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2019年05月16日
クロア篇−終章2
伝え虫を追跡する者のうちには、クノードとタオの飛獣のほか、リックとフィルの二人組もいた。リックたちは領主からの待機の命令を聞かなかったのだ。魔人が人間の言うことを兵隊ばりに遵守するなどとはクロアたちも期待していないので、だれも咎めなかった。
白い竜と化したフィルは我先にとばかり速度を出す。伝え虫は追跡者との距離を感知して速度を増減する仕組みのため、続く飛獣たちも全速力を出す事態になった。そうして着いた場所が山奥の山荘だった。開けた空間がすくない場所ゆえ、飛竜を着地させられない。フィルは大胆にも空中で人型へ化け、リックとともに落下した。クロアも空から降下しようかとしたが、マキシに止められる。
「まあ待て。こんなときにも飛獣が役立つぞ」
マキシが女の妖鳥を呼び出した。妖鳥は人の腕でマキシとクロアを抱える。
「まずは僕らだけで降りよう」
妖鳥は二人を運送する。クロアが地に足を着けたとき、地上にはすでに父の飛馬がいた。騎手が夫人の下馬を手伝っている。
(ここで……お母さまとはおわかれ?)
クロアは母を連れ去ろうとする魔人がどこにいるか、辺りを見回した。
山荘の扉が開く。現れた者は上背のある男だ。服は上等なもののようだが、袖や裾がぼろぼろになっていて、みすぼらしさがある格好だった。そんな衣服をまとっていながら、首から下げた十字の装飾品だけは煌びやかで、見る者の目を惹いた。
(こいつが……ヴラド?)
この大男が普通の人間ではないとクロアは肌で感じた。男の眼光が、自分と同じ輝きをしていたせいだろうか。
男はフュリヤの姿を認め、おもむろに近寄ってきた。クノードがフュリヤの前に立つ。すると男があからさまに不機嫌な顔になった。
「あなたは魔人のヴラド……ですね?」
クノードが緊張した面持ちでたずねる。男は「そうだ」と低い声で答えた。
「あなたが協力する賊たちはどこへ行ったのですか?」
「……町へ行った」
「どの町へ? なんの目的で?」
「知らん。そんなことはどうでもいい。後ろにいる者を渡せ」
クノードは後方を見て、何事かしゃべる。フュリヤが前へ歩み出た。ヴラドは手を差しのべる。だがフュリヤはヴラドに近寄らず、足を止める。
「わたくしは長い間、あなたのおそばを離れて、過ごしてきました」
夫人は組んだ手を震わせながら告白する。
「ほかの男性の連れ合いになって、子どももできました。こんな不義不貞の女でも、あなたはわたくしを、そばにおいてくださるのでしょうか?」
ヴラドは無言で接近する。フュリヤが体を硬直させた。クロアは無意識に杖を握る。大男は臨戦態勢のクロアを一瞥した。だが警戒の素振りなく、フュリヤを片腕で抱き寄せる。
「……ずっと、さがしていた」
心なしか柔らかい声音だった。求めたものが無事に手元へ帰ってきたことを、純粋に喜んでいるようだ。その言葉には、妻の放蕩に対する非難の念はなかった。
捜し物をついに発見した魔人の肩に、トカゲの顔がのぞいた。小さい飛竜だ。取り巻きの身に甘んじていたフィルが「坊やちゃん!」と声を張り上げた。飛竜が魔人から離れ、貴婦人の胸へ飛びこむ──いや、フィルが仔竜を自身の胸元へ引きずりこんだ。フィルは仔竜の翼の根元をがっちりとつかみ、抱きしめている。
「あぁ、やっと見つけた!」
仔竜はされるがままに、養母の愛撫を全身で受ける。ほほえましい母子の再会のかたわらで、竜の主同士が目を合わせた。巨漢は肩を怒らせる。
「このオマヌケ野郎! おめえが女の名前を忘れっからメンドーが増えたんだぞ」
「どういう意味だ……?」
「このあたりの住民にフュリヤっつう名前をたずねていけば、領主の妻だとすぐにわかったんだ。盗賊の子分にならなくたって、その女を見つけられたんだぜ!」
「そうだったか。労苦をかけた」
「謝るなら領主と公女にやれ。おめえが賊の味方をするせいで、こいつらの計画が失敗してんだ」
ヴラドは腕の中にあるフュリヤに確認した。フュリヤがリックの言葉が真実だと言い、自身の家族を紹介する。
「あちらの男性がアンペレ公のクノードです。あの方が……あなたの娘を立派に育ててくれました」
魔人の視線がクロアに集中する。ヴラドはフュリヤを抱く手を放し、クロアとの距離を詰めてきた。ヴラドの予期せぬ挙動に対し、クロアはどぎまぎする。
「な、によ……わたしに用があるの?」
クロアは杖を両手に握りなおし、大男をにらみつけた。にらまれた側はまったくひるまずに、クロアに手をのばす。クロアはびっくりして、半歩後ろへさがった。それでも大きな手はちかづいてくる。その手に敵意は感じられないので、クロアはざわつく心を抑え、目をつむった。
ごつごつとした手のひらが、クロアの頬をさする。その感触は心地よいものではないが、不思議と不快には思わなかった。
「娘、か……」
頬にあった大きな手が、今度はクロアの頭をなでる。クロアはその手に親にちかい温かみを感じた。その反面、はじめて出会う異性に接触されることへの反抗心が芽生える。
「あなたがわたしの父だなんて、認めません!」
頭上の手を払いのけた。ヴラドが身に着ける首飾りを、彼の顔代わりに見据える。
「あなたはお母さまを連れ去るんでしょう?」
問われた魔人は呆気にとられた。クロアはその能天気な反応を見て、いらだちを加速させる。
「お母さまを、棺の中に何年も閉じこめるのでしょう!」
「いけないのか?」
「よくないに決まっているわ! のこされた家族はどうなるの? お父さまはまた最愛の人を失ってしまうのよ。お婆さまも心の拠り所がなくなるわ。幼い妹たちだってそう。でもいちばん困るのはお母さまよ。お母さまは家族が悲しい思いをするのを、平気で見ていられる人じゃない……」
クロアは人間の情など知りようのない魔人と目を合わせた。人間の勝手な言い分を蔑んでいるだろう、と思ったが、彼の瞳はクロアとはじめて遭遇した際のするどさを失っている。
「フュリヤも、嫌なのか」
そう言うヴラドはなぜか、視線をフュリヤには向けず、仔竜を抱く貴婦人に向けた。フィルが大きくうなずく。
「手塩にかけて育てた子と一生会えなくなって……平気でいられる母親はいませんわ」
魔人はうなだれた。クロアの背丈を上回る巨体が、ちぢんでしまったようにも見えた。
(この人は……落ちこんでるの?)
クロアは存外この男がやさしい気質なのではないかと、疑いはじめた。
場が予想外な雰囲気を形成する中、突然、この場にいないはずの声が聞こえた。音源はクノードの目の前にある非生命体だった。伝え虫が二つも宙に浮いている。クノードが血相を変える。
「町が賊に荒らされているそうだ! クロア、もどろう!」
クノードはフュリヤを見たが、なにも告げず、飛馬に乗った。クロアは物影にいたダムトと合流し、ベニトラに騎乗する。マキシは妖鳥に運ばれて空へ上がった。山荘付近に残るのは魔人の関係者のみ。彼らの行動は自己判断任せで、クロアたちは帰参を急いだ。
白い竜と化したフィルは我先にとばかり速度を出す。伝え虫は追跡者との距離を感知して速度を増減する仕組みのため、続く飛獣たちも全速力を出す事態になった。そうして着いた場所が山奥の山荘だった。開けた空間がすくない場所ゆえ、飛竜を着地させられない。フィルは大胆にも空中で人型へ化け、リックとともに落下した。クロアも空から降下しようかとしたが、マキシに止められる。
「まあ待て。こんなときにも飛獣が役立つぞ」
マキシが女の妖鳥を呼び出した。妖鳥は人の腕でマキシとクロアを抱える。
「まずは僕らだけで降りよう」
妖鳥は二人を運送する。クロアが地に足を着けたとき、地上にはすでに父の飛馬がいた。騎手が夫人の下馬を手伝っている。
(ここで……お母さまとはおわかれ?)
クロアは母を連れ去ろうとする魔人がどこにいるか、辺りを見回した。
山荘の扉が開く。現れた者は上背のある男だ。服は上等なもののようだが、袖や裾がぼろぼろになっていて、みすぼらしさがある格好だった。そんな衣服をまとっていながら、首から下げた十字の装飾品だけは煌びやかで、見る者の目を惹いた。
(こいつが……ヴラド?)
この大男が普通の人間ではないとクロアは肌で感じた。男の眼光が、自分と同じ輝きをしていたせいだろうか。
男はフュリヤの姿を認め、おもむろに近寄ってきた。クノードがフュリヤの前に立つ。すると男があからさまに不機嫌な顔になった。
「あなたは魔人のヴラド……ですね?」
クノードが緊張した面持ちでたずねる。男は「そうだ」と低い声で答えた。
「あなたが協力する賊たちはどこへ行ったのですか?」
「……町へ行った」
「どの町へ? なんの目的で?」
「知らん。そんなことはどうでもいい。後ろにいる者を渡せ」
クノードは後方を見て、何事かしゃべる。フュリヤが前へ歩み出た。ヴラドは手を差しのべる。だがフュリヤはヴラドに近寄らず、足を止める。
「わたくしは長い間、あなたのおそばを離れて、過ごしてきました」
夫人は組んだ手を震わせながら告白する。
「ほかの男性の連れ合いになって、子どももできました。こんな不義不貞の女でも、あなたはわたくしを、そばにおいてくださるのでしょうか?」
ヴラドは無言で接近する。フュリヤが体を硬直させた。クロアは無意識に杖を握る。大男は臨戦態勢のクロアを一瞥した。だが警戒の素振りなく、フュリヤを片腕で抱き寄せる。
「……ずっと、さがしていた」
心なしか柔らかい声音だった。求めたものが無事に手元へ帰ってきたことを、純粋に喜んでいるようだ。その言葉には、妻の放蕩に対する非難の念はなかった。
捜し物をついに発見した魔人の肩に、トカゲの顔がのぞいた。小さい飛竜だ。取り巻きの身に甘んじていたフィルが「坊やちゃん!」と声を張り上げた。飛竜が魔人から離れ、貴婦人の胸へ飛びこむ──いや、フィルが仔竜を自身の胸元へ引きずりこんだ。フィルは仔竜の翼の根元をがっちりとつかみ、抱きしめている。
「あぁ、やっと見つけた!」
仔竜はされるがままに、養母の愛撫を全身で受ける。ほほえましい母子の再会のかたわらで、竜の主同士が目を合わせた。巨漢は肩を怒らせる。
「このオマヌケ野郎! おめえが女の名前を忘れっからメンドーが増えたんだぞ」
「どういう意味だ……?」
「このあたりの住民にフュリヤっつう名前をたずねていけば、領主の妻だとすぐにわかったんだ。盗賊の子分にならなくたって、その女を見つけられたんだぜ!」
「そうだったか。労苦をかけた」
「謝るなら領主と公女にやれ。おめえが賊の味方をするせいで、こいつらの計画が失敗してんだ」
ヴラドは腕の中にあるフュリヤに確認した。フュリヤがリックの言葉が真実だと言い、自身の家族を紹介する。
「あちらの男性がアンペレ公のクノードです。あの方が……あなたの娘を立派に育ててくれました」
魔人の視線がクロアに集中する。ヴラドはフュリヤを抱く手を放し、クロアとの距離を詰めてきた。ヴラドの予期せぬ挙動に対し、クロアはどぎまぎする。
「な、によ……わたしに用があるの?」
クロアは杖を両手に握りなおし、大男をにらみつけた。にらまれた側はまったくひるまずに、クロアに手をのばす。クロアはびっくりして、半歩後ろへさがった。それでも大きな手はちかづいてくる。その手に敵意は感じられないので、クロアはざわつく心を抑え、目をつむった。
ごつごつとした手のひらが、クロアの頬をさする。その感触は心地よいものではないが、不思議と不快には思わなかった。
「娘、か……」
頬にあった大きな手が、今度はクロアの頭をなでる。クロアはその手に親にちかい温かみを感じた。その反面、はじめて出会う異性に接触されることへの反抗心が芽生える。
「あなたがわたしの父だなんて、認めません!」
頭上の手を払いのけた。ヴラドが身に着ける首飾りを、彼の顔代わりに見据える。
「あなたはお母さまを連れ去るんでしょう?」
問われた魔人は呆気にとられた。クロアはその能天気な反応を見て、いらだちを加速させる。
「お母さまを、棺の中に何年も閉じこめるのでしょう!」
「いけないのか?」
「よくないに決まっているわ! のこされた家族はどうなるの? お父さまはまた最愛の人を失ってしまうのよ。お婆さまも心の拠り所がなくなるわ。幼い妹たちだってそう。でもいちばん困るのはお母さまよ。お母さまは家族が悲しい思いをするのを、平気で見ていられる人じゃない……」
クロアは人間の情など知りようのない魔人と目を合わせた。人間の勝手な言い分を蔑んでいるだろう、と思ったが、彼の瞳はクロアとはじめて遭遇した際のするどさを失っている。
「フュリヤも、嫌なのか」
そう言うヴラドはなぜか、視線をフュリヤには向けず、仔竜を抱く貴婦人に向けた。フィルが大きくうなずく。
「手塩にかけて育てた子と一生会えなくなって……平気でいられる母親はいませんわ」
魔人はうなだれた。クロアの背丈を上回る巨体が、ちぢんでしまったようにも見えた。
(この人は……落ちこんでるの?)
クロアは存外この男がやさしい気質なのではないかと、疑いはじめた。
場が予想外な雰囲気を形成する中、突然、この場にいないはずの声が聞こえた。音源はクノードの目の前にある非生命体だった。伝え虫が二つも宙に浮いている。クノードが血相を変える。
「町が賊に荒らされているそうだ! クロア、もどろう!」
クノードはフュリヤを見たが、なにも告げず、飛馬に乗った。クロアは物影にいたダムトと合流し、ベニトラに騎乗する。マキシは妖鳥に運ばれて空へ上がった。山荘付近に残るのは魔人の関係者のみ。彼らの行動は自己判断任せで、クロアたちは帰参を急いだ。
タグ:クロア
2019年05月15日
クロア篇−終章1
隣国の領主はクロアたちの出兵を許可してくれた。許可ついでに援軍を出そうか、との提案もしたそうだが、事が事だけに第三者の介入は不適切だとクノードは判断し、遠慮した。
翌日、クロアたちは再び武官をともなって出立した。今回の出征は国境を越える。移動距離が長くなるため、指揮官は自分の騎馬あるいは飛獣を用い、また指揮官以外の歩兵は騎兵及び飛兵に相乗りして行軍する。相乗りする者の中に、戦闘員ではない女性がいた。フュリヤだ。彼女は飛馬を操るクノードのうしろに座っていた。その服装はおよそ領主夫人とは思えぬ粗末な衣類。その服はアンペレへ訪れたときに着ていたものだそうだ。胸のあたりが窮屈そうにぴっちりしている。それは生地がちぢんだのではなく、フュリヤがアンペレに住む間に体型が変わったのだという。フュリヤはヴラドとの出会いを境にして夢魔らしい色香に目覚めた、と自己分析しており、その見解は的確らしかった。
クロアは自分の飛獣を使わずにいた。ベニトラは隊を離れて先行するダムトに預けてある。代わりにタオの飛竜に同乗した。タオの仲間である男女はおらず、彼らはユネスの隊に同行したという。万一、封鎖した賊の拠点にヴラドが出現すれば、ユネスの隊は全滅必至、という観点で、そちらへ加勢することとなった。
タオの飛竜にはレジィとマキシも乗っている。レジィは竜の飛行を怖がり、クロアの腰に抱きついてくる。その一方で、魔獣に興味津々なマキシは飛竜の騎乗体験にいたく感激する。この飛竜にクロアたちが乗ることになったのも、ほとんどマキシの希望によるところが大きい。
「クラメンスの飛竜に乗れるとは、夢にも思わなかった!」
赤い鱗をなでさすりながら言う。マキシは先頭に乗るタオに声をかける。
「この飛竜はダフユスという名前で合っているかな?」
「そのとおり。こいつも有名なんだな」
「ミアキスと同時に生まれた、双生の竜なんだろう?」
「ああ、ミアキスと兄妹ではあるが、あまり似ていない。こいつは人形態を嫌う」
ミアキスの名前にはクロアの聞き覚えがあった。「ミアキスって」と口走るとマキシが嬉々として解説する。
「リックと初めて会った時の酒場にいただろ? あの寡黙な女剣士のことさ」
「あー、女たらしと一緒にいた女性ね」
タオが振り返る。なぜか不機嫌な顔をしていた。
「チュールに会ったのか」
「お会いしましたわ。それがどうかなさいまして?」
「やつは貴女に失礼なことをしでかさなかったか?」
「そういえば……妙な脅しをしてきたり、レジィにちょっかい出したりしましたわね」
クロアの腰につかまるレジィがきゅっと力を込めた。魔人に口説かれたことを恥ずかしがっているらしい。
「不快な思いをさせて申し訳ない。やつに注意はしているが、一向におさまらないんだ」
「あなたが謝らなくてよろしいですわ。それにわたし、過ぎたことは気にしませんの」
「そうか……貴女は心が広いな」
タオはそれ以上話さなかった。タオがなにを思って、剣仙と呼ばれる男の行ないに気を張らせているのかクロアにはわからない。マキシにたずねても、彼はタオとチュールの関係を知らないという。
「ただ、チュールがクラメンスの腕を斬り落とした張本人だとは聞くな」
「え……仲がおわるいの?」
タオがクロアの仮説を否定し、説明を加える。
「やつと父は、むかしから親しい。やつが腕を斬ったのも、父が頼んでしたことだ。そのとき父は解呪できない猛毒の呪印を受け、死をのがれるために、やむなくそうしたらしい」
「『らしい』?」
「私が生まれるまえの出来事だ。正確なことは知らない」
「じゃあ……タオさんのお父上が隻腕になったあとで、タオさんのお母上と結ばれた、ということ?」
「そうみたいだな……」
タオはあまり確信をもっていないかのような答え方をした。そのときクロアは自分が無神経な問いをしたのではないか、と思い返す。
「あ……もしかして、あなたのお母さまは、もう……?」
タオは半魔だという。彼の父が生粋の魔人なので、母は人間ということになる。タオはすでに数百年も生きているため、母親の寿命はとっくのむかしに尽きてしまっているはずだ。
「いや、母は生きている。人間ではあったが、いまは魔人にちかい存在になった」
「人間が、魔人に……?」
「貴女の母方の祖母は人間だが、実年齢より二十歳ほど若く見えるな。どうしてだと思う?」
「えっと……そういう体質?」
「魔人に深く関わった影響だと思われる。そういった現象を私の両親は意図的に行なった、と考えてくれればいい」
「そ、そうなんですの……」
クロアの祖母はすこしずつ加齢している。タオとその母のように数百年と生き永らえる様子はないが、卑近な例として挙げられたようだ。おそらく厳密な話をするとクロアの頭では処しきれないとタオが思ったのだろう。
国境の関所を飛び越えたころ、クノードのもとに小さな物体が飛来した。楕円の石に透明な羽の生えている。それは通信用の術具であり、専用の石に音声を吹き込み、連絡をとりたい人物へ届くよう念じて飛ばす。その飛ぶ様子が羽虫のようだと言われ、伝え虫という名が付いた。伝え虫が放たれた方向は進行先、剣王国からだ。クノードが録音された声に耳を傾けた。すると全隊停止の号令が出る。
「賊の住処に賊がいなくなっているそうだ。いるのは魔人だけだという。皆はここで一時待機してくれ!」
クノードは赤い飛竜に接近する。
「タオ殿、一緒に現地へ行ってもらっていいかな?」
「わかった」
伝え虫に発信元への案内をさせ、クロアたちは後を追いかけた。
翌日、クロアたちは再び武官をともなって出立した。今回の出征は国境を越える。移動距離が長くなるため、指揮官は自分の騎馬あるいは飛獣を用い、また指揮官以外の歩兵は騎兵及び飛兵に相乗りして行軍する。相乗りする者の中に、戦闘員ではない女性がいた。フュリヤだ。彼女は飛馬を操るクノードのうしろに座っていた。その服装はおよそ領主夫人とは思えぬ粗末な衣類。その服はアンペレへ訪れたときに着ていたものだそうだ。胸のあたりが窮屈そうにぴっちりしている。それは生地がちぢんだのではなく、フュリヤがアンペレに住む間に体型が変わったのだという。フュリヤはヴラドとの出会いを境にして夢魔らしい色香に目覚めた、と自己分析しており、その見解は的確らしかった。
クロアは自分の飛獣を使わずにいた。ベニトラは隊を離れて先行するダムトに預けてある。代わりにタオの飛竜に同乗した。タオの仲間である男女はおらず、彼らはユネスの隊に同行したという。万一、封鎖した賊の拠点にヴラドが出現すれば、ユネスの隊は全滅必至、という観点で、そちらへ加勢することとなった。
タオの飛竜にはレジィとマキシも乗っている。レジィは竜の飛行を怖がり、クロアの腰に抱きついてくる。その一方で、魔獣に興味津々なマキシは飛竜の騎乗体験にいたく感激する。この飛竜にクロアたちが乗ることになったのも、ほとんどマキシの希望によるところが大きい。
「クラメンスの飛竜に乗れるとは、夢にも思わなかった!」
赤い鱗をなでさすりながら言う。マキシは先頭に乗るタオに声をかける。
「この飛竜はダフユスという名前で合っているかな?」
「そのとおり。こいつも有名なんだな」
「ミアキスと同時に生まれた、双生の竜なんだろう?」
「ああ、ミアキスと兄妹ではあるが、あまり似ていない。こいつは人形態を嫌う」
ミアキスの名前にはクロアの聞き覚えがあった。「ミアキスって」と口走るとマキシが嬉々として解説する。
「リックと初めて会った時の酒場にいただろ? あの寡黙な女剣士のことさ」
「あー、女たらしと一緒にいた女性ね」
タオが振り返る。なぜか不機嫌な顔をしていた。
「チュールに会ったのか」
「お会いしましたわ。それがどうかなさいまして?」
「やつは貴女に失礼なことをしでかさなかったか?」
「そういえば……妙な脅しをしてきたり、レジィにちょっかい出したりしましたわね」
クロアの腰につかまるレジィがきゅっと力を込めた。魔人に口説かれたことを恥ずかしがっているらしい。
「不快な思いをさせて申し訳ない。やつに注意はしているが、一向におさまらないんだ」
「あなたが謝らなくてよろしいですわ。それにわたし、過ぎたことは気にしませんの」
「そうか……貴女は心が広いな」
タオはそれ以上話さなかった。タオがなにを思って、剣仙と呼ばれる男の行ないに気を張らせているのかクロアにはわからない。マキシにたずねても、彼はタオとチュールの関係を知らないという。
「ただ、チュールがクラメンスの腕を斬り落とした張本人だとは聞くな」
「え……仲がおわるいの?」
タオがクロアの仮説を否定し、説明を加える。
「やつと父は、むかしから親しい。やつが腕を斬ったのも、父が頼んでしたことだ。そのとき父は解呪できない猛毒の呪印を受け、死をのがれるために、やむなくそうしたらしい」
「『らしい』?」
「私が生まれるまえの出来事だ。正確なことは知らない」
「じゃあ……タオさんのお父上が隻腕になったあとで、タオさんのお母上と結ばれた、ということ?」
「そうみたいだな……」
タオはあまり確信をもっていないかのような答え方をした。そのときクロアは自分が無神経な問いをしたのではないか、と思い返す。
「あ……もしかして、あなたのお母さまは、もう……?」
タオは半魔だという。彼の父が生粋の魔人なので、母は人間ということになる。タオはすでに数百年も生きているため、母親の寿命はとっくのむかしに尽きてしまっているはずだ。
「いや、母は生きている。人間ではあったが、いまは魔人にちかい存在になった」
「人間が、魔人に……?」
「貴女の母方の祖母は人間だが、実年齢より二十歳ほど若く見えるな。どうしてだと思う?」
「えっと……そういう体質?」
「魔人に深く関わった影響だと思われる。そういった現象を私の両親は意図的に行なった、と考えてくれればいい」
「そ、そうなんですの……」
クロアの祖母はすこしずつ加齢している。タオとその母のように数百年と生き永らえる様子はないが、卑近な例として挙げられたようだ。おそらく厳密な話をするとクロアの頭では処しきれないとタオが思ったのだろう。
国境の関所を飛び越えたころ、クノードのもとに小さな物体が飛来した。楕円の石に透明な羽の生えている。それは通信用の術具であり、専用の石に音声を吹き込み、連絡をとりたい人物へ届くよう念じて飛ばす。その飛ぶ様子が羽虫のようだと言われ、伝え虫という名が付いた。伝え虫が放たれた方向は進行先、剣王国からだ。クノードが録音された声に耳を傾けた。すると全隊停止の号令が出る。
「賊の住処に賊がいなくなっているそうだ。いるのは魔人だけだという。皆はここで一時待機してくれ!」
クノードは赤い飛竜に接近する。
「タオ殿、一緒に現地へ行ってもらっていいかな?」
「わかった」
伝え虫に発信元への案内をさせ、クロアたちは後を追いかけた。
タグ:クロア