2015年03月01日
自分自身のインナーチャイルドの原点とは何なのかを追求してみる
最近、録音アファメーションをしているせいなのか、
小中学校あたりの頃の夢を見ることが多いです。
私の幼少期の家族といえば、父親は仕事人間で、
家にほとんどいないのが普通で、家にいる方が
違和感を感じたぐらい接点はありませんでした。
それゆえ、母親が家のすべてのことを実質的に
やらなければならないという偏った役割の家族でした。
子供心では、母親こそ全てで、母親に任せれば
全て解決してしまうことが多かったため、絶大な
信頼を置いていたのかもしれません。
絶大な信頼がある一方で、母親のマイナスな発言
や行動や表情も敏感に反応し多大な影響を無意識に
受けていたのだろうと思います。
決して幼少期つまらないことばかりで、我慢が多かった
生活では無く、楽しいこともたくさんあったと思います。
ただ、幼少期を振り返っても、母親が楽しんでなにかを
していていた記憶があまりないのです。
何かと言えば、さえない顔でため息をついたり、マイナスな言葉
や不機嫌な顔をしていたり、のイメージです。
私は気質が繊細な方だったのでしょう、母親の吐き出す
ストレスの言葉をほとんど真に受けてとらえていました。
母親の良く吐き出していた言葉は、
・お金さえあれば、買ってあげたいんだけど。
・言うこと聞かないならもう知らない!勝手にしなさい。
・あなたそんなことも知らないの。
・生活に必要ない物はいらない。
・あなたのために言っているのよ。
実際は、そんな言葉や嫌な顔ばかりではなかったのであろうと
思いますが、それが印象強く私の中には残っているのが事実です。
小中学生の頃は、母親に憎しみというものは生まれず、
なんとか、自分のお母さんの笑っている顔や優しいお母さんが
見たいなぁ、何でもやってくれるお母さんを怒らせて嫌いになられたら
どうしようなどと漠然と考えていることが多かった気がします。
母親は、私が気の利いたことをしたとき、
率先してお手伝いをしてくれたとき、兄弟の
面倒を上手に見れたとき、学校で学力でも運動でも
優秀な成績をおさめたとき、肩をたたいてあげているとき、
などは優しい顔をして称賛してくれていたのです。
私は、そういうお母さんの愛情や優しさが欲しかったのだろうと
今では理解しています。
逆に母親の思うような行動をしないときは、
不機嫌な顔に戻りますので、それは子供ながらに
見捨てられるのではないかという恐怖もあったように感じます。
そう考えると子供って大人の細かいありがたいお言葉なんて
耳には入っても、脳にはなかなか残らないのだと。
むしろ、ただただ欲しかったのは、優しい顔をして
自分を認めてくれるお母さんだったのかもしれません。
アスペルガーADHD発達障害改善マニュアル
しかし、母も相当疲労困憊だったのだろうと今は
推測できますし、その不機嫌な顔が私に対して
愛情が無かったわけではないということも受け入れ
らるようになってきています。
父は家庭のことや学校や育児のことは全く
ノータッチの人だったので、母からすると非常に
フラストレーションが溜まったのだと思います。
私だけで無く、母もまた気持ちのよりどころを夫に
求めることも出来ず、その我慢の矛先が子供に
向いてしまったときもあるだろうと感じています。
そして、父親とあまり接点が無かったからか、
自分自身の父親像もはっきりしていないという
未熟なところもあるとも思いました。
当時、母親に甘えられなかった点や、自分の
理想とする家族像を、今の自分の家庭や、
アスペ嫁に投影して生活していることで、
もの凄いフラストレーションを抱えるきっかけに
してしまったと思います。
小中学校あたりの頃の夢を見ることが多いです。
私の幼少期の家族といえば、父親は仕事人間で、
家にほとんどいないのが普通で、家にいる方が
違和感を感じたぐらい接点はありませんでした。
それゆえ、母親が家のすべてのことを実質的に
やらなければならないという偏った役割の家族でした。
子供心では、母親こそ全てで、母親に任せれば
全て解決してしまうことが多かったため、絶大な
信頼を置いていたのかもしれません。
絶大な信頼がある一方で、母親のマイナスな発言
や行動や表情も敏感に反応し多大な影響を無意識に
受けていたのだろうと思います。
決して幼少期つまらないことばかりで、我慢が多かった
生活では無く、楽しいこともたくさんあったと思います。
ただ、幼少期を振り返っても、母親が楽しんでなにかを
していていた記憶があまりないのです。
何かと言えば、さえない顔でため息をついたり、マイナスな言葉
や不機嫌な顔をしていたり、のイメージです。
私は気質が繊細な方だったのでしょう、母親の吐き出す
ストレスの言葉をほとんど真に受けてとらえていました。
母親の良く吐き出していた言葉は、
・お金さえあれば、買ってあげたいんだけど。
・言うこと聞かないならもう知らない!勝手にしなさい。
・あなたそんなことも知らないの。
・生活に必要ない物はいらない。
・あなたのために言っているのよ。
実際は、そんな言葉や嫌な顔ばかりではなかったのであろうと
思いますが、それが印象強く私の中には残っているのが事実です。
小中学生の頃は、母親に憎しみというものは生まれず、
なんとか、自分のお母さんの笑っている顔や優しいお母さんが
見たいなぁ、何でもやってくれるお母さんを怒らせて嫌いになられたら
どうしようなどと漠然と考えていることが多かった気がします。
母親は、私が気の利いたことをしたとき、
率先してお手伝いをしてくれたとき、兄弟の
面倒を上手に見れたとき、学校で学力でも運動でも
優秀な成績をおさめたとき、肩をたたいてあげているとき、
などは優しい顔をして称賛してくれていたのです。
私は、そういうお母さんの愛情や優しさが欲しかったのだろうと
今では理解しています。
逆に母親の思うような行動をしないときは、
不機嫌な顔に戻りますので、それは子供ながらに
見捨てられるのではないかという恐怖もあったように感じます。
そう考えると子供って大人の細かいありがたいお言葉なんて
耳には入っても、脳にはなかなか残らないのだと。
むしろ、ただただ欲しかったのは、優しい顔をして
自分を認めてくれるお母さんだったのかもしれません。
アスペルガーADHD発達障害改善マニュアル
しかし、母も相当疲労困憊だったのだろうと今は
推測できますし、その不機嫌な顔が私に対して
愛情が無かったわけではないということも受け入れ
らるようになってきています。
父は家庭のことや学校や育児のことは全く
ノータッチの人だったので、母からすると非常に
フラストレーションが溜まったのだと思います。
私だけで無く、母もまた気持ちのよりどころを夫に
求めることも出来ず、その我慢の矛先が子供に
向いてしまったときもあるだろうと感じています。
そして、父親とあまり接点が無かったからか、
自分自身の父親像もはっきりしていないという
未熟なところもあるとも思いました。
当時、母親に甘えられなかった点や、自分の
理想とする家族像を、今の自分の家庭や、
アスペ嫁に投影して生活していることで、
もの凄いフラストレーションを抱えるきっかけに
してしまったと思います。
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