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2016年09月11日
100年前からの「貧乏物語」(天声人語9/11)
経済学者河上肇が大阪朝日新聞に連載した「貧乏物語」は開始からあすで100年になる。
英国の統計をもとに貧乏の問題を大正時代に示したが、いまの話ではないかという気がする。
毎日働いているのに生活必需品が手に入らない。
巨万の富はわずかな人に。
「ワーキングプア」の言葉が生まれた現代社会と重なる。
貧乏な家庭に生まれた若者が十分な教育を受けられないことも嘆いた。
学問は決して贅沢ではないと。
「1億総中流」とはもう昔の言葉である。
「子供の貧困」が言われ、「貧困の世襲化」が指摘される。
いま、貧乏が問題になっている事を考えたい。
河上は資産家や実業家に人を思いやる倫理を求めた。
政治の貧困対策、再配分への取組みが急がれる。
感想とか…
100年前の貧乏と今のそれとは同じでしょうか?
教育が普及していなかった時代と今。
モノがなかった時代と今。
情報の伝達速度が遅かった時代と今。
今の貧乏は戦後の高度経済成長期を経てバブル経済の崩壊、リーマンショックの悪夢から立ち直れていない貧乏だと思います。
なぜなら貧乏でも携帯電話を契約し、マイカーに乗り、レジャーに出かけているからです。
月々の携帯電話代、マイカーにかかる費用、レジャーに使うお金、それぞれを子供のために使ったら、今の時代も決して貧乏ではないと思います。
なぜ携帯電話を手放せないか、なぜマイカーを手放せないか、なぜ流行りのレジャーをやめられないか。
それは今の時代の人に植え付けられている「人並みでありたい」という感情が大きく影響しているからです。
みんな持ってるから自分だけ持ってないのは恥ずかしい。負けている気がする。
そんな感情を抱かせるのもメディアなどで「勝ち組、負け組」なる言葉を流行らせたことの原因もあると思います。
未だにTVやラジオ、新聞や雑誌に掲載されている情報はとても影響力がある。
それにインターネットでの個人からの情報提供も加わってとてつもない威力となっています。
一方で、そんなメディアの情報の裏側を暴くのもインターネット。まさに、諸刃の剣ですね。
就業形態の圧倒的多数を占めるサラリーマン。
その労働力の提供を受けている経営者。
バブル崩壊、リーマンショック以降、一方はシビアになったけど、一方は旧き良き時代の到来を待ちわびる。
このような意識差がある間は、決して両者はハッピーになれる訳がないです。
日本人の学力が落ちたとメディアで言われてますが、どうなんでしょう?
そんなことはないと思いますが、確かに勉強する内容が実社会からかけ離れていることは確かです。
とくにお金についての教育はなにもなされない。
学生時代に初めてバイトを経験し、銀行口座をつくり、収入を得るようになるくらいの時に、お金に関する教育をするべきではないかと考えます。
そうすれば、自分の生活の中でのバランスや無駄が見えてくるとお思いますが、いかがでしょう?