今回はフリゲレビュー……そのものについて。
といってもあくまで私の感想100%でありこのブログのスタンスの説明なので、
この概念はこうである、これが答えだ、これが正解だ…などという高尚なものではない。
むしろ、読む人が読めば「何を当たり前のことを」「何を今更」と思うだろう。
▼何のために書くのか?は以前やったので、今回は「誰のために書くのか?」…
…以前さらっと書いた題材に、ズームする
私にしては珍しくオチ(?)がある…かもしれない
▼ツイッター(もうXか)をやっていたらフリゲレビューに関するツイートが流れてきたが、発信源はどこだろう?誰かが問題提起したのだろうか?
ノベコレやノベルゲームレビューについての発言も、ちらほら見られるが…
色々な意見があるようなので、私も改めて表明する。
現在の(もはやこの数年間の)ノベルゲームレビュー界隈の問題点を度々指摘してきたが、
やはり最大の問題点は多くのレビュー感想が、作者のため……のみに書かれている事と見ている。
書く人間の目線が、まるでプレイヤーに向いていない。レビュアーと作者のコンタクトに終始している。
レビュー感想は多数存在するプレイヤーのためのゲーム選びの参考書なので、その役に立たないならば、自慰は言い過ぎにしても、独りよがりな自己満足に過ぎないじゃないかと懐疑的に見ている。
メッセージを送れば済むようなことが、「レビュー」として投稿されていることにも違和感がある。
▼この問題も以前触れたが、数あるノベルゲームレビューブログやnoteはありとあらゆるジャンルのレビューサイトの中でも、特別に質が低いと感じる(だからやはり、伸びが悪い)。ノベルといえば読み書きなのに、実に不思議なものだ。
どんな下手な文章でも読めば「この人は下手なりにこういうことを伝えたいんだな」と分かるものだが、その片鱗すら感じられない。
単なる説明文や謎の絶賛の嵐であることが多いのだが、本当にそれだけで終わっているから、読み終わっても「結局何が言いたいんだろう?」となる。
ふれあいを通り越したなれあい。界隈がコミュニティ重視になりすぎているようにも思う。
作者のために…というよりも…、作者と親しくなるために書かれたレビューだと思ってしまうようなものさえあり(特殊なコミュニティ下に於いて作者のモチベーターになっていることは認めるにしても)、
それはすでに、レビューではなくレビューした後の行いが目的となっている気がしてならない。
作者ファーストは結構だが、他に大勢存在するプレイヤーの存在を忘れてはならない。
▼これも以前書いたが、「フリーゲーム 優しい世界」のノベルゲームレビューは、
それらのノベルゲームレビューが参考にならないと思っている方に向けているため、その作品の作者よりも大多数存在するプレイヤーを主な読者ターゲットにしている。
揚げ足取りを防止するため言い含めると、作者を軽視しているわけではない。ファーストではないというだけだ。
ファーストはあくまで作者諸兄姉の作り出した「作品」である。
▼ノベルゲームレビューのアクセスは相変わらず堅調なので、このようなレビュースタイルは需要が高いのだろう。
数カ月間やっていなかったノベルゲームレビューを、最近、意識的に多く書いている。
おそらく少数派というよりはもはや絶滅危惧種である私のような人材のノベルゲームレビューを参考にして下さる読者の方々に、私は最大限以上の敬意を払っている。
はったりじゃない。我ながら実に遜っているなというコメントも、読者に対して残している。
▼今後もノベコレやブログnoteと違い、あくまで作者ではなく「作品のためのレビュー感想」「多くのプレイヤーのためのレビュー感想」であり、絶賛ばかりのそれらと違い、時には手厳しい意見を書くことを、改めてここに記しておく。
今回は話を分かりやすくするためノベルを引き合いに出したが、このブログのレビューは全てそのスタンスである。
ではノベル以外のフリーゲームレビューは、誰に対して書いているのか?
界隈の事情が異なるため、実はスタンスが少しだけ違う。
これについてはまた機会があれば書くと思う。
▼余談だが、度々議論される「レビュー」と「感想」の違いだが、
本ブログではレビューは未プレイ者への客観的な説明、感想は書き手がそれについて主観的にどう思ったか、としている。
理由は簡単で、この区分けがもっとも世の中に通っていると感じたからだ。
正確な言葉と伝わる言葉はまた別なのだが、その感覚が欠如した人は多い。
言葉とはなんでもばか正直に使えばいいものではない。
そのこともあり、私は「レビュー感想」と一括りにしている。実に便利な言葉だ。
この2つの違いをあーだこーだ、あーでもないこーでもないとネット上だけでも膨大な意見が飛び交うが、そのほとんどがミステリとサスペンスの違いを「サスペンスは事件前に犯人の正体がわかるやつ」とするくらい、当てにならないものだ。
【このカテゴリーの最新記事】
本人から依頼されたところで否定的なことは一切書けないし、忖度や詭弁だらけで、何の意味も無いだろうと…。
そのような積み重ねで「私は貴方のゲームを否定しないから、貴方も私のゲームを否定しないでね?」が形成されたのか、やはりあの界隈は恐ろしくズレており、レビューは建前で、その後が目的なのかなと思ってます。
まあレビュー依頼自体は他の界隈でもありますが…本人が依頼するパターンは、ノベルゲーム界隈くらいかも?
わたしはあなたのゲームを称賛するからあなたもわたしのゲームを称賛してねという意識は蔓延してそう
その結果が今
でなければレビュー依頼なんてアホなものはないのでは?
私も最大の味方にして最大の敵である自分自身と、いつも考えるきっかけを与えてくれるフリーゲーム製作者の方々を応援しています。
そのような発言をしてくださる、某さんのこともです。
一昔前、日本人が過度に日本を賛辞する、通称「ホルホル番組」が流行りました。現在それらは廃れ、代わりにYouTube上には多くの「ホルホル動画」がアップされています。
皆さんもやたらと「こんなに凄い日本人!」「世界が日本の〇〇に驚愕!!」「日本の学生が中国人留学生を完全論破!!」といったきわめて根拠の薄い動画(大半が出典すら記載されていない)がアップされているのを見た事があると思いますが、私はノベルゲームレビュー界隈にそれと同じにおいを感じており、信憑性が乏しく、認知やアイデンティティに歪みが見られ、別目的で過度な賛辞を行っていると思しきレビューを「ホルホルレビュー(ホルホルレビュアー)」と密かに呼んでいます(この言葉を使った事はありませんが、「あ、またホルホルレビューが投稿されてる…」のように思考しています)。
やはり一部界隈の事にせよ、フリゲレビューは昔と変わってしまったようで残念です。しかしいつか触れたように、あれはあれで独自のコミュニティと文化が形成されているので、その中でやる分には良いとも思ってます。…外側から見ると、アレなだけで……。
……難しいですよねぇ……やはりどこか、ゲームといえば任天堂!コスメなら資生堂!……のように、1つでも「ノベルゲームのレビューならここ!」というサイトがあればいい……、総合的なレビュー投稿サイトがよさそうですが、現状機能しているのがエロゲー批評空間だけなのが、あまりにも皮肉です。
……
…
ちなみに私は立ち上げません。前にも言いましたが選択肢やゲーム性が無い読むだけノベルは余り好きではないし…、だからこそ、ゲーム性が高く頭を使わないとクリアできない恋愛SLG「ヒカリノチハレ」にハマったわけで…、逆に、選択肢がないところにゲーム性を持たせた「死月妖花」は例外中の特別でした(ボリュームありすぎて選択肢なんて作ってる暇がないって事情もありそう。フラグ管理だけでも恐ろしい)。
商業のノベルやADVは大好物なのにもう長い間プレイしてないので、「パラノマサイト FILE 23 本所七不思議」が気になってます(スマホでも出来るし、「探偵・癸生川凌介事件譚」の製作者の一作なので)。
掃き溜めに紛れた鶴を見逃してしまうリスクがありますが、いっそ「見ない」も1つの選択だと思います。
昔、イチローがレベルの低い記者の的外れな質問に対して「下らない事を聞かないでね」と釘を刺していましたが、
あれはイチローが時間やタスクの無駄を嫌ったのではなく、自分の中で確立された理論に、僅かであってもズレが生じる事を嫌ったのかもしれないと、今になって思います。
イチローほどの男でもそうかもしれないので、一般レビュアーが一般と乖離したノベルゲームのレビューを読んでしまうと、
少なからず悪いほうに引っ張られてしまう可能性があるため、最近は意識的に読まないようにしています。
また、あなたがレビュアーでないのなら、今度は「読み」のセンサーに狂いが生じる可能性があるため、やはりおすすめはしません。いまはレビューを読む側も取捨選択の時代かもしれません。
いまは皆書くことが同じなんで数があっても意味はないかなあと思ってます
ノベルゲームの評価はマイナスして見ないととにかく名作とか神ゲーのハードルが落ちたので単純に読みづらいとも思います
他人が本当にそう思うなら構いませんが平凡なゲームでもまるで名作のような評価をつけられてるのをよく見ます
フリーソフトですし駄作はいくらあってもよい自由な世界ですが駄レビューは何かが狂う危険性を孕むため、その警鐘を鳴らす側面を持つ記事が同意を得られた事は、私や現状を憂う方々にとっては良い事と思います。
いつのまにか正論いうようになったな
先日のウディコンでもレビューが活発に投稿されていましたが、やはりノベルゲームレビューに多く見られるような意味不明なものはほとんどなく、レビューってやっぱりこういうもんだよなぁ…と思うに至りました(今も取りこぼした良作を参加者のレビューを参考に、プレイしています)。
プレイヤーが視ているのは、あくまで「SIBLINGS」「文無し行商人の遺跡探索」などの「作品」ですから。
ところがひとたびノベルゲームレビュー(レビュアー)となると、作者へのコメントや交流が目的となってしまうのですよね。
件のツイートも調べた範囲では、ノベル系作者・レビュアーが誰もイイネしていなかったのは、非常に分かりやすくもあり、興味深いデータです。やはりもう、フリゲレビューの世界も棲み分け、分断されているようです。別に一枚岩である必要もないのですが。
記事を含め、これらも単なる私の考察です。
昔はみんなで批評して作品を育てるという土壌があったけどいまは作者のご機嫌とりが主流になったので変なのだと思います