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2019年05月14日
クロア篇−10章7
翌日、賊討伐に関する会議が開かれた。最大の敵である魔人の対策はできたとクノードが発表する。魔人の所望する女性はいかような人物か、と官吏が関心を示した。クノードがその人物の入室をうながすと、赤銅色の髪の貴婦人がしずしずと入ってくる。昨晩のことを知らぬ官吏は色めきたった。官吏を統べる領主が真剣な面持ちで語りかける。
「驚くのも無理はない……が、これは真実だ。フュリヤはヴラドの……妻に等しい人。身柄を返せば魔人は我らに敵対する理由を失う。それを前提とし、賊の再討伐をはかる」
ボーゼンがすぐさま挙手する。
「ご両人はそれでよろしいのですか?」
「いいんだ。昨日、よく話し合って決めたことだ」
「ならば分不相応の申し立ては致しません。しかし、クロア様はご存知でしょうか」
「ああ、わかってくれている」
クロアはうなずいて同意を示した。次に老官が発言権を獲得する。
「奸賊は剣王国に居を移しました。征伐のまえに隣国の領主に一報伝えておくべきです」
迷いのない堅実な進言だ。アンペレ公夫人が魔人のもとへ行くことへの動揺はないようだ。
「過去数百年に渡る友誼を鑑みますと、我らが軍をのさばらせたとて、侵略の疑いをかけられる可能性は低いでしょう。ですが慎重を期するに越したことはありませぬ」
「礼節を守るためにも確実に連絡しよう。キロイ公に通達し、返事を受けたのちに出兵する。その予定でいいかな」
キロイ公は剣王国の商都とその一帯を守る領主。アンペレからもっとも近い、他国の領主だ。官吏はこの決定を承認した。
ユネスが手をあげ「ちょっとした質問なんですが」と下手(したて)に出る。
「昨日、おれたちが封鎖した賊の住処はどうします?」
「放っておくつもりだったが……逃亡した者が偵察に来たり、よそへ行っていて何も知らずに戻ってきたりする者がいるかもしれないか」
「余裕があるんなら、ちょいと見張っておいたらいいかと思います」
「わかった、ユネスに駐屯してもらおう。同行する兵の選出はきみの裁量に任せる」
「わかりました。念のため、療術士を加えてもいいですか」
「ああ、きみの妻でもだれでも、人選は好きにしていい」
ユネスの妻は医官だ。そのことを揶揄された武官は気まずそうに承知した。クノードは軽い気持ちで言ったのだろうが、この場にそぐわぬ発言だと察して眉をひそめた。なにせ領主は自身の妻を手放そうとしているのだから。
クノードは失言を撤回しようとして、話題を変える。
「ユネス以外、前回の討伐に加わった武官と客人には引き続き参加してもらう」
「お父さま、わたしはどういたしましょう?」
「クロアも行こう。ヴラドに一目会いたいだろう?」
一部の者はその言葉を「母を奪う男への関心」と捉えただろう。だがクノードの質問はそんな類ではない。そうとわかっているクロアは重々しく「はい」と答えた。
会議が終わり、参加者が退室していく。クロアは去ろうとする主席を引き止める。
「お父さま、わたし──」
「そんな顔をしないでくれ。フュリヤが出て行ってしまっても、クロアはここに居場所がある。それだけは、なにも変わらないんだ」
父の顔は娘の不安を映したかのように憂慮が浮かんでいる。
「だれがなんと言おうとクロアは私の子だ。クロアはそうじゃないのかい?」
クノードが両腕を広げる。クロアはその胸に飛びこんだ。すでに父の身長を越してしまって、幼少時のように父の胸へ顔をうずめることはできない。しかし父の手が、クロアの頭をやさしくなでる。
「すっかり大きくなったね。むかしは片手で抱えられるくらいに小さかったのに……」
「女は成長が早いですもの。十五、六歳を過ぎたら背が伸びきってしまいますわ」
「クロアが産まれて、もうそんなに経つんだ。そろそろ私が隠居してもいい頃かな」
「なにをおっしゃるの。お父さまはまだまだお若いですわ」
父娘の会話がはずむにつれ、平常通りの様相にもどる。血の繋がりのない二人の絆は切れず、一層固い結びつきへ変わった。
「驚くのも無理はない……が、これは真実だ。フュリヤはヴラドの……妻に等しい人。身柄を返せば魔人は我らに敵対する理由を失う。それを前提とし、賊の再討伐をはかる」
ボーゼンがすぐさま挙手する。
「ご両人はそれでよろしいのですか?」
「いいんだ。昨日、よく話し合って決めたことだ」
「ならば分不相応の申し立ては致しません。しかし、クロア様はご存知でしょうか」
「ああ、わかってくれている」
クロアはうなずいて同意を示した。次に老官が発言権を獲得する。
「奸賊は剣王国に居を移しました。征伐のまえに隣国の領主に一報伝えておくべきです」
迷いのない堅実な進言だ。アンペレ公夫人が魔人のもとへ行くことへの動揺はないようだ。
「過去数百年に渡る友誼を鑑みますと、我らが軍をのさばらせたとて、侵略の疑いをかけられる可能性は低いでしょう。ですが慎重を期するに越したことはありませぬ」
「礼節を守るためにも確実に連絡しよう。キロイ公に通達し、返事を受けたのちに出兵する。その予定でいいかな」
キロイ公は剣王国の商都とその一帯を守る領主。アンペレからもっとも近い、他国の領主だ。官吏はこの決定を承認した。
ユネスが手をあげ「ちょっとした質問なんですが」と下手(したて)に出る。
「昨日、おれたちが封鎖した賊の住処はどうします?」
「放っておくつもりだったが……逃亡した者が偵察に来たり、よそへ行っていて何も知らずに戻ってきたりする者がいるかもしれないか」
「余裕があるんなら、ちょいと見張っておいたらいいかと思います」
「わかった、ユネスに駐屯してもらおう。同行する兵の選出はきみの裁量に任せる」
「わかりました。念のため、療術士を加えてもいいですか」
「ああ、きみの妻でもだれでも、人選は好きにしていい」
ユネスの妻は医官だ。そのことを揶揄された武官は気まずそうに承知した。クノードは軽い気持ちで言ったのだろうが、この場にそぐわぬ発言だと察して眉をひそめた。なにせ領主は自身の妻を手放そうとしているのだから。
クノードは失言を撤回しようとして、話題を変える。
「ユネス以外、前回の討伐に加わった武官と客人には引き続き参加してもらう」
「お父さま、わたしはどういたしましょう?」
「クロアも行こう。ヴラドに一目会いたいだろう?」
一部の者はその言葉を「母を奪う男への関心」と捉えただろう。だがクノードの質問はそんな類ではない。そうとわかっているクロアは重々しく「はい」と答えた。
会議が終わり、参加者が退室していく。クロアは去ろうとする主席を引き止める。
「お父さま、わたし──」
「そんな顔をしないでくれ。フュリヤが出て行ってしまっても、クロアはここに居場所がある。それだけは、なにも変わらないんだ」
父の顔は娘の不安を映したかのように憂慮が浮かんでいる。
「だれがなんと言おうとクロアは私の子だ。クロアはそうじゃないのかい?」
クノードが両腕を広げる。クロアはその胸に飛びこんだ。すでに父の身長を越してしまって、幼少時のように父の胸へ顔をうずめることはできない。しかし父の手が、クロアの頭をやさしくなでる。
「すっかり大きくなったね。むかしは片手で抱えられるくらいに小さかったのに……」
「女は成長が早いですもの。十五、六歳を過ぎたら背が伸びきってしまいますわ」
「クロアが産まれて、もうそんなに経つんだ。そろそろ私が隠居してもいい頃かな」
「なにをおっしゃるの。お父さまはまだまだお若いですわ」
父娘の会話がはずむにつれ、平常通りの様相にもどる。血の繋がりのない二人の絆は切れず、一層固い結びつきへ変わった。
タグ:クロア
2019年05月13日
クロア篇−10章6
クロアは母がアンペレ公夫人になるまでの経過を知り、言いようのない感情に襲われた。フュリヤの行動は公正さに欠ける。彼女が遠因となって、賊の掃討が阻止された現状もある。それらを踏まえれば母を「卑怯者」と糾弾すべきだと言える。だがフュリヤ個人の責任だろうか。
フュリヤが住んでいた村の者が、フュリヤとその母との約定を履行していたら。フュリヤは金銭に困らず、親の余生を案ずることはなかった。孤独な親の安住を求めての婚姻を交わさなくてもよかった。ならばこの母子を騙した連中を咎めるべきか。
村人らには道義にもとる決断をせざるをえない事情があった。魔人に捧げる宝物はなく、それを用意する資金源もない。そのために人身であがなった。その後も労苦に見合う稼ぎが得られず、約束を反故にしてしまったのかもしれない。フュリヤが「責めないで」と言うからには、そうでなくてはクロアの腹の虫が収まらなかった。
そもそも魔物討伐は地元の領主に申請が入っていた。領主が討伐を成功させていたらヴラドの出る幕はなく、ひとりの女性が魔人に身を差し出す事態になりえなかった。人民を守るべき輩が職務を全うしなかった点を弾劾すべきか。
為政者への非難はクロア自身、身につまされるものがある。弱小な正規兵を有するアンペレは賊の横行を看過していた。それは鎮圧できる兵力がなかったせいだ。目に余る蛮行に及べば大都市の援軍を要請できるが、その段階に至らずに野放しにしてきた。それと同じ状況下にあったと考えると、他国の領主を責める資格がクロアには無かった。
「……お母さまは卑怯者じゃありませんわ。どうしようもなく、運がわるかったのです」
クロアは我ながら陳腐な表現のように感じた。しかしほかによい言葉が思いつかない。
「お婆さまも不運です。夢魔に襲われて、家族に見放されて、子をひとりで育てて……大事な子を手放すはめになったのに、なんにも報われない。そんなの、馬鹿げているわ!」
感情が昂ぶったクロアは母を抱きしめる。
「不運が積み重なって、その不運をぜんぶ吹き飛ばせる幸運が目のまえにやってきて……手を伸ばさずにいられる人はいないわ。だれもお母さまをわるく言えやしないの」
母の手がクロアの背をなでる。クロアは久しく母に体をさすってもらい、童心にもどった。母と過ごした記憶に追い立てられる。顔を上げ、一層強く母にすがる。
「お母さまはいつだって家族を、周りを気遣ってきたでしょ。ずるい女にはできっこない!」
「いいえ、そこがずるいのよ。みんなに見捨てられないよう、媚びを売ってきたの」
「媚びでもなんでも、卑しさが見えなければ本当の誠意ですわ。それに、どうして歓心を買わなくてはいけないんです? 領主の夫人を、みなが冷たくするわけがありませんわ」
「わたくしが居なくなったあとも、ここの人たちが母の世話をしてくれるように……」
「お母さまが居なくなる……? それはいまみたいに、ヴラドが迎えにくるときのこと?」
「そう、とも言えるわ。いつまでもここに住めるとは思っていなかったの」
フュリヤは天井を仰いだ。遠い、かなたを見つめる。
「あの方が気付くまえに、クノードにすべてを話して、出ていこうと考えていたわ。子どもが大人になるまでは居ようと思ったのだけれど、クロアの下の兄弟が産まれたらどんどん先延ばしになって……ぐずぐずするうちに、ヴラドは起きてしまった」
こんなふうにフュリヤがぼうっとすることは過去に何度もあった。クロアは母が自分と似て散漫な気質なのだと思っていたが、あのときは母がヴラドのことを想っていたのかもしれないと考えなおした。
「わたくし、これでよかったと思うの。ヴラドがなにも知らないのをいいことに、彼の側にもどって、さもずっと、眠りつづけていたふりをしたら……わたくしは一段と狡猾な女になり下がっていたの」
「お母さまはそんな女になれませんわ。きっと正直に、ヴラドにお話しになると思います。長い間、だれにも話さずになやんできたことなんだもの……はじめて好きになった人には、言いたくなるんじゃないかしら」
フュリヤはこっくりうなずく。
「そうね……わたくしは言ってしまうんだわ。冗談めかして、長い間、見ていた夢のように。それを聞いたら、あの方は怒るかしら」
「魔人がマヌケなのもいけないんですわ。お母さまを何年もほったらかしにして、子を三人も育てる時間を持たせたんです。ヴラドが一方的にお母さまを叱責するようなら、わたしが言って差しあげます。『あなたが鈍感だったことにも責任がある』と」
フュリヤがうれしそうにほほえむ。クロアはその表情に救われた。
「クロアは優しい子ね。思いやりのある子に育ってくれて、わたくしは幸せだわ」
「お母さまとお父さまの子ですもの。根性が曲がるはずありませんわ」
「だけどその気の強さは……女の子には持て余してしまうわ。そこがわたくしの心残り……」
今生の別れのようなつぶやきだ。母との離別の未来を否定したいクロアは食ってかかる。
「ヴラドは永遠に生きる魔人でしょう。お母さまがいますぐ眠りにつかなくてもいいじゃありませんの。お婆さまとお父さまの今際(いまわ)の際(きわ)まで屋敷に居て、その後で好きなだけ眠ればよろしいのだわ。いましかできないことを優先しましょう」
「そんな虫のいいこと、あの方は聞き届けてくれるかしら……」
「話してみますわ。ヴラドはあんまりオツムはよくないそうですから、言いくるめる余地はあります」
母はなおも憂鬱な顔をする。クロアはその反応に釈然としなかった。
クロアはあるひとつの結論を見い出し、居住まいを正した。母と、眠る父を交互に見る。
「……お母さまがヴラドのもとに行きたいと願うのでしたら、邪魔しませんけれど」
フュリヤは目を見開き、顔を伏せる。心にもない指摘、とは見えない反応だった。クロアは自分の希望と母の希望が同一ではないことを知る。
「お母さまは……魔人を愛しておいでなの? その、お父さま以上に」
「自分でもよくわからないの……気持ちが、どちらに傾いているか……」
でも、とフュリヤが言う。
「あの方がわたくしを捜していると知ったとき……心の中で、とても喜んでしまったわ。わたくしは、無くてもよいものじゃないと、思っていただけた証拠だから──」
フュリヤは実母を除いて、この世に生を受けた時から存在を疎まれていた。初めて人として真っ当に接した者が、くしくも自身を金品同様に手に入れた魔人。それがどれだけの輝きを放っただろう。クロアには想像のつかないことだ。公女というだけで無条件で愛され、敬われる環境で育った苦労知らずには、母に同情することさえ侮辱に値すると思える。
「お母さまのなさりたいようになさってください。ずっと、ご自分の思いを押し殺してこられたんですから。もう、我慢しなくてよろしいのです」
クロアは就寝の挨拶を済ませ、足早に退室する。話し合うことは尽きた。あとはフュリヤ自身の意思に委ねる。それが現状における最大の孝行だと考えた。
フュリヤが住んでいた村の者が、フュリヤとその母との約定を履行していたら。フュリヤは金銭に困らず、親の余生を案ずることはなかった。孤独な親の安住を求めての婚姻を交わさなくてもよかった。ならばこの母子を騙した連中を咎めるべきか。
村人らには道義にもとる決断をせざるをえない事情があった。魔人に捧げる宝物はなく、それを用意する資金源もない。そのために人身であがなった。その後も労苦に見合う稼ぎが得られず、約束を反故にしてしまったのかもしれない。フュリヤが「責めないで」と言うからには、そうでなくてはクロアの腹の虫が収まらなかった。
そもそも魔物討伐は地元の領主に申請が入っていた。領主が討伐を成功させていたらヴラドの出る幕はなく、ひとりの女性が魔人に身を差し出す事態になりえなかった。人民を守るべき輩が職務を全うしなかった点を弾劾すべきか。
為政者への非難はクロア自身、身につまされるものがある。弱小な正規兵を有するアンペレは賊の横行を看過していた。それは鎮圧できる兵力がなかったせいだ。目に余る蛮行に及べば大都市の援軍を要請できるが、その段階に至らずに野放しにしてきた。それと同じ状況下にあったと考えると、他国の領主を責める資格がクロアには無かった。
「……お母さまは卑怯者じゃありませんわ。どうしようもなく、運がわるかったのです」
クロアは我ながら陳腐な表現のように感じた。しかしほかによい言葉が思いつかない。
「お婆さまも不運です。夢魔に襲われて、家族に見放されて、子をひとりで育てて……大事な子を手放すはめになったのに、なんにも報われない。そんなの、馬鹿げているわ!」
感情が昂ぶったクロアは母を抱きしめる。
「不運が積み重なって、その不運をぜんぶ吹き飛ばせる幸運が目のまえにやってきて……手を伸ばさずにいられる人はいないわ。だれもお母さまをわるく言えやしないの」
母の手がクロアの背をなでる。クロアは久しく母に体をさすってもらい、童心にもどった。母と過ごした記憶に追い立てられる。顔を上げ、一層強く母にすがる。
「お母さまはいつだって家族を、周りを気遣ってきたでしょ。ずるい女にはできっこない!」
「いいえ、そこがずるいのよ。みんなに見捨てられないよう、媚びを売ってきたの」
「媚びでもなんでも、卑しさが見えなければ本当の誠意ですわ。それに、どうして歓心を買わなくてはいけないんです? 領主の夫人を、みなが冷たくするわけがありませんわ」
「わたくしが居なくなったあとも、ここの人たちが母の世話をしてくれるように……」
「お母さまが居なくなる……? それはいまみたいに、ヴラドが迎えにくるときのこと?」
「そう、とも言えるわ。いつまでもここに住めるとは思っていなかったの」
フュリヤは天井を仰いだ。遠い、かなたを見つめる。
「あの方が気付くまえに、クノードにすべてを話して、出ていこうと考えていたわ。子どもが大人になるまでは居ようと思ったのだけれど、クロアの下の兄弟が産まれたらどんどん先延ばしになって……ぐずぐずするうちに、ヴラドは起きてしまった」
こんなふうにフュリヤがぼうっとすることは過去に何度もあった。クロアは母が自分と似て散漫な気質なのだと思っていたが、あのときは母がヴラドのことを想っていたのかもしれないと考えなおした。
「わたくし、これでよかったと思うの。ヴラドがなにも知らないのをいいことに、彼の側にもどって、さもずっと、眠りつづけていたふりをしたら……わたくしは一段と狡猾な女になり下がっていたの」
「お母さまはそんな女になれませんわ。きっと正直に、ヴラドにお話しになると思います。長い間、だれにも話さずになやんできたことなんだもの……はじめて好きになった人には、言いたくなるんじゃないかしら」
フュリヤはこっくりうなずく。
「そうね……わたくしは言ってしまうんだわ。冗談めかして、長い間、見ていた夢のように。それを聞いたら、あの方は怒るかしら」
「魔人がマヌケなのもいけないんですわ。お母さまを何年もほったらかしにして、子を三人も育てる時間を持たせたんです。ヴラドが一方的にお母さまを叱責するようなら、わたしが言って差しあげます。『あなたが鈍感だったことにも責任がある』と」
フュリヤがうれしそうにほほえむ。クロアはその表情に救われた。
「クロアは優しい子ね。思いやりのある子に育ってくれて、わたくしは幸せだわ」
「お母さまとお父さまの子ですもの。根性が曲がるはずありませんわ」
「だけどその気の強さは……女の子には持て余してしまうわ。そこがわたくしの心残り……」
今生の別れのようなつぶやきだ。母との離別の未来を否定したいクロアは食ってかかる。
「ヴラドは永遠に生きる魔人でしょう。お母さまがいますぐ眠りにつかなくてもいいじゃありませんの。お婆さまとお父さまの今際(いまわ)の際(きわ)まで屋敷に居て、その後で好きなだけ眠ればよろしいのだわ。いましかできないことを優先しましょう」
「そんな虫のいいこと、あの方は聞き届けてくれるかしら……」
「話してみますわ。ヴラドはあんまりオツムはよくないそうですから、言いくるめる余地はあります」
母はなおも憂鬱な顔をする。クロアはその反応に釈然としなかった。
クロアはあるひとつの結論を見い出し、居住まいを正した。母と、眠る父を交互に見る。
「……お母さまがヴラドのもとに行きたいと願うのでしたら、邪魔しませんけれど」
フュリヤは目を見開き、顔を伏せる。心にもない指摘、とは見えない反応だった。クロアは自分の希望と母の希望が同一ではないことを知る。
「お母さまは……魔人を愛しておいでなの? その、お父さま以上に」
「自分でもよくわからないの……気持ちが、どちらに傾いているか……」
でも、とフュリヤが言う。
「あの方がわたくしを捜していると知ったとき……心の中で、とても喜んでしまったわ。わたくしは、無くてもよいものじゃないと、思っていただけた証拠だから──」
フュリヤは実母を除いて、この世に生を受けた時から存在を疎まれていた。初めて人として真っ当に接した者が、くしくも自身を金品同様に手に入れた魔人。それがどれだけの輝きを放っただろう。クロアには想像のつかないことだ。公女というだけで無条件で愛され、敬われる環境で育った苦労知らずには、母に同情することさえ侮辱に値すると思える。
「お母さまのなさりたいようになさってください。ずっと、ご自分の思いを押し殺してこられたんですから。もう、我慢しなくてよろしいのです」
クロアは就寝の挨拶を済ませ、足早に退室する。話し合うことは尽きた。あとはフュリヤ自身の意思に委ねる。それが現状における最大の孝行だと考えた。
タグ:クロア