2017年01月12日
映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」の感想…この歳で観た自分が悪いという結論。
今日は映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」の感想。
基本的にはこういう映画はあまり観ないようにしているのだけど、
後輩に「何かお薦めの映画ある?」と聞いたら、この映画が返ってきた。
まあ彼は男であるが大の佐藤健ファン。
しまった…とは思ったが、聞いておいて観ないというのも悪いなあと。
あれから数ヶ月経ちましたが、やっと重たい腰を上げまして鑑賞した訳です。
今回はレンタルDVDで観ました。
映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」は2013年公開の小泉徳宏監督作品。
小泉徳宏監督と言えば、昨年人気だった映画「ちはやふる」の監督ですが、自分は未だ観ていません。
映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」を推薦した後輩とは別の辛口コメントで有名な別の後輩が、
映画「ちはやふる」は良かったと言っていたので、そうなんだろうなあとは思っています。
なので小泉徳宏監督作品は、この映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」しか観ていないので、
「こういう監督」ってのは言えないのですが、基本的にはしっかり作っているのかなと思いました。
ただ、後ほど書きますが「はっ!?」みたいな事もする監督なんだなあって思っています。
映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」原作は同名の少女マンガですが未読。
映画がどれぐらい原作に沿っているのか分からないですが、
最近の恋愛映画って「主人公に感情移入ができない」のは自分だけなのだろうか。
いや、歳をとってしまったことで、そう感じるようになってしまったのか。
前回、感想を書いた映画「ヒロイン失格」もそうだったんだけど「主人公に感情移入できない」って、
恋愛映画としてはダメなんじゃないだろうか…まあ映画「ヒロイン失格」ほどではないですけどね。
比べるのも失礼か…ごめんなさい。
男はイケメンで金も持ってて音楽の才能もある、女は普通の高校生だが実は天性の才能がある。
映画では描いてないだけで努力もしてると思うけど、
「持ってる者」同士の恋って観てる方は面白いの?
「シンデレラ」とかが今でも女の子の憧れなのって、
「惨めな感じの状態からチャンスを物にする」そのシンデレラストーリーに夢が感じるというか、
親近感が沸くからな気がするんだけど、違ったのかな。
男側が王子的存在で「何もかも有る」ってのは設定として良いと思うんだけど、
女側まで「才能(天性の声)が有る」って言われたら、
一般人が努力でどうこうできるレベルじゃない気がしちゃう。
ああそうですか、持ってる者同士良いカップルですね、
はいはい…みたいに斜に構えてしまうのは自分だけなのかなあ。
自分の才能というか限界を感じる年代だとそう思うのかな。
若い子は自分の才能とか無限大な時だから、こういう設定も特に気にならないのかも知れない。
あと、この映画は「分かりやすい葛藤」があるのも理解しやすくて人気の要因なのかな。
これについてはまた後ほど。
さて、映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」のキャストですが、
主演はこの映画を推薦された原因というか小笠原秋役の佐藤健。
このブログでは映画「るろうに剣心 伝説の最期編」とかにも主演していますが、
今や男の後輩の心を掴むほどの俳優になっていますか。
昨年劇場で観た映画「何者」でも、彼の「虚無感」な雰囲気がうまく使われていましたが、
今回もそんな雰囲気がバッチリ合っていた様に思います。
「虚無感がある」って不思議ですね。
ヒロインの小枝理子を演じるのはオーディションで一般から選ばれた大原櫻子。
結局彼女の歌というか歌唱力がなければ成り立たない映画であり、
オーディションで選ばれただけあって実力はさすが。
そして劇中でも言われていますが、美人過ぎず好感が持てるバランス。
当時現役女子高生だったこともあり、
大人が無茶して高校生役をするよりも全然違和感無く良いんじゃないかと。
どっちかというと、演技経験がなかったからこそのハマリ役だと思うと、貴重な1本と言えるかも。
一応はライバル関係というか、バンド「CRUDE PLAY」のベースを担当する心也を演じるのは窪田正孝。
窪田正孝は実力ある俳優だと思うけど、この映画ではちょっと可愛そうな役回り。
小枝理子を秋とどっちがプロデュースするかっていうライバル関係ではあったが、
「彼女は渡さない」とかセリフでは言うんだけど、恋という点においてはまったく障害でもなんでもない。
なんだかなあって。
そして「CRUDE PLAY」や理子をスカウトしたプロデューサーの高樹を演じるのが反町隆史。
これは褒めていますが、あの胡散臭い笑顔が役に合っていた。
その他、相武紗季や三浦翔平、吉沢亮なども出ています。
仮面ライダーメテオ懐かしいですね。
さて、映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」の感想ですが、推薦してきた後輩のこともあり、
「これはクソですね」とか言わなきゃいけなかったらどうしようかなとも思ったのですが、
思っていたほどは悪くはなく、まあ佐藤健が好きな後輩が良いって言うなら分かるかなと。
基本的にはさっきも書いたのですが、「恋愛映画で主人公に感情移入できないのは致命的」だと思う。
この映画で一体誰に感情移入できるのだろうか。
ただ、そんな事よりも「分かりやすい葛藤」ってのは若者にウケるのかなとも思った。
「彼女の事が好き、だけど彼女のために俺は別れるんだ」っていうね。
正直、「勝手にやってて」とも思わなくはないけど、多くの人は「分かりやすい」のが良いんだよね。
だから自分の感覚ではついていけないものをあえて観てしまった場違い感があるので、
もうストーリーというか話については、言及しなくても良いかなって。
本来、映画は「1スジ」なので、物語が肝心だと思うんだけど、
これはジェネレーションギャップなのではないかなと。
どっちかというと、「この歳でこの映画を観た自分が悪いんだろうな」って本気で思うし。
ただこれだけは言わせて!
普通、「嘘」って自分を「本来の姿よりも良いものに見せる」べきで、
バレたら嫌われちゃうかもしれないってものじゃなきゃ、話としてバレるバレないのスリルがない。
「実は俺、フリーターじゃなくて音楽の才能もあって金持ちのミューシャンなんです」って、
それがバレてもなんのリスクもないじゃないか…って思うんですけどね。
タイトルにも書かれている「嘘」がストーリーとして上手くない。
そんな訳で物語ではなく演出について、少し言及しようかなと。
映画が始まって早々に「激しくダサい」と佐藤健に言わしめたヘリでの迎え。
けど「そこへリポートじゃん!」って。
絶対に「ああ…ヘリで来るわ」って分かるじゃん。
まあ、そんな事はどうでも良いんだけど。
そう、演出についてマンガなら通じる時と実写だと違和感がある時ってあると思うのね。
今回が秋と理子の最初の出会いなんだけど、
その距離で鼻歌が聴こえるって、どれだけデカイ鼻歌なのか、理子の超絶耳が良いか。
普通に、あんなけ距離があって向こう向いての鼻歌が聴こえる訳ねーじゃん。
適当な演出してんじゃねーよと思った矢先、
今度は扉の外にいた反町が携帯電話での会話を聞いているという。
いやいや、どんなけ壁の薄い家なのよ。
撮影現場でも分かるじゃん、聴こえる訳ないって。
少女マンガが原作だったらこういう演出も可なの?
あと、基本的に歌のシーンはアフレコなのはガッカリだけど、
理子と秋とのセッションのシーンでは、せめて佐藤健の手元は音と合わせてあげるべきじゃないだろうか。
あれ、今の音と手元ってズレてない?って素人でも分かっちゃうじゃん。
ところどころ手元が映らない様に撮影してるんだし、あのシーンもそうしてあげるべきじゃないの?
もしくは下手でも良いから現場音でやり通すとか…ね。
映画の中で一番スゲー違和感があったのは、
引越し準備中の秋の部屋に理子が来て「どこかに行っちゃうんですか?」って言われた後の佐藤健が、
正面向いていたはずなのにカットが変わると体の向きが変わっているという…何、何なの!?
そのシーン、無理してカット重ねなくても良いんじゃないの。
なんで佐藤健は体の向き変わったのか気になって仕方が無いんだけど。
編集の時、分かるよね普通…意味があってやってるなら何の意味があるのか知りたいし、
何も気がつかずに編集しちゃったっていうなら、どうかと思うよプロとして。
みたいな感じで、監督としてどのぐらいの人なのか分からないけど、
どうかと思うシーンはいっぱいあった。
ただ、理子がヘッドフォンして聞いてる音が観てる人には聞こえない曲が、
映画の最後に聴かせてくれるっていうのは映画らしいつくり。
今回の映画に使われた曲は全て亀田誠治の曲という事もあり、さすがだなって思う。
映画の中で実際に流れて「良い曲だ」って思わせるのも大事だし、
映画では観てる人には聴こえないけど「良い曲なんだ」って思わせるのも大事。
そのバランスはこの映画は凄く上手かったと思う…まあ亀田誠治が凄いという事でもあるが。
あとエンドロール前の終わり方は、「あっ、ここで終わるんだ…結構良い終わり方じゃん」って関心した。
…が、エンドロール後の映像を観てガッカリしたけど。
あそこで終わっていたらもうちょっとだけ評価高かったのになあ。
せっかく口パクで「サヨナラ」って言わせたならその余韻のままエンドロールに入って、
その曲で終われば感じ良かったのになあ。
劇中でなんども佐藤健と大原櫻子のキスシーンがあるので、
ラストにもう1度見せられても、それがどれぐらいの価値のあるキスなのかが分からない。
うーん…エンドロール後の映像はいらないなあ。
あと、これはどうでも良いんだけど、
秋が歩きながら耳を押さえてメロディを作るシーンの水のところのイメージ映像だけしょぼくなかった?
撮り逃しがあって後から撮影したのかな。
映画全体はRED EPICのフィルム感があって画の力はありました。
映画とは直接関係はないのですが、映画で序盤で出てくる音楽がダウンロードされる時代で、
「軽さが音楽を消費させてる」みたいな事を言われるのだが、
音楽を消費させているのはビジネスであって、それこそ自分達が反町にされたことであるのに、
なんでいきなりダウンロードで手に入るうんぬんを言い出したのだろうか。
音楽のダウンロードがビジネスという事なのだろうか?
でも、それは流通とかの問題でカセットがCDに、CDからデータに変わったけど、
音楽の持っている力は何も変わらない訳で。
まあいっか。
という訳で、ダメなところとかどうなんだってシーンはいっぱいありますが、
本当に思っていたよりは悪くなかった映画でした。
後輩の手前、こういう風に言えて本当に良かった。
そして、路上で歌ってる女子高生を見つけたら「どうしよう、俺天才見つけちゃった」って言おうって思った。
そうそう、なんかこの映画、それぞれのキャラがイマイチ薄いんだよなあって思っていたのだけど、
レンタルDVDで本編を観終わるとセルのディスク特典などの広告映像が入っていて、
そこで登場人物10人のショートストーリーが入った映像が観られる特典があるそうです。
多分、その映像を見ると、この映画で感じた登場人物の背景の無さが解消されるのかな。
きっと後輩はそのブルーレイを買っているだろう。
最近、そういう映画で語られないのを別の何かでやるって多いですね。
ファンは嬉しいのかもしれないけど、映画しか観ない人には魅力が削がれた形が最終形になるのはどうなのだろうか。
基本的にはこういう映画はあまり観ないようにしているのだけど、
後輩に「何かお薦めの映画ある?」と聞いたら、この映画が返ってきた。
まあ彼は男であるが大の佐藤健ファン。
しまった…とは思ったが、聞いておいて観ないというのも悪いなあと。
あれから数ヶ月経ちましたが、やっと重たい腰を上げまして鑑賞した訳です。
今回はレンタルDVDで観ました。
映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」は2013年公開の小泉徳宏監督作品。
小泉徳宏監督と言えば、昨年人気だった映画「ちはやふる」の監督ですが、自分は未だ観ていません。
映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」を推薦した後輩とは別の辛口コメントで有名な別の後輩が、
映画「ちはやふる」は良かったと言っていたので、そうなんだろうなあとは思っています。
なので小泉徳宏監督作品は、この映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」しか観ていないので、
「こういう監督」ってのは言えないのですが、基本的にはしっかり作っているのかなと思いました。
ただ、後ほど書きますが「はっ!?」みたいな事もする監督なんだなあって思っています。
映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」原作は同名の少女マンガですが未読。
映画がどれぐらい原作に沿っているのか分からないですが、
最近の恋愛映画って「主人公に感情移入ができない」のは自分だけなのだろうか。
いや、歳をとってしまったことで、そう感じるようになってしまったのか。
前回、感想を書いた映画「ヒロイン失格」もそうだったんだけど「主人公に感情移入できない」って、
恋愛映画としてはダメなんじゃないだろうか…まあ映画「ヒロイン失格」ほどではないですけどね。
比べるのも失礼か…ごめんなさい。
男はイケメンで金も持ってて音楽の才能もある、女は普通の高校生だが実は天性の才能がある。
映画では描いてないだけで努力もしてると思うけど、
「持ってる者」同士の恋って観てる方は面白いの?
「シンデレラ」とかが今でも女の子の憧れなのって、
「惨めな感じの状態からチャンスを物にする」そのシンデレラストーリーに夢が感じるというか、
親近感が沸くからな気がするんだけど、違ったのかな。
男側が王子的存在で「何もかも有る」ってのは設定として良いと思うんだけど、
女側まで「才能(天性の声)が有る」って言われたら、
一般人が努力でどうこうできるレベルじゃない気がしちゃう。
ああそうですか、持ってる者同士良いカップルですね、
はいはい…みたいに斜に構えてしまうのは自分だけなのかなあ。
自分の才能というか限界を感じる年代だとそう思うのかな。
若い子は自分の才能とか無限大な時だから、こういう設定も特に気にならないのかも知れない。
あと、この映画は「分かりやすい葛藤」があるのも理解しやすくて人気の要因なのかな。
これについてはまた後ほど。
さて、映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」のキャストですが、
主演はこの映画を推薦された原因というか小笠原秋役の佐藤健。
このブログでは映画「るろうに剣心 伝説の最期編」とかにも主演していますが、
今や男の後輩の心を掴むほどの俳優になっていますか。
昨年劇場で観た映画「何者」でも、彼の「虚無感」な雰囲気がうまく使われていましたが、
今回もそんな雰囲気がバッチリ合っていた様に思います。
「虚無感がある」って不思議ですね。
ヒロインの小枝理子を演じるのはオーディションで一般から選ばれた大原櫻子。
結局彼女の歌というか歌唱力がなければ成り立たない映画であり、
オーディションで選ばれただけあって実力はさすが。
そして劇中でも言われていますが、美人過ぎず好感が持てるバランス。
当時現役女子高生だったこともあり、
大人が無茶して高校生役をするよりも全然違和感無く良いんじゃないかと。
どっちかというと、演技経験がなかったからこそのハマリ役だと思うと、貴重な1本と言えるかも。
一応はライバル関係というか、バンド「CRUDE PLAY」のベースを担当する心也を演じるのは窪田正孝。
窪田正孝は実力ある俳優だと思うけど、この映画ではちょっと可愛そうな役回り。
小枝理子を秋とどっちがプロデュースするかっていうライバル関係ではあったが、
「彼女は渡さない」とかセリフでは言うんだけど、恋という点においてはまったく障害でもなんでもない。
なんだかなあって。
そして「CRUDE PLAY」や理子をスカウトしたプロデューサーの高樹を演じるのが反町隆史。
これは褒めていますが、あの胡散臭い笑顔が役に合っていた。
その他、相武紗季や三浦翔平、吉沢亮なども出ています。
仮面ライダーメテオ懐かしいですね。
さて、映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」の感想ですが、推薦してきた後輩のこともあり、
「これはクソですね」とか言わなきゃいけなかったらどうしようかなとも思ったのですが、
思っていたほどは悪くはなく、まあ佐藤健が好きな後輩が良いって言うなら分かるかなと。
基本的にはさっきも書いたのですが、「恋愛映画で主人公に感情移入できないのは致命的」だと思う。
この映画で一体誰に感情移入できるのだろうか。
ただ、そんな事よりも「分かりやすい葛藤」ってのは若者にウケるのかなとも思った。
「彼女の事が好き、だけど彼女のために俺は別れるんだ」っていうね。
正直、「勝手にやってて」とも思わなくはないけど、多くの人は「分かりやすい」のが良いんだよね。
だから自分の感覚ではついていけないものをあえて観てしまった場違い感があるので、
もうストーリーというか話については、言及しなくても良いかなって。
本来、映画は「1スジ」なので、物語が肝心だと思うんだけど、
これはジェネレーションギャップなのではないかなと。
どっちかというと、「この歳でこの映画を観た自分が悪いんだろうな」って本気で思うし。
ただこれだけは言わせて!
普通、「嘘」って自分を「本来の姿よりも良いものに見せる」べきで、
バレたら嫌われちゃうかもしれないってものじゃなきゃ、話としてバレるバレないのスリルがない。
「実は俺、フリーターじゃなくて音楽の才能もあって金持ちのミューシャンなんです」って、
それがバレてもなんのリスクもないじゃないか…って思うんですけどね。
タイトルにも書かれている「嘘」がストーリーとして上手くない。
そんな訳で物語ではなく演出について、少し言及しようかなと。
映画が始まって早々に「激しくダサい」と佐藤健に言わしめたヘリでの迎え。
けど「そこへリポートじゃん!」って。
絶対に「ああ…ヘリで来るわ」って分かるじゃん。
まあ、そんな事はどうでも良いんだけど。
そう、演出についてマンガなら通じる時と実写だと違和感がある時ってあると思うのね。
今回が秋と理子の最初の出会いなんだけど、
その距離で鼻歌が聴こえるって、どれだけデカイ鼻歌なのか、理子の超絶耳が良いか。
普通に、あんなけ距離があって向こう向いての鼻歌が聴こえる訳ねーじゃん。
適当な演出してんじゃねーよと思った矢先、
今度は扉の外にいた反町が携帯電話での会話を聞いているという。
いやいや、どんなけ壁の薄い家なのよ。
撮影現場でも分かるじゃん、聴こえる訳ないって。
少女マンガが原作だったらこういう演出も可なの?
あと、基本的に歌のシーンはアフレコなのはガッカリだけど、
理子と秋とのセッションのシーンでは、せめて佐藤健の手元は音と合わせてあげるべきじゃないだろうか。
あれ、今の音と手元ってズレてない?って素人でも分かっちゃうじゃん。
ところどころ手元が映らない様に撮影してるんだし、あのシーンもそうしてあげるべきじゃないの?
もしくは下手でも良いから現場音でやり通すとか…ね。
映画の中で一番スゲー違和感があったのは、
引越し準備中の秋の部屋に理子が来て「どこかに行っちゃうんですか?」って言われた後の佐藤健が、
正面向いていたはずなのにカットが変わると体の向きが変わっているという…何、何なの!?
そのシーン、無理してカット重ねなくても良いんじゃないの。
なんで佐藤健は体の向き変わったのか気になって仕方が無いんだけど。
編集の時、分かるよね普通…意味があってやってるなら何の意味があるのか知りたいし、
何も気がつかずに編集しちゃったっていうなら、どうかと思うよプロとして。
みたいな感じで、監督としてどのぐらいの人なのか分からないけど、
どうかと思うシーンはいっぱいあった。
ただ、理子がヘッドフォンして聞いてる音が観てる人には聞こえない曲が、
映画の最後に聴かせてくれるっていうのは映画らしいつくり。
今回の映画に使われた曲は全て亀田誠治の曲という事もあり、さすがだなって思う。
映画の中で実際に流れて「良い曲だ」って思わせるのも大事だし、
映画では観てる人には聴こえないけど「良い曲なんだ」って思わせるのも大事。
そのバランスはこの映画は凄く上手かったと思う…まあ亀田誠治が凄いという事でもあるが。
あとエンドロール前の終わり方は、「あっ、ここで終わるんだ…結構良い終わり方じゃん」って関心した。
…が、エンドロール後の映像を観てガッカリしたけど。
あそこで終わっていたらもうちょっとだけ評価高かったのになあ。
せっかく口パクで「サヨナラ」って言わせたならその余韻のままエンドロールに入って、
その曲で終われば感じ良かったのになあ。
劇中でなんども佐藤健と大原櫻子のキスシーンがあるので、
ラストにもう1度見せられても、それがどれぐらいの価値のあるキスなのかが分からない。
うーん…エンドロール後の映像はいらないなあ。
あと、これはどうでも良いんだけど、
秋が歩きながら耳を押さえてメロディを作るシーンの水のところのイメージ映像だけしょぼくなかった?
撮り逃しがあって後から撮影したのかな。
映画全体はRED EPICのフィルム感があって画の力はありました。
映画とは直接関係はないのですが、映画で序盤で出てくる音楽がダウンロードされる時代で、
「軽さが音楽を消費させてる」みたいな事を言われるのだが、
音楽を消費させているのはビジネスであって、それこそ自分達が反町にされたことであるのに、
なんでいきなりダウンロードで手に入るうんぬんを言い出したのだろうか。
音楽のダウンロードがビジネスという事なのだろうか?
でも、それは流通とかの問題でカセットがCDに、CDからデータに変わったけど、
音楽の持っている力は何も変わらない訳で。
まあいっか。
という訳で、ダメなところとかどうなんだってシーンはいっぱいありますが、
本当に思っていたよりは悪くなかった映画でした。
後輩の手前、こういう風に言えて本当に良かった。
そして、路上で歌ってる女子高生を見つけたら「どうしよう、俺天才見つけちゃった」って言おうって思った。
そうそう、なんかこの映画、それぞれのキャラがイマイチ薄いんだよなあって思っていたのだけど、
レンタルDVDで本編を観終わるとセルのディスク特典などの広告映像が入っていて、
そこで登場人物10人のショートストーリーが入った映像が観られる特典があるそうです。
多分、その映像を見ると、この映画で感じた登場人物の背景の無さが解消されるのかな。
きっと後輩はそのブルーレイを買っているだろう。
最近、そういう映画で語られないのを別の何かでやるって多いですね。
ファンは嬉しいのかもしれないけど、映画しか観ない人には魅力が削がれた形が最終形になるのはどうなのだろうか。
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