろんな意味でいいのかも)
マキシはおそらく職人には不向きな人材だ。町の工房へ再度弟子入りして、また不和を引き起こすよりは、クロアのそばで対等に言い合ったほうが平和的かもしれない。平和的、というのはあくまで精神面での話だが、とクロアは文具立てにもどした鉄尺を横目で見ながら思った。
クロアが考えこんでいる間にマキシは昼食を食べすすめていた。クロアも食事をはじめる。クロアがもっとも食べ始めがおそかったせいで、マキシがさきに食べおわった。手持無沙汰な彼は急に「せっかくだから魔族について教えてあげようか」と言い出す。
「混血児なきみなら知っておいて損はないだろう」
青年は善意の押し売りをはじめる。クロアはそれをデキのよくない演奏かなにかの代わりに聞くことにした。
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