2017年01月17日
映画「晩春」の感想…今でも泣けるし良い映画。
今日は映画「晩春」の感想です。
ここ最近は、映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」とか映画「ヒロイン失格」みたいな映画を観ていたので、
ちょっと腑に落ちない感覚だったので、ここで基本に戻ろうと思い小津安二郎監督作品を選んだ。
ここで言う基本とはやはり「1.スジ 2.ヌキ 3.ドウサ」です。
いつも細かいところつついて、あそこがダメだここがダメだなんて言っていますが、
そういうところは実はそこまで大事ではなくて、
映画を観て面白いと思うか、感動できるか…そして、そのために何をしているのかが大事かなと。
「主人公に感情移入できない恋愛映画は致命的」だと思う自分の価値観が間違ってないと確かめるかの様に、
世界的に認められた監督の作品にあえて今、手を伸ばした訳です。
今回は「dTV」を「Chromecast」を使ってテレビで鑑賞しました。
映画「晩春」は1949年に公開された、先ほどもふれました小津安二郎監督作品。
70年近くも昔の映画ではありますが、世界の小津と言われる監督作品の中でも人気の映画。
いたるところでこの映画「晩春」について語られているので、今更自分が感想を書くのもどうなのか、
という考えもあったけど、せっかく「観た」のなら、その時思った事を残しておくのも良いのかなと。
映画はなるべくリアルタイムで映画館で観るのが良いのは間違いないと思う。
作り手もそのつもりで作っているのだから、何十年も経ってどうこう言われるのは想定もしてない訳で。
ただ、それでも映画って、いつ、どこで、だれと、どのように、どんな理由で観たかで感想なんて変わるもの。
今観た感想、これも1つの意味がある…なんてね。
小津安二郎監督について話をしていると、それだけで長文になってしまいますし、
それこそ色んな方に語りつくされている感もあるので、今回は作品についての感想を書こうと。
ただ、どうしても作品を語る上でも「小津安二郎」という人間無しには不可能ではあります。
その中でも触れて起きたいのは独特のローポジションから撮影される構図。
日本人の正座した時の視線とか観客が劇場で観る視線とか色々言われているが、
確かに今観ても不思議な画作りになっているし。
当時は基本和室なので正座で役者が演じているのに、さらにそれをローポジションで撮影しているので、
撮影現場ではどんだけ三脚低いんだって思う。
で、ローポジションからの独特の構図は確かに目を引く要素なんだけど、
それ以上に1カット、1カットが本当に丁寧に撮影されている。
画面は「4:3」サイズで、今主流のワイド画面に比べて引き画には圧倒的に不利なのに、
それでも引き画で「綺麗」って思わせるのは本当に凄い。
引き画は普通、「情報量が多い画」なのでお客さんの観るところも散漫になりがちなのですが、
この作品は引き画であっても、観客はここを観るって計算されて撮られていて、本当に余計なものがない。
世界的な巨匠にこんな事を言うのも失礼なのですが、上手い。
およそ70年前の映画でこんな風に思わせるんですよ、現代の適当に撮りましたって画はなんなんだって思いますよね。
もちろん、当時だから出来たっていう映画業界の勢いというのもありますが。
さて映画「晩春」ですが、あらすじも何も、
簡単に言うと、父と娘の2人暮らしの家族の娘が結婚して家を出るという話。
大きな事件に巻き込まれるとかそんな話は一切ありません。
ものすごく特殊な話ではなくて、どこかではこんな事は普通にあるだろうなっていう話。
故に共感できる、感情移入が出来ると思うのです。
それと、以前映画「海街diary」を観て久々に日本映画を観たって書いたのですが、
もともと日本映画ってこういう大事件が起きるとかじゃなくて、
普通の人が送る生活の中の機微をとらえる映画が得意だと思うんですよね。
人によっては暗いとか地味みたいに思うのだろうし、今の若者にそれを押し付けようとも思わないけど。
それでも思うのは、「スジ」について、大きい事が起きればそれだけ現実離れするのだから、
余計にうまく作らないと「はぁ?」みたいな感覚になる。
大学の講義で「映画は嘘、虚構なんだ、みんな知ってる。だからバレちゃいけないんだ。」、
って深い事言ってたのを思い出した。
映画「晩春」のキャストは、
主演の父親である曾宮周吉役を演じるのは笠智衆。
小津安二郎作品の常連でもあるけど、黒沢映画にも出演したりしていますが、
本当に多くの作品に出ていて主にバイプレイヤーとして活躍しています。
個人的には大学の講義に使われた作品のテレビドラマ「ながらえば」が印象的。
映画「晩春」ではアフレコの感じと音の劣化もあったり、
最初は何となく笠智衆の演技に違和感があったのですが、
最後は笠智衆で号泣ですよ…本当に良い役者だと思います。
娘の紀子を演じるのは原節子。
こちらも小津安二郎作品では欠かすことのできない女優です。
ちょっと日本人離れした綺麗な顔が余計に独特の雰囲気を出しています。
ほんと原節子の「お世話になりました」と笠智衆のリンゴの皮剥きは反則級に泣ける。
他にも良い味だしている父の妹役の杉村春子とかも出ていますが、
とりあえず父と娘の話のこの2人のキャスティングは最高…というか、これが映画「晩春」なんだと思います。
で、映画「晩春」は名作だって言うのは簡単だし、それは紛れもない事実だと思います。
ただ、名作だからと褒めるだけに徹底してもいけないので、
ちゃんと観てこれはどうかと思ったところも書かなくてはいけないと思います。
まあ、これは監督や本来の作品の責任ではないのだけど「今の時代に観た」作品の感想として、
映像と音の劣化は気になるレベルである。
時代が時代だけにマスターフィルムが痛んでいるのは仕方が無いのだけど、
音質の劣化は慣れるまでにちょっと大変だし、
時々コマが飛ぶのが明らかに違和感があるぐらいだった。
仕方が無いんだけど、名作なだけに悔しいですね。
構図につていは先にもふれたのですが、
アップの画は1カットも使わずに「引き画とミドルだけ」で構成された画作りで、
さらにパンなどのカメラワークも使わない撮影方法。
今の感覚で言うと地味って言う人の気持ちも正直分からなくはない。
それでも、今観ても全然凄いし感動できるってのは、
空撮するお金が無いとか、スタビライザーを買う予算がないとか、
そういう人にも力を与えてくれますよね。
今時はクレーンやらなんやら画面が動きまくっていて、
それに慣れちゃうと、画面が止まっているのが不安になるって感覚なんだと思う。
意味もなくカメラがスライドしていく映像とか観ると、不安なんだなって伝わってくる。
あと、映像に対して改めて観ると結構被写界深度を浅く撮っていた。
昔の映画ってなんとなく黒澤明監督の影響なのか被写界深度が深くて、
全体的にピントがクッキリしているイメージがついていたのだけど、
映画「晩春」では引き画でもボケみを出すシーンがあるぐらいで、
これも先ほど書いた計算された構図という事で、
観客がここを観るという事を考えてやっているんだろうなと。
それ以外にも昔の映画を観ると今とは違う生活の風景が観れて楽しいというのもある。
例えば、足の爪を切るシーンとかもこんなんで切ってたのかって思うし、
父と娘で観にいくのが能という事から、当時は能は今よりも一般的なエンターテイメントだったのだろうとか。
映画途中で杉村春子が「閉めないで帰るね」とか。
それと京都はもう外国人観光客も多くなったことだし、こんな映像は撮れないんだろうなあ。
もし撮影のために封鎖して撮れたとしても今の時代だと現実味がなくなっちゃいますよね。
お父さんの言葉で、「結婚して幸せじゃない」とか、
「5年10年経って、やっと本当の夫婦になる。」とか今時の新郎新婦に聞かせてやりたい。
そして父になる、ならぬ、そして夫婦になる、ですわ。
結婚して幸せとか言ってるんじゃないよ…まあ時代が違いますけどね。
それでも「なるんだよ、幸せに」という親父のセリフは今の時代にも響くでしょ。
時代が変わっても父親が娘を思う気持ちは変わらない、と思いたい。
さらに娘が父親に対して思う気持ちである原節子の「今まで、色々、お世話になりました」が、
響かないわけが無い、と思いたい。
その後、服を自分でかける描写がジャブ。
これは映画の前半では服を脱ぐとすぐ娘がハンガーにかけてくれたのに、
送り出した今ではそれを自分でしなくてはいけないという、無くしたことの実感。
そういう気持ちを「画で魅せる」って本当に映画的ですよね。
そしてリンゴの皮剥きですよ、最後の親父は泣ける。
さて、映画は「1.スジ 2.ヌキ 3.ドウサ」が大事、これは全てではないですが、
ほとんどの映画を評価する時の指針になると思います。
やはりこの3つがしっかりしている映画は良い映画だと思う。
まあ、映画の評価なんて人それぞれだし、だからこそ面白いんだけどね。
とりあえず、最近の映画…いや、たまたま最近観た映画が酷いって思ったから、
久々に過去の名作って映画を観た1日でした。
ここ最近は、映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」とか映画「ヒロイン失格」みたいな映画を観ていたので、
ちょっと腑に落ちない感覚だったので、ここで基本に戻ろうと思い小津安二郎監督作品を選んだ。
ここで言う基本とはやはり「1.スジ 2.ヌキ 3.ドウサ」です。
いつも細かいところつついて、あそこがダメだここがダメだなんて言っていますが、
そういうところは実はそこまで大事ではなくて、
映画を観て面白いと思うか、感動できるか…そして、そのために何をしているのかが大事かなと。
「主人公に感情移入できない恋愛映画は致命的」だと思う自分の価値観が間違ってないと確かめるかの様に、
世界的に認められた監督の作品にあえて今、手を伸ばした訳です。
今回は「dTV」を「Chromecast」を使ってテレビで鑑賞しました。
映画「晩春」は1949年に公開された、先ほどもふれました小津安二郎監督作品。
70年近くも昔の映画ではありますが、世界の小津と言われる監督作品の中でも人気の映画。
いたるところでこの映画「晩春」について語られているので、今更自分が感想を書くのもどうなのか、
という考えもあったけど、せっかく「観た」のなら、その時思った事を残しておくのも良いのかなと。
映画はなるべくリアルタイムで映画館で観るのが良いのは間違いないと思う。
作り手もそのつもりで作っているのだから、何十年も経ってどうこう言われるのは想定もしてない訳で。
ただ、それでも映画って、いつ、どこで、だれと、どのように、どんな理由で観たかで感想なんて変わるもの。
今観た感想、これも1つの意味がある…なんてね。
小津安二郎監督について話をしていると、それだけで長文になってしまいますし、
それこそ色んな方に語りつくされている感もあるので、今回は作品についての感想を書こうと。
ただ、どうしても作品を語る上でも「小津安二郎」という人間無しには不可能ではあります。
その中でも触れて起きたいのは独特のローポジションから撮影される構図。
日本人の正座した時の視線とか観客が劇場で観る視線とか色々言われているが、
確かに今観ても不思議な画作りになっているし。
当時は基本和室なので正座で役者が演じているのに、さらにそれをローポジションで撮影しているので、
撮影現場ではどんだけ三脚低いんだって思う。
で、ローポジションからの独特の構図は確かに目を引く要素なんだけど、
それ以上に1カット、1カットが本当に丁寧に撮影されている。
画面は「4:3」サイズで、今主流のワイド画面に比べて引き画には圧倒的に不利なのに、
それでも引き画で「綺麗」って思わせるのは本当に凄い。
引き画は普通、「情報量が多い画」なのでお客さんの観るところも散漫になりがちなのですが、
この作品は引き画であっても、観客はここを観るって計算されて撮られていて、本当に余計なものがない。
世界的な巨匠にこんな事を言うのも失礼なのですが、上手い。
およそ70年前の映画でこんな風に思わせるんですよ、現代の適当に撮りましたって画はなんなんだって思いますよね。
もちろん、当時だから出来たっていう映画業界の勢いというのもありますが。
さて映画「晩春」ですが、あらすじも何も、
簡単に言うと、父と娘の2人暮らしの家族の娘が結婚して家を出るという話。
大きな事件に巻き込まれるとかそんな話は一切ありません。
ものすごく特殊な話ではなくて、どこかではこんな事は普通にあるだろうなっていう話。
故に共感できる、感情移入が出来ると思うのです。
それと、以前映画「海街diary」を観て久々に日本映画を観たって書いたのですが、
もともと日本映画ってこういう大事件が起きるとかじゃなくて、
普通の人が送る生活の中の機微をとらえる映画が得意だと思うんですよね。
人によっては暗いとか地味みたいに思うのだろうし、今の若者にそれを押し付けようとも思わないけど。
それでも思うのは、「スジ」について、大きい事が起きればそれだけ現実離れするのだから、
余計にうまく作らないと「はぁ?」みたいな感覚になる。
大学の講義で「映画は嘘、虚構なんだ、みんな知ってる。だからバレちゃいけないんだ。」、
って深い事言ってたのを思い出した。
映画「晩春」のキャストは、
主演の父親である曾宮周吉役を演じるのは笠智衆。
小津安二郎作品の常連でもあるけど、黒沢映画にも出演したりしていますが、
本当に多くの作品に出ていて主にバイプレイヤーとして活躍しています。
個人的には大学の講義に使われた作品のテレビドラマ「ながらえば」が印象的。
映画「晩春」ではアフレコの感じと音の劣化もあったり、
最初は何となく笠智衆の演技に違和感があったのですが、
最後は笠智衆で号泣ですよ…本当に良い役者だと思います。
娘の紀子を演じるのは原節子。
こちらも小津安二郎作品では欠かすことのできない女優です。
ちょっと日本人離れした綺麗な顔が余計に独特の雰囲気を出しています。
ほんと原節子の「お世話になりました」と笠智衆のリンゴの皮剥きは反則級に泣ける。
他にも良い味だしている父の妹役の杉村春子とかも出ていますが、
とりあえず父と娘の話のこの2人のキャスティングは最高…というか、これが映画「晩春」なんだと思います。
で、映画「晩春」は名作だって言うのは簡単だし、それは紛れもない事実だと思います。
ただ、名作だからと褒めるだけに徹底してもいけないので、
ちゃんと観てこれはどうかと思ったところも書かなくてはいけないと思います。
まあ、これは監督や本来の作品の責任ではないのだけど「今の時代に観た」作品の感想として、
映像と音の劣化は気になるレベルである。
時代が時代だけにマスターフィルムが痛んでいるのは仕方が無いのだけど、
音質の劣化は慣れるまでにちょっと大変だし、
時々コマが飛ぶのが明らかに違和感があるぐらいだった。
仕方が無いんだけど、名作なだけに悔しいですね。
構図につていは先にもふれたのですが、
アップの画は1カットも使わずに「引き画とミドルだけ」で構成された画作りで、
さらにパンなどのカメラワークも使わない撮影方法。
今の感覚で言うと地味って言う人の気持ちも正直分からなくはない。
それでも、今観ても全然凄いし感動できるってのは、
空撮するお金が無いとか、スタビライザーを買う予算がないとか、
そういう人にも力を与えてくれますよね。
今時はクレーンやらなんやら画面が動きまくっていて、
それに慣れちゃうと、画面が止まっているのが不安になるって感覚なんだと思う。
意味もなくカメラがスライドしていく映像とか観ると、不安なんだなって伝わってくる。
あと、映像に対して改めて観ると結構被写界深度を浅く撮っていた。
昔の映画ってなんとなく黒澤明監督の影響なのか被写界深度が深くて、
全体的にピントがクッキリしているイメージがついていたのだけど、
映画「晩春」では引き画でもボケみを出すシーンがあるぐらいで、
これも先ほど書いた計算された構図という事で、
観客がここを観るという事を考えてやっているんだろうなと。
それ以外にも昔の映画を観ると今とは違う生活の風景が観れて楽しいというのもある。
例えば、足の爪を切るシーンとかもこんなんで切ってたのかって思うし、
父と娘で観にいくのが能という事から、当時は能は今よりも一般的なエンターテイメントだったのだろうとか。
映画途中で杉村春子が「閉めないで帰るね」とか。
それと京都はもう外国人観光客も多くなったことだし、こんな映像は撮れないんだろうなあ。
もし撮影のために封鎖して撮れたとしても今の時代だと現実味がなくなっちゃいますよね。
お父さんの言葉で、「結婚して幸せじゃない」とか、
「5年10年経って、やっと本当の夫婦になる。」とか今時の新郎新婦に聞かせてやりたい。
そして父になる、ならぬ、そして夫婦になる、ですわ。
結婚して幸せとか言ってるんじゃないよ…まあ時代が違いますけどね。
それでも「なるんだよ、幸せに」という親父のセリフは今の時代にも響くでしょ。
時代が変わっても父親が娘を思う気持ちは変わらない、と思いたい。
さらに娘が父親に対して思う気持ちである原節子の「今まで、色々、お世話になりました」が、
響かないわけが無い、と思いたい。
その後、服を自分でかける描写がジャブ。
これは映画の前半では服を脱ぐとすぐ娘がハンガーにかけてくれたのに、
送り出した今ではそれを自分でしなくてはいけないという、無くしたことの実感。
そういう気持ちを「画で魅せる」って本当に映画的ですよね。
そしてリンゴの皮剥きですよ、最後の親父は泣ける。
さて、映画は「1.スジ 2.ヌキ 3.ドウサ」が大事、これは全てではないですが、
ほとんどの映画を評価する時の指針になると思います。
やはりこの3つがしっかりしている映画は良い映画だと思う。
まあ、映画の評価なんて人それぞれだし、だからこそ面白いんだけどね。
とりあえず、最近の映画…いや、たまたま最近観た映画が酷いって思ったから、
久々に過去の名作って映画を観た1日でした。
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