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2022年10月27日
第25訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第25訓を垣間見てみます。
序文
絶対的な存在を相手にする。
原文
人を相手にせず天を相手にせよ。
天を相手にして己れを尽し、
人を咎めず、
我が誠の足らざるを尋ぬべし。
仮名入り
ひと あいて てん あいて
人を相手にせず天を相手にせよ。
てん あいて おのれ つく
天を相手にして己れを尽し、
ひと とが
人を咎めず、
わ まこと た たず
我が誠の足らざるを尋ぬべし。
私流訳
人を相手にしないで、天を相手にするようにせよ。
天を相手にして自分の誠をつくし、
人の非をとがめるような事をせず、
自分の真心の足らない事を反省せよ。
私流解釈
この遺訓にも「天」という言葉がでてくる。
前回もイギリスのサミュエル・スマイルズの自助論がだしたが、
その一文に下記の言葉がある。
「天はみずから助くるものを助く」(Heaven helps those who help themselves.)
天という言葉はHeavenが使われている。
日本人が使う「天」と外来語になっている「ヘブン」では違和感がある。
私は、「Heaven」は天国であり、日本人が使っている「天」とは違うし、
この遺訓で使われいる「天」はもっと違う感じがする。
天をうまく説明できるものをなかなか見つからない。
天照大神とも言えるし、上にいるなんとも言えない大いなる存在とも言えるし、
空の上にあるものとも言えるし、お天道様とも言えるし
何通りでも解釈できるが、これが日本人の感覚ではないだろうか?
神でもあるし、根源の源であり、絶対的な存在である。
常に天は平等に公正に人に恩恵を与え、
晴れもあれば雨・雪・台風などもあり、
常に変化をしているし、
恩恵もあれば災難も与えてくれる。
そういった天を相手にして、
天のことを考えて、物事を考えれば
悩みは必然的に小さくなり、解決もはやい。
絶対的な存在と実在が無形な神のことを考えれば、
相対するものは自分だけだと考えれば自分の落ち度も
だれに問われることもなく、自分に気づく。
そういったことをいっているのではないかと
妄想する次第であります。
このことを考えてみますと、今回の遺訓の解釈がことなります。
「天」とは絶対的な存在を顧みて、反省し・改善した自分。
「人」他人であり、過ちを犯した自分であり、混沌とした社会。
これで一節目をさらに私流訳しますと
人を相手にせず天を相手にせよ。
他人を相手にせず、絶対的な存在に顧みて、
反省し・改善した自分を相手にせよ。
こういった訳や解釈は自分流でありますが
自分自身しっくりきます。
現代に顧みて
現代人はいったい何を相手にして、生きているでしょうか?
たしかに人を相手にしています。
多くは他人です。その他人に自分はいろいろなレッテルをかけています。
上司だから、部下だから、お客さんだから、
仲間だから、友達だから、ご近所だから、
さらにこの人達に好き嫌いや損得な関連性のフィルターをかけています。
そういったレッテルとフィルターをかけた相手にして生きます。
西郷のように天という絶対的な存在に自分を顧みて、
反省・改善した自分を相手にすれば自ずと
成功の道というものにつながるのではないかと信じる次第です。
最後まで読んで頂きまして有難うございます。
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稲盛和夫の南洲翁遺訓の解説本
経営者の視点では素晴らしい本です。
森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第25訓を垣間見てみます。
序文
絶対的な存在を相手にする。
原文
人を相手にせず天を相手にせよ。
天を相手にして己れを尽し、
人を咎めず、
我が誠の足らざるを尋ぬべし。
仮名入り
ひと あいて てん あいて
人を相手にせず天を相手にせよ。
てん あいて おのれ つく
天を相手にして己れを尽し、
ひと とが
人を咎めず、
わ まこと た たず
我が誠の足らざるを尋ぬべし。
私流訳
人を相手にしないで、天を相手にするようにせよ。
天を相手にして自分の誠をつくし、
人の非をとがめるような事をせず、
自分の真心の足らない事を反省せよ。
私流解釈
この遺訓にも「天」という言葉がでてくる。
前回もイギリスのサミュエル・スマイルズの自助論がだしたが、
その一文に下記の言葉がある。
「天はみずから助くるものを助く」(Heaven helps those who help themselves.)
天という言葉はHeavenが使われている。
日本人が使う「天」と外来語になっている「ヘブン」では違和感がある。
私は、「Heaven」は天国であり、日本人が使っている「天」とは違うし、
この遺訓で使われいる「天」はもっと違う感じがする。
天をうまく説明できるものをなかなか見つからない。
天照大神とも言えるし、上にいるなんとも言えない大いなる存在とも言えるし、
空の上にあるものとも言えるし、お天道様とも言えるし
何通りでも解釈できるが、これが日本人の感覚ではないだろうか?
神でもあるし、根源の源であり、絶対的な存在である。
常に天は平等に公正に人に恩恵を与え、
晴れもあれば雨・雪・台風などもあり、
常に変化をしているし、
恩恵もあれば災難も与えてくれる。
そういった天を相手にして、
天のことを考えて、物事を考えれば
悩みは必然的に小さくなり、解決もはやい。
絶対的な存在と実在が無形な神のことを考えれば、
相対するものは自分だけだと考えれば自分の落ち度も
だれに問われることもなく、自分に気づく。
そういったことをいっているのではないかと
妄想する次第であります。
このことを考えてみますと、今回の遺訓の解釈がことなります。
「天」とは絶対的な存在を顧みて、反省し・改善した自分。
「人」他人であり、過ちを犯した自分であり、混沌とした社会。
これで一節目をさらに私流訳しますと
人を相手にせず天を相手にせよ。
他人を相手にせず、絶対的な存在に顧みて、
反省し・改善した自分を相手にせよ。
こういった訳や解釈は自分流でありますが
自分自身しっくりきます。
現代に顧みて
現代人はいったい何を相手にして、生きているでしょうか?
たしかに人を相手にしています。
多くは他人です。その他人に自分はいろいろなレッテルをかけています。
上司だから、部下だから、お客さんだから、
仲間だから、友達だから、ご近所だから、
さらにこの人達に好き嫌いや損得な関連性のフィルターをかけています。
そういったレッテルとフィルターをかけた相手にして生きます。
西郷のように天という絶対的な存在に自分を顧みて、
反省・改善した自分を相手にすれば自ずと
成功の道というものにつながるのではないかと信じる次第です。
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2022年10月17日
第24訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第24訓を垣間見てみます。
序文
西郷隆盛の根本根源「敬天愛人」
原文
道は天地自然の物にして、
人は之を行うものなれば、
天を敬するを目的とす。
天は人も我も、同一に愛し給ふゆえ、
我を愛する心を以て人を愛する也。
仮名入り
みち てんちしぜん もの
道は天地自然の物にして、
ひと これ おこな
人は之を行うものなれば、
てん けい もくてき
天を敬するを目的とす。
てん ひと われ どういつ あい
天は人も我も、同一に愛し給ふゆえ、
われ あい こころ もっ ひと あい なり
我を愛する心を以て人を愛する也。
私流訳
正しい道は、天から授かり地に育てられるものであるから、
人はこれにのっとって行うものであるから、
天を敬うことを目的とすべきである。
天はどんな人でも区別なく、平等に愛してくれている。
だから、自分を愛する心をもって人を愛することが大切である。
私流解釈
この遺訓には、「天地自然」と書いてあるが、
この言葉は、第9訓と第24訓にも書いてある。
私は、ちょっと違和感を感じた。
それは、西郷が愛読していた江戸時代の昌平坂学問所(東大の前進)の
総長の佐藤 一斎の著の「言志四録」の中には「天地」の記述は多数あるが、
「天地自然」と書かれて箇所はない。
ついでに二宮尊徳の「二宮翁夜話」も調べてみたがこれも同じであった。
佐藤一斎も二宮尊徳も「天地」という言葉は多数あるが、「天地自然」という言葉はない。
自然と付き合うため、または、調和するために徳が必要と説いている箇所が多い。
しかし、この遺訓では
「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば」と書いてある。
ここからは、私の妄想ですが
明治時代になると西洋の技術・科学・学問の知識や情報が入ることによって
天地と自然は別になっていた日本人の世界観が
明治時代になって一緒になったのではないかと感じる次第であります。
つまり、天地自然と現実的なものが分かれ、
天地自然が精神的なもので「道」であり、
西洋の技術・科学・学問の知識や情報が現実的な物になった。
江戸時代までは 天地は神仏的なものであり、
自然は現実的なものと分けられていたが、
明治時代になると、天地自然は精神的なものになり、
西洋の技術・科学・学問の知識や情報が現実的になった。
それで天地自然という言葉を入れたのかと妄想する次第であります。
また、この遺訓全体は敬天愛人を説明したものであるが、
敬天愛人を初めて使ったのは、中村正直である。
中村正直は1868(明治元)年6月イギリス留学から帰朝し、
10月静岡学問所が開設されると、一等教授に任命され「敬天愛人説」を著した。
中村正直が日本人として初めて「敬天愛人」を使ったのである。
中村から訓えを受けた薩摩藩士最上五郎から、
西郷は「敬天愛人説」を伝えられたのである。
私は、敬天愛人は西郷がつくったものかと思っていたが、
中村正直であるが、この言葉は中村の言葉がつくった言葉であるが、
西郷が歩んだ人生を垣間みるとぴったりくるし、
西郷が語るこそ、この言葉さらに奥深く鑑みる次第であります。
現代に顧みて
江戸時代から明治に入ってはやることなすこと初めてのことばかりである、
唯一頼れるものは、自己のみである。
明治の人は何も頼れるものがない中で試行錯誤や西洋のあらゆることを勉強し、実践をした。
不断の努力・勤勉・忍耐・高邁な志が原動力であった。
現代の日本人がなくなっているのは、こういったものではないだろうか?
努力や勤勉などの量を行わとできないことは働き方改革で阻害され、
高邁な志は、国際会議で決まったようなSDGsや温暖化などに目をむけさせれ、
富と財は、政府の税制や公共投資を批判し、それでいて補助金やバラマキを期待する。
自らの己の努力と勤勉さで築き上げられた日本の先人さの志と偉業を忘れてしまった。
恥じるべきは、そういった富を中国や外国に目を向け、
目指すべき国家の道をわけのわからない国際会議のお題目に向け、
日本がどうあるべきとか、日本をより良くすることを何も言わなくなった。
他国を支援や協調する前に自国である日本の体裁を整えないといけない、
明治は44年間という短い間に新政府を樹立し、憲法を制定し、日進戦争・日露戦争に勝利をし、
人口を1.25倍にした。
令和の時代には、こういった躍動感はないかもしれない。
政治家を批判しても、社会を恨んでもなんの解決もできないのが
このご時世が証明している。
残るのは、一人ひとりが高い志を持ち、
日々自分のやれることを精一杯にやり、
西郷が導いた言葉に近づければ
少しは良くなるのではと妄想する次第であります。
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南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第24訓を垣間見てみます。
序文
西郷隆盛の根本根源「敬天愛人」
原文
道は天地自然の物にして、
人は之を行うものなれば、
天を敬するを目的とす。
天は人も我も、同一に愛し給ふゆえ、
我を愛する心を以て人を愛する也。
仮名入り
みち てんちしぜん もの
道は天地自然の物にして、
ひと これ おこな
人は之を行うものなれば、
てん けい もくてき
天を敬するを目的とす。
てん ひと われ どういつ あい
天は人も我も、同一に愛し給ふゆえ、
われ あい こころ もっ ひと あい なり
我を愛する心を以て人を愛する也。
私流訳
正しい道は、天から授かり地に育てられるものであるから、
人はこれにのっとって行うものであるから、
天を敬うことを目的とすべきである。
天はどんな人でも区別なく、平等に愛してくれている。
だから、自分を愛する心をもって人を愛することが大切である。
私流解釈
この遺訓には、「天地自然」と書いてあるが、
この言葉は、第9訓と第24訓にも書いてある。
私は、ちょっと違和感を感じた。
それは、西郷が愛読していた江戸時代の昌平坂学問所(東大の前進)の
総長の佐藤 一斎の著の「言志四録」の中には「天地」の記述は多数あるが、
「天地自然」と書かれて箇所はない。
ついでに二宮尊徳の「二宮翁夜話」も調べてみたがこれも同じであった。
佐藤一斎も二宮尊徳も「天地」という言葉は多数あるが、「天地自然」という言葉はない。
自然と付き合うため、または、調和するために徳が必要と説いている箇所が多い。
しかし、この遺訓では
「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば」と書いてある。
ここからは、私の妄想ですが
明治時代になると西洋の技術・科学・学問の知識や情報が入ることによって
天地と自然は別になっていた日本人の世界観が
明治時代になって一緒になったのではないかと感じる次第であります。
つまり、天地自然と現実的なものが分かれ、
天地自然が精神的なもので「道」であり、
西洋の技術・科学・学問の知識や情報が現実的な物になった。
江戸時代までは 天地は神仏的なものであり、
自然は現実的なものと分けられていたが、
明治時代になると、天地自然は精神的なものになり、
西洋の技術・科学・学問の知識や情報が現実的になった。
それで天地自然という言葉を入れたのかと妄想する次第であります。
また、この遺訓全体は敬天愛人を説明したものであるが、
敬天愛人を初めて使ったのは、中村正直である。
中村正直は1868(明治元)年6月イギリス留学から帰朝し、
10月静岡学問所が開設されると、一等教授に任命され「敬天愛人説」を著した。
中村正直が日本人として初めて「敬天愛人」を使ったのである。
中村から訓えを受けた薩摩藩士最上五郎から、
西郷は「敬天愛人説」を伝えられたのである。
私は、敬天愛人は西郷がつくったものかと思っていたが、
中村正直であるが、この言葉は中村の言葉がつくった言葉であるが、
西郷が歩んだ人生を垣間みるとぴったりくるし、
西郷が語るこそ、この言葉さらに奥深く鑑みる次第であります。
現代に顧みて
江戸時代から明治に入ってはやることなすこと初めてのことばかりである、
唯一頼れるものは、自己のみである。
明治の人は何も頼れるものがない中で試行錯誤や西洋のあらゆることを勉強し、実践をした。
不断の努力・勤勉・忍耐・高邁な志が原動力であった。
現代の日本人がなくなっているのは、こういったものではないだろうか?
努力や勤勉などの量を行わとできないことは働き方改革で阻害され、
高邁な志は、国際会議で決まったようなSDGsや温暖化などに目をむけさせれ、
富と財は、政府の税制や公共投資を批判し、それでいて補助金やバラマキを期待する。
自らの己の努力と勤勉さで築き上げられた日本の先人さの志と偉業を忘れてしまった。
恥じるべきは、そういった富を中国や外国に目を向け、
目指すべき国家の道をわけのわからない国際会議のお題目に向け、
日本がどうあるべきとか、日本をより良くすることを何も言わなくなった。
他国を支援や協調する前に自国である日本の体裁を整えないといけない、
明治は44年間という短い間に新政府を樹立し、憲法を制定し、日進戦争・日露戦争に勝利をし、
人口を1.25倍にした。
令和の時代には、こういった躍動感はないかもしれない。
政治家を批判しても、社会を恨んでもなんの解決もできないのが
このご時世が証明している。
残るのは、一人ひとりが高い志を持ち、
日々自分のやれることを精一杯にやり、
西郷が導いた言葉に近づければ
少しは良くなるのではと妄想する次第であります。
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2022年10月02日
第23訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第23訓を垣間見てみます。
序文
自分に克つための自己修養は、歴史に学ぶことであります。
原文
学に志す者、
規模を宏大にせずば、
有る可からず。
さりとて唯此にのみ偏倚すれば、
或は身を修するに、疎に成り行くゆゑ、
終始己に克ちて、身を修する也。
規模を宏大にして、己に克ち、男子は人を容れ、
人に容れられては、済まぬものと思へよと、
古語を書いて授けらる。
恢宏其志気者、人之患莫大乎、自私自吝。
安於卑俗、而不以古人自期。
古人を期するの、意を請問せしに、
尭舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ。
仮名入り
がく こころざ もの
学に志す者、
きぼ こうだい
規模を宏大にせずば、
あ べ
有る可からず。
ただここ へんい
さりとて唯此にのみ偏倚すれば、
あるい み しゅう おろそか なえ ゆ
或は身を修するに、疎に成り行くゆゑ、
しゅうしおのれ か み しゅう なり
終始己に克ちて、身を修する也。
きぼ こうだい おのれ か だんし ひと い
規模を宏大にして、己に克ち、男子は人を容れ、
ひと い す おも
人に容れられては、済まぬものと思へよと、
こご か さず
古語を書いて授けらる。
そのしきをかいこうするものは ひとのうれいだいなるはなし じしじりん
恢宏其志気者、人之患莫大乎、自私自吝。
ひぞくにやすんして しこうしてこじんをもってみずからきせず
安於卑俗、而不以古人自期。
こじん き い せいもん
古人を期するの、意を請問せしに、
ぎょうしゅん もっ てほん こうふし きょうし
尭舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ。
私流訳
学問を志す者はその規模を広くしなければならない。
しかし、ただその事のみに片寄ってしまうと、身を修める事がおろそかになってゆくから、
常に自分にうち克って修養することが大事である。
知識の規模、範囲を大きくして自分にうち克つことに努めよ。
男というものは、人を自分の心の中に呑み込んでしまうくらいの寛容さが必要で、
人に呑まれてはだめであると思えよと言われて、昔の人の教えを書いて与えられた。
その志を、おし広めようとする者にとって、
もっとも憂えるべき事は自己の事をのみを考えてしまうことである。
けちで低俗な生活に安んじ、昔の人を手本となして自分からそうなろうと修業をしようとしないことだ。
古人を期するというのはどういうことですかと尋ねたところ、
尭・舜(共に古代中国の偉大な帝王)を以って手本とし、
孔子(中国第一の聖人)を教師として勉強せよと教えられた。
私流解釈
この23訓は、前の22訓と同じで自分に克つことの重要性を示している。
違いは22訓は、常に自己修養の時間を説いており時間軸が主であるが、
23訓は、自己修養するには学ぶことの必要性を説いており、
しかも、それは尭・舜や孔子などの昔の教えから学ぶと説いている。
世の中にいろいろ学ぶものありますが、
身につけるべき素晴らしい哲学とは、歴史という風雪に耐え、
人類が長く継承してきたもので、
人間のあるべき姿、持つべき考え方を明らかにし、
我々によき感化を与えてくれる聖賢の教えのことです。
こういった教えを繰り返し学び、理解し、常に実践をはかるように務めることです。
「第二の人格」をつくりあげるぐらいの心構えが必要であり、
そのために日々を振り返り反省をして、いたらぬ自分に気づき。自分なりの創意工夫をして
歴史の素晴らしい教えが身につくと感じる次第であります。
尭・舜や孔子はたしかに、素晴らしい教えでありますが、
この南洲翁遺訓も素晴らしいです。
西郷隆盛が没後125年でも、
この教えは洋々と令和の時代にも通じるものと確信する次第であります。
現代に顧みて
西郷の多くの遺訓は、自分に克つことを説いているが、
西郷の時代の明治では、日本の文化や精神を堕落させるような西洋のものとか、
自分の私利私欲をする財界や政治家を批判するようなものが遺訓の中にもある。
こういったものから律するように自分に克つといっているのであるが、
現代は、そういったものよりもより進化したものが多数でた。
テレビ・ラジオは当たり前であり、今やパソコンやスマートフォンがある。
もう、外で娯楽を楽しむだけでなく、家の中でも世界中の音楽、映画を楽しめ、
自分の好みに合うSNSやYouTubeで楽しむことができ、
ゲームは様々な興奮を与えてくれるのである。
企業は様々な人の欲求を満たす食品・製品・アプリ・コンテンツ金融商品を開発し、
購買を煽り、稼ぐに人から財と時間を奪うのである。
西郷の言う人を自分の心の中に呑み込んでしまうくらいの寛容になる
学びがなかなかできない時代であります。
明治の時代の自分に克つ対象が令和の時代では、
変わったが、やはり本質は変わらないものではないかと感じる次第であります。
令和の時代のモノは、楽しみを与えて面白いものを提供して、
人から様々なことを奪うが、その逆もしかりであります。
自己修養にそういった令和のモノやネットや様々使うことによってさらに
飛躍できると感じる次第であります。
自己に克つを終始、心がけたいと感じる次第であります。
最後まで読んで頂きまして有難うございます。
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経営者の視点では素晴らしい本です。
森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第23訓を垣間見てみます。
序文
自分に克つための自己修養は、歴史に学ぶことであります。
原文
学に志す者、
規模を宏大にせずば、
有る可からず。
さりとて唯此にのみ偏倚すれば、
或は身を修するに、疎に成り行くゆゑ、
終始己に克ちて、身を修する也。
規模を宏大にして、己に克ち、男子は人を容れ、
人に容れられては、済まぬものと思へよと、
古語を書いて授けらる。
恢宏其志気者、人之患莫大乎、自私自吝。
安於卑俗、而不以古人自期。
古人を期するの、意を請問せしに、
尭舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ。
仮名入り
がく こころざ もの
学に志す者、
きぼ こうだい
規模を宏大にせずば、
あ べ
有る可からず。
ただここ へんい
さりとて唯此にのみ偏倚すれば、
あるい み しゅう おろそか なえ ゆ
或は身を修するに、疎に成り行くゆゑ、
しゅうしおのれ か み しゅう なり
終始己に克ちて、身を修する也。
きぼ こうだい おのれ か だんし ひと い
規模を宏大にして、己に克ち、男子は人を容れ、
ひと い す おも
人に容れられては、済まぬものと思へよと、
こご か さず
古語を書いて授けらる。
そのしきをかいこうするものは ひとのうれいだいなるはなし じしじりん
恢宏其志気者、人之患莫大乎、自私自吝。
ひぞくにやすんして しこうしてこじんをもってみずからきせず
安於卑俗、而不以古人自期。
こじん き い せいもん
古人を期するの、意を請問せしに、
ぎょうしゅん もっ てほん こうふし きょうし
尭舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ。
私流訳
学問を志す者はその規模を広くしなければならない。
しかし、ただその事のみに片寄ってしまうと、身を修める事がおろそかになってゆくから、
常に自分にうち克って修養することが大事である。
知識の規模、範囲を大きくして自分にうち克つことに努めよ。
男というものは、人を自分の心の中に呑み込んでしまうくらいの寛容さが必要で、
人に呑まれてはだめであると思えよと言われて、昔の人の教えを書いて与えられた。
その志を、おし広めようとする者にとって、
もっとも憂えるべき事は自己の事をのみを考えてしまうことである。
けちで低俗な生活に安んじ、昔の人を手本となして自分からそうなろうと修業をしようとしないことだ。
古人を期するというのはどういうことですかと尋ねたところ、
尭・舜(共に古代中国の偉大な帝王)を以って手本とし、
孔子(中国第一の聖人)を教師として勉強せよと教えられた。
私流解釈
この23訓は、前の22訓と同じで自分に克つことの重要性を示している。
違いは22訓は、常に自己修養の時間を説いており時間軸が主であるが、
23訓は、自己修養するには学ぶことの必要性を説いており、
しかも、それは尭・舜や孔子などの昔の教えから学ぶと説いている。
世の中にいろいろ学ぶものありますが、
身につけるべき素晴らしい哲学とは、歴史という風雪に耐え、
人類が長く継承してきたもので、
人間のあるべき姿、持つべき考え方を明らかにし、
我々によき感化を与えてくれる聖賢の教えのことです。
こういった教えを繰り返し学び、理解し、常に実践をはかるように務めることです。
「第二の人格」をつくりあげるぐらいの心構えが必要であり、
そのために日々を振り返り反省をして、いたらぬ自分に気づき。自分なりの創意工夫をして
歴史の素晴らしい教えが身につくと感じる次第であります。
尭・舜や孔子はたしかに、素晴らしい教えでありますが、
この南洲翁遺訓も素晴らしいです。
西郷隆盛が没後125年でも、
この教えは洋々と令和の時代にも通じるものと確信する次第であります。
現代に顧みて
西郷の多くの遺訓は、自分に克つことを説いているが、
西郷の時代の明治では、日本の文化や精神を堕落させるような西洋のものとか、
自分の私利私欲をする財界や政治家を批判するようなものが遺訓の中にもある。
こういったものから律するように自分に克つといっているのであるが、
現代は、そういったものよりもより進化したものが多数でた。
テレビ・ラジオは当たり前であり、今やパソコンやスマートフォンがある。
もう、外で娯楽を楽しむだけでなく、家の中でも世界中の音楽、映画を楽しめ、
自分の好みに合うSNSやYouTubeで楽しむことができ、
ゲームは様々な興奮を与えてくれるのである。
企業は様々な人の欲求を満たす食品・製品・アプリ・コンテンツ金融商品を開発し、
購買を煽り、稼ぐに人から財と時間を奪うのである。
西郷の言う人を自分の心の中に呑み込んでしまうくらいの寛容になる
学びがなかなかできない時代であります。
明治の時代の自分に克つ対象が令和の時代では、
変わったが、やはり本質は変わらないものではないかと感じる次第であります。
令和の時代のモノは、楽しみを与えて面白いものを提供して、
人から様々なことを奪うが、その逆もしかりであります。
自己修養にそういった令和のモノやネットや様々使うことによってさらに
飛躍できると感じる次第であります。
自己に克つを終始、心がけたいと感じる次第であります。
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経営者の視点では素晴らしい本です。
森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。
2022年09月24日
第22訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第22訓を垣間見てみます。
今日は、西郷隆盛の命日であります。
145年前の明治10年(1877年)の9月24日に
西南戦争最後の戦いで、鹿児島の城山で最後の進軍をこころみるが
腰に被弾をした。
西郷は別府晋介に「晋どん、晋どん、もう、ここらでよか」と言い
彼に介錯を命じ、東に向かって拝礼をし、自害をした。
享年51歳 満49歳没
145年たっても素晴らしい偉人でもあり、
何が正しいかが困惑するこのご時世に
この南洲翁遺訓は筋が入った指針であると感じる次第であります。
序文
根本の解決は、自分に克つこと。
原文
己に克つに、事々物々、
時に臨みて克つ様にては、
克ち得られぬなり。
兼て気象を以て克ち居れよと也。
仮名入り
おのれ か じじぶつぶつ
己に克つに、事々物々、
とき のぞ か よう
時に臨みて克つ様にては、
か え
克ち得られぬなり。
かね きしょう もっ か お なり
兼て気象を以て克ち居れよと也。
私流訳
自分自身に打ち克つには、すべてのことを、
その場その場の場当たり的に克とうとするから、
なかなか上手くいかないのである。
前々から自分の精神を鍛えて、
自分に克つ修行をしなくてはいけない。
私流解釈
西郷の遺訓に多いのは、無私になること、
即ち、自分の欲望や邪念を抑えることの重要性を訴えている。
そのために、自分自身が自分の心と戦うことが
自分に克つということである。
現在では、「気象」は天気のことを指すが、
ここでは、人の気質や精神を指します。
明治以降に気象が天気を指すようになったとのこと。
どちらも天気のようにすぐに変わりやすいものですね。
現代に顧みて
「兼て気象を以て克ち居れよと也」とありますが、
現代では、日々の善き習慣かと思います。
日々の地道なコツコツとした習慣が大成をなすことは、
いつの時代でも不文律であります。
計算や情報収集などは、現代では凄まじいスピードでできますが、
自分自身の精神を鍛えることは、
スマートフォンやパソコンではできません。
これこそ、アナログである自分自身の体と精神をもってしか
鍛えることはできません。
そして、何から鍛えるかというと欲望・慢心・邪念・怠慢からであります。
人は、ネガティブになりやすいものであります。
ですから、西郷の言うように日々克己に務めることが大事だと感じる次第であります。
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2022年09月22日
第21訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第21訓を垣間見てみます。
序文
自分の欲を抑えて、
最後まで自分に克き続けることの
重要性を伝えている遺訓であります。
原文
道は天地自然の道なるゆえ、
講学の道は敬天愛人を目的とし、
身を修するに克己を以て終始せよ。
己に克つの極功は、『毋意、毋必、毋固、毋我』。
総じて人は、己れに克つを以て成り,
自ら愛するを以て敗るるぞ。
能く古今の人物を見よ。
事業を創起する人、
其事大抵十に七八迄は、能く成し得れども、
残り二つを終る迄、成し得る人の希なるは、
始は能く己を慎み、事をも敬する故、
功も立ち名も顕はるるなり。
功立ち名も顕はるるに随ひ、
いつしか自ら愛する心起り、
恐懼戒慎の意弛み、
驕矜の気漸く長じ、
其の成し得たる事業を屓み、
苟も我が事を仕遂んとて、
まづき仕事に陥いり、
終に敗るるものにて、
皆自ら招く也。
故に己に克ちて、
睹ず聞かざる所に戒慎するもの也。
仮名入り
みち てんちしぜん みち
道は天地自然の道なるゆえ、
こうがく みち けいてんあいじん もくてき
講学の道は敬天愛人を目的とし、
み しゅう こっき もっ しゅうし
身を修するに克己を以て終始せよ。
おのれ か きょくこう いなし ひつなし こなし がなし
己に克つの極功は、『毋意、毋必、毋固、毋我』。
そう ひと おのれ か もっ な
総じて人は、己れに克つを以て成り,
みずか あい もっ やぶ
自ら愛するを以て敗るるぞ。
よ ここん じんぶつ み
能く古今の人物を見よ。
じぎょう そうき ひと
事業を創起する人、
そのことたいていじゅう ひちはちまで よ な う
其事大抵十に七八迄は、能く成し得れども、
のこ ふた おわ まで な え ひと まれ
残り二つを終る迄、成し得る人の希なるは、
はじめ よ おのれ つつし こと けい ゆえ
始は能く己を慎み、事をも敬する故、
こう た な あら
功も立ち名も顕はるるなり。
こうた な あら したが
功立ち名も顕はるるに随ひ、
みずか あい こころおこ
いつしか自ら愛する心起り、
きょうくかいしん いゆる
恐懼戒慎の意弛み、
きょうきょう きようや ちょう
驕矜の気漸く長じ、
そ な え じぎょう たの
其の成し得たる事業を屓み、
いやしく わ こと しとげ
苟も我が事を仕遂んとて、
しごと おち
まづき仕事に陥いり、
つい やぶ
終に敗るるものにて、
みなみずから まね なり
皆自ら招く也。
ゆえ おのれ か
故に己に克ちて、
み き ところ かいしん なり
睹ず聞かざる所に戒慎するもの也。
私流訳
人が進み歩む道は天から授かり
地に育まれた正しい道があるから
学問を究める道は「敬天愛人」天を敬い、
自分を愛するように人を愛するという境地を目的とし、
身を正しくおさめ、立派な行いをするように努めるには、
自分の欲望や邪念にうちかつ克己をいつも心懸けなければならない。
己に克つ最強の状態とは「論語」には、
「私利私欲や怠慢にならず、
やらねばならないとゴリ押しをせず、
自分の考えに固執せず、
我をとおして思い込みや推量せず。」
一般的に言えば人は、自分に克つことによって成功し、自分自身を甘やかし傲慢になり失敗する。
よく歴史上の人物から今までをみるがよい。
事業を始める人は、その事業の七、八割までは大抵良く出来るが、
残りの二、三割を終りまで成しとげる人の少いのは、
始めはよく自分を謹んで事を慎重にするから、
成功し有名にもなる。
成功し有名になり名も知れ渡るにつれ
だんだん自分自身を甘やかし傲慢になってしまい、
謙虚さと自分自身を律することが気がゆるんでしまい、
奢り高ぶるようになり、
その成し得た仕事に自惚れてしまい、
あげくは、自分を自画自賛して、
無理に仕事をやったり、愚かな仕事をやったりして、
ついには失敗するようになってしまう。
これらはみんな自ら招いた結果である。
だから、常に自分にうち克って、
誰も見ていなく、聞いていない一人の時でも
謙虚に自己を戒め慎むことが大事である。
私流解釈
遺訓のなかでは比較的に長い21訓であります。
最初に目的を掲げ、その目的をどう達すればいいかということで
論語からの『毋意、毋必、毋固、毋我』を引用し、
自ら克つということを説いている。
ここで漢字の解説ですが、
私は「克つ」「勝つ」共に読み方は「かつ」ですが
違いを今ひとつわかっていなかったが調べてみると
「他にかつこと」を「勝つ」
「自分にかつこと」を「克つ」であります。
論語の引用がありますが、
『毋意、毋必、毋固、毋我』
「毋」という文字がありますが、
これは母親の「母」ではなく「毋」であります。
「母」という字の中に点が独立しておりますが、
「毋」の字の中は点々ではなく、貫いた字になっています。
辞書でくくりますと 音読み ぶ・む 訓読み なかれ・なし
この遺訓では「なし」で読みます。
この引用をいるのは西郷がどこまでも無私な人であり、
無私であることが物事を成就する重要な要因であること示しています。
失敗例に入り最後までやり遂げるために
誰もがおちいることが書いてあります。
成功や出生すと怠慢・自惚れ・自己の甘えがでて
初心の心や謙虚さや努力が欠けて失敗におちいる。
私は漢字が苦手なので辞書でくくったものを引用します。
ここでも漢字の解説ですが
恐懼 きょうく おそれること。おそれいってちぢまること。おそれつつしむ。
驕矜 きょうきょう 得意になっていばる。おごりたかぶること。
漸く ようやく 時間や手数がかかった後に、待っていたことが実現するさま
最後には、その失敗しないようにアドバイスがあります。
自分に克ち、ひとりでも謙虚に自己を戒め慎むことが大事であると
遺訓は導いています。
現代に顧みて
昭和・平成は、他より良くなることが成功と言えたのではないでしょうか。
そのため学歴・経歴・所属企業や研究機関・実績など重要でした。
令和になり他との比較より、その人の魅力や才能というものがより脚光を浴びる時代なり
何もテレビ・新聞・雑誌に出ていなくても有名になる機会に恵まれました。
ブログ・ツイッター・YouTubeなどで有名な人は魅力以外にありません。
有名ブロガーやYouTuberの中には、匿名で顔や正体がまったくわからない人が
10万人以上の読者や登録者を持っている人がいます。
つまり何かに勝つとか、誰かと比較して優位な人とかではなく、
魅力的な人であり、そういった人の苦労話には
アクセス数が上がらなくても地道な努力で、
毎日更新するとか、日々創意工夫をした結果というの俄然多いですね。
まさに自分に克った人であります。
これはネットの世界だけではなく、リアルな仕事でも同じことであります。
以前のお店は、価格や商品の多さや便利さが繁盛する前提でありましたが、
これだけ大型ショッピングモールやコンビニエンスや100円ショップがあると
その中でも魅力のある店や魅力的な店員さんがいるお店が生き残っていますし、
小さなお店でもそこに魅力的な人がいれば世間は注目します。
魅力的な人になるには、
西郷は、自分の欲を抑えて自分を愛するように
人を愛すること唱えています。
こういったことを意識して
生きていきたい次第であります。
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森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第21訓を垣間見てみます。
序文
自分の欲を抑えて、
最後まで自分に克き続けることの
重要性を伝えている遺訓であります。
原文
道は天地自然の道なるゆえ、
講学の道は敬天愛人を目的とし、
身を修するに克己を以て終始せよ。
己に克つの極功は、『毋意、毋必、毋固、毋我』。
総じて人は、己れに克つを以て成り,
自ら愛するを以て敗るるぞ。
能く古今の人物を見よ。
事業を創起する人、
其事大抵十に七八迄は、能く成し得れども、
残り二つを終る迄、成し得る人の希なるは、
始は能く己を慎み、事をも敬する故、
功も立ち名も顕はるるなり。
功立ち名も顕はるるに随ひ、
いつしか自ら愛する心起り、
恐懼戒慎の意弛み、
驕矜の気漸く長じ、
其の成し得たる事業を屓み、
苟も我が事を仕遂んとて、
まづき仕事に陥いり、
終に敗るるものにて、
皆自ら招く也。
故に己に克ちて、
睹ず聞かざる所に戒慎するもの也。
仮名入り
みち てんちしぜん みち
道は天地自然の道なるゆえ、
こうがく みち けいてんあいじん もくてき
講学の道は敬天愛人を目的とし、
み しゅう こっき もっ しゅうし
身を修するに克己を以て終始せよ。
おのれ か きょくこう いなし ひつなし こなし がなし
己に克つの極功は、『毋意、毋必、毋固、毋我』。
そう ひと おのれ か もっ な
総じて人は、己れに克つを以て成り,
みずか あい もっ やぶ
自ら愛するを以て敗るるぞ。
よ ここん じんぶつ み
能く古今の人物を見よ。
じぎょう そうき ひと
事業を創起する人、
そのことたいていじゅう ひちはちまで よ な う
其事大抵十に七八迄は、能く成し得れども、
のこ ふた おわ まで な え ひと まれ
残り二つを終る迄、成し得る人の希なるは、
はじめ よ おのれ つつし こと けい ゆえ
始は能く己を慎み、事をも敬する故、
こう た な あら
功も立ち名も顕はるるなり。
こうた な あら したが
功立ち名も顕はるるに随ひ、
みずか あい こころおこ
いつしか自ら愛する心起り、
きょうくかいしん いゆる
恐懼戒慎の意弛み、
きょうきょう きようや ちょう
驕矜の気漸く長じ、
そ な え じぎょう たの
其の成し得たる事業を屓み、
いやしく わ こと しとげ
苟も我が事を仕遂んとて、
しごと おち
まづき仕事に陥いり、
つい やぶ
終に敗るるものにて、
みなみずから まね なり
皆自ら招く也。
ゆえ おのれ か
故に己に克ちて、
み き ところ かいしん なり
睹ず聞かざる所に戒慎するもの也。
私流訳
人が進み歩む道は天から授かり
地に育まれた正しい道があるから
学問を究める道は「敬天愛人」天を敬い、
自分を愛するように人を愛するという境地を目的とし、
身を正しくおさめ、立派な行いをするように努めるには、
自分の欲望や邪念にうちかつ克己をいつも心懸けなければならない。
己に克つ最強の状態とは「論語」には、
「私利私欲や怠慢にならず、
やらねばならないとゴリ押しをせず、
自分の考えに固執せず、
我をとおして思い込みや推量せず。」
一般的に言えば人は、自分に克つことによって成功し、自分自身を甘やかし傲慢になり失敗する。
よく歴史上の人物から今までをみるがよい。
事業を始める人は、その事業の七、八割までは大抵良く出来るが、
残りの二、三割を終りまで成しとげる人の少いのは、
始めはよく自分を謹んで事を慎重にするから、
成功し有名にもなる。
成功し有名になり名も知れ渡るにつれ
だんだん自分自身を甘やかし傲慢になってしまい、
謙虚さと自分自身を律することが気がゆるんでしまい、
奢り高ぶるようになり、
その成し得た仕事に自惚れてしまい、
あげくは、自分を自画自賛して、
無理に仕事をやったり、愚かな仕事をやったりして、
ついには失敗するようになってしまう。
これらはみんな自ら招いた結果である。
だから、常に自分にうち克って、
誰も見ていなく、聞いていない一人の時でも
謙虚に自己を戒め慎むことが大事である。
私流解釈
遺訓のなかでは比較的に長い21訓であります。
最初に目的を掲げ、その目的をどう達すればいいかということで
論語からの『毋意、毋必、毋固、毋我』を引用し、
自ら克つということを説いている。
ここで漢字の解説ですが、
私は「克つ」「勝つ」共に読み方は「かつ」ですが
違いを今ひとつわかっていなかったが調べてみると
「他にかつこと」を「勝つ」
「自分にかつこと」を「克つ」であります。
論語の引用がありますが、
『毋意、毋必、毋固、毋我』
「毋」という文字がありますが、
これは母親の「母」ではなく「毋」であります。
「母」という字の中に点が独立しておりますが、
「毋」の字の中は点々ではなく、貫いた字になっています。
辞書でくくりますと 音読み ぶ・む 訓読み なかれ・なし
この遺訓では「なし」で読みます。
この引用をいるのは西郷がどこまでも無私な人であり、
無私であることが物事を成就する重要な要因であること示しています。
失敗例に入り最後までやり遂げるために
誰もがおちいることが書いてあります。
成功や出生すと怠慢・自惚れ・自己の甘えがでて
初心の心や謙虚さや努力が欠けて失敗におちいる。
私は漢字が苦手なので辞書でくくったものを引用します。
ここでも漢字の解説ですが
恐懼 きょうく おそれること。おそれいってちぢまること。おそれつつしむ。
驕矜 きょうきょう 得意になっていばる。おごりたかぶること。
漸く ようやく 時間や手数がかかった後に、待っていたことが実現するさま
最後には、その失敗しないようにアドバイスがあります。
自分に克ち、ひとりでも謙虚に自己を戒め慎むことが大事であると
遺訓は導いています。
現代に顧みて
昭和・平成は、他より良くなることが成功と言えたのではないでしょうか。
そのため学歴・経歴・所属企業や研究機関・実績など重要でした。
令和になり他との比較より、その人の魅力や才能というものがより脚光を浴びる時代なり
何もテレビ・新聞・雑誌に出ていなくても有名になる機会に恵まれました。
ブログ・ツイッター・YouTubeなどで有名な人は魅力以外にありません。
有名ブロガーやYouTuberの中には、匿名で顔や正体がまったくわからない人が
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つまり何かに勝つとか、誰かと比較して優位な人とかではなく、
魅力的な人であり、そういった人の苦労話には
アクセス数が上がらなくても地道な努力で、
毎日更新するとか、日々創意工夫をした結果というの俄然多いですね。
まさに自分に克った人であります。
これはネットの世界だけではなく、リアルな仕事でも同じことであります。
以前のお店は、価格や商品の多さや便利さが繁盛する前提でありましたが、
これだけ大型ショッピングモールやコンビニエンスや100円ショップがあると
その中でも魅力のある店や魅力的な店員さんがいるお店が生き残っていますし、
小さなお店でもそこに魅力的な人がいれば世間は注目します。
魅力的な人になるには、
西郷は、自分の欲を抑えて自分を愛するように
人を愛すること唱えています。
こういったことを意識して
生きていきたい次第であります。
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修身や道徳の視点では必見の本です。
2022年08月27日
第20訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
第9訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第20訓を垣間見てみます。
序文
善き人があって初めて、様々な制度・法律がると
警鐘している遺訓であります。
原文
何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば、行はれ難し。
人有りて、後方法の、行はれるものなれば、
人は第一の宝にして、己れ其の人に成るの心懸け肝要なり。
仮名入り
なにほどせいどほうほう ろん
何程制度方法を論ずるとも、
そ ひと あら おこな がた
其の人に非ざれば、行はれ難し。
ひとあ のちほうほう
人有りて、後方法の、
おこな
行はれるものなれば、
ひと だいいち たから
人は第一の宝にして、
おの そ ひと な こころが かんよう
己れ其の人に成るの心懸け肝要なり。
私流訳
どんなに制度や方法を議論しても
善き人でなければ、実行し行われることは難しいだろう。
善き人であって、様々な制度や方法が行われるのだから、
善き人は第一の宝であって、
自分自身が良き人になることを意識し、
心懸けることが最も重要なことだ。
私流解釈
どんなに素晴らしいシステム・マニュアル・制度があっても
行う人が善き人にならないといけない。
因みに、私流訳で善きという漢字を使ってますが
「よき」には、「良き」と「善き」の漢字がありますが
良い 他と比較して優れていること。
善い 道徳的に正しいこと。
今回の遺訓の訳では、善きのほうが当てはまると思いこの漢字を使っています。
西郷は、この善き人になることが肝要であると言っていますが、
では、善き人になるには?
実はこの遺訓の第1訓から第20訓までは、政治や外交やトップ関連が主題になっておりますが、
第21訓から第29訓までは、いかに善き人になるかを書いてありますので、
乞うご期待であります。
現代に顧みて
聞こえのいい構造改革の名で大店法ができ、
WTOやFTAなどの自由貿易ができたが、
中小企業は、ひどくなり、商店街はシャッター通りまたは、駐車場になった。
外資が日本に入り、有力企業すら外資の傘下に入り
半導体企業や家電産業は衰退または、外資の傘下になった。
そして、外国企業に対して補助金までだすから日本の参入を促す。
税制は、消費税は上がるばっかりで、
輸出企業は、消費税は免除になり、
高額所得者の所得税は税率は下がる。
外国人だけは、なぜか優遇され、
失業者や貧困者や学生は、外国に寛容な制度がある。
少子化対策では、待機児童ばかり注目され、
一番やらないと結婚成約の向上や出生率に関しては
議論すると非難されるという特殊社会現象になり、
それでいて、LGBTQい関してはOKという。
国際会議で日本の総理が演壇に立つと
なぜか10兆円規模の支援を突然表明する。
日本のGDPがなかなか他国と較べて上がらないのは、
日本人の働き方の生産性が低いとされる。
どう考えても制度・法律の問題である。
悪法と悪制度が外国や大企業や高額所得者を潤し、
庶民から絞りとる。
西郷の言う「其の人」という善き人という
政治家や官僚はいるのだろうか?
西郷の言う善き人がつくる制度方法は
140年たったら却って悪い方向に行っていると感じる次第です。
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稲盛和夫の南洲翁遺訓の解説本
経営者の視点では素晴らしい本です。
森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第20訓を垣間見てみます。
序文
善き人があって初めて、様々な制度・法律がると
警鐘している遺訓であります。
原文
何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば、行はれ難し。
人有りて、後方法の、行はれるものなれば、
人は第一の宝にして、己れ其の人に成るの心懸け肝要なり。
仮名入り
なにほどせいどほうほう ろん
何程制度方法を論ずるとも、
そ ひと あら おこな がた
其の人に非ざれば、行はれ難し。
ひとあ のちほうほう
人有りて、後方法の、
おこな
行はれるものなれば、
ひと だいいち たから
人は第一の宝にして、
おの そ ひと な こころが かんよう
己れ其の人に成るの心懸け肝要なり。
私流訳
どんなに制度や方法を議論しても
善き人でなければ、実行し行われることは難しいだろう。
善き人であって、様々な制度や方法が行われるのだから、
善き人は第一の宝であって、
自分自身が良き人になることを意識し、
心懸けることが最も重要なことだ。
私流解釈
どんなに素晴らしいシステム・マニュアル・制度があっても
行う人が善き人にならないといけない。
因みに、私流訳で善きという漢字を使ってますが
「よき」には、「良き」と「善き」の漢字がありますが
良い 他と比較して優れていること。
善い 道徳的に正しいこと。
今回の遺訓の訳では、善きのほうが当てはまると思いこの漢字を使っています。
西郷は、この善き人になることが肝要であると言っていますが、
では、善き人になるには?
実はこの遺訓の第1訓から第20訓までは、政治や外交やトップ関連が主題になっておりますが、
第21訓から第29訓までは、いかに善き人になるかを書いてありますので、
乞うご期待であります。
現代に顧みて
聞こえのいい構造改革の名で大店法ができ、
WTOやFTAなどの自由貿易ができたが、
中小企業は、ひどくなり、商店街はシャッター通りまたは、駐車場になった。
外資が日本に入り、有力企業すら外資の傘下に入り
半導体企業や家電産業は衰退または、外資の傘下になった。
そして、外国企業に対して補助金までだすから日本の参入を促す。
税制は、消費税は上がるばっかりで、
輸出企業は、消費税は免除になり、
高額所得者の所得税は税率は下がる。
外国人だけは、なぜか優遇され、
失業者や貧困者や学生は、外国に寛容な制度がある。
少子化対策では、待機児童ばかり注目され、
一番やらないと結婚成約の向上や出生率に関しては
議論すると非難されるという特殊社会現象になり、
それでいて、LGBTQい関してはOKという。
国際会議で日本の総理が演壇に立つと
なぜか10兆円規模の支援を突然表明する。
日本のGDPがなかなか他国と較べて上がらないのは、
日本人の働き方の生産性が低いとされる。
どう考えても制度・法律の問題である。
悪法と悪制度が外国や大企業や高額所得者を潤し、
庶民から絞りとる。
西郷の言う「其の人」という善き人という
政治家や官僚はいるのだろうか?
西郷の言う善き人がつくる制度方法は
140年たったら却って悪い方向に行っていると感じる次第です。
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修身や道徳の視点では必見の本です。
2022年08月21日
第19訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第19訓を垣間見てみます。
序文
上に立つと、大切な謙虚さや
人からの受けいるのが怠りがちです。
それを戒め人の意見の重要さを示している遺訓であります。
原文
古より、君臣共に己れを、足れりとする世に、
治功の上りたるはあらず。
自分を足れりとせざるより、
下々の言も聴き入れるもの也。
己れを足れりとすれば、人己れの非を言へば、
忽ち怒るゆえ、賢人君子は之を助けぬなり。
仮名入り
いにしえ くしんとも おの た よ
古より、君臣共に己れを、足れりとする世に、
ちこう あが
治功の上りたるはあらず。
じぶん た
自分を足れりとせざるより、
しもじも げん き い なり
下々の言も聴き入れるもの也。
おのれ た ひとおのれ ひ い
己れを足れりとすれば、人己れの非を言へば、
たちまち いか けんじんくし これ たす
忽ち怒るゆえ、賢人君子は之を助けぬなり。
私流訳
古来より、君主や家臣や大臣など自分が完全で
足りないものはない行われた政治の時代では、
うまく治まった時代はない。
自分は不完全であり、戒める心があるこそ、
下々の言葉にも聞き入れるのである。
自分が完全だと思っているとき、
人が自分に欠点や過失を指摘して忠告しても
すぐに怒ってしまうので、
賢人や君子というような立派な人は、
おごり高ぶっている者に対しては
決して味方はしないものである。
私流解釈
西郷が下級武士の時に、薩摩藩に意見書を何通もだしており、
それを藩主の島津斉彬が目にしたから、西郷の出世につながった。
もし、西郷の意見書が斉彬が目にしなかったら、
西郷は明治の維新の志士になりえなかったです。
下の意見にもいろいろあります。
いい意見もあれば、単にワガママな意見、利権にそった意見など様々であります。
時には、トップが進むべきことを突き進むことも必要であります。
しかし、その間違いがある場合は修正をかける懐の深さも必要です。
政治家のみならず、個人でもこの遺訓は考え深いものと感じる次第であります。
現代に顧みて
古今東西の歴史をみると、独裁国家は70年以上存在しません。
なぜなら、どんな独裁君主でもその寿命があるからです。
そんな独裁君主は後継者づくりや存続の組織がうまくいかない。
近年で言えばソビエト連邦がいい例であります。
その他の独裁国家は、孤立した国家であり、何らかの制裁を受けないといけない宿命であります。
しかし、中国やロシアにみるとその状況は違う形なりました。
これらの国は情報機関を持っており、宇宙衛星やサイバーでの情報収集もしっかりします。
そして、それらを分析する優秀な人材と予算を持っています。
独裁国家の弱点を見事に克服しており、
経済は金儲けの原則である資本主義経済を取り入れております。
よって中国やロシアは最強の組み合わせをしています。
日本や米国やEUなどは、民主主義なので、
どうしても議会や国民の声を無視できない体制であるから、
中国・ロシアに比べると決断から実行が遅いわけであります。
しかし、国民のかけがえのない自由は保証されているのが何よりであります。
民主主義国家でも、下々の声を聞いているといるかと言うと疑問であります。
大半は、経済的な優位な企業や選挙の票に頼りになる団体の意見が優勢で、
日本においては、それに付け加えると米国や中国の意見に左右されているのが実情であります。
日本のEEZにミサイルに落とされたのに非難声明もださず、
RECEPやWTOなどの経済国際条約を何の制約もなく中国と行っています。
国内の税金も無茶苦茶であります。
国民や知識人にも散々消費税の悪害をいっても何の聞く耳をもたず、
財政危機を理由に公共事業もなかなかできずにいるが、
COP26やG7などでは、岸田総理はいきなり10兆円規模の支出を発表する。
国民と外国のどっちが大事なのか、それを白黒はっきりする選挙では自民党が大勝する。
下々の声を聞くトップも必要ですが、
下々がしっかり考え選挙に行くことも大切と感じる次第であります。
最後まで読んで頂きまして有難うございます。
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稲盛和夫の南洲翁遺訓の解説本
経営者の視点では素晴らしい本です。
森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第19訓を垣間見てみます。
序文
上に立つと、大切な謙虚さや
人からの受けいるのが怠りがちです。
それを戒め人の意見の重要さを示している遺訓であります。
原文
古より、君臣共に己れを、足れりとする世に、
治功の上りたるはあらず。
自分を足れりとせざるより、
下々の言も聴き入れるもの也。
己れを足れりとすれば、人己れの非を言へば、
忽ち怒るゆえ、賢人君子は之を助けぬなり。
仮名入り
いにしえ くしんとも おの た よ
古より、君臣共に己れを、足れりとする世に、
ちこう あが
治功の上りたるはあらず。
じぶん た
自分を足れりとせざるより、
しもじも げん き い なり
下々の言も聴き入れるもの也。
おのれ た ひとおのれ ひ い
己れを足れりとすれば、人己れの非を言へば、
たちまち いか けんじんくし これ たす
忽ち怒るゆえ、賢人君子は之を助けぬなり。
私流訳
古来より、君主や家臣や大臣など自分が完全で
足りないものはない行われた政治の時代では、
うまく治まった時代はない。
自分は不完全であり、戒める心があるこそ、
下々の言葉にも聞き入れるのである。
自分が完全だと思っているとき、
人が自分に欠点や過失を指摘して忠告しても
すぐに怒ってしまうので、
賢人や君子というような立派な人は、
おごり高ぶっている者に対しては
決して味方はしないものである。
私流解釈
西郷が下級武士の時に、薩摩藩に意見書を何通もだしており、
それを藩主の島津斉彬が目にしたから、西郷の出世につながった。
もし、西郷の意見書が斉彬が目にしなかったら、
西郷は明治の維新の志士になりえなかったです。
下の意見にもいろいろあります。
いい意見もあれば、単にワガママな意見、利権にそった意見など様々であります。
時には、トップが進むべきことを突き進むことも必要であります。
しかし、その間違いがある場合は修正をかける懐の深さも必要です。
政治家のみならず、個人でもこの遺訓は考え深いものと感じる次第であります。
現代に顧みて
古今東西の歴史をみると、独裁国家は70年以上存在しません。
なぜなら、どんな独裁君主でもその寿命があるからです。
そんな独裁君主は後継者づくりや存続の組織がうまくいかない。
近年で言えばソビエト連邦がいい例であります。
その他の独裁国家は、孤立した国家であり、何らかの制裁を受けないといけない宿命であります。
しかし、中国やロシアにみるとその状況は違う形なりました。
これらの国は情報機関を持っており、宇宙衛星やサイバーでの情報収集もしっかりします。
そして、それらを分析する優秀な人材と予算を持っています。
独裁国家の弱点を見事に克服しており、
経済は金儲けの原則である資本主義経済を取り入れております。
よって中国やロシアは最強の組み合わせをしています。
日本や米国やEUなどは、民主主義なので、
どうしても議会や国民の声を無視できない体制であるから、
中国・ロシアに比べると決断から実行が遅いわけであります。
しかし、国民のかけがえのない自由は保証されているのが何よりであります。
民主主義国家でも、下々の声を聞いているといるかと言うと疑問であります。
大半は、経済的な優位な企業や選挙の票に頼りになる団体の意見が優勢で、
日本においては、それに付け加えると米国や中国の意見に左右されているのが実情であります。
日本のEEZにミサイルに落とされたのに非難声明もださず、
RECEPやWTOなどの経済国際条約を何の制約もなく中国と行っています。
国内の税金も無茶苦茶であります。
国民や知識人にも散々消費税の悪害をいっても何の聞く耳をもたず、
財政危機を理由に公共事業もなかなかできずにいるが、
COP26やG7などでは、岸田総理はいきなり10兆円規模の支出を発表する。
国民と外国のどっちが大事なのか、それを白黒はっきりする選挙では自民党が大勝する。
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2022年08月18日
第18訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第18訓を垣間見てみます。
序文
屈辱や理不尽なことを言われたら、
国家が倒れても正道・道義を果たすこと。
こういった気概があった日本はどこにいったのだろうか?
原文
談国事に及びし時、慨然として申されけるは、
国の凌辱せらるるに当たりては、縦令国を以て斃るとも、
正道を践み、義を尽すは政府の本務也。
然るに平日、金穀理財の事を議するを聞けば、
如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、
血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、
唯目前の苟安を謀るのみ、
戦の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、
商法支配所と申すものにて、更に政府には非ざる也。
仮名入り
だんこくじ およぶ とき がいぜん もう
談国事に及びし時、慨然として申されけるは、
くに りょうじょく あ たとえくに もっ たお
国の凌辱せらるるに当たりては、縦令国を以て斃るとも、
せいどう ふ ぎ つく せいふ ほんむなり
正道を践み、義を尽すは政府の本務也。
しか へいじつ きんこくりざい こと ぎ き
然るに平日、金穀理財の事を議するを聞けば、
いか えいゆうごうけつ み
如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、
ち で こと のぞ こうべ いっしょ あつ
血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、
ただもくぜん こうあん はか
唯目前の苟安を謀るのみ、
いくさ いちじ おそ せいふ ほんむ おと
戦の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、
しょうほうしはいじょ もう さら せいふ あら なり
商法支配所と申すものにて、更に政府には非ざる也。
私流訳
話が国家のことに及んだ時、西郷は憤り嘆いて言われるには、
国が外国から傷つけれ、辱めを受けるようになったら、
たとえ国全体でかかって倒れようとも、
正しい道を踏み、道義を貫き通すことが政府の本来の責務であると言っている。
例えば普段、財務や農業政策や経済政策を議論を聞いていると、
素晴らしい知力や才能に溢れ、度胸のあると見える人物が、
血の流れるような問題に接すると、寄り集まって、額をつきあわせて
ただ目の前の一時的な気やすめのものになるばかりであり
「戦」の一字を恐れ、政府の本来の責務を貶めることがあれば、
商売人が利潤のみを追求するようなものであり、国家の政府とは到底言えない。
私流解釈
この遺訓の背景は明治6年1873年の征韓論である。
日本は朝鮮に使節団を送ったが、日本が西洋かぶりになり、
その対応も納得がいかないということで、軽蔑し、
当時の在留日本人を冷遇しました。
そこで、西郷は一人で行き朝鮮と交渉にいくということでしたが、
岩倉使節団が日本に戻った時に、西郷の案は否決されました。
この遺訓にその怒りも感じるところであります。
ですが、西郷は政府の本分という正道をいつも持っており、
それが彼の指針になっていますし、それが本来、日本が目指すことであります。
もし、この時に朝鮮との交渉が何らかできれば、
後の朝鮮と清も交えた日清戦争もなかったでしょう。
その時の怯えが後の軍事の血と戦費が代償になってしまいました。
外国から恥辱を受けたら毅然とした態度でそれに反論し、
正道を踏み、道義を貫き通すことを感じさせられます。
いつの時代にもそういった人物が必要であります。
個人におきましては、この遺訓の国家を会社とか、クラブとか、
家に置き換えてみると応用できるかと思います。
自分がだれかに傷つけれられたり、
辱めをうけたり、悪口を言われたり、
その時は、自分の全部を賭けて立ち向かえば
道が開けるのではないかと思います。
どうせ、他人に言いくるめられることであれば、
自分の正道・道義をだしてやる。
うまくいかないかもしれませんが、
後悔はしないと感じる次第であります\(^o^)。
現代に顧みて
先の大戦では、戦争に勝つという目標は達成できなかったが、
大東亜共栄圏のアジア諸国を西欧からの列強から
開放するという目的な達成した。
このことだけでも誇れるものであるが、
戦後は、日本のいいところや過去の歴史のいいところを口にすると右翼扱いされ、非難された。
先の大戦で日本は他国に迷惑をかけて、謝罪や支援を続けなければならないということを教えられ、
自らの国を愛する言葉や行為もなかなか表現できない国であった。
戦後一貫して日本の政治家はこういったことに敏感であり、
自らを自戒して、他国のありもしないことまで受け入れ
謝罪をし、行為を改めた。
こういったことが他国の思い通りになり、
日本の気質がどんどんなくなり、
教科書は日本が悪いことをした国のようなことを紹介し、
他国の素晴らしいことを賛美し、
グローバルルールに従うことが我が国の指針のように
ゴキブリの卵のような太陽光パネル
まわりと異質な気色の悪い風車で日本の田園風景や森や田畑がなくなっていく。
WTOのルールの名目で、中国・台湾・韓国の企業が闊歩し
日本の土地が貪り食われており、
それを規制する法律ができても公明党が骨抜きにしてしまい、
正論を世に示すメディアは口を紡ぐのが日本である。
ネットや一部メディアや参政党やNHK党ぐらいである。
自民党はもう日本の庶民に目を向けてはいない。
経団連・大手企業や・米国・中国に向いており、
一般庶民は給与は上がらず、税金や恩恵がほとんどない強制社会保障料を搾取され、
所得の多い人や大企業は減税になり、補助金が様々に用意されている。
600万以上する電気自動車に優遇補助金があるのに、
軽自動車には、補助金はまったくなしであります。
それでGDPが上がり、日本国民地位向上になるかというと
ここで20年での世界の中での経済成長は最下位クラスになってしまった。
そして政府やメディアは、日本人は生産性が低いとか、能力が低いとか働き方が悪いとか言いうが
日本から製造企業を海外に移転させたり、技能や知的財産を盗まれてもそれを処罰がなかったり、
世界一高い電気代や減価償却の悪性計算式で海外企業に立ち向かえなくしているのは政府であり、
しかも、この改正は今の自民党の国会の議席数を考えれば数ヶ月ですべて改正することは可能であります。
なぜしないのか、正道よりも自分の利益と当選の確約で動いているからです。
2025年まで国会議員の選挙はありませんが、
地方選挙などでは、国の本務を全うできる人を投票することと、
真に日本を憂いたこの遺訓や誇りを学び
この日本が良くなることを信じる次第であります。
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南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第18訓を垣間見てみます。
序文
屈辱や理不尽なことを言われたら、
国家が倒れても正道・道義を果たすこと。
こういった気概があった日本はどこにいったのだろうか?
原文
談国事に及びし時、慨然として申されけるは、
国の凌辱せらるるに当たりては、縦令国を以て斃るとも、
正道を践み、義を尽すは政府の本務也。
然るに平日、金穀理財の事を議するを聞けば、
如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、
血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、
唯目前の苟安を謀るのみ、
戦の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、
商法支配所と申すものにて、更に政府には非ざる也。
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談国事に及びし時、慨然として申されけるは、
くに りょうじょく あ たとえくに もっ たお
国の凌辱せらるるに当たりては、縦令国を以て斃るとも、
せいどう ふ ぎ つく せいふ ほんむなり
正道を践み、義を尽すは政府の本務也。
しか へいじつ きんこくりざい こと ぎ き
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ち で こと のぞ こうべ いっしょ あつ
血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、
ただもくぜん こうあん はか
唯目前の苟安を謀るのみ、
いくさ いちじ おそ せいふ ほんむ おと
戦の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、
しょうほうしはいじょ もう さら せいふ あら なり
商法支配所と申すものにて、更に政府には非ざる也。
私流訳
話が国家のことに及んだ時、西郷は憤り嘆いて言われるには、
国が外国から傷つけれ、辱めを受けるようになったら、
たとえ国全体でかかって倒れようとも、
正しい道を踏み、道義を貫き通すことが政府の本来の責務であると言っている。
例えば普段、財務や農業政策や経済政策を議論を聞いていると、
素晴らしい知力や才能に溢れ、度胸のあると見える人物が、
血の流れるような問題に接すると、寄り集まって、額をつきあわせて
ただ目の前の一時的な気やすめのものになるばかりであり
「戦」の一字を恐れ、政府の本来の責務を貶めることがあれば、
商売人が利潤のみを追求するようなものであり、国家の政府とは到底言えない。
私流解釈
この遺訓の背景は明治6年1873年の征韓論である。
日本は朝鮮に使節団を送ったが、日本が西洋かぶりになり、
その対応も納得がいかないということで、軽蔑し、
当時の在留日本人を冷遇しました。
そこで、西郷は一人で行き朝鮮と交渉にいくということでしたが、
岩倉使節団が日本に戻った時に、西郷の案は否決されました。
この遺訓にその怒りも感じるところであります。
ですが、西郷は政府の本分という正道をいつも持っており、
それが彼の指針になっていますし、それが本来、日本が目指すことであります。
もし、この時に朝鮮との交渉が何らかできれば、
後の朝鮮と清も交えた日清戦争もなかったでしょう。
その時の怯えが後の軍事の血と戦費が代償になってしまいました。
外国から恥辱を受けたら毅然とした態度でそれに反論し、
正道を踏み、道義を貫き通すことを感じさせられます。
いつの時代にもそういった人物が必要であります。
個人におきましては、この遺訓の国家を会社とか、クラブとか、
家に置き換えてみると応用できるかと思います。
自分がだれかに傷つけれられたり、
辱めをうけたり、悪口を言われたり、
その時は、自分の全部を賭けて立ち向かえば
道が開けるのではないかと思います。
どうせ、他人に言いくるめられることであれば、
自分の正道・道義をだしてやる。
うまくいかないかもしれませんが、
後悔はしないと感じる次第であります\(^o^)。
現代に顧みて
先の大戦では、戦争に勝つという目標は達成できなかったが、
大東亜共栄圏のアジア諸国を西欧からの列強から
開放するという目的な達成した。
このことだけでも誇れるものであるが、
戦後は、日本のいいところや過去の歴史のいいところを口にすると右翼扱いされ、非難された。
先の大戦で日本は他国に迷惑をかけて、謝罪や支援を続けなければならないということを教えられ、
自らの国を愛する言葉や行為もなかなか表現できない国であった。
戦後一貫して日本の政治家はこういったことに敏感であり、
自らを自戒して、他国のありもしないことまで受け入れ
謝罪をし、行為を改めた。
こういったことが他国の思い通りになり、
日本の気質がどんどんなくなり、
教科書は日本が悪いことをした国のようなことを紹介し、
他国の素晴らしいことを賛美し、
グローバルルールに従うことが我が国の指針のように
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まわりと異質な気色の悪い風車で日本の田園風景や森や田畑がなくなっていく。
WTOのルールの名目で、中国・台湾・韓国の企業が闊歩し
日本の土地が貪り食われており、
それを規制する法律ができても公明党が骨抜きにしてしまい、
正論を世に示すメディアは口を紡ぐのが日本である。
ネットや一部メディアや参政党やNHK党ぐらいである。
自民党はもう日本の庶民に目を向けてはいない。
経団連・大手企業や・米国・中国に向いており、
一般庶民は給与は上がらず、税金や恩恵がほとんどない強制社会保障料を搾取され、
所得の多い人や大企業は減税になり、補助金が様々に用意されている。
600万以上する電気自動車に優遇補助金があるのに、
軽自動車には、補助金はまったくなしであります。
それでGDPが上がり、日本国民地位向上になるかというと
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そして政府やメディアは、日本人は生産性が低いとか、能力が低いとか働き方が悪いとか言いうが
日本から製造企業を海外に移転させたり、技能や知的財産を盗まれてもそれを処罰がなかったり、
世界一高い電気代や減価償却の悪性計算式で海外企業に立ち向かえなくしているのは政府であり、
しかも、この改正は今の自民党の国会の議席数を考えれば数ヶ月ですべて改正することは可能であります。
なぜしないのか、正道よりも自分の利益と当選の確約で動いているからです。
2025年まで国会議員の選挙はありませんが、
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2022年08月14日
第17訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
第17訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第17訓を垣間見てみます。
序文
毅然とした態度の重要性を感じる遺訓であります。
国家間だけでなく、人と人でも応用できる遺訓であります。
原文
正道を踏み、国を以て斃るるの精神無くば、
外国交際は全かる可からず。
彼の強大に畏縮し、円滑を主として、
曲げて彼の意に従順する時は、
軽侮を招き、好親却て破れ、
終に彼の制を受るに至らん。
仮名入り
せいどう ふ くに もっ たお せいしんな
正道を踏み、国を以て斃るるの精神無くば、
がいこくこうさい まった べ
外国交際は全かる可からず。
か きょうだい いしゅく えんかつ しゅ
彼の強大に畏縮し、円滑を主として、
ま か い じょうじゅん とき
曲げて彼の意に従順する時は、
けいぶ まね こうしんかって やぶ
軽侮を招き、好親却て破れ、
つい か せい うく いた
終に彼の制を受るに至らん。
私流訳
外交交渉は正道、天道を踏んで、
勇気をもって交渉しなければならない、
たとえ、戦争になって国が倒れるかもしれないという危険性があっても、
正道を推し進めて交渉事をしなければ全うすることはできない。
他国の強大なことに萎縮して恐れをなして、
ただ波風が立たないよう納めることを主として、
自国の正しい真意を曲げて、摩擦をおこさないように
その国に従い受け入れてしまうと、
弱腰に見られ軽蔑や見下げられるようになってしまい、
国家間の良好な関係をするつもりがかえって変になってしまい。
終には、他国から好き放題に干渉されてしまう。
私流解釈
西郷の生前は、まだ明治憲法も日清戦争も日露戦争も行わなれていない。
その時代に「国を以て斃るる」ということを想定したこの遺訓は、すごい気迫であります。
西郷は武士であり、戊辰戦争の指揮官であり政治家でマルチであります。
しかも、江戸無血開城を果たし、単に、武力で行使するよりも、
日本のことを俯瞰できる素晴らしい人物であります。
その西郷が国内で培った能力をそのまま外国を向けた場合も同じであります。
西郷の言葉には、「正道」「天道」という言葉がよく使われます。
正しいことをやり、弱気を助け、天に恥じないことをすることが、
西郷の物差しと考える次第です。
これに一致することは、西郷は、子供の頃から我が命を投げ売ってやってきました。
その艱難辛苦な西郷の経験が、これと思ったことは生死の区分もなく、
自らが無心で行うことが以外に、ことをやり遂げた絶対的な自信ともいえます。
人も国もそういった気概なくして、大きなことはやり遂げることはできないでしょう。
古今東西に大きな戦いや交渉には必ずそういった将軍や政治家がいました。
それを、するどく表現した遺訓であります。
この遺訓は、国家間のみならず、個人でも応用できるかと思います。
人は、一度は我が生命を賭けてとか、
子供の命のために自分の命を顧みずとか、
様々な経験があるかもしれません。
自分が命よりも大切なものに、自分のすべてを賭けることができる人は
どの時代でも痛快さを感じる次第であります。
現代に顧みて
戦後、我が国の外国との交渉はハチャメチャであります。
唯一は、安倍元総理の「開かれたインド太平洋構想」であります。
それ以外は、皆無であります。
政府開発援助といって海外の後進国に援助したものの
その最大の恩恵国の中国には、ミサイルは向けられるは・戦後問題は難癖されるは。
韓国は、もう書く気もありません。
米国とは、同盟国であってもいいなりであります。
経済政策においても、やたら構造改革や関税撤廃などをやり、
大店法改正で町中の商店は消え、
自由貿易のため安さが一番の力で、国内製造業は国内に留まることができず、
自国の国民や企業よりも国際会議の決議にのり、
田園風景豊かなこの日本にゴキブリな卵のような太陽光パネルがおかれ、
そのツケはすべて、一般庶民にまわされる。
生産性が低いとか、採算性が悪いとか、能力が劣るとか言って
政治の悪さの結果を日本国内の労働者のせいにして、
お金が足りなくなると増税をし、
それで岸田政権は国際会議でちょっといいとこをみせるために
Cop26で10兆円、こないだのG7で10兆円を支援
その金は円建てなので、日本の大企業が事業受け皿になります。
それで、一番困窮している中小企業に対しては何の支援もなく
個別で政策銀行に丸投げをして、それには何の予算もない。
今回の第二次岸田政権では外交交渉の要の外務大臣には
親中派の林芳正がまたなりました。
日本のEEZで何の声明も反論もしない最悪であります。
この第17訓をそのまま岸田政権の大臣に読んで頂きたい次第です。
最後まで読んで頂きまして有難うございます。
押して頂くと励みになります。
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稲盛和夫の南洲翁遺訓の解説本
経営者の視点では素晴らしい本です。
森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第17訓を垣間見てみます。
序文
毅然とした態度の重要性を感じる遺訓であります。
国家間だけでなく、人と人でも応用できる遺訓であります。
原文
正道を踏み、国を以て斃るるの精神無くば、
外国交際は全かる可からず。
彼の強大に畏縮し、円滑を主として、
曲げて彼の意に従順する時は、
軽侮を招き、好親却て破れ、
終に彼の制を受るに至らん。
仮名入り
せいどう ふ くに もっ たお せいしんな
正道を踏み、国を以て斃るるの精神無くば、
がいこくこうさい まった べ
外国交際は全かる可からず。
か きょうだい いしゅく えんかつ しゅ
彼の強大に畏縮し、円滑を主として、
ま か い じょうじゅん とき
曲げて彼の意に従順する時は、
けいぶ まね こうしんかって やぶ
軽侮を招き、好親却て破れ、
つい か せい うく いた
終に彼の制を受るに至らん。
私流訳
外交交渉は正道、天道を踏んで、
勇気をもって交渉しなければならない、
たとえ、戦争になって国が倒れるかもしれないという危険性があっても、
正道を推し進めて交渉事をしなければ全うすることはできない。
他国の強大なことに萎縮して恐れをなして、
ただ波風が立たないよう納めることを主として、
自国の正しい真意を曲げて、摩擦をおこさないように
その国に従い受け入れてしまうと、
弱腰に見られ軽蔑や見下げられるようになってしまい、
国家間の良好な関係をするつもりがかえって変になってしまい。
終には、他国から好き放題に干渉されてしまう。
私流解釈
西郷の生前は、まだ明治憲法も日清戦争も日露戦争も行わなれていない。
その時代に「国を以て斃るる」ということを想定したこの遺訓は、すごい気迫であります。
西郷は武士であり、戊辰戦争の指揮官であり政治家でマルチであります。
しかも、江戸無血開城を果たし、単に、武力で行使するよりも、
日本のことを俯瞰できる素晴らしい人物であります。
その西郷が国内で培った能力をそのまま外国を向けた場合も同じであります。
西郷の言葉には、「正道」「天道」という言葉がよく使われます。
正しいことをやり、弱気を助け、天に恥じないことをすることが、
西郷の物差しと考える次第です。
これに一致することは、西郷は、子供の頃から我が命を投げ売ってやってきました。
その艱難辛苦な西郷の経験が、これと思ったことは生死の区分もなく、
自らが無心で行うことが以外に、ことをやり遂げた絶対的な自信ともいえます。
人も国もそういった気概なくして、大きなことはやり遂げることはできないでしょう。
古今東西に大きな戦いや交渉には必ずそういった将軍や政治家がいました。
それを、するどく表現した遺訓であります。
この遺訓は、国家間のみならず、個人でも応用できるかと思います。
人は、一度は我が生命を賭けてとか、
子供の命のために自分の命を顧みずとか、
様々な経験があるかもしれません。
自分が命よりも大切なものに、自分のすべてを賭けることができる人は
どの時代でも痛快さを感じる次第であります。
現代に顧みて
戦後、我が国の外国との交渉はハチャメチャであります。
唯一は、安倍元総理の「開かれたインド太平洋構想」であります。
それ以外は、皆無であります。
政府開発援助といって海外の後進国に援助したものの
その最大の恩恵国の中国には、ミサイルは向けられるは・戦後問題は難癖されるは。
韓国は、もう書く気もありません。
米国とは、同盟国であってもいいなりであります。
経済政策においても、やたら構造改革や関税撤廃などをやり、
大店法改正で町中の商店は消え、
自由貿易のため安さが一番の力で、国内製造業は国内に留まることができず、
自国の国民や企業よりも国際会議の決議にのり、
田園風景豊かなこの日本にゴキブリな卵のような太陽光パネルがおかれ、
そのツケはすべて、一般庶民にまわされる。
生産性が低いとか、採算性が悪いとか、能力が劣るとか言って
政治の悪さの結果を日本国内の労働者のせいにして、
お金が足りなくなると増税をし、
それで岸田政権は国際会議でちょっといいとこをみせるために
Cop26で10兆円、こないだのG7で10兆円を支援
その金は円建てなので、日本の大企業が事業受け皿になります。
それで、一番困窮している中小企業に対しては何の支援もなく
個別で政策銀行に丸投げをして、それには何の予算もない。
今回の第二次岸田政権では外交交渉の要の外務大臣には
親中派の林芳正がまたなりました。
日本のEEZで何の声明も反論もしない最悪であります。
この第17訓をそのまま岸田政権の大臣に読んで頂きたい次第です。
最後まで読んで頂きまして有難うございます。
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2022年08月07日
第16訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第16訓を垣間見てみます。
序文
道義を守り、恥を知る心を失うようであれば
国すらも滅んでしまう。
人においても同じことだと思える遺訓であります。
原文
節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決して有らず、
西洋各国同然なり。
上に立つ者下に臨みて、利を争ひ義を忘るる時は、
下皆之に倣ひ、人心忽ち財利に趨り、卑吝の情日々長じ、
節義廉恥の志操を失ひ、父子兄弟の間も銭財を争ひ、
相ひ讐視するに至る也。
此の如く成り行かば、何を以て国家を維持す可きぞ。
徳川氏は将士の猛き心を殺ぎて世を治めしか共、
今は昔時戦国の猛士より、猶一層猛き心を、
振ひ起さずば、万国対峙は成る間敷也。
普仏の戦、仏国三十万の兵三カ月の糧食有りて降伏せしは、
余り算盤に精しき故なりとて笑はれき。
仮名入り
せつぎれんち うしな くに いじ みちけっ あ
節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決して有らず、
せいようかっこくどうぜん
西洋各国同然なり。
うえ た ものした のぞ り あたそ ぎ わす とき
上に立つ者下に臨みて、利を争ひ義を忘るる時は、
しみなこれ なら じんしんたちま ざいり はし ひりん じょうひびちょう
下皆之に倣ひ、人心忽ち財利に趨り、卑吝の情日々長じ、
せつぎれんち しそう うしな ふしけいてい あいだ ぜんざい あらそ
節義廉恥の志操を失ひ、父子兄弟の間も銭財を争ひ、
あ しゅうし いた なり
相ひ讐視するに至る也。
かく ごと な ゆ なに もっ こっか いじ べ
此の如く成り行かば、何を以て国家を維持す可きぞ。
とくがわし しょうし たけ こころ そ よ おさ とも
徳川氏は将士の猛き心を殺ぎて世を治めしか共、
いま せきじせんごく もうし なおいっそうたけ こころ
今は昔時戦国の猛士より、猶一層猛き心を、
ふる おこ ばんこくたいじ な まじきなり
振ひ起さずば、万国対峙は成る間敷也。
ふふつ いくさ ふっこくさんじゅうまん へい りょうしょくあ こうふくし
普仏の戦、仏国三十万の兵三カ月の糧食有りて降伏せしは、
あま そろばん くわ ゆえ わら
余り算盤に精しき故なりとて笑はれき。
私流訳
道義を守り、恥を知る心を失うようであれば
国家を維持することは絶対できない。
西洋各国もすべての国同じである。
上に断つものが下のものに対して、自分の利益のことで争い、
道義を忘れるようなことがあれば、
下の者もまたこれに習うようになって、人々の心はたちまち利益や欲望に向かい、
品性が卑しくケチな心が日に日に増長し、人として正しい道を守り、
心が清らかで恥を知る心の節操を失い、
親子兄弟の間も財産を争い、
道義を守り、恥を知る心を失って親子兄弟の間も財産を争い、
互いに敵視するようになってしまう。
このようになったら、どんなことをしようとも国家を維持することはできない。
徳川幕府の時代は、武士の勇猛な心を抑えて世の中を統治したが、
今の時代は、昔の戦国時代に活躍した勇猛な武将や武士よりも、なおいっそうな勇猛心を
奮い起こさなければ、世界のあらゆる国と渡り合うことができない。
普、仏戦争のとき、フランスが三十万の兵と三ケ月の
食糧が在ったにもかかわらず降伏したのは、
あまりにもフランスの指導者が計算高く、
自分の保身や財産を守ることに躍起になったからだど言って、
西郷は笑われた。
私流解釈
せつぎれんち
「節義廉恥」という難しい漢字で始まりますが、
節義とは、人としての正しい道を守りとおすこと。
廉恥とは、心が清らかで、恥を知る心が強いこと。
節義はだいだいわかるとおもいますが、
廉恥は現代でも別の使い方でよく使います。
廉恥の前に破をつけると
破廉恥となり、ハレンチとなりますね。
ハレンチは、今でも使いますが、漢字で使う方はほとんどいないと思います。
カタカナでよく使いますが、明治時代から使われた言葉です。
私は「道義を守り、恥を知る心」と訳していますが
このことは、人としての基本とも感じる次第です。
西郷はこれを失うと国家を維持することはできないと言っていますが
国家のみならず、会社・学校・家庭でも同じだと感じる次第です。
このことを失うと結局は自分だけが儲ければいいとか、
自分だけが少し悪いことしてもいいとか、
自分の好きなことをやって、他の人をまったく考慮しないとか
ろくなことになりません。
特に能力のある人こそ、節義廉恥を持ってもらいたいものです。
社会的な影響がでやすいからです。
だが、能力がなくても、社会的な地位がなくても
節義廉恥の心を持って、前に進めば世界と渡り合えると
西郷は言っています。
心強い言葉でありますね。
これと似た言葉を福沢諭吉も言っています。
思想の深遠なるは、哲学者の如く、
心術の高尚正直なるは、元禄武士の如くにして、
これに加うるに小俗吏の才を持ってし、
さらに加うるに土百姓の体をもってして、
初めて実業社会の大人たるべし。
西郷も福沢も
心の持ち方の素晴らしさを持ち
勇猛で最大パワーでとりかかれと
言っていますね。
国家の上だけでなく、
個人でも十分にこの遺訓の言葉は
指針になると感じます。
現代に顧みて
この遺訓を垣間見ますと
一番の危惧するのが、今の米国です。
2020年の米大統領選挙は史上最悪のお粗末な選挙でした。
何の取り柄も人気がないバイデンが
米国史上最多の7145万票で当選。
あのオバマでさえ6949万票です。
開票の職員が不正をした様子や中国から大量の正規なものとは思えない郵送の投票用紙などの様子が大量に送られた記事やYouTubeが公表された。
しかし、米国の各州は不正はなかったと報告し、
Googleの検索の中ではこれはおかしいとか不正とかのキーワードを入れてもでてこないとか、
YouTubeでは、そういった内容が閲覧不可になったり、アカウントが削除になったり、
FaceBook・Twitterも同じことである。
逆にトランプは犯罪者に扱いされ、トランプ支持者の普通の米国国民が弾圧され、
その弾圧にIT企業も弾圧を加速させた。
それで、バイデンがいい政治をやってるかというと
これも史上最多のわがまま大統領令を乱発し、
移民や同性愛者の地位のために、まじめな国民が抑圧され、
ばら撒きのため、インフレが起き、ばら撒きのため働く意欲が衰え、
環境問題のために、世界的なエネルギー高騰と太陽光発電や風力発電の設置で自然環境破壊が行われ、
新たな環境問題規制やCOP26の制約で既存の産業が失速し、
それを無視して生産を続ける中国が世界の富をさらに増やすことになった。
まさに節義廉恥を忘れた人が国家のトップになると
その地方もそれに習い、
その国の企業もそれに習い、
その国の国民もそれに習い、
その同盟国もそれに習う。
それが、世界最大のGDPと軍事力を持つ米国がそうなったのである。
世界がおかしくなるのは無理もない。
まさに、この遺訓が書いてあることがビッタリ当てはまっている。
西郷のこの遺訓が過去のものであるが不文律のように感じる次第であります。
最後まで読んで頂きまして有難うございます。
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南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第16訓を垣間見てみます。
序文
道義を守り、恥を知る心を失うようであれば
国すらも滅んでしまう。
人においても同じことだと思える遺訓であります。
原文
節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決して有らず、
西洋各国同然なり。
上に立つ者下に臨みて、利を争ひ義を忘るる時は、
下皆之に倣ひ、人心忽ち財利に趨り、卑吝の情日々長じ、
節義廉恥の志操を失ひ、父子兄弟の間も銭財を争ひ、
相ひ讐視するに至る也。
此の如く成り行かば、何を以て国家を維持す可きぞ。
徳川氏は将士の猛き心を殺ぎて世を治めしか共、
今は昔時戦国の猛士より、猶一層猛き心を、
振ひ起さずば、万国対峙は成る間敷也。
普仏の戦、仏国三十万の兵三カ月の糧食有りて降伏せしは、
余り算盤に精しき故なりとて笑はれき。
仮名入り
せつぎれんち うしな くに いじ みちけっ あ
節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決して有らず、
せいようかっこくどうぜん
西洋各国同然なり。
うえ た ものした のぞ り あたそ ぎ わす とき
上に立つ者下に臨みて、利を争ひ義を忘るる時は、
しみなこれ なら じんしんたちま ざいり はし ひりん じょうひびちょう
下皆之に倣ひ、人心忽ち財利に趨り、卑吝の情日々長じ、
せつぎれんち しそう うしな ふしけいてい あいだ ぜんざい あらそ
節義廉恥の志操を失ひ、父子兄弟の間も銭財を争ひ、
あ しゅうし いた なり
相ひ讐視するに至る也。
かく ごと な ゆ なに もっ こっか いじ べ
此の如く成り行かば、何を以て国家を維持す可きぞ。
とくがわし しょうし たけ こころ そ よ おさ とも
徳川氏は将士の猛き心を殺ぎて世を治めしか共、
いま せきじせんごく もうし なおいっそうたけ こころ
今は昔時戦国の猛士より、猶一層猛き心を、
ふる おこ ばんこくたいじ な まじきなり
振ひ起さずば、万国対峙は成る間敷也。
ふふつ いくさ ふっこくさんじゅうまん へい りょうしょくあ こうふくし
普仏の戦、仏国三十万の兵三カ月の糧食有りて降伏せしは、
あま そろばん くわ ゆえ わら
余り算盤に精しき故なりとて笑はれき。
私流訳
道義を守り、恥を知る心を失うようであれば
国家を維持することは絶対できない。
西洋各国もすべての国同じである。
上に断つものが下のものに対して、自分の利益のことで争い、
道義を忘れるようなことがあれば、
下の者もまたこれに習うようになって、人々の心はたちまち利益や欲望に向かい、
品性が卑しくケチな心が日に日に増長し、人として正しい道を守り、
心が清らかで恥を知る心の節操を失い、
親子兄弟の間も財産を争い、
道義を守り、恥を知る心を失って親子兄弟の間も財産を争い、
互いに敵視するようになってしまう。
このようになったら、どんなことをしようとも国家を維持することはできない。
徳川幕府の時代は、武士の勇猛な心を抑えて世の中を統治したが、
今の時代は、昔の戦国時代に活躍した勇猛な武将や武士よりも、なおいっそうな勇猛心を
奮い起こさなければ、世界のあらゆる国と渡り合うことができない。
普、仏戦争のとき、フランスが三十万の兵と三ケ月の
食糧が在ったにもかかわらず降伏したのは、
あまりにもフランスの指導者が計算高く、
自分の保身や財産を守ることに躍起になったからだど言って、
西郷は笑われた。
私流解釈
せつぎれんち
「節義廉恥」という難しい漢字で始まりますが、
節義とは、人としての正しい道を守りとおすこと。
廉恥とは、心が清らかで、恥を知る心が強いこと。
節義はだいだいわかるとおもいますが、
廉恥は現代でも別の使い方でよく使います。
廉恥の前に破をつけると
破廉恥となり、ハレンチとなりますね。
ハレンチは、今でも使いますが、漢字で使う方はほとんどいないと思います。
カタカナでよく使いますが、明治時代から使われた言葉です。
私は「道義を守り、恥を知る心」と訳していますが
このことは、人としての基本とも感じる次第です。
西郷はこれを失うと国家を維持することはできないと言っていますが
国家のみならず、会社・学校・家庭でも同じだと感じる次第です。
このことを失うと結局は自分だけが儲ければいいとか、
自分だけが少し悪いことしてもいいとか、
自分の好きなことをやって、他の人をまったく考慮しないとか
ろくなことになりません。
特に能力のある人こそ、節義廉恥を持ってもらいたいものです。
社会的な影響がでやすいからです。
だが、能力がなくても、社会的な地位がなくても
節義廉恥の心を持って、前に進めば世界と渡り合えると
西郷は言っています。
心強い言葉でありますね。
これと似た言葉を福沢諭吉も言っています。
思想の深遠なるは、哲学者の如く、
心術の高尚正直なるは、元禄武士の如くにして、
これに加うるに小俗吏の才を持ってし、
さらに加うるに土百姓の体をもってして、
初めて実業社会の大人たるべし。
西郷も福沢も
心の持ち方の素晴らしさを持ち
勇猛で最大パワーでとりかかれと
言っていますね。
国家の上だけでなく、
個人でも十分にこの遺訓の言葉は
指針になると感じます。
現代に顧みて
この遺訓を垣間見ますと
一番の危惧するのが、今の米国です。
2020年の米大統領選挙は史上最悪のお粗末な選挙でした。
何の取り柄も人気がないバイデンが
米国史上最多の7145万票で当選。
あのオバマでさえ6949万票です。
開票の職員が不正をした様子や中国から大量の正規なものとは思えない郵送の投票用紙などの様子が大量に送られた記事やYouTubeが公表された。
しかし、米国の各州は不正はなかったと報告し、
Googleの検索の中ではこれはおかしいとか不正とかのキーワードを入れてもでてこないとか、
YouTubeでは、そういった内容が閲覧不可になったり、アカウントが削除になったり、
FaceBook・Twitterも同じことである。
逆にトランプは犯罪者に扱いされ、トランプ支持者の普通の米国国民が弾圧され、
その弾圧にIT企業も弾圧を加速させた。
それで、バイデンがいい政治をやってるかというと
これも史上最多のわがまま大統領令を乱発し、
移民や同性愛者の地位のために、まじめな国民が抑圧され、
ばら撒きのため、インフレが起き、ばら撒きのため働く意欲が衰え、
環境問題のために、世界的なエネルギー高騰と太陽光発電や風力発電の設置で自然環境破壊が行われ、
新たな環境問題規制やCOP26の制約で既存の産業が失速し、
それを無視して生産を続ける中国が世界の富をさらに増やすことになった。
まさに節義廉恥を忘れた人が国家のトップになると
その地方もそれに習い、
その国の企業もそれに習い、
その国の国民もそれに習い、
その同盟国もそれに習う。
それが、世界最大のGDPと軍事力を持つ米国がそうなったのである。
世界がおかしくなるのは無理もない。
まさに、この遺訓が書いてあることがビッタリ当てはまっている。
西郷のこの遺訓が過去のものであるが不文律のように感じる次第であります。
最後まで読んで頂きまして有難うございます。
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