2015年12月16日
自分を褒めること、相手を褒めること、我が子を褒めることが苦手なAC夫。(その4)
→自分を褒めること、相手を褒めること、我が子を褒めることが苦手なAC夫。(その3)からの続き。
■褒めることが思いつかなくても、感謝の気持ちは伝えられる。
私は本当に褒めることが下手です。自分自身ですら褒めることができない人は、
自分の子ども、パートナー、周りに人達に対してなど、褒めることはぎこちなくなって当然だと思います。
訓練も何もしないで、親になったから、「さあ、しっかり子どもを褒めて育てましょう!」と
意気込んでいるだけでは、理想という名の妄想の段階なのだと思います。
だから、自分は褒めるスキルが低いことを受け止めて、褒めると言うことは
子どもを良い子にするためではなく、相手を承認するコミュニケーションの一部として
考えてきたいと思いました。誰でもできることは、「感謝の意を伝えること」ですね。
子どもは訓示的なものを親に期待していません。ただただ、自分を一人の人間として、
承認して欲しいという欲求を満たして上げることが、自己肯定感を高めることにつながる
ことでしょう。
そうなってくると、逆算してみればわかりますが、自分以外の他人を受け止め承認するという
行為は、心に余裕がない人にはできない行為です。いかに自分に社会的地位や権威、スキル
などがあっても、自分を受け止められない、自分を褒められない(ナルシストという意味ではなく)
人は、相手を批判し、刃を向けることでしか対話することができないのだと思います。
褒めるところなんか見つからない…と思いがちですが、まったくないなんてことはないですよね。
ただ、条件付きとか見返りを期待するとかそういう自動思考が当たり前になりすぎてしまって、
無償で褒めるということが、なんだか損に感じてしまったりもするのです。
だから、例えば,100万円あげるから、自分の褒めてあげたいところ見つけてみて!といえば、
案外、見つかったりします。これは見返りが100万円で得だと感じるから必死に探すのでしょう。
この見返りは、金銭的なものに魅力を感じる人、権力的なもの、社会的地位的なもの、世間からの評価
に魅力を感じる人などさまざまです。
ギブアンドテイク精神をたたき込まれた結果、何か物的な、心理的な見返りを期待してしまう私の
脳みそが問題なのであるため、そういうのをひっくるめて、まず自分の褒められるところもひとつずつ
でも掘り出して受け止められれば、いいなと思っています。
どちらかというと私の子育ては、子どものためという言葉を盾に、自分自身が
世間から駄目な親に見られないようにという要素が強かった気がするのです。
そのことばかりにビクビクしてしまい、失敗を恐れて、思うように行かないと怒鳴り散らす。
全く大人としても、親としても未熟な自分に、さらに頭にきます^^
しかし、これも結局は、自分が未熟であることを認めることができないジレンマなの
ではないでしょうか。
ACの親にとっての子育ては、自分を育てなおすための試練なのかもしれませんし、
育てなおすチャンスを自分の分身が捧げてくれたのかもしれません。
いつの時代も、周りの理解が無い人たちは、いいたいことをいうものです。
悪口だったり、愚痴だったり、価値感の押しつけだったり。しかし、それ自体は
気分を害するようなことでも、それで自分自身が別人になってしまうなんてことは、
絶対にないわけです。
他人は他人、自分は自分。まだまだ自分探しの道は、我が子と共に続いていきます。
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■褒めることが思いつかなくても、感謝の気持ちは伝えられる。
私は本当に褒めることが下手です。自分自身ですら褒めることができない人は、
自分の子ども、パートナー、周りに人達に対してなど、褒めることはぎこちなくなって当然だと思います。
訓練も何もしないで、親になったから、「さあ、しっかり子どもを褒めて育てましょう!」と
意気込んでいるだけでは、理想という名の妄想の段階なのだと思います。
だから、自分は褒めるスキルが低いことを受け止めて、褒めると言うことは
子どもを良い子にするためではなく、相手を承認するコミュニケーションの一部として
考えてきたいと思いました。誰でもできることは、「感謝の意を伝えること」ですね。
子どもは訓示的なものを親に期待していません。ただただ、自分を一人の人間として、
承認して欲しいという欲求を満たして上げることが、自己肯定感を高めることにつながる
ことでしょう。
そうなってくると、逆算してみればわかりますが、自分以外の他人を受け止め承認するという
行為は、心に余裕がない人にはできない行為です。いかに自分に社会的地位や権威、スキル
などがあっても、自分を受け止められない、自分を褒められない(ナルシストという意味ではなく)
人は、相手を批判し、刃を向けることでしか対話することができないのだと思います。
褒めるところなんか見つからない…と思いがちですが、まったくないなんてことはないですよね。
ただ、条件付きとか見返りを期待するとかそういう自動思考が当たり前になりすぎてしまって、
無償で褒めるということが、なんだか損に感じてしまったりもするのです。
だから、例えば,100万円あげるから、自分の褒めてあげたいところ見つけてみて!といえば、
案外、見つかったりします。これは見返りが100万円で得だと感じるから必死に探すのでしょう。
この見返りは、金銭的なものに魅力を感じる人、権力的なもの、社会的地位的なもの、世間からの評価
に魅力を感じる人などさまざまです。
ギブアンドテイク精神をたたき込まれた結果、何か物的な、心理的な見返りを期待してしまう私の
脳みそが問題なのであるため、そういうのをひっくるめて、まず自分の褒められるところもひとつずつ
でも掘り出して受け止められれば、いいなと思っています。
どちらかというと私の子育ては、子どものためという言葉を盾に、自分自身が
世間から駄目な親に見られないようにという要素が強かった気がするのです。
そのことばかりにビクビクしてしまい、失敗を恐れて、思うように行かないと怒鳴り散らす。
全く大人としても、親としても未熟な自分に、さらに頭にきます^^
しかし、これも結局は、自分が未熟であることを認めることができないジレンマなの
ではないでしょうか。
ACの親にとっての子育ては、自分を育てなおすための試練なのかもしれませんし、
育てなおすチャンスを自分の分身が捧げてくれたのかもしれません。
いつの時代も、周りの理解が無い人たちは、いいたいことをいうものです。
悪口だったり、愚痴だったり、価値感の押しつけだったり。しかし、それ自体は
気分を害するようなことでも、それで自分自身が別人になってしまうなんてことは、
絶対にないわけです。
他人は他人、自分は自分。まだまだ自分探しの道は、我が子と共に続いていきます。
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