2016年09月15日
意思疎通と共感を求めて生きてきたアダルトチルドレンの結婚相手は世の中で一番理解してくれないアスペルガー症候群のパートナーという皮肉。(その2)
⇒意思疎通と共感を求めて生きてきたアダルトチルドレンの結婚相手は世の中で一番理解してくれないアスペルガー症候群のパートナーという皮肉。(その1)
■境界線がわからないって?
いままで、境界線がわからないという感覚すらありませんでした。どうして私の言っていることか理解できないの?馬鹿なの?そんな風にしか受け止められなかったのです。
イメージでいうと最初は自分という境界を自分は持っていないのでは?と感じたことがあります。
持っていても周りの人よりもかなり小さい領域というイメージ。
周りの境界線に入っていると安心する。
しかし、最近は真逆ではないかと感じたのです。
どういうことかというと、自分の境界線が、めちゃくちゃ広い。
この広い自分の境界線に他人がすっぽり入っていないと、安心できない。
少しでも自分の境界線から他人が出ていると感じると相手を敵対視してしまう面もあります。
■自分の価値観がすべてという白黒思想は不幸の入口
冷静に考えれば、考え方がまったく同じ人間などいるわけがないのです。
親、兄弟、恋人、子ども、親友といえども同様です。
しかしまわりには自分の気持ちをすべて理解して欲しくて仕方がない。
こんな広い境界線をもった理想論者を包み込んでわかってくれる人などいるわけがないのです。
他人との境界線がわからないというより、自分のことをすべてわかってほしいという
承認欲求がつくりだした幻想の領域とも呼べるのではないでしょうか。
少しでも自分の領域からはみ出た考え方の人を受け入れるとか
尊重すると言うことがうまくできなかったきがします。
「なんでわかってくれないの?」
「どうせだれもわかってくれないんだよ!」
みたいな気持ちになってしまうことが幼いころあった気がします。
いまでも、疲れていてアスペルガー受動型の嫁に意思疎通をもとめて
しまった場合なんかは、そういう心境になるときがあります。
この「どうせだれもわかってくれないんだ!」という言葉は、
実は、私の母親がテンパっているときによく使う言葉でした。
魂の雄叫びともいいましょうか。
私の記憶にはそこまで鮮明に残っていないのですが、幼いころ
子ども達がいうことをきかないとこういうことを良く言っていたのかもしれません。
なぜそれが思いついたかと言えば、先月帰省したときに
母親がイライラしてテンパった果てに言い放ったひとことが
「誰も母さんを分かってくれる人がいない!」って感じで言い放ちました。
そこでフラッシュバックというと極端ですが、はっと思い出したんです。
今となっては母親に固執したり執着したり、復讐心などないと
思ってはいるのですが、潜在的な心でまだ許せていない自分が
いるのかもしれませんね。
でも、客観的にこの母親も凄く不安定ななかパートナーの心の支えをもらえず、
子育てを自分の使命だと思い自己犠牲の精神でやっていたのだなぁと実感。
自分が何者かすらもわからず、70歳近くになってまで、
「自分のことを分かってくれる人がいない」なんて子どもみたいな
ことを言っているアダルトチルドレンだったんだなぁと…
自分が何者で、自分の境界線がどこにあるのかという疑問は、
最終的に他人が見つけられるものではありません。
少しずつでもつらくても苦しくても、自分で空想の線を消して、
自分で見つけてあげるしかありません。
それがいわゆる世間で言うところの自立ということなのかもしれません。
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■境界線がわからないって?
いままで、境界線がわからないという感覚すらありませんでした。どうして私の言っていることか理解できないの?馬鹿なの?そんな風にしか受け止められなかったのです。
イメージでいうと最初は自分という境界を自分は持っていないのでは?と感じたことがあります。
持っていても周りの人よりもかなり小さい領域というイメージ。
周りの境界線に入っていると安心する。
しかし、最近は真逆ではないかと感じたのです。
どういうことかというと、自分の境界線が、めちゃくちゃ広い。
この広い自分の境界線に他人がすっぽり入っていないと、安心できない。
少しでも自分の境界線から他人が出ていると感じると相手を敵対視してしまう面もあります。
■自分の価値観がすべてという白黒思想は不幸の入口
冷静に考えれば、考え方がまったく同じ人間などいるわけがないのです。
親、兄弟、恋人、子ども、親友といえども同様です。
しかしまわりには自分の気持ちをすべて理解して欲しくて仕方がない。
こんな広い境界線をもった理想論者を包み込んでわかってくれる人などいるわけがないのです。
他人との境界線がわからないというより、自分のことをすべてわかってほしいという
承認欲求がつくりだした幻想の領域とも呼べるのではないでしょうか。
少しでも自分の領域からはみ出た考え方の人を受け入れるとか
尊重すると言うことがうまくできなかったきがします。
「なんでわかってくれないの?」
「どうせだれもわかってくれないんだよ!」
みたいな気持ちになってしまうことが幼いころあった気がします。
いまでも、疲れていてアスペルガー受動型の嫁に意思疎通をもとめて
しまった場合なんかは、そういう心境になるときがあります。
この「どうせだれもわかってくれないんだ!」という言葉は、
実は、私の母親がテンパっているときによく使う言葉でした。
魂の雄叫びともいいましょうか。
私の記憶にはそこまで鮮明に残っていないのですが、幼いころ
子ども達がいうことをきかないとこういうことを良く言っていたのかもしれません。
なぜそれが思いついたかと言えば、先月帰省したときに
母親がイライラしてテンパった果てに言い放ったひとことが
「誰も母さんを分かってくれる人がいない!」って感じで言い放ちました。
そこでフラッシュバックというと極端ですが、はっと思い出したんです。
今となっては母親に固執したり執着したり、復讐心などないと
思ってはいるのですが、潜在的な心でまだ許せていない自分が
いるのかもしれませんね。
でも、客観的にこの母親も凄く不安定ななかパートナーの心の支えをもらえず、
子育てを自分の使命だと思い自己犠牲の精神でやっていたのだなぁと実感。
自分が何者かすらもわからず、70歳近くになってまで、
「自分のことを分かってくれる人がいない」なんて子どもみたいな
ことを言っているアダルトチルドレンだったんだなぁと…
自分が何者で、自分の境界線がどこにあるのかという疑問は、
最終的に他人が見つけられるものではありません。
少しずつでもつらくても苦しくても、自分で空想の線を消して、
自分で見つけてあげるしかありません。
それがいわゆる世間で言うところの自立ということなのかもしれません。
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