新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2016年09月21日
おかえりなさい、営団500形電車(天声人語9/21)
(東京メトロ駅構内)
かつて混雑のひどさで知られた東京地下鉄丸ノ内線を走っていた「500形車両」が帰ってきた。
1996年の引退後、アルゼンチンへ売却された4両だ。
ブエノスアイレスでの20年の務めを終え廃車になるところ東京メトロが買い戻した。
真っ赤な車体に白と銀の横線。
車内のスペイン語の中に運転席のドアの「乗務員室」の表示はそのままだった。
この車両で仕事を覚えたと補修担当の高山由明さん(51)。
若手に仕組みを教えるのには最適だそうだ。
南米から横浜に運ばれた4両を一目見たいとOBらが訪れ車両をさする。
補修作業はいまが佳境。
電車には興味がないんですが車にはあります。
その車輛に携わった方々が、何十年かぶりに帰ってきた「営団500形」を感慨深げにさすった時の気持ち、分かります。
私も最近、数か月ぶりに手元に戻ってきた愛車に話かけたくらいですから。
数か月でそうですから何十年ともなればより一層だと思います。
あらためて「made in japan」のすごさを思い知らされました。
新しいものやその技術も素晴らしいのですが、私が一番気に入ってるのはその”壊れにくさ”です。
どうしても新しい点に目が行ってしまいがちですが、やっぱり使っている間に壊れない事は重要ですよね。
長年使っていると愛着もわき大事にしようと思います。
だけど、修理不能になってしまえば処分するか、代わりの物を準備しなければなりません。
愛着がわいたものに別れを告げるのはつらいもので、それが苦楽を共にしたものとなればなおさらです。
環境問題や多額の維持費がかからなければ今の車も末永く乗ってやりたいです。
買ったときは気に入らない点が多く、乗ってても不満な所はありましたが、離れてみてその良さがよく分かりました。
将来、手放すときはなるべく信頼のおける人に乗り継いでもらいたいです。
そしてまた何年後かに再開できればいいなと思います。
でも、最期は私が看取ります。
かつて混雑のひどさで知られた東京地下鉄丸ノ内線を走っていた「500形車両」が帰ってきた。
1996年の引退後、アルゼンチンへ売却された4両だ。
ブエノスアイレスでの20年の務めを終え廃車になるところ東京メトロが買い戻した。
真っ赤な車体に白と銀の横線。
車内のスペイン語の中に運転席のドアの「乗務員室」の表示はそのままだった。
この車両で仕事を覚えたと補修担当の高山由明さん(51)。
若手に仕組みを教えるのには最適だそうだ。
南米から横浜に運ばれた4両を一目見たいとOBらが訪れ車両をさする。
補修作業はいまが佳境。
感想とか…
電車には興味がないんですが車にはあります。
その車輛に携わった方々が、何十年かぶりに帰ってきた「営団500形」を感慨深げにさすった時の気持ち、分かります。
私も最近、数か月ぶりに手元に戻ってきた愛車に話かけたくらいですから。
数か月でそうですから何十年ともなればより一層だと思います。
あらためて「made in japan」のすごさを思い知らされました。
新しいものやその技術も素晴らしいのですが、私が一番気に入ってるのはその”壊れにくさ”です。
どうしても新しい点に目が行ってしまいがちですが、やっぱり使っている間に壊れない事は重要ですよね。
長年使っていると愛着もわき大事にしようと思います。
だけど、修理不能になってしまえば処分するか、代わりの物を準備しなければなりません。
愛着がわいたものに別れを告げるのはつらいもので、それが苦楽を共にしたものとなればなおさらです。
環境問題や多額の維持費がかからなければ今の車も末永く乗ってやりたいです。
買ったときは気に入らない点が多く、乗ってても不満な所はありましたが、離れてみてその良さがよく分かりました。
将来、手放すときはなるべく信頼のおける人に乗り継いでもらいたいです。
そしてまた何年後かに再開できればいいなと思います。
でも、最期は私が看取ります。
2016年09月20日
シールズ、解散(天声人語9/20)
(若者たちのシルエット)
昨日の国会前で昨年成立した安全保障関連法反対のデモがあった。
その当時、熱を放っていたSEALDsが解散した。
元メンバーに今の思いをたずねた。
津市のアルバイト岡歩美さん(25)
デモは怖いとの思い込みが消えた。
シールズの集会を見て熱くなり、今年の参院選では野党候補の応援に。
米軍の工事が続く沖縄へは2度行った。
沖縄出身の大学生、元山仁志郎さん(24)
自民党に負けた原因を「自分の体温を有権者に伝える戦術が足りなかった」と。
政治に声をあげる台湾や韓国の同世代らと交流し自信をもてたとも話す。
シールズはデモや集会に対する若い世代の意識をかえた。
しなやかな政治参加の仕方を上の世代にも体感させてくれた。
私が大学生だった頃、世間はバブル経済で浮かれていました。
でも当時は「浮かれている」とは思ってなくて、それが「現実」でした。
少しがんばればアルバイトでもかなり大きなお金を手にすることもできましたし、インターネットは無かったけれど楽しい遊びはいっぱいありました。
社会人になる時にバブル経済が崩壊し景気が悪くなったので、それから現在までの間、学生時代のような裕福な時はありませんでした。
時代が変わって、今の若い世代を見て感じるのは、とても堅実。
生活の倹約ぶりには頭が下がります。
趣味の多様化と言いますが、楽しみ方が増えたようですね。
ひとりで楽しむことにもあまり抵抗が無いようですし。
逆に、あまり人と交わらいたがらないようにも感じた時は、すこしさみしい気がします。
そんな若者世代について感心することは、政治への参加です。
このSEALDsについて、その存在をメディアを通して知りました。
主張していることに賛否両論あるようですが、それはさておき、この「学生連合」のような組織を作ったということに、今の若者世代のパワーを感じました。
学生だった頃の私には到底なかった発想で、大人に向かって、社会に向かってモノを言うなんて考えてもみませんでした。
裕福な時代で、なんの不満もなかったからなのかもしれませんが、世の中のことを疑うなんて発想は微塵もなかったです。
だから、たまにキャンパスで活動している彼らを見ても「何をそんなに…」と思ってましたから。
今の若い世代についてあれこれ言われてますが、彼らは育ってきた環境からいろんなことを体験し、それを行動であらわしているだけだと思うんです。
上の世代は「今の若者は〇〇だ」などと言いますが、それはいつも同じ。
私たちは「新人類」と呼ばれてました。
私たちに比べて今の若者は地に足を付けた考え方を持っています。
でも彼らはそう思ってないかもしれません。それが「現実」だから。
昨日の国会前で昨年成立した安全保障関連法反対のデモがあった。
その当時、熱を放っていたSEALDsが解散した。
元メンバーに今の思いをたずねた。
津市のアルバイト岡歩美さん(25)
デモは怖いとの思い込みが消えた。
シールズの集会を見て熱くなり、今年の参院選では野党候補の応援に。
米軍の工事が続く沖縄へは2度行った。
沖縄出身の大学生、元山仁志郎さん(24)
自民党に負けた原因を「自分の体温を有権者に伝える戦術が足りなかった」と。
政治に声をあげる台湾や韓国の同世代らと交流し自信をもてたとも話す。
シールズはデモや集会に対する若い世代の意識をかえた。
しなやかな政治参加の仕方を上の世代にも体感させてくれた。
感想とか…
私が大学生だった頃、世間はバブル経済で浮かれていました。
でも当時は「浮かれている」とは思ってなくて、それが「現実」でした。
少しがんばればアルバイトでもかなり大きなお金を手にすることもできましたし、インターネットは無かったけれど楽しい遊びはいっぱいありました。
社会人になる時にバブル経済が崩壊し景気が悪くなったので、それから現在までの間、学生時代のような裕福な時はありませんでした。
時代が変わって、今の若い世代を見て感じるのは、とても堅実。
生活の倹約ぶりには頭が下がります。
趣味の多様化と言いますが、楽しみ方が増えたようですね。
ひとりで楽しむことにもあまり抵抗が無いようですし。
逆に、あまり人と交わらいたがらないようにも感じた時は、すこしさみしい気がします。
そんな若者世代について感心することは、政治への参加です。
このSEALDsについて、その存在をメディアを通して知りました。
主張していることに賛否両論あるようですが、それはさておき、この「学生連合」のような組織を作ったということに、今の若者世代のパワーを感じました。
学生だった頃の私には到底なかった発想で、大人に向かって、社会に向かってモノを言うなんて考えてもみませんでした。
裕福な時代で、なんの不満もなかったからなのかもしれませんが、世の中のことを疑うなんて発想は微塵もなかったです。
だから、たまにキャンパスで活動している彼らを見ても「何をそんなに…」と思ってましたから。
今の若い世代についてあれこれ言われてますが、彼らは育ってきた環境からいろんなことを体験し、それを行動であらわしているだけだと思うんです。
上の世代は「今の若者は〇〇だ」などと言いますが、それはいつも同じ。
私たちは「新人類」と呼ばれてました。
私たちに比べて今の若者は地に足を付けた考え方を持っています。
でも彼らはそう思ってないかもしれません。それが「現実」だから。
2016年09月19日
桃源郷はどこにあるか(天声人語9/19)
(桃源郷?)
映画「ふたりの桃源郷」は山口放送が追った老夫婦の実話。
寅夫さんとフサコさん夫婦は還暦を過ぎて、3人の娘の説得を拒み、終戦直後にふたりで開墾した思い出の地へ移る。
だが老いは容赦なし。心臓を患い夫が倒れ、認知症が妻を襲う。
親を支えたいと思っても現実には無理。老いた親との関係に悩む人々から共感の声が届くと、佐々木聰監督(45)は話す。
韓国映画「あなた、その川を渡らないで」も老夫婦のドキュメンタリー。
おそろいの韓服を着て仲よく暮らす「純愛物語」。しかし、心配する子供達同士が言い争い親を悲しませる。
2作品とも自分の両親や祖父母の事が重なった。
桃源郷とは場所ではなく心の中にあるもの。
老後の事を考えるとまったく明るい材料がない。
仕事、プライベート、お金…どれを取っても不安になります。
いま、唯一誇れることは健康であること。
これだけなので、健康に留意して老後を迎えようと思います。
最近、親との話がかみ合いません。
むこうの言ってることは分かりますが、こっちが言うことを理解してません。
理解していないというか、覚えていません。
「あれっ、そんなこと言ったっけ?」が常套句です。
昨日も覚えていない事を指摘すると「逆切れ状態」に。この辺は現代っぽい。
「まぁいいか」で済ませるのか、「根気よく何回も説明」するのが良いのか分かりませんが、今のところは根気よく説明しています。かなり怖い顔をしてるでしょうけど…
高齢になっても支えつづける夫婦に憧れます。
よくそこまで相手を認め続けられるものだと感心します。
夫婦が同じ歩調で成長したからなのでしょうか?
私は自分の考え方の成長と妻のそれとが別々の方向に行ってしまいましたので、認めあったり、許し合い赦し合うことができませんでした。
そんなケースもありますよね。
なので、今は身軽になり明るくなり自由を謳歌しています。
これからの人生、自分の桃源郷を見つけようと思います。
が、すでに頭の中にあるようです。
映画「ふたりの桃源郷」は山口放送が追った老夫婦の実話。
寅夫さんとフサコさん夫婦は還暦を過ぎて、3人の娘の説得を拒み、終戦直後にふたりで開墾した思い出の地へ移る。
だが老いは容赦なし。心臓を患い夫が倒れ、認知症が妻を襲う。
親を支えたいと思っても現実には無理。老いた親との関係に悩む人々から共感の声が届くと、佐々木聰監督(45)は話す。
韓国映画「あなた、その川を渡らないで」も老夫婦のドキュメンタリー。
おそろいの韓服を着て仲よく暮らす「純愛物語」。しかし、心配する子供達同士が言い争い親を悲しませる。
2作品とも自分の両親や祖父母の事が重なった。
桃源郷とは場所ではなく心の中にあるもの。
感想とか…
老後の事を考えるとまったく明るい材料がない。
仕事、プライベート、お金…どれを取っても不安になります。
いま、唯一誇れることは健康であること。
これだけなので、健康に留意して老後を迎えようと思います。
最近、親との話がかみ合いません。
むこうの言ってることは分かりますが、こっちが言うことを理解してません。
理解していないというか、覚えていません。
「あれっ、そんなこと言ったっけ?」が常套句です。
昨日も覚えていない事を指摘すると「逆切れ状態」に。この辺は現代っぽい。
「まぁいいか」で済ませるのか、「根気よく何回も説明」するのが良いのか分かりませんが、今のところは根気よく説明しています。かなり怖い顔をしてるでしょうけど…
高齢になっても支えつづける夫婦に憧れます。
よくそこまで相手を認め続けられるものだと感心します。
夫婦が同じ歩調で成長したからなのでしょうか?
私は自分の考え方の成長と妻のそれとが別々の方向に行ってしまいましたので、認めあったり、許し合い赦し合うことができませんでした。
そんなケースもありますよね。
なので、今は身軽になり明るくなり自由を謳歌しています。
これからの人生、自分の桃源郷を見つけようと思います。
が、すでに頭の中にあるようです。
2016年09月18日
こち亀は連載終了しても、亀有は不滅!(天声人語9/18)
漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が40年の連載を終えた。
めでたさ半分、さびしさ半分。
主人公で警視庁の巡査長・両津勘吉が起こす夢の大きいホラ話が痛快だった。
おせっかいだけど人気があって、町内会などを仕切りたがるおじさんがモデルと作者の秋本治さん。
言いたいことは両さんに言わせているのでストレスは溜まりませんと、ご本人はいたって大人しい。
舞台のJR亀有駅前には両さんや登場人物の銅像が15体立つ。
台湾でもはちゃめちゃという語感の「烏龍派出所」の題で人気らしい。
実感したのは作品と舞台の相性の良さ。
連載は終わっても街のにぎわいは変わらないと感じた。
感想とか…
生まれ育ったまちにはあまり愛着がありません。
単にこぎれいな住宅が立ち並ぶ閑静な団地なので、歴史も連帯感もなくただ自身の成功をひけらかしている街のように感じています。
いま、その街に20年ぶりに帰ってきました。
古くなった建物の取って付けたような修理の箇所がところどころ新しい。
数軒は表札が変わり、数軒は空き家になってます。
続けなければ自分の代で終わらせたとの汚名が残ると、必死で活動している自治会。
その担当者はみな高齢者で、話がスムーズにまとまらない。
私の実家も当時とは建て替えられており、「実家」のイメージはありません。
自分の部屋も新しくなっているので誰かの部屋みたいに感じてます。
人に関わるのが億劫でわずらわしい…
そんな自分が嫌いなので、「こち亀」の世界にはかなりの憧れを持っています。
ただ、自分があの世界に入れるかというとそれは別の話。
静かにひっそりと人様に迷惑をかけずに暮らしていきたいと思っています。
でも、人が集まる場所は好きです。
話すのも、お酒を飲むのも大好きです。
どうしたもんじゃろのぉ…
いままで生きてきていろんな揉め事に遭遇しました。
自分の優しさ、弱さ、引っ込み思案なところが裏目にでて、恥をかいたりしました。
だから多くの人と関係を持つのが苦痛です。
もういい年なので、これ以上傷つきたくないからです。
だれにも迷惑をかけずにひっそりと暮らして、そのまま誰にも知られずにあの世へ行きたいと思います。
自分のことはあまり印象に残ってないと思います。
先生や友人、上司、同僚。家族・親類もそうだと。
それでいいです。
2016年09月17日
沖縄にみる地方自治のありかた(天声人語9/17)
(沖縄県辺野古の海)
1995年9月、当時の沖縄県知事・大田昌秀さんは国から訴えられた。
米軍の軍用地使用について知事が地主の代理で署名を行う慣習を拒否したために。
学徒兵として一緒に戦った戦友の名が刻まれた「平和の礎」に訪れ、悩んだと著書にある。
20年後、またもや沖縄県は普天間飛行場の辺野古地区への移設問題で国から訴えられ敗れた。
翁長雄志知事は日本の地方自治に禍根を残すと話した。
「抑止力」は他国にではなく沖縄に向けられているのか。
東村高江周辺へのヘリパッド移設工事の工事車両を自衛隊機が空輸した。
県外からの機動隊導入、取材記者の排除。
高裁判決は今回の判決に地方自治の精神を用いたが、結局は国の主張を認めた。
白黒ついたことで本土と沖縄の分断が深まる。
知人が以前に沖縄へよく出張していました。
そのきれいな海と底抜けに明るい人たちと夜の宴会に、仕事を忘れて楽しい時間を過ごしたと話していました。
私のルーツもどうやら南方系で数世代前の苗字には沖縄を意味する字があったそうです。
いわゆるこてこてのソース顔。
若いころは嫌いでしたが、今はそうでもないです。諦めたというか…
小学生の頃、沖縄の交通ルールが変わり、クルマの通行が左側通行になったことを記憶しています。
当時のニュースで、今までの慣れから交差点で右側車線に入ろうとして、危うく難を逃れた映像を見た気がします。
高校野球でも沖縄県代表の高校は「甲子園の土」を持って帰れなかったとか。
沖縄県と国とのこれまでのやり取りをみていると、本当に「本土復帰」を果たしているのかなと考えさせられます。
国と県。
地方自治とかなんとかいっても結局は国が勝つ。
地方自治を認めるとしながら、その解決策は国側の主張を認めたものになる。
沖縄県が怒って当然だと思います。
米軍の基地問題については一長一短あると聞きます。
基地関連の仕事をされている方には生活が懸かっていますし、他方、米軍の犯罪行為は後を絶ちません。
人種や国民性や職業性質、それぞれの利害関係が複雑に絡んでいるので、本当に難しい問題だとは思います。
でも、どうして沖縄の人たちが安全に安心して暮らせるように、国も米軍も配慮できないのでしょうか…
1995年9月、当時の沖縄県知事・大田昌秀さんは国から訴えられた。
米軍の軍用地使用について知事が地主の代理で署名を行う慣習を拒否したために。
学徒兵として一緒に戦った戦友の名が刻まれた「平和の礎」に訪れ、悩んだと著書にある。
20年後、またもや沖縄県は普天間飛行場の辺野古地区への移設問題で国から訴えられ敗れた。
翁長雄志知事は日本の地方自治に禍根を残すと話した。
「抑止力」は他国にではなく沖縄に向けられているのか。
東村高江周辺へのヘリパッド移設工事の工事車両を自衛隊機が空輸した。
県外からの機動隊導入、取材記者の排除。
高裁判決は今回の判決に地方自治の精神を用いたが、結局は国の主張を認めた。
白黒ついたことで本土と沖縄の分断が深まる。
感想とか…
知人が以前に沖縄へよく出張していました。
そのきれいな海と底抜けに明るい人たちと夜の宴会に、仕事を忘れて楽しい時間を過ごしたと話していました。
私のルーツもどうやら南方系で数世代前の苗字には沖縄を意味する字があったそうです。
いわゆるこてこてのソース顔。
若いころは嫌いでしたが、今はそうでもないです。諦めたというか…
小学生の頃、沖縄の交通ルールが変わり、クルマの通行が左側通行になったことを記憶しています。
当時のニュースで、今までの慣れから交差点で右側車線に入ろうとして、危うく難を逃れた映像を見た気がします。
高校野球でも沖縄県代表の高校は「甲子園の土」を持って帰れなかったとか。
沖縄県と国とのこれまでのやり取りをみていると、本当に「本土復帰」を果たしているのかなと考えさせられます。
国と県。
地方自治とかなんとかいっても結局は国が勝つ。
地方自治を認めるとしながら、その解決策は国側の主張を認めたものになる。
沖縄県が怒って当然だと思います。
米軍の基地問題については一長一短あると聞きます。
基地関連の仕事をされている方には生活が懸かっていますし、他方、米軍の犯罪行為は後を絶ちません。
人種や国民性や職業性質、それぞれの利害関係が複雑に絡んでいるので、本当に難しい問題だとは思います。
でも、どうして沖縄の人たちが安全に安心して暮らせるように、国も米軍も配慮できないのでしょうか…
2016年09月16日
泥沼から始まるたたかい(天声人語9/16)
蓮はアジアで「特別な花」と見られている。
仏の台座や平和の象徴とされることから。
自民党幹事長の二階俊博氏が日本の蓮を中国やインドで咲かせる運動が進んでいると紹介した。
「蓮は泥に染まらず清い水に洗われて咲く」との中国の言い回しもある。
民進党の代表に蓮舫氏が選ばれた。
激動の時代を生きた祖母が、平和の願いを込めて氏の名前に蓮の字を望んだという。
参院選後の世論調査で「野党に魅力がないから与党が勝った(71%)」や、「首相の政策を評価する人は15%にとどまる」といった結果に。
仏大統領ミッテラン氏は信用を失うと投げやりになるが、辛抱強く取り組めば状況は変えられると。
(ヴィノック著『ミッテラン』)
泥沼から始まる蓮舫氏のたたかいに注視。
感想とか…
どうしても昔のグラビアアイドル時代を思い出してしまいます。
とくに好きだったわけでもなかったのですが、当時から気の強い人柄が気になっていました。
政界に進まれたとき、正直な感想として「タレント議員がまた増えた…」くらいにしか思っていませんでした。
グラビアアイドルのイメージが強すぎたから…
最近では「仕分け」で聖域に斬りこむ様子が印象的でした。
そのとげとげしい様子は「男に負けたくない、権力に負けたくない」と必死に奮闘しているように見え、なんだか「かわいそう」と感じました。
決して差別ではないのですが、女性は「女性特有のモノ」で勝負しても良いのではないかと思います。
優しさとか柔らかさとかしなやかさとか。
母性という力を発揮するべきだと思います。
稲田防衛大臣を見て、最近やけに「しっとりしてるな」と感じるのは私だけでしょうか?
以前の答弁や発言の様子と最近のそれとでは、かなりの違いが見られます。
政治家として良いのか悪いのかは分かりませんが、いち国民としては非常に親近感が湧きます。
蓮舫さんに女性らしさがないと言ってるのではありません。
私には昔のイメージがあるので…
だからこそ、そんな蓮舫さんには一歩引いたというか、どっしり構えたというか、野党だからといって安倍さん達に激しく向かうのではなく、その魅力でしなやかに攻撃して欲しいです。
小池都知事も奮闘されています。
女性ならではの強さと柔らかさとしたたかさとコミュニケーション力で日本を良くしてもらいたいです。
「元始、女性は実に太陽であった」。今も、である。
2016年09月15日
今年は残念な「中秋の名月」か(天声人語9/15)
1969年にアメリカの少年が航空会社に将来の新婚旅行として月旅行を予約したと。
当時の人々の夢とは裏腹に宇宙開発は米露の威信をかけた競争であった。
国連で採択された「月協定」。
月の資源は公平に分配するとの内容だが、宇宙開発をリードする国々は署名していない。
将来どこかの海のように「いさかい」が起きないだろうか。
今宵は中秋の名月。
ロシアの民俗学者ネフスキーは月をモチーフにした詩が日本や中国で多いと驚いた。
日本人にとって月とは「いつか終わりが来ることを感じさせられるもの」らしい(「月と不死」)。
慌ただしい日常に月を探してみてはどうか。
感想とか…
最近になるまで中秋の名月を意識した事がありませんでした。
特に忙しかったわけでは無いのですが、そもそもあまり縁がなかったというか、興味が湧かなかったというか…。
中秋の名月に限らず、天の川、オリオン座、北極星など小学生が習う天体観測に出てくるようなものでさえ見たことがないです。
正直に言うと、見たりはするんですが、果たして今見てるものが正しいものなのかがわからない…
さすがに月は分かりますが、「あの〇〇星、綺麗だなぁ」なんて見てたのが実は全然違ってた!何てことになってるのではないかと不安になります。
手は届かないので、レーザーポインターか何かで「これが北極星です」とか言ってくれれば良いのですが。
さらに、雨男とくれば天体の方から「君は見なくていい」と言われてる気がします。
嫌いではないのですが…
先月のある晩、真夜中に月明かりで目が覚めました。
真っ暗な部屋のなかに差し込む月光はとても神秘的で、何万年も前に放たれた光が今ようやくここにたどり着いたんだなと思うと余計です。
そんな経験から、何か良いものはないかと探してみれば「星座表」なるアプリにたどり着きました。
スマホ上に天体が現れ、スマホを上下左右に動かすとそれにアプリ上の画面も反応する。
おまけに、この星は何々星とか説明もしてくれる。
これです!これを待っていました。
(随分前からあったみたいですが…)
早速探してみると、私が認識していた星などは、案外合っていてほっとしました。
もし私が太古に暮らす人だったら、一度海に出てしまうと戻れなくなってしまうでしょ。
2016年09月14日
「言語明瞭、意味不明」な知事の功績(天声人語9/14)
新潟県の泉田裕彦知事は4期目に立候補するとしながら突然やめた。
県の出資事業について、新潟日報の報道では自身の訴えが県民に届かないとの不満があるようだが。
地元政界では、自民党が推薦しなかったり市長会などが県政を批判したりと、泉田離れが進んでいる。
泉田氏が「変人」「変わり者」と評される理由に、行き過ぎた言動や自分の意見への固執があるようだ。
一方、彼の功績は柏崎刈羽原発の再稼動に「事故の検証が先だ」と正論を続けたことなど。
彼ほどの突破力が無ければ実現できなかっただろう。
誰が次の知事になっても「言語明瞭、意味不明」の説明のままの再稼動は願い下げだ。
感想とか…
まさに表裏一体のはなしです。
私の知人にも似たような輩がいます。
嫌われてるのに印象に残る。何かと話題に出てくる。
こっちがイライラしてるのも知らん顔。
私の世代、あまり意見を述べたり人前に出る事は「はしたない」まではいかなくても、あまり良くは思われないとされてきました。
ところが、社会人になると一転。
何か意見が無いのか?座ってるだけか?などとよく叱られたもんです。
今になった思うのは、やはり学生時代の「何となくそんな雰囲気」の方を残念におもいます。
だからと言って、自分の意見をどんどん言うなんて事はやっぱり出来ないかなぁ…
性格もありますし。もともとそうなんですかね?
何か物事を推し進めていく時に突破力は大事です。
今までそうじゃなかった所に違ったものや事を起こすのって、結構パワーが要りますよね。
それがその人にとっての目標ないし願望であれば良いのですが、会社の方針に従って、イヤイヤながら、納得できないまま、となるとストレスがかかります。
ことに臨む時はなるべくワクワクした気持ちでいたいです。
きったその方が結果に満足できるはず!
2016年09月13日
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン!(天声人語9/13)
映画「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」でその男は21歳になるまでに製図板や印刷機を使って250万ドルを手にした。
ペテンのアーティストなどと呼ばれた男はその金を車や豪遊に使った。
(「世界を騙した男」)
富山市議会で政務活動費を不正に受給したとして市議が3人も辞職した。
パソコンで領収書を偽造したようで悪質である。
元議長の中川勇氏は5年間で約695万円。飲食やゴルフに充てた。
誘われれば嫌と言えない性分らしい。
ひとつ白紙の領収書をよろしく…。
1990年ごろにあったコミックソングの世界がこんなところに生き残っていた。
政務活動費の元は税金。
富山市では月額60万円の議員報酬を70万円への増額が決まったばかり。
感想とか…
車、ゴルフ、お酒…。どれも魅力的な要素です。
高級車を乗り回している自分、ゴルフのスコアを自慢する自分、馴染みの店など付き合いの多さを自慢する自分。
私の中でもない訳ではないです。
ただ、その場合は自分のお金でする事が前提です。
というか、そもそも前提でも何でもな、ごく当たり前の事だと思っていました。
そのためにお金をどう稼ぐか、どう働くかを考えて日々頑張っているのでは?
お金ってそんなに簡単に手に入るものなんですね。
先日の天声人語で貧乏が取り上げられてましたが、その中で富裕層の倫理観を求めるとありましたが、この事を指してるのでしょうか?
私は収入と責任は比例すると考えています。
それだけ責任を負っている人にはそれだけの報酬があって良いという意味です。
民間企業よりも公共性の高い仕事に就いておられる方々の責任はとても重いと思います。
だから然るべき報酬はあって当然です。
なので逆も同じ。
公共性の高い方々の罪は重いです。
なぜなら人の信用を裏切ったから。
物の売り買いはその場限りでケリがついても、信用となるとそうはいかない。
「誘われれば断れない性分だから…」なんてよくコメントできましたね。
2016年09月11日
100年前からの「貧乏物語」(天声人語9/11)
経済学者河上肇が大阪朝日新聞に連載した「貧乏物語」は開始からあすで100年になる。
英国の統計をもとに貧乏の問題を大正時代に示したが、いまの話ではないかという気がする。
毎日働いているのに生活必需品が手に入らない。
巨万の富はわずかな人に。
「ワーキングプア」の言葉が生まれた現代社会と重なる。
貧乏な家庭に生まれた若者が十分な教育を受けられないことも嘆いた。
学問は決して贅沢ではないと。
「1億総中流」とはもう昔の言葉である。
「子供の貧困」が言われ、「貧困の世襲化」が指摘される。
いま、貧乏が問題になっている事を考えたい。
河上は資産家や実業家に人を思いやる倫理を求めた。
政治の貧困対策、再配分への取組みが急がれる。
感想とか…
100年前の貧乏と今のそれとは同じでしょうか?
教育が普及していなかった時代と今。
モノがなかった時代と今。
情報の伝達速度が遅かった時代と今。
今の貧乏は戦後の高度経済成長期を経てバブル経済の崩壊、リーマンショックの悪夢から立ち直れていない貧乏だと思います。
なぜなら貧乏でも携帯電話を契約し、マイカーに乗り、レジャーに出かけているからです。
月々の携帯電話代、マイカーにかかる費用、レジャーに使うお金、それぞれを子供のために使ったら、今の時代も決して貧乏ではないと思います。
なぜ携帯電話を手放せないか、なぜマイカーを手放せないか、なぜ流行りのレジャーをやめられないか。
それは今の時代の人に植え付けられている「人並みでありたい」という感情が大きく影響しているからです。
みんな持ってるから自分だけ持ってないのは恥ずかしい。負けている気がする。
そんな感情を抱かせるのもメディアなどで「勝ち組、負け組」なる言葉を流行らせたことの原因もあると思います。
未だにTVやラジオ、新聞や雑誌に掲載されている情報はとても影響力がある。
それにインターネットでの個人からの情報提供も加わってとてつもない威力となっています。
一方で、そんなメディアの情報の裏側を暴くのもインターネット。まさに、諸刃の剣ですね。
就業形態の圧倒的多数を占めるサラリーマン。
その労働力の提供を受けている経営者。
バブル崩壊、リーマンショック以降、一方はシビアになったけど、一方は旧き良き時代の到来を待ちわびる。
このような意識差がある間は、決して両者はハッピーになれる訳がないです。
日本人の学力が落ちたとメディアで言われてますが、どうなんでしょう?
そんなことはないと思いますが、確かに勉強する内容が実社会からかけ離れていることは確かです。
とくにお金についての教育はなにもなされない。
学生時代に初めてバイトを経験し、銀行口座をつくり、収入を得るようになるくらいの時に、お金に関する教育をするべきではないかと考えます。
そうすれば、自分の生活の中でのバランスや無駄が見えてくるとお思いますが、いかがでしょう?