2015年12月29日
AC夫は、メサイアコンプレックスのような気質があるという件(その2)
⇒AC夫は、メサイアコンプレックスのような気質があるという件(その1)。からの続きです。
おそらく、この行動の結果が、周りから非難や批判の嵐になるようなことや、
称賛や感謝を得られないようなこと、期待できない場合は、腰は重くなるのです。
自分の無意識の行動原理が、周りからの評価や称賛を求めているんですね。
それが、感謝や評価だけの人もいれば、お金やものに固執している人は、
金品に執着する人もいるのかもしれません。
見返りがあって始めてこの関係は成り立つんですね。
だから、例えばなにかで困っている人がいて、私がその問題を解決出来るだけの
知識があれば、解決してあげようと懸命になります。もし知識がなくても
自分で聞いた入り調べたりして最善策をみつけ解決へ導くための行動を
取るでしょう。
助けてあげたのに、こちらの思うような見返りがない場合は、その感情は、
憤りや、その相手に対する憎しみや否定という形で現れてくるのです。
本来論理的にいえば、
「自分が幸せで心も安定しているから人の世話をしてあげられる」
というのが、正常な反応なのでしょうが、メサイアコンプレックスという概念では、
この論理が逆になってしまうのです。
「困った人を助けてあげれば、自分は幸せな人間になれる。」
もしくは、「幸せな人間であると自分を認識できる」というような概念。
この症状が酷いなると、おそらく自分自身で問題を起こして自分で火消しを
するような行動を取る人もいるでしょう。
自作自演的な行動まで至ってしまうと病的な一面が大きくなります。
しかし、たいていの場合は、無意識にこういう行動をしていることも多いです。
消防団員が、自分で火を付けて、自分が火消しに走るような事件は結構
あるとおもいますが、こういう心理もあるのかもしれません。
誰か俺を認めてくれよ。褒めてくれよ。ギブミーギブミー!ってかんじでしょうか。
私自身は、そこまで酷くはないと思ってはいますが、それは犯罪を犯していない
というだけで、一歩踏み外せば危険な方向にも行きかねません。
そして、自分のパートナーに文句を言って生活をし続けていましたが、
そのパートナーをなぜ自分が選んでしまったのかという心理も、この
メサイアコンプレックスという中に隠されているのではないだろうかとも
思っています。
もちろん、ただそれだけでなく、恋愛感情があったり、そういうこともあります。
しかし、自分よりは、ある部分に置いてはあまり秀でていない人間がパートナー
になることで、自分が世話をしてあげるということが多くなることが冷静に考えれば
分かるのではないでしょうか。
その行為は、一見仲むつまじい夫婦にもみえるときがあるのかもしれませんが、
実は、私自身が自分の劣等感を隠すために必要な相手であったとも言えるのです。
つづく
【はじめての方限定!一冊無料クーポンもれなくプレゼント】ぼくはアスペルガーなお医者さん ...
おそらく、この行動の結果が、周りから非難や批判の嵐になるようなことや、
称賛や感謝を得られないようなこと、期待できない場合は、腰は重くなるのです。
自分の無意識の行動原理が、周りからの評価や称賛を求めているんですね。
それが、感謝や評価だけの人もいれば、お金やものに固執している人は、
金品に執着する人もいるのかもしれません。
見返りがあって始めてこの関係は成り立つんですね。
だから、例えばなにかで困っている人がいて、私がその問題を解決出来るだけの
知識があれば、解決してあげようと懸命になります。もし知識がなくても
自分で聞いた入り調べたりして最善策をみつけ解決へ導くための行動を
取るでしょう。
助けてあげたのに、こちらの思うような見返りがない場合は、その感情は、
憤りや、その相手に対する憎しみや否定という形で現れてくるのです。
本来論理的にいえば、
「自分が幸せで心も安定しているから人の世話をしてあげられる」
というのが、正常な反応なのでしょうが、メサイアコンプレックスという概念では、
この論理が逆になってしまうのです。
「困った人を助けてあげれば、自分は幸せな人間になれる。」
もしくは、「幸せな人間であると自分を認識できる」というような概念。
この症状が酷いなると、おそらく自分自身で問題を起こして自分で火消しを
するような行動を取る人もいるでしょう。
自作自演的な行動まで至ってしまうと病的な一面が大きくなります。
しかし、たいていの場合は、無意識にこういう行動をしていることも多いです。
消防団員が、自分で火を付けて、自分が火消しに走るような事件は結構
あるとおもいますが、こういう心理もあるのかもしれません。
誰か俺を認めてくれよ。褒めてくれよ。ギブミーギブミー!ってかんじでしょうか。
私自身は、そこまで酷くはないと思ってはいますが、それは犯罪を犯していない
というだけで、一歩踏み外せば危険な方向にも行きかねません。
そして、自分のパートナーに文句を言って生活をし続けていましたが、
そのパートナーをなぜ自分が選んでしまったのかという心理も、この
メサイアコンプレックスという中に隠されているのではないだろうかとも
思っています。
もちろん、ただそれだけでなく、恋愛感情があったり、そういうこともあります。
しかし、自分よりは、ある部分に置いてはあまり秀でていない人間がパートナー
になることで、自分が世話をしてあげるということが多くなることが冷静に考えれば
分かるのではないでしょうか。
その行為は、一見仲むつまじい夫婦にもみえるときがあるのかもしれませんが、
実は、私自身が自分の劣等感を隠すために必要な相手であったとも言えるのです。
つづく
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コメント有難うございます!
共感いただける人がいるだけで、私はイライラしていた気持ちが
少し緩和するので感謝の気持ちでいっぱいですm(_ _)m
自分と向き合うというのは終わりがない旅のようなものですね。
どうせ生きているなら楽しくすごしてみてもいいのかなと、以前より
思えるようになりました。こちらこそありがとうございます。
『自分の劣等感を隠すために必要な相手』
というフレーズが突き刺さりました。
私自身、『主因は内にあり』という好きな言葉があったのですが色濃く混ざり合い染みてきてます。
いつもありがとうございますm(_ _)m
『自分の劣等感を隠すために必要な相手』
というフレーズが突き刺さりました。
私自身、『主因は内にあり』という好きな言葉があったのですが色濃く混ざり合い染みてきてます。
いつもありがとうございますm(_ _)m