2015年09月13日
アダルトチルドレンを回復できるのは自分自身のみ!未熟さを理解して向き合う勇気。
〇生きづらさから抜け出すには、病院という選択も。
本当に気持ちがどん底な時は、アダルトチルドレンを
自分一人で解決するなんて事はまず難しいと思って下さい。
そんなことが出来ているなら、今現在辛い事なんてないのです。
どこまでも抜けられないトンネルを宛もなくさまよって途方に暮れて
気持ちにも余裕がないから追い詰められてしまうのです。
パートナーや親に相談しても聞く耳を持たないという場合も少なくありません。
「あなたがもう少し我慢して頑張ったらどうなの?」
「心療内科なんて大げさだよ。疲れているんだよ」
今まで頑張ってきたにもかかわらず、軽い言葉で蹴散らされてしまうことも。
その瞬間に「自分を裏切られた」という悲壮感とも憎悪心ともとれる感情に
さいなまれることになりますが、それこそが相手に依存している気持ちでもあります。
依存は悪いことではもちろんないのですが、他人のことは心の中まで分からない
のが人間です。近親者なら自分の全てを分かってくれるという思い込みは
より一層の苦痛を感じてしまうのです。
自分を救ってあげられるのは自分自身だけです。
あまりにも状態が悪い場合は、心療内科への受診からスタートが良いでしょう。
どうしても敷居が高くてという人は、自分のレベルにあったAC回復の本
を何度も何度も読むことからはじめても良いです。
パートナーや親は気に入らなくても、なかなか変えることが出来ませんが、
先生なら合わなければ病院を変えればいいわけなので、気が楽だと思います。
二度と行かない病院の先生が自分をどう思っているかなど考えるのは
時間の無駄です。
ただし「面倒くさい」とか「時間がない」と言う気持ちとの葛藤にもなります。
変わりたい!幸せになりたい!辛さを楽にしたい!という気持ちは
間違いなくそこにあることは確かです。
でも、どうして面倒くさいと思うのか。
自分はこのままでも良いという気持ちが少なからずあるからでもあります。
これは矛盾しているようにも思えますが、自分が変わりたくないというのではなく、
辛さを楽にしたいけど、それは「自分でなく周りがやってくれれば良いのに!
どうして、私が辛い思いをしているのに周りが助けてくれないの!」
という周りに対しての責任転嫁の気持ちがあるからともいえます。
それが悪いと言うことで無く、おそらく自分の未熟な一面なのだと思います。
もし、親もパートナーも誰も責任転嫁する相手がいない場合は、
意外と自分でしっかり行動することが出来ちゃったりするのがACです。
〇「未熟」と言う言葉をどう捉えるか?
本を読んでいたときに「未熟」と言う言葉が沢山出てきました。
当時は、自分が出来損ないの未熟な人間であるとけなされてしまったようで、
悶々としていたことを良く思い出します。
しかし、未熟というのは悪い意味ではないんですよね。
成熟⇒素晴らしい人間。
未熟⇒出来損ないの駄目な人間。
そういう発想しか私にはありませんでしたから、
嫌な気持ちになったのだろうと思います。
未熟とは、これからいくらでも伸びるのりしろがある状態。
まだ発展途上の段階ですから、考え方次第で行動していけば
プラスにしかならないのです。
成熟は素晴らしいかもしれないですが、ある程度の年齢や経験を
重ねて得たものでしょうから、そのうちに腐ってくることもあるのです。
自分が未熟であると本質的に気がつけば、やれることって
何かしらあると思うのです。
自分が成熟していると思っているから、「これ以上何をやれと
言うのだ!」という気持ちが上回って行動に抑制をかけてしまいます。
私で言えば、
・感情のコントロールが上手く出来ない未熟さ。
⇒少しずつコントロールが出来るようになった。
・他人に自分の理想を求めてしまう未熟さ。
⇒一人一人考え方は異なることを理解してからは緩和。
・色々決めることを他人にゆだねる未熟さ。
⇒自分で決めたことは自分で責任を取り、失敗ありきで生活するように。
自分が辛くて生きている価値がないと思っている人からすると、
自分が未熟だなんて、泣きっ面に蜂と感じてしまうでしょうが、
完璧な人間なんかいませんから、殆どの人が未熟な面を持っているのです。
自分の未熟な面と向き合えたとき、人間としての器のかさが
少しだけ増えていくのではないかと思います。
ヘテムル
本当に気持ちがどん底な時は、アダルトチルドレンを
自分一人で解決するなんて事はまず難しいと思って下さい。
そんなことが出来ているなら、今現在辛い事なんてないのです。
どこまでも抜けられないトンネルを宛もなくさまよって途方に暮れて
気持ちにも余裕がないから追い詰められてしまうのです。
パートナーや親に相談しても聞く耳を持たないという場合も少なくありません。
「あなたがもう少し我慢して頑張ったらどうなの?」
「心療内科なんて大げさだよ。疲れているんだよ」
今まで頑張ってきたにもかかわらず、軽い言葉で蹴散らされてしまうことも。
その瞬間に「自分を裏切られた」という悲壮感とも憎悪心ともとれる感情に
さいなまれることになりますが、それこそが相手に依存している気持ちでもあります。
依存は悪いことではもちろんないのですが、他人のことは心の中まで分からない
のが人間です。近親者なら自分の全てを分かってくれるという思い込みは
より一層の苦痛を感じてしまうのです。
自分を救ってあげられるのは自分自身だけです。
あまりにも状態が悪い場合は、心療内科への受診からスタートが良いでしょう。
どうしても敷居が高くてという人は、自分のレベルにあったAC回復の本
を何度も何度も読むことからはじめても良いです。
パートナーや親は気に入らなくても、なかなか変えることが出来ませんが、
先生なら合わなければ病院を変えればいいわけなので、気が楽だと思います。
二度と行かない病院の先生が自分をどう思っているかなど考えるのは
時間の無駄です。
ただし「面倒くさい」とか「時間がない」と言う気持ちとの葛藤にもなります。
変わりたい!幸せになりたい!辛さを楽にしたい!という気持ちは
間違いなくそこにあることは確かです。
でも、どうして面倒くさいと思うのか。
自分はこのままでも良いという気持ちが少なからずあるからでもあります。
これは矛盾しているようにも思えますが、自分が変わりたくないというのではなく、
辛さを楽にしたいけど、それは「自分でなく周りがやってくれれば良いのに!
どうして、私が辛い思いをしているのに周りが助けてくれないの!」
という周りに対しての責任転嫁の気持ちがあるからともいえます。
それが悪いと言うことで無く、おそらく自分の未熟な一面なのだと思います。
もし、親もパートナーも誰も責任転嫁する相手がいない場合は、
意外と自分でしっかり行動することが出来ちゃったりするのがACです。
〇「未熟」と言う言葉をどう捉えるか?
本を読んでいたときに「未熟」と言う言葉が沢山出てきました。
当時は、自分が出来損ないの未熟な人間であるとけなされてしまったようで、
悶々としていたことを良く思い出します。
しかし、未熟というのは悪い意味ではないんですよね。
成熟⇒素晴らしい人間。
未熟⇒出来損ないの駄目な人間。
そういう発想しか私にはありませんでしたから、
嫌な気持ちになったのだろうと思います。
未熟とは、これからいくらでも伸びるのりしろがある状態。
まだ発展途上の段階ですから、考え方次第で行動していけば
プラスにしかならないのです。
成熟は素晴らしいかもしれないですが、ある程度の年齢や経験を
重ねて得たものでしょうから、そのうちに腐ってくることもあるのです。
自分が未熟であると本質的に気がつけば、やれることって
何かしらあると思うのです。
自分が成熟していると思っているから、「これ以上何をやれと
言うのだ!」という気持ちが上回って行動に抑制をかけてしまいます。
私で言えば、
・感情のコントロールが上手く出来ない未熟さ。
⇒少しずつコントロールが出来るようになった。
・他人に自分の理想を求めてしまう未熟さ。
⇒一人一人考え方は異なることを理解してからは緩和。
・色々決めることを他人にゆだねる未熟さ。
⇒自分で決めたことは自分で責任を取り、失敗ありきで生活するように。
自分が辛くて生きている価値がないと思っている人からすると、
自分が未熟だなんて、泣きっ面に蜂と感じてしまうでしょうが、
完璧な人間なんかいませんから、殆どの人が未熟な面を持っているのです。
自分の未熟な面と向き合えたとき、人間としての器のかさが
少しだけ増えていくのではないかと思います。
ヘテムル
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