2017年02月10日
毒親は他人を通して見た自分が常に良い評価ではないと満足しないというジレンマ(その1)
精神的に成熟していけばいくほど、子どものころにはイメージできなかったことが
できるようになったり、言葉の意味をより咀嚼したりすることが可能になります。
たとえばまったく同じ映画でも、幼いころみた楽しさと、大人になってからみた
面白さというのはまた異なることが多いです。これは脳が成熟してきて幅広い
価値観をもったり、総合的に内容を理解したりできるようになっているからでも
あるでしょう。
多かれ少なかれ人間の価値感というものは日々変化していると言うことでしょう。
自分の母親と話をしているとそれを如実に感じることが多くなりました。
これは別居していると言うことも関係するでしょうが、同居していた幼少期
は、うっとうしいとしか感じず、我慢したり、ケンカをすることしか選択肢が
なかった価値観も今では客観的に第三者目線でとらえることもできるようになりました。
というのも、あまり自分にとってはうれしいことではありませんが、
母親の話している内容や素振り、表情を観察していると、自分の幼少期
に思っていたような「感覚が幼いなぁ」というような発言ばかりが目立つのです。
そして半分は嫌な気持ちになります。母親が毒親だからと言うことに嫌悪感を覚えるよりも、
自分の嫌な性格に対峙しているような錯覚にもなるからのほうが強い気がします。
そのぐらい母親の行動や発言を洞察すると自分とリンクするのです。
まあ、それもそのはずですよね。この人のそういう面をたっぷりウケながら
体内に毒として吸収してしまったのですから。
母親も自動思考でパッとネガティブな要素が思いついてしまうと言います。
常にそういう状態で生活していますから、生きていると言うことは危険そのもの
ぐらいの神経質な感覚があると言ってもいいでしょう。
そしてそのネガティブさを払拭するため責任転嫁や環境や他人を蔑視することで
自己を保とうというくせがついてしまっているのです。
たまにあったり、話したりするだけで相当感じるわけですから、正直いまから
一緒に生活しましょうとなったら正直言って途中で間違いなく破綻するでしょう。
一緒にテレビを見れば、
「この芸能人は不細工なのになんででているのだろう」(外見で蔑視)
「この人はなんか調子に乗ってるよね。きにくわない」(自分の方が上的なかんじ)
「声がきらいで聞きたくない」
「変な人間ばかりで世の中嫌だね」
基本的に否定的なとらえ方が多いのでしょうね。なぜか一緒に見ているだけで、
こちらがストレスを感じてしまうことも間々あります。短期間であるから我慢できますが…
幼少期はこういうさらっとした毒を強制的に植え付けられてしまうのですから問題です。
テレビにでているような芸能人はもちろんイメージが大切な仕事です。
でも1度もあったことがない人間をテレビだけで決めつけて好きだ嫌いだと騒いでいる
母親を見るとまるで中学生以下の感覚だなぁと思ってしまいます。
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価値観をもったり、総合的に内容を理解したりできるようになっているからでも
あるでしょう。
多かれ少なかれ人間の価値感というものは日々変化していると言うことでしょう。
自分の母親と話をしているとそれを如実に感じることが多くなりました。
これは別居していると言うことも関係するでしょうが、同居していた幼少期
は、うっとうしいとしか感じず、我慢したり、ケンカをすることしか選択肢が
なかった価値観も今では客観的に第三者目線でとらえることもできるようになりました。
というのも、あまり自分にとってはうれしいことではありませんが、
母親の話している内容や素振り、表情を観察していると、自分の幼少期
に思っていたような「感覚が幼いなぁ」というような発言ばかりが目立つのです。
そして半分は嫌な気持ちになります。母親が毒親だからと言うことに嫌悪感を覚えるよりも、
自分の嫌な性格に対峙しているような錯覚にもなるからのほうが強い気がします。
そのぐらい母親の行動や発言を洞察すると自分とリンクするのです。
まあ、それもそのはずですよね。この人のそういう面をたっぷりウケながら
体内に毒として吸収してしまったのですから。
母親も自動思考でパッとネガティブな要素が思いついてしまうと言います。
常にそういう状態で生活していますから、生きていると言うことは危険そのもの
ぐらいの神経質な感覚があると言ってもいいでしょう。
そしてそのネガティブさを払拭するため責任転嫁や環境や他人を蔑視することで
自己を保とうというくせがついてしまっているのです。
たまにあったり、話したりするだけで相当感じるわけですから、正直いまから
一緒に生活しましょうとなったら正直言って途中で間違いなく破綻するでしょう。
一緒にテレビを見れば、
「この芸能人は不細工なのになんででているのだろう」(外見で蔑視)
「この人はなんか調子に乗ってるよね。きにくわない」(自分の方が上的なかんじ)
「声がきらいで聞きたくない」
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基本的に否定的なとらえ方が多いのでしょうね。なぜか一緒に見ているだけで、
こちらがストレスを感じてしまうことも間々あります。短期間であるから我慢できますが…
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テレビにでているような芸能人はもちろんイメージが大切な仕事です。
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コメントありがとうございます!
めんどうくさいという気持ちが吐き出せただけでも良いと思いますよ^^
世間一般的では自分の親をめんどうくさいなんていったらどちらかというと
親不孝だ!と頭ごなしに言う人の方がおおいでしょうから。
嫌いになれないという理由もそのめんどうくさいという理由の
奥底の理由とリンクしているのかもしれません。
怒りたくて怒れない、嫌いになってはいけないものだという感情を
自分の中ですべて消化するのはどうして良いのか分からず結果的に
面倒くさくなるような気もします。
でも面倒でも良いのだと思います。面倒という気持ちは素直でしょうからね。
これまで否定してしまうと自分が壊れてきてしまうと思うので。
でも、世に出ていろんな事を見聞きすると、やはり気付いてしまいますね。
血縁関係は厄介なものです。
嫌でも切れない関係、怒りを感じで嫌いになれない相手。
めんどくさいです。
こんなこと言っても何も変わらないの分かってますが、やはり感情的にはめんどくさいというのが先頭にきます。