2015年12月15日
自分を褒めること、相手を褒めること、我が子を褒めることが苦手なAC夫。(その3)
⇒自分を褒めること、相手を褒めること、我が子を褒めることが苦手なAC夫。(その2)の続き
■自分を褒めることができない人は、他人も我が子も心から褒めることができない。
「やればできるじゃない」という言葉が、うちの母親は多かった記憶がよみがえります。
この言葉って、どことなく上から目線なんですよね。「やればできるのだから、言われる前にやりなさい」
という命令にもきこえます。子どもも知識や経験がない中でも、うれしいか嫌かという感情は
自分でも分かります。この言葉は、子育ての褒め言葉としては使えない言葉なのです。
そして、たいていこの言葉の後に、一般論や、普通の人は…とか、戒め的な言葉を
ちょいちょい入れられたりするわけです。最後は反省の弁を述べないと話が終わらなかったり。
結局、褒めているようでも、最終的には説教で終わるような感じだから、褒められた印象も薄くなるのでしょうね。
でも、上手く褒められなくて当然なんですよ。母親も私も褒めると言うことをまったくもって
はき違えているわけですが、自分の中では褒めているという意識だけで自分の正当性を
保っています。なおかつ、子育ては閉鎖的な空間で行われるわけであり、よほどのことがない限り、
自分の子育てスタイルについて、他人がとやかく介入する機会もないわけです。
そうなってくると、誰も「その褒め方は子どもはうれしくないよ!」と注意してくれたりなどまず
ありませんから、一貫して、自分の誤った褒めるという概念で子どもを育て続けてしまいます。
親もそれが正しいと疑わず、本当の愛情だと思って、我が子へその思いを注いでしまっているのですから
皮肉なものです。
■褒めることで何か見返りをもらうようなことを期待しない。
良い子に育てたい。世間から見て恥ずかしくない子にしたい。など親であれば私物のように
我が子の行く末を考えてしまいがちです。そして、アダルトチルドレン要素が大きい親が
子育てをすると、白黒発想で、答えを2極化にしやすいため、ものごとを「正しい」か「間違っている」
という2択で自動思考が考えさせてしまっていることにも大きな問題が生じます。
そもそも「褒める」理由を、良い子にしたい!とかが理由だとすると、まず逆効果になるでしょう。
良い子にしたいから褒めるという条件付きの愛で成立する条件であり、褒めているのに良い子に
ならないときは、その対極の「怒る」ということでしか相手を受け止められなくなるでしょう。
これは、私の中では、褒めた見返りに、あなたは良い子になって下さいということを潜在的に期待して
いるわけです。しかも厄介なのは、自動思考がそう思わせ、自分自身を期待させます。
コンピュータープログラミングのように、正確に脳はその情報を命令として自分の脳へ出してきます。
そして期待を裏切られると、この子は悪い子という認識になるため、悪い子は褒めないで叱らないと!
という白か黒かでしか判断できないことが裏目に出てしまうことになります。
はっきり言って、この褒め方をしたらベストなんていう魔法の言葉はないと思って下さい。
なぜかと言えば、子どもはひとりひとり生まれ持った性格やポテンシャルや感受性が異なる
からです。
ただ、自分がすごいと思う価値感、世間的に見た価値感を中心に我が子を評価しないことは
大切です。私たちが今持っている価値感は、多かれすくなかれ、たくさんの経験や失敗から
学んで得てきた価値感です。善悪の価値感についても同じです。何が良くて何が悪いなんて、
本当は一概には言えません。
自分が子どもと同じ年齢のときを思い浮かべて、どんな風に褒めたらうれしいかという風に
考えることもひとつの方法としては良いと思います。しかし、それも1案であって自分と子どもは
別の人間であると言うことを認識しないと、「自分は子どものとき、こう思ったから、自分の子どもも
同じように思うはずだ!」という勝手な決めつけやレッテルを貼ってしまうことになるので注意が
必要です。
そう考えると、子育てなんか大変でしたくない!と思ってしまうかもしれませんが、
それ以上に、親としてではなく、自分自身という一人の人間をひとまわりもふたまわりも
成長させてくれるために、子どもはいるのかもしれないです。子ども達に間違いを恐れるな!
と叫んでいる割に、失敗を一番恐れているのは親の自分自身であったりするんですね。
つづく
自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)
■自分を褒めることができない人は、他人も我が子も心から褒めることができない。
「やればできるじゃない」という言葉が、うちの母親は多かった記憶がよみがえります。
この言葉って、どことなく上から目線なんですよね。「やればできるのだから、言われる前にやりなさい」
という命令にもきこえます。子どもも知識や経験がない中でも、うれしいか嫌かという感情は
自分でも分かります。この言葉は、子育ての褒め言葉としては使えない言葉なのです。
そして、たいていこの言葉の後に、一般論や、普通の人は…とか、戒め的な言葉を
ちょいちょい入れられたりするわけです。最後は反省の弁を述べないと話が終わらなかったり。
結局、褒めているようでも、最終的には説教で終わるような感じだから、褒められた印象も薄くなるのでしょうね。
でも、上手く褒められなくて当然なんですよ。母親も私も褒めると言うことをまったくもって
はき違えているわけですが、自分の中では褒めているという意識だけで自分の正当性を
保っています。なおかつ、子育ては閉鎖的な空間で行われるわけであり、よほどのことがない限り、
自分の子育てスタイルについて、他人がとやかく介入する機会もないわけです。
そうなってくると、誰も「その褒め方は子どもはうれしくないよ!」と注意してくれたりなどまず
ありませんから、一貫して、自分の誤った褒めるという概念で子どもを育て続けてしまいます。
親もそれが正しいと疑わず、本当の愛情だと思って、我が子へその思いを注いでしまっているのですから
皮肉なものです。
■褒めることで何か見返りをもらうようなことを期待しない。
良い子に育てたい。世間から見て恥ずかしくない子にしたい。など親であれば私物のように
我が子の行く末を考えてしまいがちです。そして、アダルトチルドレン要素が大きい親が
子育てをすると、白黒発想で、答えを2極化にしやすいため、ものごとを「正しい」か「間違っている」
という2択で自動思考が考えさせてしまっていることにも大きな問題が生じます。
そもそも「褒める」理由を、良い子にしたい!とかが理由だとすると、まず逆効果になるでしょう。
良い子にしたいから褒めるという条件付きの愛で成立する条件であり、褒めているのに良い子に
ならないときは、その対極の「怒る」ということでしか相手を受け止められなくなるでしょう。
これは、私の中では、褒めた見返りに、あなたは良い子になって下さいということを潜在的に期待して
いるわけです。しかも厄介なのは、自動思考がそう思わせ、自分自身を期待させます。
コンピュータープログラミングのように、正確に脳はその情報を命令として自分の脳へ出してきます。
そして期待を裏切られると、この子は悪い子という認識になるため、悪い子は褒めないで叱らないと!
という白か黒かでしか判断できないことが裏目に出てしまうことになります。
はっきり言って、この褒め方をしたらベストなんていう魔法の言葉はないと思って下さい。
なぜかと言えば、子どもはひとりひとり生まれ持った性格やポテンシャルや感受性が異なる
からです。
ただ、自分がすごいと思う価値感、世間的に見た価値感を中心に我が子を評価しないことは
大切です。私たちが今持っている価値感は、多かれすくなかれ、たくさんの経験や失敗から
学んで得てきた価値感です。善悪の価値感についても同じです。何が良くて何が悪いなんて、
本当は一概には言えません。
自分が子どもと同じ年齢のときを思い浮かべて、どんな風に褒めたらうれしいかという風に
考えることもひとつの方法としては良いと思います。しかし、それも1案であって自分と子どもは
別の人間であると言うことを認識しないと、「自分は子どものとき、こう思ったから、自分の子どもも
同じように思うはずだ!」という勝手な決めつけやレッテルを貼ってしまうことになるので注意が
必要です。
そう考えると、子育てなんか大変でしたくない!と思ってしまうかもしれませんが、
それ以上に、親としてではなく、自分自身という一人の人間をひとまわりもふたまわりも
成長させてくれるために、子どもはいるのかもしれないです。子ども達に間違いを恐れるな!
と叫んでいる割に、失敗を一番恐れているのは親の自分自身であったりするんですね。
つづく
自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4517565
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック