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2015年09月18日
2015年09月17日のつぶやき
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2015年09月17日
一人暮らしをするようになって、母親のやっていたことの大変さを実感。
母親に反発し続けた高校生時代は、今考えると空虚なものです。
「あなたの思うようにはならない!」
という気持ちと、
「勉強しない自分でも嫌な顔しないでよ!」
という葛藤が潜在的に渦巻きながら生活していたと思います。
そのためか、高校生活は全く面白いというものでは
ありませんでした。
とくに、だれかをいじめたり、だれかにいじめられたりという
こともなく、今まで抑圧されていた自分をただただ表に出していく感じ。
まあまあ、自分が親の立場になると、ふざけるなクソガキ!と思います。
義務教育でもない高校もしっかり行かせてもらって、
毎日ご飯も作ってもらって、生活すると言うことでなにも
心配ない状態の環境だったはずです。
家の中のことは、母親がすべてをしきっていましたので、
家事や掃除、洗濯を私が手伝うわけでも無く、いたれりつくせり
です。
「母親がやってくれるのが当たり前」
潜在的にそう思っていたんでしょうね。
超長電話をして、家の電話代が数万円跳ね上がっても
気にしない自分。電気はつけっぱなし、水はだしっぱなし、
服は脱ぎっぱなし。部屋は片付けないまま放置。
アスペ嫁ほどではありませんが、アスペ嫁を責めることなど
出来ないぐらい生活感がない子供だったと思います。
親が何でもやってくれている、手を出してくれるというのは、
良い面と悪い面がどうしても混在しています。
短期的に見れば、母親が色々やってくれるのは、
母親は自己満足でやっている、私はそれに今日依存するので
良いことと捉えるのですが、
長期的に見ると、母親が色々やってくれてしまうことは、
私の自立を阻害すること以外の何物でも無いわけです。
これは大学へ進学して一人暮らしをするようになって
分かってきたことなのですが、本当に甘ちゃんで母親が
何でもやってくれていたのだと実感するのです。
大学進学となり下宿先で一人暮らしではあるものの、
仕送りはしてもらっているし、結果的には依存し続けるわけですが、
それでも、生活感がない子供生活を満喫していましたから、
世の中のことなど全く分かっていないのです。
井の中の蛙ですね。
頭でっかちだけで、公共料金の支払いや銀行口座の開設、
家賃の振り込みの仕方、事務手続き的なこと知識ゼロ^^
アスペ嫁と結婚して、こんなに出来ない人いるの?と思う反面、
昔の自分を見ているようでイライラした気分にもなったのかもしれません。
ただ、私がアスペ嫁と違うところは、人から「あれも出来ないこれも出来ない」
と指摘されると、頭にくる反面、絶対そいつを見返してやろうという
反骨精神というか、臥薪嘗胆というかそんな気持ちが芽生えて、
劣等感が行動力の源となり、なんとか出来るようになっていく
というスタイルだったのです。
そう、私自身は劣等感を刺激されると、行動力に変わるような
心の持ち主だったのです。
今は自分を客観的に見られますが、本当、自分であって自分でない
感覚で毎日生きてきたのだろうと実感するのです。
あまり子供ができることを、干渉しすぎてしまうと、こんな
反抗期がいつかは来るかもしれませんね。
「あなたの思うようにはならない!」
という気持ちと、
「勉強しない自分でも嫌な顔しないでよ!」
という葛藤が潜在的に渦巻きながら生活していたと思います。
そのためか、高校生活は全く面白いというものでは
ありませんでした。
とくに、だれかをいじめたり、だれかにいじめられたりという
こともなく、今まで抑圧されていた自分をただただ表に出していく感じ。
まあまあ、自分が親の立場になると、ふざけるなクソガキ!と思います。
義務教育でもない高校もしっかり行かせてもらって、
毎日ご飯も作ってもらって、生活すると言うことでなにも
心配ない状態の環境だったはずです。
家の中のことは、母親がすべてをしきっていましたので、
家事や掃除、洗濯を私が手伝うわけでも無く、いたれりつくせり
です。
「母親がやってくれるのが当たり前」
潜在的にそう思っていたんでしょうね。
超長電話をして、家の電話代が数万円跳ね上がっても
気にしない自分。電気はつけっぱなし、水はだしっぱなし、
服は脱ぎっぱなし。部屋は片付けないまま放置。
アスペ嫁ほどではありませんが、アスペ嫁を責めることなど
出来ないぐらい生活感がない子供だったと思います。
親が何でもやってくれている、手を出してくれるというのは、
良い面と悪い面がどうしても混在しています。
短期的に見れば、母親が色々やってくれるのは、
母親は自己満足でやっている、私はそれに今日依存するので
良いことと捉えるのですが、
長期的に見ると、母親が色々やってくれてしまうことは、
私の自立を阻害すること以外の何物でも無いわけです。
これは大学へ進学して一人暮らしをするようになって
分かってきたことなのですが、本当に甘ちゃんで母親が
何でもやってくれていたのだと実感するのです。
大学進学となり下宿先で一人暮らしではあるものの、
仕送りはしてもらっているし、結果的には依存し続けるわけですが、
それでも、生活感がない子供生活を満喫していましたから、
世の中のことなど全く分かっていないのです。
井の中の蛙ですね。
頭でっかちだけで、公共料金の支払いや銀行口座の開設、
家賃の振り込みの仕方、事務手続き的なこと知識ゼロ^^
アスペ嫁と結婚して、こんなに出来ない人いるの?と思う反面、
昔の自分を見ているようでイライラした気分にもなったのかもしれません。
ただ、私がアスペ嫁と違うところは、人から「あれも出来ないこれも出来ない」
と指摘されると、頭にくる反面、絶対そいつを見返してやろうという
反骨精神というか、臥薪嘗胆というかそんな気持ちが芽生えて、
劣等感が行動力の源となり、なんとか出来るようになっていく
というスタイルだったのです。
そう、私自身は劣等感を刺激されると、行動力に変わるような
心の持ち主だったのです。
今は自分を客観的に見られますが、本当、自分であって自分でない
感覚で毎日生きてきたのだろうと実感するのです。
あまり子供ができることを、干渉しすぎてしまうと、こんな
反抗期がいつかは来るかもしれませんね。
2015年09月16日
【AC】大人になっても親を許せない気持ちの裏側にある「傷ついた心」に気づくヒント2。
前回からの続き。
⇒【AC】大人になっても親を許せない気持ちの裏側にある「傷ついた心」に気づくヒント1。
高校に入学して、中学生の時のような100点近い点数が取れなくなってきた
ことから、母親は不満そうな態度や発言が目立ってきます。
今まで勉強をしなさいとは、私に言ったことが無かったのにもかかわらず、
「ちゃんと勉強しているの?大丈夫なの?」と聞いてきたりする始末。
我が子が成績も良く進学校へ入学した段階では、世間から見ても
鼻が高かったのでしょう。そしてその子供は「私が産んだのよ」という、
母親の自己肯定感もあげたのだろうと思います。
しかし、それが少し陰りが見えると、態度を変えてくるのが毒親の特徴です。
子供は潜在的に敏感なので気づいてしまうんですね。
勉強して成績がトップクラスの自分、
成績が下がってしまった自分、
私という人間性は何も変わっていないにもかかわらず、
親の目線や態度、発言がかわるのです。
「この人(母親)俺のありのままの姿でなく点数だけで俺を判断しているな」
当時は、もの凄く裏切られたような、鈍器で後頭部を打たれたような、
痛みが体中に稲妻のように走った気がします。
〇良いときでも悪いときでも等身大の自分を見てもらいたいという欲求
今までは勉強をしていないと不安だったものの、それ以降は、
勉強することは一切止めることに。
学校に行かず、街へ遊びに出たり、ゲーセンに入り浸ったり、
世間的に見たら、たいした悪いことでもありませんが、
真面目で通っている私にとっては、母親が困ることをしたかったのかもしれません。
「真面目で勉強ばかりしている俺ばかりじゃないんだぞ!」
「こんな悪いこともしちゃうんだぞ!」
母親に対する当てつけだったのだろうと思います。
その頃話す会話は、
母親「どうしちゃったの?」
私「うるせえなぁ。」
こればっかり。
今思うと、母親に一体何をしてもらいたかったのだろう。
やはり、ありのままの自分を受け止めて欲しかったのでしょう。
私の場合は、母親に対して、罵詈雑言を浴びせまくったり、暴力で
やり返したりということまではしませんでしたが、ほぼ無視という
スタイルで、甘ったれ、かつ、ふてくされ態度を続けるのでした。
「早く家から出て行きたい。」
この頃はこんなことしか考えていませんでした。
何か嫌なことや、上手くいかないことがあれば、
心の中では、「こいつ(母親)が無計画に産むからこうなったんだ」とか
何から何まで、全部親のせいだと本気で思っていました。
そのぐらい、自分としては「心を傷つけられた」ということなのですが、
そのことに気づくのは、社会人になってからです。
とにかく、母親に「甘えたい!愛情が欲しい!僕だけを見て!」という
幼い心が今まで我慢していた分、吹き出したのかもしれません。
つづく。
⇒【AC】大人になっても親を許せない気持ちの裏側にある「傷ついた心」に気づくヒント1。
高校に入学して、中学生の時のような100点近い点数が取れなくなってきた
ことから、母親は不満そうな態度や発言が目立ってきます。
今まで勉強をしなさいとは、私に言ったことが無かったのにもかかわらず、
「ちゃんと勉強しているの?大丈夫なの?」と聞いてきたりする始末。
我が子が成績も良く進学校へ入学した段階では、世間から見ても
鼻が高かったのでしょう。そしてその子供は「私が産んだのよ」という、
母親の自己肯定感もあげたのだろうと思います。
しかし、それが少し陰りが見えると、態度を変えてくるのが毒親の特徴です。
子供は潜在的に敏感なので気づいてしまうんですね。
勉強して成績がトップクラスの自分、
成績が下がってしまった自分、
私という人間性は何も変わっていないにもかかわらず、
親の目線や態度、発言がかわるのです。
「この人(母親)俺のありのままの姿でなく点数だけで俺を判断しているな」
当時は、もの凄く裏切られたような、鈍器で後頭部を打たれたような、
痛みが体中に稲妻のように走った気がします。
〇良いときでも悪いときでも等身大の自分を見てもらいたいという欲求
今までは勉強をしていないと不安だったものの、それ以降は、
勉強することは一切止めることに。
学校に行かず、街へ遊びに出たり、ゲーセンに入り浸ったり、
世間的に見たら、たいした悪いことでもありませんが、
真面目で通っている私にとっては、母親が困ることをしたかったのかもしれません。
「真面目で勉強ばかりしている俺ばかりじゃないんだぞ!」
「こんな悪いこともしちゃうんだぞ!」
母親に対する当てつけだったのだろうと思います。
その頃話す会話は、
母親「どうしちゃったの?」
私「うるせえなぁ。」
こればっかり。
今思うと、母親に一体何をしてもらいたかったのだろう。
やはり、ありのままの自分を受け止めて欲しかったのでしょう。
私の場合は、母親に対して、罵詈雑言を浴びせまくったり、暴力で
やり返したりということまではしませんでしたが、ほぼ無視という
スタイルで、甘ったれ、かつ、ふてくされ態度を続けるのでした。
「早く家から出て行きたい。」
この頃はこんなことしか考えていませんでした。
何か嫌なことや、上手くいかないことがあれば、
心の中では、「こいつ(母親)が無計画に産むからこうなったんだ」とか
何から何まで、全部親のせいだと本気で思っていました。
そのぐらい、自分としては「心を傷つけられた」ということなのですが、
そのことに気づくのは、社会人になってからです。
とにかく、母親に「甘えたい!愛情が欲しい!僕だけを見て!」という
幼い心が今まで我慢していた分、吹き出したのかもしれません。
つづく。
2015年09月15日
【AC】大人になっても親を許せない気持ちの裏側にある「傷ついた心」に気づくヒント1。
アダルトチルドレンという言葉を知っている人でも、
知らない人でも、自分が体が大人になっているにもかかわらず、
「親のことが大嫌い」
「親の幼少期の子育てが許せない」
「親に対する不満がいっぱいでイライラする」
という気持ちを自分で処理できずに、悶々としている
人って多いのではないでしょうか。
親と同居している人なんかは、毎日が地獄絵図のような
生活になっていることも。
なぜなら、小さい頃親に逆らうことが出来ず、
十分に言い返すことが出来ずに抑制されてきた気持ちが、
大人になるにつれて言葉で表現することが出来るように
なるからでもあります。
そして、世の中の常識非常識、マジョリティー、マイノリティーなど、
知識としてインプットされて行くにつれて自分の生まれ育った
家庭が「普通」ではないと、疑惑が確信へと変わっていくのです。
子供の頃は、この気持ちを心の片隅にしまって押し込めてきましたが、
表現力が成長してからは、ありとあらゆる罵詈雑言で親を罵倒したくなる
気持ちが沸々と湧いてきてしまうのかもしれません。
わたくしAC夫の場合は、2段階に分けられて親への依存が出てきたと
自覚しています。
〇高校生での反抗期は愛情を確かめるためのふてくされ。
初めの親に対する抵抗というのか、違和感は、高校2年生ぐらいの時
でしょうか。
良い子にしている限り特に私は母から文句を言われることは少なかったものの、
何か物足りない、満たされないという気持ちはあったと思います。
小学生の頃は、夕方、外で遊んでいると、なぜか悲しくないのに涙が出てきたり、
笑っているつもりなのに、ちゃんと笑って!と先生に言われたり、
今思えば、感情が凄く不安定だったのだろうなぁと感じます。
中学生ではテストの点数が良いので、母親はその時は機嫌が良いのです。
潜在的に勉強など好きではありませんでしたが、母親の笑顔が嬉しくて、
頑張っていました。
高校も進学校に入りますが、難易度は当然上がっていきますよね。
中学生の時のように点数があがらず、70点とか80点という答案用紙を
母親に見せたのです。
「次頑張りなよ」と母親は励ましたつもりなのでしょうが、
顔があからさまにがっかりしているのを隠した表情だったのです。
そのあたりから、
「この人は、もし俺が勉強しないで点数が悪くなったら愛情がなくなるのか?」
というようなニュアンスが潜在的に脳へと駆け巡るのです。
そんな風に思ってしまうと、今まで母親の笑顔を見るという潜在的理由が
点数が悪いと、愛情をくれないのか?という感情と葛藤します。
「なんだか一生懸命頑張ることが馬鹿らしい。」
急に冷めてしまったのです。
その反面、母親の愛情を試したいという気持ちが奥底にあったのかもしれません。
「勉強しないで、点数も悪い自分でも好きでいてくれるのか?」
私の母親の反応は私が満足するような態度とはほど遠く、
今までの絶対服従スタイルから、超攻撃的反発態度へと心の向きを変えるのでした。
つづく
知らない人でも、自分が体が大人になっているにもかかわらず、
「親のことが大嫌い」
「親の幼少期の子育てが許せない」
「親に対する不満がいっぱいでイライラする」
という気持ちを自分で処理できずに、悶々としている
人って多いのではないでしょうか。
親と同居している人なんかは、毎日が地獄絵図のような
生活になっていることも。
なぜなら、小さい頃親に逆らうことが出来ず、
十分に言い返すことが出来ずに抑制されてきた気持ちが、
大人になるにつれて言葉で表現することが出来るように
なるからでもあります。
そして、世の中の常識非常識、マジョリティー、マイノリティーなど、
知識としてインプットされて行くにつれて自分の生まれ育った
家庭が「普通」ではないと、疑惑が確信へと変わっていくのです。
子供の頃は、この気持ちを心の片隅にしまって押し込めてきましたが、
表現力が成長してからは、ありとあらゆる罵詈雑言で親を罵倒したくなる
気持ちが沸々と湧いてきてしまうのかもしれません。
わたくしAC夫の場合は、2段階に分けられて親への依存が出てきたと
自覚しています。
〇高校生での反抗期は愛情を確かめるためのふてくされ。
初めの親に対する抵抗というのか、違和感は、高校2年生ぐらいの時
でしょうか。
良い子にしている限り特に私は母から文句を言われることは少なかったものの、
何か物足りない、満たされないという気持ちはあったと思います。
小学生の頃は、夕方、外で遊んでいると、なぜか悲しくないのに涙が出てきたり、
笑っているつもりなのに、ちゃんと笑って!と先生に言われたり、
今思えば、感情が凄く不安定だったのだろうなぁと感じます。
中学生ではテストの点数が良いので、母親はその時は機嫌が良いのです。
潜在的に勉強など好きではありませんでしたが、母親の笑顔が嬉しくて、
頑張っていました。
高校も進学校に入りますが、難易度は当然上がっていきますよね。
中学生の時のように点数があがらず、70点とか80点という答案用紙を
母親に見せたのです。
「次頑張りなよ」と母親は励ましたつもりなのでしょうが、
顔があからさまにがっかりしているのを隠した表情だったのです。
そのあたりから、
「この人は、もし俺が勉強しないで点数が悪くなったら愛情がなくなるのか?」
というようなニュアンスが潜在的に脳へと駆け巡るのです。
そんな風に思ってしまうと、今まで母親の笑顔を見るという潜在的理由が
点数が悪いと、愛情をくれないのか?という感情と葛藤します。
「なんだか一生懸命頑張ることが馬鹿らしい。」
急に冷めてしまったのです。
その反面、母親の愛情を試したいという気持ちが奥底にあったのかもしれません。
「勉強しないで、点数も悪い自分でも好きでいてくれるのか?」
私の母親の反応は私が満足するような態度とはほど遠く、
今までの絶対服従スタイルから、超攻撃的反発態度へと心の向きを変えるのでした。
つづく
2015年09月14日
アスペルガー症候群の聴覚過敏とはなんぞや。アスペといえど、五感は人それぞれ。
本人へ話しかけているときは、無言でスルーし、
子供へ話しかけているときに、返答をしてくるアスペ嫁。
目の前で本人に質問しているとき気づかないのに、
嫁が離れている台所にいるときに、子供へ質問すると、
なぜか即答してくるアスペ嫁。
未だに意味が分かりません。
アスペ嫁に質問したいときは、少し遠目の場所で、
子供に対して質問すれば良いのでしょうか。
「面倒くさいなぁ」と思われるでしょう。
本当に面倒くさいです^^
耳が良いのか悪いのかさっぱり分かりません。
今までの考察で言うと、子供が聞こえるモスキート音は
予想に反して聞こえなかったですし。
以前の記事
⇒アスペ嫁にモスキート音をどこまで聞こえるのか実験した結果。
特定の周波数に関して、よく聞こえると言うことなのかもしれない
と言う風に勝手に推測しています。
遠くても聞こえているときはあるので、耳が悪いという訳ではないです。
うちの嫁の場合は、特に毛嫌いするのは、
・子供の甲高い声
・ラジオの機械的な音
・テレビの機械的な音
・夏の蝉などの虫の声
・CDプレイヤーから聞こえる音
・猫や犬など動物の鳴き声
・花火大会の音(現地で近くで見るとき)
・映画館の大音量
いわゆる聴覚過敏と言うことなんでしょう。
アスペルガー症候群の人だけでなく、自閉症スペクトラムの人でも
五感が著しく一般的な感覚と異なるという人がいるのかもしれません。
視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚が人間の五感。
個人差はあるのでしょうが、敏感だったり、鈍感だったりと
特徴は複雑に入り組んでいることが多いようです。
アスペ嫁の場合は、
こんな感じになるので、
アスペルガーの人=色々敏感という認識は間違いでしょう。
そしてアスペ嫁の場合は、意外と嫌な音を我慢していたりするので、
表情から全てを読み取ると言うことは出来ません。
後から聞いてみたら、実は
「あの音(声)私もの凄くイライラするの我慢していたんだよね」
ということがあります。
聞いたら答えるけど、聞かなきゃ答えてくれないのでわかりません。
パートナーや子供に自閉症スペクトラムの人がいると、
会話でも五感でも共感が薄くなってしまうので、
一緒にいてもひとりの感覚を強く感じてしまうでしょう。
この寂しさを乗り越えるには、自分一人で幸せを感じることが
できるようになるか、離婚をして本当に一人になるか。
どちらも簡単とは言えないがために、同じように苦しんでいる人が
沢山いるのだと思います。
子供へ話しかけているときに、返答をしてくるアスペ嫁。
目の前で本人に質問しているとき気づかないのに、
嫁が離れている台所にいるときに、子供へ質問すると、
なぜか即答してくるアスペ嫁。
未だに意味が分かりません。
アスペ嫁に質問したいときは、少し遠目の場所で、
子供に対して質問すれば良いのでしょうか。
「面倒くさいなぁ」と思われるでしょう。
本当に面倒くさいです^^
耳が良いのか悪いのかさっぱり分かりません。
今までの考察で言うと、子供が聞こえるモスキート音は
予想に反して聞こえなかったですし。
以前の記事
⇒アスペ嫁にモスキート音をどこまで聞こえるのか実験した結果。
特定の周波数に関して、よく聞こえると言うことなのかもしれない
と言う風に勝手に推測しています。
遠くても聞こえているときはあるので、耳が悪いという訳ではないです。
うちの嫁の場合は、特に毛嫌いするのは、
・子供の甲高い声
・ラジオの機械的な音
・テレビの機械的な音
・夏の蝉などの虫の声
・CDプレイヤーから聞こえる音
・猫や犬など動物の鳴き声
・花火大会の音(現地で近くで見るとき)
・映画館の大音量
いわゆる聴覚過敏と言うことなんでしょう。
アスペルガー症候群の人だけでなく、自閉症スペクトラムの人でも
五感が著しく一般的な感覚と異なるという人がいるのかもしれません。
視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚が人間の五感。
個人差はあるのでしょうが、敏感だったり、鈍感だったりと
特徴は複雑に入り組んでいることが多いようです。
アスペ嫁の場合は、
視覚
⇒鈍感?というのか視野が非常に狭い。
とても180度見えているとは思えない。
嗅覚
⇒鈍感。相当変な匂いが充満しているときは気づくが、
食材など嗅覚で悪くなっているかは判断できない。
味覚
⇒鈍感。よっぽどまずいものでなければ美味しいと思うらしい。
料理の味見をしても味が安定しない。
聴覚
⇒特定のものに敏感。こちらが求めているものに鈍感。
高音域や機械音は必要以上に毛嫌いするほど敏感。
低音域はある程度大きい音でないと聞きとれない鈍感さ。
この間ぐらいの音域が生きた音として聞こえる様子。
触覚
⇒敏感。首や髪の毛、頭を触られることに対して特に嫌悪感を持つ。
それ以外の体の部分は、ほとんどがくすぐったがるほど敏感。
性感帯と呼ばれる場所はくすぐったくて快感を感じないほど。
その割に、出産の時の痛みや、陣痛に対しては鈍感で医者に驚かれるほど。
内臓は鈍感と言うことなのかもしれない。
こんな感じになるので、
アスペルガーの人=色々敏感という認識は間違いでしょう。
そしてアスペ嫁の場合は、意外と嫌な音を我慢していたりするので、
表情から全てを読み取ると言うことは出来ません。
後から聞いてみたら、実は
「あの音(声)私もの凄くイライラするの我慢していたんだよね」
ということがあります。
聞いたら答えるけど、聞かなきゃ答えてくれないのでわかりません。
パートナーや子供に自閉症スペクトラムの人がいると、
会話でも五感でも共感が薄くなってしまうので、
一緒にいてもひとりの感覚を強く感じてしまうでしょう。
この寂しさを乗り越えるには、自分一人で幸せを感じることが
できるようになるか、離婚をして本当に一人になるか。
どちらも簡単とは言えないがために、同じように苦しんでいる人が
沢山いるのだと思います。
2015年09月13日
アダルトチルドレンを回復できるのは自分自身のみ!未熟さを理解して向き合う勇気。
〇生きづらさから抜け出すには、病院という選択も。
本当に気持ちがどん底な時は、アダルトチルドレンを
自分一人で解決するなんて事はまず難しいと思って下さい。
そんなことが出来ているなら、今現在辛い事なんてないのです。
どこまでも抜けられないトンネルを宛もなくさまよって途方に暮れて
気持ちにも余裕がないから追い詰められてしまうのです。
パートナーや親に相談しても聞く耳を持たないという場合も少なくありません。
「あなたがもう少し我慢して頑張ったらどうなの?」
「心療内科なんて大げさだよ。疲れているんだよ」
今まで頑張ってきたにもかかわらず、軽い言葉で蹴散らされてしまうことも。
その瞬間に「自分を裏切られた」という悲壮感とも憎悪心ともとれる感情に
さいなまれることになりますが、それこそが相手に依存している気持ちでもあります。
依存は悪いことではもちろんないのですが、他人のことは心の中まで分からない
のが人間です。近親者なら自分の全てを分かってくれるという思い込みは
より一層の苦痛を感じてしまうのです。
自分を救ってあげられるのは自分自身だけです。
あまりにも状態が悪い場合は、心療内科への受診からスタートが良いでしょう。
どうしても敷居が高くてという人は、自分のレベルにあったAC回復の本
を何度も何度も読むことからはじめても良いです。
パートナーや親は気に入らなくても、なかなか変えることが出来ませんが、
先生なら合わなければ病院を変えればいいわけなので、気が楽だと思います。
二度と行かない病院の先生が自分をどう思っているかなど考えるのは
時間の無駄です。
ただし「面倒くさい」とか「時間がない」と言う気持ちとの葛藤にもなります。
変わりたい!幸せになりたい!辛さを楽にしたい!という気持ちは
間違いなくそこにあることは確かです。
でも、どうして面倒くさいと思うのか。
自分はこのままでも良いという気持ちが少なからずあるからでもあります。
これは矛盾しているようにも思えますが、自分が変わりたくないというのではなく、
辛さを楽にしたいけど、それは「自分でなく周りがやってくれれば良いのに!
どうして、私が辛い思いをしているのに周りが助けてくれないの!」
という周りに対しての責任転嫁の気持ちがあるからともいえます。
それが悪いと言うことで無く、おそらく自分の未熟な一面なのだと思います。
もし、親もパートナーも誰も責任転嫁する相手がいない場合は、
意外と自分でしっかり行動することが出来ちゃったりするのがACです。
〇「未熟」と言う言葉をどう捉えるか?
本を読んでいたときに「未熟」と言う言葉が沢山出てきました。
当時は、自分が出来損ないの未熟な人間であるとけなされてしまったようで、
悶々としていたことを良く思い出します。
しかし、未熟というのは悪い意味ではないんですよね。
成熟⇒素晴らしい人間。
未熟⇒出来損ないの駄目な人間。
そういう発想しか私にはありませんでしたから、
嫌な気持ちになったのだろうと思います。
未熟とは、これからいくらでも伸びるのりしろがある状態。
まだ発展途上の段階ですから、考え方次第で行動していけば
プラスにしかならないのです。
成熟は素晴らしいかもしれないですが、ある程度の年齢や経験を
重ねて得たものでしょうから、そのうちに腐ってくることもあるのです。
自分が未熟であると本質的に気がつけば、やれることって
何かしらあると思うのです。
自分が成熟していると思っているから、「これ以上何をやれと
言うのだ!」という気持ちが上回って行動に抑制をかけてしまいます。
私で言えば、
・感情のコントロールが上手く出来ない未熟さ。
⇒少しずつコントロールが出来るようになった。
・他人に自分の理想を求めてしまう未熟さ。
⇒一人一人考え方は異なることを理解してからは緩和。
・色々決めることを他人にゆだねる未熟さ。
⇒自分で決めたことは自分で責任を取り、失敗ありきで生活するように。
自分が辛くて生きている価値がないと思っている人からすると、
自分が未熟だなんて、泣きっ面に蜂と感じてしまうでしょうが、
完璧な人間なんかいませんから、殆どの人が未熟な面を持っているのです。
自分の未熟な面と向き合えたとき、人間としての器のかさが
少しだけ増えていくのではないかと思います。
ヘテムル
本当に気持ちがどん底な時は、アダルトチルドレンを
自分一人で解決するなんて事はまず難しいと思って下さい。
そんなことが出来ているなら、今現在辛い事なんてないのです。
どこまでも抜けられないトンネルを宛もなくさまよって途方に暮れて
気持ちにも余裕がないから追い詰められてしまうのです。
パートナーや親に相談しても聞く耳を持たないという場合も少なくありません。
「あなたがもう少し我慢して頑張ったらどうなの?」
「心療内科なんて大げさだよ。疲れているんだよ」
今まで頑張ってきたにもかかわらず、軽い言葉で蹴散らされてしまうことも。
その瞬間に「自分を裏切られた」という悲壮感とも憎悪心ともとれる感情に
さいなまれることになりますが、それこそが相手に依存している気持ちでもあります。
依存は悪いことではもちろんないのですが、他人のことは心の中まで分からない
のが人間です。近親者なら自分の全てを分かってくれるという思い込みは
より一層の苦痛を感じてしまうのです。
自分を救ってあげられるのは自分自身だけです。
あまりにも状態が悪い場合は、心療内科への受診からスタートが良いでしょう。
どうしても敷居が高くてという人は、自分のレベルにあったAC回復の本
を何度も何度も読むことからはじめても良いです。
パートナーや親は気に入らなくても、なかなか変えることが出来ませんが、
先生なら合わなければ病院を変えればいいわけなので、気が楽だと思います。
二度と行かない病院の先生が自分をどう思っているかなど考えるのは
時間の無駄です。
ただし「面倒くさい」とか「時間がない」と言う気持ちとの葛藤にもなります。
変わりたい!幸せになりたい!辛さを楽にしたい!という気持ちは
間違いなくそこにあることは確かです。
でも、どうして面倒くさいと思うのか。
自分はこのままでも良いという気持ちが少なからずあるからでもあります。
これは矛盾しているようにも思えますが、自分が変わりたくないというのではなく、
辛さを楽にしたいけど、それは「自分でなく周りがやってくれれば良いのに!
どうして、私が辛い思いをしているのに周りが助けてくれないの!」
という周りに対しての責任転嫁の気持ちがあるからともいえます。
それが悪いと言うことで無く、おそらく自分の未熟な一面なのだと思います。
もし、親もパートナーも誰も責任転嫁する相手がいない場合は、
意外と自分でしっかり行動することが出来ちゃったりするのがACです。
〇「未熟」と言う言葉をどう捉えるか?
本を読んでいたときに「未熟」と言う言葉が沢山出てきました。
当時は、自分が出来損ないの未熟な人間であるとけなされてしまったようで、
悶々としていたことを良く思い出します。
しかし、未熟というのは悪い意味ではないんですよね。
成熟⇒素晴らしい人間。
未熟⇒出来損ないの駄目な人間。
そういう発想しか私にはありませんでしたから、
嫌な気持ちになったのだろうと思います。
未熟とは、これからいくらでも伸びるのりしろがある状態。
まだ発展途上の段階ですから、考え方次第で行動していけば
プラスにしかならないのです。
成熟は素晴らしいかもしれないですが、ある程度の年齢や経験を
重ねて得たものでしょうから、そのうちに腐ってくることもあるのです。
自分が未熟であると本質的に気がつけば、やれることって
何かしらあると思うのです。
自分が成熟していると思っているから、「これ以上何をやれと
言うのだ!」という気持ちが上回って行動に抑制をかけてしまいます。
私で言えば、
・感情のコントロールが上手く出来ない未熟さ。
⇒少しずつコントロールが出来るようになった。
・他人に自分の理想を求めてしまう未熟さ。
⇒一人一人考え方は異なることを理解してからは緩和。
・色々決めることを他人にゆだねる未熟さ。
⇒自分で決めたことは自分で責任を取り、失敗ありきで生活するように。
自分が辛くて生きている価値がないと思っている人からすると、
自分が未熟だなんて、泣きっ面に蜂と感じてしまうでしょうが、
完璧な人間なんかいませんから、殆どの人が未熟な面を持っているのです。
自分の未熟な面と向き合えたとき、人間としての器のかさが
少しだけ増えていくのではないかと思います。
ヘテムル