2012年10月04日
猫が飛んで父が叫んだ日
ちょっと長いが、忘れるのが嫌なのでここに書いておく。
私がまだ実家に住んでいた頃の話なので、
もうずいぶん昔の話になる。
今は亡き父が、まだ元気な頃だ。
今は改修して、私が住んでいた頃の家とは
全く違うものになっているが、
まだ猫を飼っていた時の話になる。
古い2階建ての木造の家だ。
丁度お盆前に、父がお尻が痛いと言いだした。
肝臓が悪かった父は、いつもいく病院には
行きたくないようで、家で我慢していた。
今思えば、痔ろうだったんだと思う。
肛門の横が化膿して穴が開いていたらしい。
確かに行きつけの病院で、いつも軽口を
看護婦に言っていた父が、その看護婦の前で、
お尻を、しかも痔ではないかと思っていたので、
肛門を見せることに対して、嫌悪感というか、
抵抗していたのは、もっともな話だ。
しかし痛みはだんだんとひどくなっていき、
最後は動くのもやっと、というくらいになってきて
さすがに父もこれはやばいと思ったようで、
病院に行く気になったようだ。
しかし、その時はすでに遅く、
病院はどこも盆休みになっていた。
何故その時救急病院に行かなかったのかは分からないが、
父は家の中で待機することになった。
しかし、淋しがり屋の父は、
自室である2階で待機しているのは淋しかったみたいで、
1階にある居間で寝る事を選んだ。
しかし、2階建てとはいえ、狭い家である。
家族全員、居間でテレビを見て、居間で食事をして、
居間で猫と遊ぶのだ。
そんな雑踏の中で、しかし父は頑なに動こうとしなかった。
いや、既に動けなくなっていた。
お盆休みは始まったばかりである。
その頃買っていた猫は、黒猫で、
なかなかに可愛い猫だった。
情に厚く、涙もろく、優しい猫だった。
ただ、舌はグルメでな猫で、
できたての刺身しか食べなかった。
これは父親の釣り好きの影響だ。
魚臭くなると言って、魚を触るのも嫌がった父だったが、
唯一の趣味が釣りだった。
お盆休みの3日間、父は我慢強く唸っていた。
居間の隅っこで。
私たち家族は、その3日間、テレビの音量を下げ、
猫が走り回るのを阻止するために、猫を抱き、
食事は手短に済ませた。
その3日間は、父の唸り声を聞きながら過ごしたものだ。
ちょっと油断して、テレビの音量を大きくすると、
「うるさい」と、どなる。
食事は、寝たまま取る。
トイレの時は一大事業で、母親がひ〜こら言いながら、
トイレまで連れて行った。
そして情に厚い猫は、私たちに恩返ししようと、
ネズミを捕まえようと家中を走り回る。
そんな、鬱屈したお昼だった。
今日でお盆休みが終わり、明日は待望の病院行きだ、
と皆油断している中、我が家の猫だけは、
いつも魚を釣ってきてくれる父に、
恩返しをする時をねらっていたらしい。
その時猫は、家の隅っこで、
黒い物が動いているのを発見したらしい。
いや、発見したのだ。
お尻を高く上げ、今にも飛びかからんとする姿勢は、
なかなかカッコいいものがあるが、
私たち家族全員、猫を止めようとしたが、
間に合わなかった。
猫が飛んだ。
黒い物体は、縦横無尽に走り回り、
猫はそれを追いかけ、居間中を駆け回り、
私たちは新聞紙を持って、あたりをキョロキョロし、
普段は静かなおばあちゃんまで立ちあがっていた。
父は、動こうにも動けず、
ウ〜ウ〜唸ってばかりいたが、
その父の上を猫は走った。
猫に飛び乗られた父は、きっと痛かったのだろう。
「うるさい、走るな、静かにしろ!」
と、猫に叫ぶと、同時に
黒い物体は気配を消した。
猫は走り回るのを止めた。
私たちは静かに新聞紙を持ったまま、
辺りを警戒しながら座った。
妹は猫を抱き抱えた。
おばあちゃんは、静かにお茶を飲み始めた。
母は台所へ逃げた。
父の唸り声はちょっと大きくなった。
翌日、私の運転で車で病院へ行った。
道路のちょっとしたデコボコにも
ウ〜ウ〜唸り、
できるだけお尻に響かないように、
両腕で全体重を支えながら車に乗り込んだ父。
それからすぐに入院し、手術をして、
無事に退院してきたが、
それ以来、トイレに行った後は、
必ずシャワーを浴びるようになった。
その当時はまだウォシュレットが
あったのかどうだったのか定かではない。
父が亡くなるまで、この話は
我が家の鉄板ネタで、父の機嫌が悪い時でも
この話をすると、いつも笑っていた。
しかし今では、この話は笑い話のはずなのに、
涙が出てくる。
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