2016年11月30日
表面的に許しているようで潜在的には許していない毒親へのジレンマ。(その2)
→表面的に許しているようで潜在的には許していない毒親へのジレンマ。(その1)
なんだかわからないまま自分でパニクリ、感情的になっている母親が
もう嫌で嫌で許せなかったのでしょう。
でも子どもの頃の自分からすれば、そんな母親でも自分の母親ですから
甘えたかった。よい子としなくても生きていることだけで肯定して欲しかった。
と言う気持ちが溢れないようにガマンしてガマンして飲み込んでふたをして
しまい込んでいた感じ。
母もかなりの八方美人ですから、自分が調子が良いときは
子どもは連絡がないぐらいが元気でちょうど良いなんて良い親
を演じていますが、ちょっと調子が良くなくなると、昔の毒はき状態に
もどって兄弟の悪口を言ったりするのです。
今はこちらが感情的になっても結果が見えるのでスルーして
回避しますが、子どもの頃はモロニくらいますからきつかったでしょうね。
結局不安な気持ちが作り出された根源は母親の感情が不安定で
快晴だと思ったらきゅうに落雷有り、雪が降ったと思ったら、また日照り…
もうだれもこの人の感情を予測できません。振り回されっぱなしだったのです。
そして、現在はアスペルガー受動型の嫁に振り回されっぱなし^^
根底にある物を取り除くと言葉ではいっても簡単ではありませんね
母と嫁はタイプは違いますが、結局自分を振り回すような人を選んで結婚している
というのは私の潜在意識からきたものなのかもしれませんね。
そしていつまでも振り回されっぱなしでは自分の考えに軸がないといっているようなもの
なんだと思いますね。軸がないことをいいわけする材料として振り回されている
ということを題材に出しているだけなのかもしれません。
じゃあ、振り回す人がいなければ幸せにいくの?っていうと
その振り回されているからうまくいかないということに依存しているため
そこから逃げ出すこともできなくなります。
でもやっぱり、母親のことは許していないのだと思いますね。
そして許すことにあまり執着することも止めようと思います。
本当に許せているときは、許そうとか許してないとかそういうことすら
考えなくなったときなのでしょう。
あまりにもいろんな自分を演じすぎてしまうと、
千と千尋の神隠しの千のように自分の本当の名前さえも
わからなくなってしまうかもしれません。
どんなに転んでもまわりが馬鹿でも利口でも自分は自分ですから、
外的要因に感化されすぎず、もっと自分をかわいがっていきたいと思います^^
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