2015年12月30日
AC夫は、メサイアコンプレックスのような気質があるという件(その3)
⇒AC夫は、メサイアコンプレックスのような気質があるという件(その2)からの続きです。
相手が感謝し続けてくれたり、それこそ救世主のように毎日自分のことをあがめ続けてくれていれば、
この関係は、表面的には崩れず、私の劣等感を刺激せず、継続することができるのでしょう。
しかし、相手が発達障害ではなかったとしても、長い夫婦生活では、そういった感謝し合うという
気持ちがお互いどうしても薄れてしまいがちです。
私の潜在的な欲求は、世話をしてあげたことで、その見返りをもらって初めて、
自分の劣等感を忘れ、自分としての価値感や優越感、問題を解決できるだけの
能力があるという自分の居場所を確認でき、「心の安心感」として満たされることが
できるという人生を送ってきました。
アスペ嫁は、発達障害で一般的な人よりも、コミュニケーション能力が乏しく、
なおかつ、こちらが求めている意図も通用しない、理解されない、感謝もされない…
こんな毎日が続くと、表面的な理性では見返りを求めていなかったとしても、
潜在的な無意識領域の自分は、相手からの見返りを求めまくって不満、嫌悪感、
憎悪感、などが積み重なっていくことになるのは必然といえば必然なんですね。
■自分のことには、どうして腰が重くなってしまうのか?
他人のことには、自分の家庭や自分自身をさておき最優先できる理由は、
今まで書いたようなメサイアコンプレックスという感覚を持っている場合があります。
その理屈からすれば、自分にできない理屈も実はよく分かるんですね。
自分のために精神精一杯頑張ってやったとしても、自分で自分のことを褒めてあげられない
人間なんです。もっといえば、自分のことが嫌いで、自分では自分を評価や称賛してあげること
が苦手なんですね。
自分で自分のことは褒めるに値しない劣等感の塊であると、そういう思いが潜在的には
脳にこびりついているわけですから、褒められないという、見返りがないことに関しては
腰が重くなるんです。行動の原点は、他人からどう見られるか?良く見られるか、悪く見られるか
で行動してしまっているところがありますから。
ある意味、アスペ嫁の様な極端に鈍感で、こちらの思うようにコントロール出来ない人が
伴侶になったからこそ気づいたともいえます。この点に関しては、アスペ嫁に感謝しないといけませんね。
もし、パートナーがアスペ嫁でなく、一般的な感性の奥さんだったら、うまくいったかもしれない!なんて
妄想したり何度もしましたが、実際、私自身がこんな感覚で、押しつけるような善意と
いいますでしょうか、夫婦関係や親子関係の中で、この関係を保とうと思ったら、よほど器が
大きな奥さんで女神様のような人間でないと、最終的にはどこかで関係に破綻が来るのでは
ないかと思うのです。
そう考えると、結婚を継続するには、相手に障害があるかもしれない、相手が病気かもしれない、
ということを現実問題として、受け止められるかどうかが、どうしても大切になってくるわけです。
しかし、それ以上に大切になってくることは、自分自身が潜在的に精神的な安心感を得るため、
見返りを求めて行動をしすぎていないかという観点に着目するということが肝といえるのではない
しょうか。
駄目な夫、駄目な嫁だからこそ、自分の付加価値があがっているともいえるのです。
そこに自分の劣等感を隠し続けることができれば楽なのでしょうが、隠しているうちは
一生幸せな自分にはなれないような気がするのです。その劣等感と向き合って、
そんな自分も唯一無二の自分なんだと受け止めることができれば、今の生活の視野は
大きく変わっていくのではないかと「妄想」しています^^
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
相手が感謝し続けてくれたり、それこそ救世主のように毎日自分のことをあがめ続けてくれていれば、
この関係は、表面的には崩れず、私の劣等感を刺激せず、継続することができるのでしょう。
しかし、相手が発達障害ではなかったとしても、長い夫婦生活では、そういった感謝し合うという
気持ちがお互いどうしても薄れてしまいがちです。
私の潜在的な欲求は、世話をしてあげたことで、その見返りをもらって初めて、
自分の劣等感を忘れ、自分としての価値感や優越感、問題を解決できるだけの
能力があるという自分の居場所を確認でき、「心の安心感」として満たされることが
できるという人生を送ってきました。
アスペ嫁は、発達障害で一般的な人よりも、コミュニケーション能力が乏しく、
なおかつ、こちらが求めている意図も通用しない、理解されない、感謝もされない…
こんな毎日が続くと、表面的な理性では見返りを求めていなかったとしても、
潜在的な無意識領域の自分は、相手からの見返りを求めまくって不満、嫌悪感、
憎悪感、などが積み重なっていくことになるのは必然といえば必然なんですね。
■自分のことには、どうして腰が重くなってしまうのか?
他人のことには、自分の家庭や自分自身をさておき最優先できる理由は、
今まで書いたようなメサイアコンプレックスという感覚を持っている場合があります。
その理屈からすれば、自分にできない理屈も実はよく分かるんですね。
自分のために精神精一杯頑張ってやったとしても、自分で自分のことを褒めてあげられない
人間なんです。もっといえば、自分のことが嫌いで、自分では自分を評価や称賛してあげること
が苦手なんですね。
自分で自分のことは褒めるに値しない劣等感の塊であると、そういう思いが潜在的には
脳にこびりついているわけですから、褒められないという、見返りがないことに関しては
腰が重くなるんです。行動の原点は、他人からどう見られるか?良く見られるか、悪く見られるか
で行動してしまっているところがありますから。
ある意味、アスペ嫁の様な極端に鈍感で、こちらの思うようにコントロール出来ない人が
伴侶になったからこそ気づいたともいえます。この点に関しては、アスペ嫁に感謝しないといけませんね。
もし、パートナーがアスペ嫁でなく、一般的な感性の奥さんだったら、うまくいったかもしれない!なんて
妄想したり何度もしましたが、実際、私自身がこんな感覚で、押しつけるような善意と
いいますでしょうか、夫婦関係や親子関係の中で、この関係を保とうと思ったら、よほど器が
大きな奥さんで女神様のような人間でないと、最終的にはどこかで関係に破綻が来るのでは
ないかと思うのです。
そう考えると、結婚を継続するには、相手に障害があるかもしれない、相手が病気かもしれない、
ということを現実問題として、受け止められるかどうかが、どうしても大切になってくるわけです。
しかし、それ以上に大切になってくることは、自分自身が潜在的に精神的な安心感を得るため、
見返りを求めて行動をしすぎていないかという観点に着目するということが肝といえるのではない
しょうか。
駄目な夫、駄目な嫁だからこそ、自分の付加価値があがっているともいえるのです。
そこに自分の劣等感を隠し続けることができれば楽なのでしょうが、隠しているうちは
一生幸せな自分にはなれないような気がするのです。その劣等感と向き合って、
そんな自分も唯一無二の自分なんだと受け止めることができれば、今の生活の視野は
大きく変わっていくのではないかと「妄想」しています^^
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
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