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2016年09月13日

おかえり、俺のシエンタ。もう売ったりしないから…

要らなくなった…シエンタ

「娘が車を買ったから…」
元妻からの連絡がありました。

半年ほど前に離婚して、それまで家族で使っていた自分名義の「シエンタ」をずっと元妻にあずけてました。

車検の時期が近づいて、とおすかどうするか…
そんな話が保留になっていました。

いろいろあったんですが、結局は私のせいでの離婚。
そのシエンタも私が「悪者」にしてしまいました。

なので元妻はお気に入りだったシエンタを手放したい気持ちで一杯でしたが、背に腹は代えられず、仕方なしに使ってました。

そこへ社会人2年目の娘が車を買うと。

これでシエンタのお役目は終わりとなりました。


どうするか…売るしかない…

一方の私の生活はというと、実家に居候中…

仕事はしてるけど、本気じゃない。
こんなことだから離婚とかになるんでしょうけど…

いまは自営業を目指して長期の準備中。
何時になったら芽が出るのか、だれにも分からない手探り状態

そんな経済状態で車なんか持てるはずもなく、売却手続きを始めました。

「ネットで一括査定!」まさか自分がこれを利用する日が来るなんて…

早速、数社から連絡がありました。大手から零細まで。
大手は大手らしく横柄に、零細は零細らしく貪欲に。

その中から一社、零細企業ではあるけど人間味あふれた担当者の電話での話に何となくここでいいかなと思い、査定の約束をしました。


査定額に満足!

以前にも査定してもらった事があってその時は確か「1万円」だったと思います。

なので今回はそれ以上を狙いました。
2万円、いや5万円。無理かなぁ…

約10年のって13万キロ。
事故なし、凹みなし。(若干の傷はあるけど)
特に改造もしてません。
ナビは数年前の取り替えた。

こんな条件で、出た金額は予想通りの「2万円」…
この前の倍の値段やなぁ…

査定額には満足しました。

でも…


どうして手放さないといけないのかっ

その零細企業の買い取り屋さんの営業の方は、人懐っこい方で話していてとても楽しかったです。

楽しそうに仕事をしている風で、クルマ好き。
あの車がどうのとか、シエンタと全然関係ない話で盛り上がったりしてました。

「じゃぁ、ちょっと見させてもらいますね」

そう言ってオレのシエンタをじろじろ見まわし始めた。

その側の傷やへこみの跡などを探し、事故車ではないかボンネットとハッチバックをあけフレームの状態を調べる。
その他いろいろ見て約1時間が過ぎました。

久しぶりにシエンタをいろんな角度から眺めてつくずくいいクルマだなぁと思いました。

小ぶりでまとまってる。
丸めのヘッドライトがかわいい(←ポルシェに似てると思ってるのは俺だけ)
取り回しやすさや便利さ。

いろんな思い出が詰まったシエンタ…
ハンドル叩いて喜んだり、ドアを叩いて悔しがったり…
ただただ、一人になって泣いたり…

そうしていくうちに沸々と湧きあがってくるものがっ

この営業マンには悪いけど、売るの止めよう…俺が乗るっ…

車検はユーザー車検…
任意保険は…
来年の税金は…

いけるかぁ?



つづく



posted by Mr.UFO at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | クルマ

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン!(天声人語9/13)

赤提灯.jpg
映画「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」でその男は21歳になるまでに製図板や印刷機を使って250万ドルを手にした。
ペテンのアーティストなどと呼ばれた男はその金を車や豪遊に使った。
(「世界を騙した男」)

富山市議会で政務活動費を不正に受給したとして市議が3人も辞職した。
パソコンで領収書を偽造したようで悪質である。

元議長の中川勇氏は5年間で約695万円。飲食やゴルフに充てた。
誘われれば嫌と言えない性分らしい。

ひとつ白紙の領収書をよろしく…。
1990年ごろにあったコミックソングの世界がこんなところに生き残っていた。

政務活動費の元は税金。
富山市では月額60万円の議員報酬を70万円への増額が決まったばかり。

感想とか…

車、ゴルフ、お酒…。どれも魅力的な要素です。
高級車を乗り回している自分、ゴルフのスコアを自慢する自分、馴染みの店など付き合いの多さを自慢する自分。

私の中でもない訳ではないです。

ただ、その場合は自分のお金でする事が前提です。
というか、そもそも前提でも何でもな、ごく当たり前の事だと思っていました。

そのためにお金をどう稼ぐか、どう働くかを考えて日々頑張っているのでは?

お金ってそんなに簡単に手に入るものなんですね。

先日の天声人語で貧乏が取り上げられてましたが、その中で富裕層の倫理観を求めるとありましたが、この事を指してるのでしょうか?

私は収入と責任は比例すると考えています。
それだけ責任を負っている人にはそれだけの報酬があって良いという意味です。

民間企業よりも公共性の高い仕事に就いておられる方々の責任はとても重いと思います。
だから然るべき報酬はあって当然です。

なので逆も同じ。
公共性の高い方々の罪は重いです。
なぜなら人の信用を裏切ったから。

物の売り買いはその場限りでケリがついても、信用となるとそうはいかない。

「誘われれば断れない性分だから…」なんてよくコメントできましたね。






posted by Mr.UFO at 05:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 天声人語

2016年09月11日

100年前からの「貧乏物語」(天声人語9/11)

お金がない.jpg
経済学者河上肇が大阪朝日新聞に連載した「貧乏物語」は開始からあすで100年になる。
英国の統計をもとに貧乏の問題を大正時代に示したが、いまの話ではないかという気がする。

毎日働いているのに生活必需品が手に入らない。
巨万の富はわずかな人に。
「ワーキングプア」の言葉が生まれた現代社会と重なる。

貧乏な家庭に生まれた若者が十分な教育を受けられないことも嘆いた。
学問は決して贅沢ではないと。

「1億総中流」とはもう昔の言葉である。
「子供の貧困」が言われ、「貧困の世襲化」が指摘される。

いま、貧乏が問題になっている事を考えたい。
河上は資産家や実業家に人を思いやる倫理を求めた。

政治の貧困対策、再配分への取組みが急がれる。

感想とか…

100年前の貧乏と今のそれとは同じでしょうか?

教育が普及していなかった時代と今。
モノがなかった時代と今。
情報の伝達速度が遅かった時代と今。

今の貧乏は戦後の高度経済成長期を経てバブル経済の崩壊、リーマンショックの悪夢から立ち直れていない貧乏だと思います。
なぜなら貧乏でも携帯電話を契約し、マイカーに乗り、レジャーに出かけているからです。

月々の携帯電話代、マイカーにかかる費用、レジャーに使うお金、それぞれを子供のために使ったら、今の時代も決して貧乏ではないと思います。

なぜ携帯電話を手放せないか、なぜマイカーを手放せないか、なぜ流行りのレジャーをやめられないか。

それは今の時代の人に植え付けられている「人並みでありたい」という感情が大きく影響しているからです。

みんな持ってるから自分だけ持ってないのは恥ずかしい。負けている気がする。
そんな感情を抱かせるのもメディアなどで「勝ち組、負け組」なる言葉を流行らせたことの原因もあると思います。

未だにTVやラジオ、新聞や雑誌に掲載されている情報はとても影響力がある。
それにインターネットでの個人からの情報提供も加わってとてつもない威力となっています。

一方で、そんなメディアの情報の裏側を暴くのもインターネット。まさに、諸刃の剣ですね。

就業形態の圧倒的多数を占めるサラリーマン。
その労働力の提供を受けている経営者。

バブル崩壊、リーマンショック以降、一方はシビアになったけど、一方は旧き良き時代の到来を待ちわびる。

このような意識差がある間は、決して両者はハッピーになれる訳がないです。

日本人の学力が落ちたとメディアで言われてますが、どうなんでしょう?
そんなことはないと思いますが、確かに勉強する内容が実社会からかけ離れていることは確かです。

とくにお金についての教育はなにもなされない。

学生時代に初めてバイトを経験し、銀行口座をつくり、収入を得るようになるくらいの時に、お金に関する教育をするべきではないかと考えます。

そうすれば、自分の生活の中でのバランスや無駄が見えてくるとお思いますが、いかがでしょう?





posted by Mr.UFO at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 天声人語

2016年09月10日

被災したピアノの修理(天声人語9/10)

ピアノの中.jpg
東日本大震災で壊れたピアノを修理している宮城県石巻市の楽器店サルコヤを訪ねた。

難敵は隅々にしみ込んだ海水の塩分だと井上晃雄社長(87)は話す。
水で汚れを落とし部品を交換しても、塩分が残っているため錆が出て音が狂う。

失敗の末、塩分を除去する技術を持つ神奈川県のベンチャー企業を探し当てた。

これまで修理されたピアノは愛知や兵庫へ引き取られた。
今修理中の6台目は、被災の翌春、歌手シンディ―・ローパーさんが市へ寄贈した一台である。
この16日には市民病院で演奏される。

音色に関係の少ない傷はあえて残しましたと井上社長。

当時、店には30台のピアノ、管楽器、弦楽器があった。被害総額は5千万円。
店を畳めば津波に負けたことになるとがんばってきました、と。

感想とか…

私は学生時代に中学からずっと吹奏楽部に所属していました。
おもに金管楽器を担当し楽しい時間を過ごしました。

大人になってお金に余裕ができると自分の楽器を何度か買い、大切に使いました。

毎日、毎回使う楽器には当然愛着がわき自分の分身のように思えてきます。

そんな楽器たちが津波の被害にあって壊れて処分されてしまう事はとても悲しいことです。
もちろんいつかはこわれて処分されるのですが、天寿を全うできずにこの世を去っていく楽器にいたたまれない気持ちになります。

私は楽器を修理してくれる職人さんを尊敬しています。
大切にしているケガした「分身」を直してくれるからです。

楽器がなければ、私の音楽活動は成り立ちません。
重要な部分をあつかって貰ってるのです。

ただでさえそういう気持ちを持っている中、この石巻市の井上社長のような方には敬意を表したいです。
私が使っている管楽器は個人的な所有が多いですが、ピアノとなればその性質上、多くの人に演奏してもらう機会があるようにそれに携わる人の数は管楽器の比ではありません。

数の問題ではありませんが、一つの楽器を修理する、それも困難な状況にある楽器を救うことはとても大きな意味があるからです。

市民病院で演奏されるとのことですが、その音色に癒される人も多いはず。

同じ趣味をもつひとのなかに、まれに楽器を乱雑に扱う人がいます。
あえて注意などはしませんが、心の中では「あなたに音楽をやる資格はない」と言ってやります。

音楽から離れざるを得なくなった今、強くそう思います。






posted by Mr.UFO at 06:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 天声人語

2016年09月09日

孤独な画家 セラフィーヌ・ルイ(天声人語9/9)

孤独.jpg
東京都美術館で開催中のポンピドゥー・センター傑作展で『楽園の樹』というセラフィーヌ・ルイの絵に足が止まりました。

伝記「セラフィーヌ」(クロアレク著)によると1864年に仏北部に生まれた彼女は幼い頃に両親を亡くした。家政婦だった41歳に絵筆をとり一心に描きました。

題材は草、花、果実、枝、幹ばかり。絵が売れると浪費に走り、世界恐慌で困窮する。心を病んだ時期もあったが1945年、亡くなってから3年後に夢の個展が開かれた。

ピカソやシャガールが並ぶ傑作展でセラフィーヌは異彩を放ってます。隣のオナール・フジタとは対照的です。

「私は絵のことをよく知らない年老いた初心者です」孤独な画家が残した言葉です。


感想とか…

実際にサイトでセラフィーヌ・ルイさんの絵を見てみました。
おそらく絵のような花や果実のなり方はしないんでしょうが、その集合感と色の濃さから来る強さに圧倒される気がしました。
現地で見るとまた迫力があるような気がします。

絵を描くきっかけが「絵筆をとりなさい」という天啓を聞いた、との事ですが、羨ましい…

私もその当時のセラフィーヌと同じ年頃なんですが、天啓が聞こえてきません。
それとも聞き逃したのかもしれませんね。

これまで私が好きだと思ってることは多々あります。
その中でも割と一生懸命頑張って来たものがありましたが、やはり経済的な理由や仕事の都合なんかで諦めてしまいました。それも二度も。

なにかに没頭している人や成功を収めてる人はそんな状況でも自然に直向きに好きなことを続けてこれるのではないかなと想像します。

私にとっての天啓をこれからも待ってみようと思います。

そういえば、このサイトで綴っている天声人語の要約も割と続いています。
これとは別にまるまる書き写してもいるのですが、それも約2年になります。

ひょっとしたらこれが天啓なのかも…

そんな安易なものではないですよね。






posted by Mr.UFO at 05:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 天声人語

2016年09月08日

市民の「広島カープ」優勝目前(天声人語9/8)

マツダスタジアム.jpg
四半世紀ぶりのリーグ優勝を目前にして広島の街を高揚感が包んでいます。
あのローソンでさえ数年前から青の外装基調を赤に替えたくらいです。

1949(昭和24)年に市民球団として発足しましたが、初年度から資金難でリーグ加盟金、選手の給料に苦労しました。シーズンは最下位でした。

「わしらのカープをなくすな」。すぐに持ち上がる解散話にファンが球団幹部へ詰め寄ったとあります。
(「カープ50年 夢を追って」(中国新聞社編))

長い低迷期も市民は見捨てませんでした。
メジャーを断って戻ってきた黒田博樹投手の決断はファンだけでなく広島の人々を奮い立たせました。

「宮島さんの神主がおみくじを引いて申すには今日もカープは勝ち勝ち勝ち勝ち」

感想とか…

私の知ってる広島東洋カープって山本浩二さん、衣笠祥雄さんらが活躍してた頃の赤ヘル軍団です。

巨人ファンだった私はテレビ中継で広島との試合を見て、2人とも嫌なバッターだなという印象しか思い出せません。

そんな広島市民球場には行ったことは無いんですが、後楽園球場や甲子園球場に比べ(失礼ながら)明らかに安っぽいなという印象がのこっています。

選手の顔ぶれをみても先ほどのお二人以外は北別府学さん津田恒実さん大野豊さん安仁屋宗八さん江夏豊さんなどの投手陣を思うくらいです。

有名選手が少ないということは年俸が低いということで、だから弱いチームになるんだなと思ってました。

ところがふと気がつけばリーグ優勝。
ここ数年は主に米大リーグを見ていたんですっかり忘れていましたが、強いチームになっていたんですね。

そう言えば、いま大活躍のタイガースから戻ってきた新井選手はホームランバッターとして相手投手から恐れられてますし、その師匠の阪神・金本監督は長らく広島でプレイしていました。
巨人のコーチの江藤さんも広島の4番バッターでしたし、ドジャースで活躍中の前田健太投手もそれまでは広島のエースでした。

広島のキャンプは地獄のキャンプ。特に守備練習に多くの時間を割いて堅い守りを誇って来たとの印象もあります。

セカンドの正田選手の守備には敵ながらその方向に打球が飛んだら終わりだ、くらいにも思ってましたし、その伝統がいまのセカンドの菊池選手に受け継がれているような気がします。

今になってこんなこと言うのは恥ずかしいんですが、広島のヘルメットの色、今年になって凄く高貴な色に見えてしまいます…






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2016年09月07日

相棒とリオで闘う(天声人語9/7)

リオパラリンピック.jpg
明日開幕のパラリンピックに出場の高桑早生さん(24)からメールが届きました。
現地に不便は感じてない様子です。

ロンドン大会に続く2回目の出場で100m、200m、走り幅跳びに挑戦します。

幼い頃から運動が好きでご家族によれば何でもこなしたそうです。
ところが小6で骨肉腫と診断され、中1で左足の膝下を切断しました。

義足を使うようになった中2の時に前へなら小走りできると分かってから希望を持ち、中3のリレーで75mを完走し、高1で国体出場。大学2年のロンドン大会へと繋がりました。

相棒の義足でどこまで世界に通じるか見極めたいと、ご本人。

パラリンピックは第二次大戦後の英国で負傷兵が、アーチェリーで競ったのが始まりとされてます。

今回出場の4300人へ12日間、声援を送りたいです。

感想とか…

中3の秋に地元で国体が開催され、初めてパラリンピックの存在を知りました。

身体にいろんな状況をかかえながら懸命にプレイされる姿に驚きと新鮮味と対抗心を覚えたのを思い出します。

高桑さんの様に一定期間健常者として過ごし、ある日を境に今までとは違う生活を送らなければならないようになった時、自分ならどうなるかなと、いつも考えます。

運命を恨み、自暴自棄になって引きこもり、周囲の人々に八つ当たりする。
恐らくそんなところでしょうか?

実際、今でも何か上手くいかないことがあるとそうなります。
いい歳なのであまり激しくはないですが…。

自分を受け入れる。今を受け入れる。将来を受け入れる。

言うのは簡単ですが、そこから逃げることのできない環境に置かれるた時の自分が想像できません。

ここまで書いていて感じたのですが、ハンデが…とか健常者が…とか考えるのは私の主観的な発想であって、人それぞれ捉え方は違うなと思ってきました。

私にしてみればハンデと感じることも、でもその人にしてみればハンデでもなんでもない。

恐らくそう感じておられるんでしょう。なにも私がいちいち気にする事はないなと思う様になりました。

駅や街中で車椅子を見かけた時、盲導犬を連れて歩いている方を見た時、手を差し伸べるのは、なにも良い行いでもなんでもない。

人と人が共存して生きているシーンではごく当たり前に流れていく、そんな風景ですよね。







posted by Mr.UFO at 05:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 天声人語

2016年09月06日

近年のサンマ事情(天声人語9/6)

サンマ.jpg
北海道産のさんま、1匹298円。
くちばしの先端が黄色で、目に濁りがないのは新鮮さの証。

水産研究・教育機構の中神正康さん(48)は秋の初めに道東から南下する漁場に変化があるという。

毎年の調査で寒流の親潮が日本沿岸に近づかない年はサンマが来ない。今年もハワイと日本の中間付近でないと大漁が見込めない。

昨年の漁獲高は11万トン。39年ぶりの不漁を今年も下回る予想。

北太平洋で活発に漁をするのは台湾、韓国、ロシア。4年前から中国が加わった。これらの国は日本の漁獲量を圧倒する。
危機を感じて日本が漁獲ルール作りに立ち上がった。まずは資源調査の国際合意をとった。

ロシアや中国の人はどのようにして食べるのか。


感想とか…

この時期、定食屋さんでサンマ定食をよく注文します。
カウンターの席で腸まで全部食べると必ず店主に褒められます。

昔から魚嫌いで、夕食が魚料理だと分かると、半分くらい残し食べ終わってから隠れてオヤツを食べていました。

就職して海の近くの営業所へ配属になり、上司や先輩に美味しい魚料理を食べさせてくれる店に連れて行って貰いました。

そこで食べたサンマの塩焼きが今でも忘れられません。
生まれて初めて魚が美味しいと感じました。

料理の方法がどうこう言うよりも、サンマそのものが良いと感じました。
いわゆる鮮度ってやつですかねぇ。

私は味音痴で「質より量」なんですが、その私が美味しいと感じたくらいですから、一般の方や通の方々にはたまらない季節が今年もやってきたんじゃないかなと思います。

そう言えば、大学生の時に漁業の町出身の友人がよく言ってました。
こっちの魚はクサくて不味いと。

当たり前ですが、魚にしろ肉にしろ、ビールにしろ鮮度は大事なんだなと痛感しました。

こんなにも違うんですねぇ…

今年もサンマが不漁との予想ですが、その原因は海流の影響だとか。

ひょっとしてその海流も近年の台風の様に環境の変化が影響しているのであれば、サンマ不足も自業自得ってことになるのでしょうか…








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2016年09月05日

信州産アマランサスの輸出(天声人語9/5)

アステカ.jpg
16世紀以降、スペイン人の侵攻により中南米での主要穀物の座を下された「アマランサス」が、1970年代の米国で脚光を浴び、日本でも「スーパーフード」として店頭に並んだ。

草丈2メートル、オレンジ色の穂が南アルプスで育っている。
長野県伊那市商工会議所と信州大学が連携し10年前から植えてきた。

市内で穀物レストランを営む元共同通信記者の吉田洋介さん(49)はアマランサスを活かしたレトルトカレーを商品化した。

伊那市へ原産地グアテマラから農業研修生が訪れた。内戦の影響を受け栽培は途絶えかかっている。
日本で再会し何かの縁を感じただろう。

機械による収穫が難しいこたから量産はできないが、地元では特産化を目指し試行錯誤。

信州産アマランサスがマヤ、アステカへ輸出される日を夢みる。


感想とか…

最近何かと話題の穀物ブーム。
食にあまりこだわりのない私には、これと言って思いはないですが、親世代にとってはそうはいかないようです。

戦後の食料難で、とにかく食べるものにありつく事に必死だった人たちにとって、白米をお腹いっぱい食べることが一番の贅沢だと聞いたことがあります。

現に、私の父親は白米以外の穀物をきらいます。
戦後の混乱した世の中を思い返すようです。

一方、母親は戦後生まれ。
なので裕福とは行かないまでもそんなに食に困った記憶はないといいます。

なので、この穀物ブームに乗っかって日々いろんな米が食卓にならびます。

私と言えば、あまり興味がなくただ黙々と食べて、ごちそうさま。

母にしてみれば、せっかくいろいろ出してるのにもう少し反応があっても…との声が聞こえてきそうですが…。


アマランサスはその昔、先住民の主食で年貢や神事にも用いられたとか。

洋の東西を問わず、穀物というのは食の中心のみならず文化や人の心にも多大な影響を与えることがみてとれます。

もしも日本で白米を作る事が禁じられ、その数年後に外国から輸入される白米を食べることになった時、私はどんな気持ちになるのでしょうか?

一時、日本の米不足が叫ばれ、タイ米で賄わなければならなくなった時、その米を食べた時は大変ショックをうけました。
その時は日本米が少なくなっただけなのに妙に寂しく感じたのを思い出します。


食物にしろ何にしろ、やはり原産地で育つのが最も適しているのだと思います。

アマランサスも然り。その一刻も早い「里帰り」を心から祈ります。






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2016年09月04日

要約・天声人語(9/4)

映画館.jpg
格差婚…松山善三さん逝く

若い助監督・松山善三さんの月給は1万2500円。妻で俳優の高峰秀子さんは映画一本100万円級。

高峰さんに憧れ、脚本家の卵となり撮影現場で高峰さんと出会う。
つき合う事を監督に認めてもらおうと進言するも「身の程を弁えなさい」と。
(斎藤明美著「家の履歴書 文化人・芸術家編」)

正直さが高峰さんの心をつかみ1955(昭和30)年に結婚。
「3年ともたないのでは」とささやかれたが、おしどり夫婦となった。

妻を「負けず嫌いで頑固一徹、明治生まれの爺ィに似ている」といいながら「大恩人」とあがめた。

弱者の命が輝く映画を残した。
デビュー作は「名もなく貧しく美しく」。
「典子は、今」は大ヒット。

高峰さんが亡くなって6年、松山さんが亡くなった。91歳。

「格差」を補って余りある夫婦だった。


感想とか…

まさに映画のようなご本人の人生です。
松山善三監督も高峰秀子さんも知らないのですが、有名映画女優と助監督の結婚となれば当時のマスコミはこぞってその話題をとりあげたと思います。

「3年ともたない…」とささやかれるあたり、今も昔も変わらないのだなと思い残念です。
残念というのは、約60年経ってもあまり世間が成長していないというか成熟していないと思うからです。

人間の恋愛についての事なので、60年やそこらでそんなに大きくは変わらないと思いますが、社会の受け止め方が変わっていないことに成長がないなと思います。

成長しなければいけないのか?

やはりこれだけメディアは発達すれば芸能人であれスポーツ選手であれ、著名人に対するプライバシーの保護は難しくなるとは思います。
でも、だからこそ彼らに配慮できる成熟した社会必要なんじゃないかなと思うんです。

私が見たいのは彼らのパフォーマンスであって、裏側ではありません。

そのプライベートも含めて商業活動であるというのであれば、本人たちにとっては利益なのかもしれませんが、それを知らされる側はあまりいい気がしないと思います。

少なくともわたしはそうです。

個人情報の保護がさけばれて時間が経ちますが、そういいながら他人の隠しておきたいことは覗き見したい…。
そんな大人げない風潮が、私には成熟していない社会だと感じられて残念でなりません。

本人と他人の意識には差があります。個人の間にも差があります。
すべてを何かのモノサシで推し量ることはことはできませんが、相手に対する配慮がもう少しあっていいと思います。

そうなれば、「格差」を話題にすることもなくなるような気がします。







posted by Mr.UFO at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 天声人語
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