2017年04月13日
真面目ちゃんに多い?母親の一言でフラッシュバックするインナーチャイルド
トピ主(アラフォー女性)は高校までは成績優秀で進学校に学んでいたが、しかし大学受験で失敗。それを挽回すべく、長年の夢であった海外生活を30歳手前で実現させたという。最初の2年は現地の州立学校で学び、その後、正職員のポジションで8年ほど現地企業に勤務。だが仕事でつまずくと同時に当時の婚約者と別れてうつ状態となり、一度人生をリセットしようと日本に帰国したのだという。時を経て現在は、帰国後に知り合った夫と、1歳の息子と暮らしている。だが「40手前で結婚出産したことで再就職も上手くいかず、やりたいこととはかけ離れた職種でフルタイムパート勤務、家事育児とで忙殺される日々」だという。そんな中、最近実家の母親と電話で話したときの、母親の些細な一言にトピ主は大きなショックを受け、以来鬱々としてしまっている。
引用元:メッシー
こういう話って意外と身近な知り合いや友達にはしにくかったりします。
友達だから最初は聞いてくれるのですが、何度も同じ話をこちらがしていると
相手からすると「いつも愚痴っているなぁ」ぐらいにしか聞いてくれなくなります。
確かに他人の愚痴を延々ときくと言うことは想像以上にストレスになります。
さらに間柄が近いほど、深く話したいのに軽くいなされたりも多いのが悩みという
人もいるでしょう。
ただ間違いなく言えるのは、本人にとっては本当に死ぬ以上にしんどいのだと。
親の先入観や偏見によって自分の思考回路の大半を占拠されていることが
わからないまま大人になって気がつくという人は思った以上に多いです。
泣き言を言わず、自立して生活をしているような人からすれば、
甘えだとか、いまさらそんなこといってどうするの?なんていう人もいます。
他人に言われるのであれば、少し頭にきておしまいですみますが、
こういったことを実の親に直接いわれるなんてことも珍しくありません。
親の理想的なレールから外れてしまった人生を送っている子どもに対して
毒親の視線と発言は心臓を突き刺すようなひと突きになります。
結局は自分自身を育ててくれたというよりも見栄や世間体が大切だったのか?
そんな見方をされた時点で自分の存在価値などどこにあるのか?と嫌でも感じてしまうでしょうね。
毒親の思考という物が厄介なのは、確実に自分自身にもその思考が埋まっているということです。子育てをすれば自分が自分の母親と同じようなことを子どもに言ってしまい
自分がまるで母親のようだと自己嫌悪になることも間々あります。
しかし、どんな状態でもやはり自分は自分です。母親と似ていても当然といえば当然です。
DNAは半分受け継いでいるわけですし、教育という教育は自分の母親の教育しか見てきて
いないのですから。
親が毒親だと気づいた時点ではすっきりしますが、しばらくはしんどい時期が続きます。
しかし本当の自分は今の自分ではないということがわかれば、
自分は母や父のコピーではなく自分自身だけで尊い存在だということが気づいてくるでしょう。
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いつもコメントありがとうございます!
そうですね。実際はもうとっくに昔から心臓に突き刺さった間々なのだと思います。
幼いころに心臓に刺さったトゲがそのひとことで動き出してくるしくなるのでしょう。
いままではトゲが心臓に刺さったまま、「私は決して刺さっていない!」という
自分なりの生き方をされてきたでしょうから、気づいたときは今まで忘れていた
痛みの分まで襲いかかってくるイメージです。
こんなことにとらわれてと大人の自分はそう思っているでしょうが、
実際自分の中の幼い自分は大問題であることは変わりありません。
大人の自分は本来やらなくてはいけないことがほとんどわかっているんですよね。
自分の考えで生きることが今の自分に必要だと。
大人の自分のペースにあわせるか、子どもの自分のペースにあわせるかで
自分の中で葛藤がうまれて苦しくなると思います。どうかんがえても
最終的に大人の考えてと子どもの考えって一致しませんからね。
でもそれはそれで良いのだと思います。
そんなことにとらわれてといいますが、そのつらいきもちを押し殺して
生きてきたことで苦しいわけですから、徹底的に子どもの自分のペースで
正しいか誤っているかではなくどうしたいのか?を否定せずに聞いてあげる
ことも大切でしょう。
おっしゃるとおり都合の良いように消え去るなんてことはないと思います。
正確に言えば、だんだんあまり気にならなくなるというのが正しいでしょう。
気にならなくなっても過去のことをすっかりと忘れてしまうわけでもありません。
ただわかっているのは、今考えればたいしたことないようなことでも当時は
死ぬよりも辛い気持ちの自分が居たということです。その事実は事実として
自分の中で切り捨てるのではなく、「本当につらいなかがんばったね」と
幼いころの自分を褒めてあげて欲しいです。
自分自身もいい歳になると、なんでこんなことに囚われるんだろうと、客観的にも見れてきますが、脳の思考パターンがそうできてしまっているので、どうしようもないんです。
中東の方の戦争教育じゃないけど、洗脳みたいな行為ってほんとに悪だなと思います。中身が壊れますから、ある意味傷害罪ですよ。
もう一人の自分がいて、いつまでもグダグダと言ってないでさっさと自分の考えで生きれば?って言ってきます。
そんな自分からの声を受けて、途方に暮れる私がいます。苦笑いと愛想笑いは私の定番です。
孤独だなと、思います。
唯一癒されるのは、このブログのコメント欄をはじめ、理解してくれる人と話すときです。
いつも泣けます。泣いた回数だけ、軽くなれる気がします。軽くなっても消えることはありません。でも一瞬楽になれる、生きてることを実感できるんです。