2015年02月02日
アダルトチルドレン子供は、その育ての親もアダルトチルドレンの可能性高し(その3)
もし仮に、母親と一緒に生活を今していたとして、
毎日、話をするたびに、否定的な言葉を聞いていたら、
自分がアダルトチルドレンであることすら気づかなかった
かもしれません。
うちの母親はいつも愚痴とか不平不満ばかりで、
本当鬱陶しい!なんて他の人に漏らしてしまいそうです。
しかし、同居していないから、自分がアダルトチルドレンと自覚したからか、
かなり自分の母親を客観的に見ることは出来ていると感じます。
どちらかというと、反面教師的な意味合いで観ることが出来ます。
欲を言えば、母親も自分自身を見つめ直せる機会が来ると良いな
と思いますが、こればかりは他人に強要してやることではありません。
こんなにつらい気持ちで毎日子育てしていたんじゃ、
笑顔で子供と接することもむずかしかったのだろうなと。
「笑顔」というキーワードで、はっと思い出しましたが、
うちの母親は、一生懸命子育ても、炊事洗濯等々家のこと全て、
そつなく何でもこなしていましたが、「笑顔」でやっていたイメージが
一つもなかったのです。
もちろん1つもないというのはオーバーですが、
私の記憶の引き出しで言うと、笑顔で楽しそうに
過ごしている母親の姿ってなかったのです。
父親が帰ってきたときは、笑顔を努めていたようですが、
子供しかいないときは独り言がネガティブだった気がします。
家のことをやるときも、
「あー疲れた」
「あーなんでこんなに洗濯物があるんだろう全く!」
「あーお金があったらこんなに苦労しないのに!」
眉間にしわを寄せながら、ぶつぶつ愚痴るように
念仏のように唱えながら、作業をしている姿は良く思い浮かびます。
今思えば子供ながらに、自然と母親が笑顔になるような
ことを選択して行動していた感じがします。
私はそんなにガミガミ怒られるような子供ではありませんでした。
どちらかというと、おとなしく言うことは聞く優等生的な人間であった
気がします。
そのため、母親が毎日怒ってとか、殴られたというトラウマはありません。
ただ、感受性が高かったのでしょう。小学校の低学年ぐらいで、
どうやったらいつも楽しくなさそうな母親を笑顔に出来るかという
ことを、直感的に行動に移していたのかも知れません。
笑顔でない母親に寂しさを感じながら自分は成長したのだと
感じた瞬間でもありました。
そんな寂しさが分かっているはずの自分でさえ、
親になって、母親と同じようなことを自分の子供へ
していることに気づき、ここで断ち切らなければと
思うが、笑顔が上手に出来ない自分がここにいます。
まずは、自分を受け止め、笑顔の訓練が私の課題かな^^
子どもの生きづらさと親子関係 アダルト・チルドレンの視点から
毎日、話をするたびに、否定的な言葉を聞いていたら、
自分がアダルトチルドレンであることすら気づかなかった
かもしれません。
うちの母親はいつも愚痴とか不平不満ばかりで、
本当鬱陶しい!なんて他の人に漏らしてしまいそうです。
しかし、同居していないから、自分がアダルトチルドレンと自覚したからか、
かなり自分の母親を客観的に見ることは出来ていると感じます。
どちらかというと、反面教師的な意味合いで観ることが出来ます。
欲を言えば、母親も自分自身を見つめ直せる機会が来ると良いな
と思いますが、こればかりは他人に強要してやることではありません。
こんなにつらい気持ちで毎日子育てしていたんじゃ、
笑顔で子供と接することもむずかしかったのだろうなと。
「笑顔」というキーワードで、はっと思い出しましたが、
うちの母親は、一生懸命子育ても、炊事洗濯等々家のこと全て、
そつなく何でもこなしていましたが、「笑顔」でやっていたイメージが
一つもなかったのです。
もちろん1つもないというのはオーバーですが、
私の記憶の引き出しで言うと、笑顔で楽しそうに
過ごしている母親の姿ってなかったのです。
父親が帰ってきたときは、笑顔を努めていたようですが、
子供しかいないときは独り言がネガティブだった気がします。
家のことをやるときも、
「あー疲れた」
「あーなんでこんなに洗濯物があるんだろう全く!」
「あーお金があったらこんなに苦労しないのに!」
眉間にしわを寄せながら、ぶつぶつ愚痴るように
念仏のように唱えながら、作業をしている姿は良く思い浮かびます。
今思えば子供ながらに、自然と母親が笑顔になるような
ことを選択して行動していた感じがします。
私はそんなにガミガミ怒られるような子供ではありませんでした。
どちらかというと、おとなしく言うことは聞く優等生的な人間であった
気がします。
そのため、母親が毎日怒ってとか、殴られたというトラウマはありません。
ただ、感受性が高かったのでしょう。小学校の低学年ぐらいで、
どうやったらいつも楽しくなさそうな母親を笑顔に出来るかという
ことを、直感的に行動に移していたのかも知れません。
笑顔でない母親に寂しさを感じながら自分は成長したのだと
感じた瞬間でもありました。
そんな寂しさが分かっているはずの自分でさえ、
親になって、母親と同じようなことを自分の子供へ
していることに気づき、ここで断ち切らなければと
思うが、笑顔が上手に出来ない自分がここにいます。
まずは、自分を受け止め、笑顔の訓練が私の課題かな^^
子どもの生きづらさと親子関係 アダルト・チルドレンの視点から
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