2017年01月27日
「かまってちゃん」要素が強い毒親はかかわらない!心理的には境界性人格障害の傾向もあり(その1)
「かまってちゃん」という言葉は結構聞いたことがある人は多いでしょう。
説明しなくてもなんとなく意味も分かります。
要はすごくかまってもらいたがる承認欲求の強い人というイメージと
さほど変わらないでしょう。
うちの母親である毒親はこの「かまってちゃん」要素が強いです。
そして私自身もこのかまってちゃん要素が凄く強い時期がありました。
かまってちゃんなんていう言葉でいうとかわいらしいですが、
場合によってはもの凄くストレスの根源になったり、周りへ毒をまき散らしたり、
まさに暴走しているような状態になり得ますので恐ろしいです。
■具体的な母親のかまってちゃん行動
・定期的な報告と称して話し相手になって欲しい
・こちらが気を遣ってあまり頻度が多くしすぎると逆に不機嫌に
・最終的には自分を称賛する言葉を遠回しに送ってもらいたがる
・予定を入れても直前で行きたくなくなる
・その場その場の不満を単にろれつばかりする
・じゃあどうすればいいの?と追求すると逆ギレをする
・「私の事なんてだれもわかってくれない」が追い詰められたときの口癖
・「あなたにはこの気持ち分からないでしょ」も口癖
などなどあげれば切りがありませんが、うちの母親に多いのは、
「もっとこうしてくれればいいのに…」という不満はざらにあるのですが、
実際にもっとこうしてあげたりしてしまうと、
「そこまでして欲しいとはいってないんだけど」
「あーわかってないね。自分でやった方がマシだ」
なんて自分のさじ加減に限りなく100%あわなかった場合は
せっかく周りが時間を割いて手伝ったり、尽力したりしても結果的に
文句や不平不満、本当はこうしてほしいなどの要望を言う傾向があります。
あまり気にしないで聞ければ問題ないのですが、本人の前では
あまりいわず、いない人の前でグチグチ言うことが多いのでたちが悪いです。
私が電話で話したりする場合は、自分の兄弟や親戚のひとがもっと
こうすればいいのにとか、もっと自分にこうしてくれてもいいのにとか
聞いているだけでこちらも毒が移ってしまいそうな気持ちになります。
要はもっと自分のことを無条件に理解してくれる完璧な人を追い求めて
いるのでしょうが、そんな人、実の子どもでもいませんからね。
自分のことを100%理解してくれる人なんて世の中にいないんですよね。
そもそも自分ですら自分を理解していないのに人に理解してもらいたいなんて
冷静に考えれば、こどものわがままと一緒です。まあそのぐらいさみしい気持ちを
内包して生きてきてしまったといえますが…
母親は私が「母さんはどうしたいの?」としつこくきいていくと
結局は言葉に詰まります。このかまってちゃんの心理は責任を持ちたくない
という気持ちも内包しているのです。しまいに「どうせ母さんの気持ちなんてわからないよ」
と怒ってしまいます。
子どもの頃から自分の気持ちに嘘をつきながら親の思うような
人間になろうと生活をしてしまうとこうなってしまうものなのか。
かまってちゃんは極端に依存体質が強いくせがあるともいえます。
自分でやろうとすればできるけど、心の中では全部周りの人が無条件で
自分の思ったとおりにやってくれれば良いのに!という幼い感情があるのでしょう。
■本人は陰口だと思っていないが、巡り巡って…
因果応報という言葉があります。簡単に言えば悪いことをすれば
巡り巡って自分にもその行為が巡ってくると言うような考え方。
逆に良い行いをすれば逆ですが、母の毒は直撃するときは、
母親でない人を擁護するような発言をしたときです。
「こういうかんがえかたもあるのじゃない?」なんて
母親よりではない意見を客観的に話した場合は一気に機嫌が悪くなります。
そして機嫌が悪くなると口数が少なくなると言うのが母親のスタイルです。
自分が責められるようなときは売り言葉に買い言葉で必死に自分を庇うように
相手を罵倒したり、相手が嫌だと思うことを突っ込んだり攻撃します。
でも間接的に自分よりの意見でないときは、黙ることで反逆してきます。
この手のタイプはある意味気分やな面があり、自己の承認欲求がかなり
満たされてない面や極度に自分に自信がない面を第三者の称賛の言葉で
自己を認識している状態です。
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説明しなくてもなんとなく意味も分かります。
要はすごくかまってもらいたがる承認欲求の強い人というイメージと
さほど変わらないでしょう。
うちの母親である毒親はこの「かまってちゃん」要素が強いです。
そして私自身もこのかまってちゃん要素が凄く強い時期がありました。
かまってちゃんなんていう言葉でいうとかわいらしいですが、
場合によってはもの凄くストレスの根源になったり、周りへ毒をまき散らしたり、
まさに暴走しているような状態になり得ますので恐ろしいです。
■具体的な母親のかまってちゃん行動
・定期的な報告と称して話し相手になって欲しい
・こちらが気を遣ってあまり頻度が多くしすぎると逆に不機嫌に
・最終的には自分を称賛する言葉を遠回しに送ってもらいたがる
・予定を入れても直前で行きたくなくなる
・その場その場の不満を単にろれつばかりする
・じゃあどうすればいいの?と追求すると逆ギレをする
・「私の事なんてだれもわかってくれない」が追い詰められたときの口癖
・「あなたにはこの気持ち分からないでしょ」も口癖
などなどあげれば切りがありませんが、うちの母親に多いのは、
「もっとこうしてくれればいいのに…」という不満はざらにあるのですが、
実際にもっとこうしてあげたりしてしまうと、
「そこまでして欲しいとはいってないんだけど」
「あーわかってないね。自分でやった方がマシだ」
なんて自分のさじ加減に限りなく100%あわなかった場合は
せっかく周りが時間を割いて手伝ったり、尽力したりしても結果的に
文句や不平不満、本当はこうしてほしいなどの要望を言う傾向があります。
あまり気にしないで聞ければ問題ないのですが、本人の前では
あまりいわず、いない人の前でグチグチ言うことが多いのでたちが悪いです。
私が電話で話したりする場合は、自分の兄弟や親戚のひとがもっと
こうすればいいのにとか、もっと自分にこうしてくれてもいいのにとか
聞いているだけでこちらも毒が移ってしまいそうな気持ちになります。
要はもっと自分のことを無条件に理解してくれる完璧な人を追い求めて
いるのでしょうが、そんな人、実の子どもでもいませんからね。
自分のことを100%理解してくれる人なんて世の中にいないんですよね。
そもそも自分ですら自分を理解していないのに人に理解してもらいたいなんて
冷静に考えれば、こどものわがままと一緒です。まあそのぐらいさみしい気持ちを
内包して生きてきてしまったといえますが…
母親は私が「母さんはどうしたいの?」としつこくきいていくと
結局は言葉に詰まります。このかまってちゃんの心理は責任を持ちたくない
という気持ちも内包しているのです。しまいに「どうせ母さんの気持ちなんてわからないよ」
と怒ってしまいます。
子どもの頃から自分の気持ちに嘘をつきながら親の思うような
人間になろうと生活をしてしまうとこうなってしまうものなのか。
かまってちゃんは極端に依存体質が強いくせがあるともいえます。
自分でやろうとすればできるけど、心の中では全部周りの人が無条件で
自分の思ったとおりにやってくれれば良いのに!という幼い感情があるのでしょう。
■本人は陰口だと思っていないが、巡り巡って…
因果応報という言葉があります。簡単に言えば悪いことをすれば
巡り巡って自分にもその行為が巡ってくると言うような考え方。
逆に良い行いをすれば逆ですが、母の毒は直撃するときは、
母親でない人を擁護するような発言をしたときです。
「こういうかんがえかたもあるのじゃない?」なんて
母親よりではない意見を客観的に話した場合は一気に機嫌が悪くなります。
そして機嫌が悪くなると口数が少なくなると言うのが母親のスタイルです。
自分が責められるようなときは売り言葉に買い言葉で必死に自分を庇うように
相手を罵倒したり、相手が嫌だと思うことを突っ込んだり攻撃します。
でも間接的に自分よりの意見でないときは、黙ることで反逆してきます。
この手のタイプはある意味気分やな面があり、自己の承認欲求がかなり
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いつもコメント有難うございます!
現在進行中というのが現状です^^
嫌いになれないという面は当然ありますね。
私は逆に罪悪感を強く感じてしまうことが多いです。
肉親なのに、生みの親なのに、こんな親不孝なこと思ってしまう自分は
人間として最低だ!少しでも親の役に立ってあげなくちゃ!みたいな
感覚と憤りの感覚が入り交じって気持ち悪くなる感じです。
もちろん気分が良い感情ではないので不安心が高まり、あじわいたくない
感情だと最近は気がついています。
マロン様は自立した選択を高校生の頃出来たことは凄いことですよね!
わたしもそういうお話は非常に勉強になります。
主様は渦中の中から見事に抜け出し、客観的な視点で見るまでになられ、素晴らしいことだと思いました。
いろんな葛藤があったことも、お察ししました。
私も似た思いがあります。
一番もどかしいのは、そんな親でも心底嫌いになれないところではないですか?
今でも、心のどこかで分かり合いたいという思いが見え隠れすることありませんか?
薄い期待が木っ端微塵に打ち砕かれて、がっくりと肩を落とすことないですか?
私はあります。
孤独を感じます。
いろんなこと含めても、
やはり血の繋がりって切れないな…と思います。
悲しさとか、怒りとか、寂しさとか、いろんな感情が滅茶苦茶に入り混ざってしまいますね。
そんな時私は、高校生の自分を思い出します。
誰かを殺したいくらいなら、この場を去ろう、それでも生きていけるからって。
そう思うと、一瞬気が楽になります。