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2022年04月19日

第7訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて 

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第7訓を垣間見てみます。


南洲翁遺訓 第7訓

原文

事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀を用う可からず。人多は事の指支ふる時に臨み、作略を用て一旦其の指支を通せば、跡は時宜次第工夫の出来る様に思へども、作略の煩ひ屹度生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以て之を行へば、目前には迂遠なる様なれども、先に行けば成功は早きもの也。



仮名入り
ことだいしょう な    せいどう ふ   しせい  お     いちじ さぼう   もち  べ
事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀を用う可からず。
ひとおお   こと  さしつか   とき  のぞ   さくりゃく もちい  いったんそ さしつかえ とお
人多くは事の指支ふる時に臨み、作略を用て一旦其の指支を通せば、
あと  じぎしだいくふう    でき    よう  おも      さくりゃく わずら きっとしょう
跡は時宜次第工夫の出来る様に思へども、作略の煩ひ屹度生じ、
ことかならず やぶ          せいどう もっ これ  おこな
事必ず敗るるものぞ。正道を以て之を行へば、
もくぜん   うえん     よう        さき  ゆ    せいこう  はや    なり
目前には迂遠なる様なれども、先に行けば成功は早きもの也。




私流訳

大きなことや日常の些細なことでも、正しい道を踏襲し、自分が思っている良きことを最大限に尽くし、一時の策略やズルいやり方を用いてはならない。
人は多くの場合、艱難辛苦に出会うと、何か策略ズルいやり方を使ってうまくやろうとするが、策略やズルいやり方した為にそのツケが生じて、その事は必ず失敗するものである。
正しい道を踏襲することは、目の前では回り道をしているようであるが、最初から正道を行ったほうが早く成功することができる。


私流解説

正道は、先人や多くの人生の先輩が切り開いて、それに続く人がさらに磨き上げた道である。
まずは、正道を歩むことであるが、そこに「至誠を推し」と西郷は言っている。
至誠の「至」は、夏至や冬至などに使われているように、太陽の限界点である。つまり。誠の限界であり、自分が思っている良きことの最大限を尽くすことが大切と説いていると私は解釈しました。
正道は一般的なものでは、法律・学問・一般常識や世間で正しいと思われるようなことでありますが、
ただ、これを真面目にやっても至誠にならないと感じるところであります。
そこに自分の最大限の創意工夫・努力・改善という自分の良きことを尽くすことが
至誠に到達すると感じる次第であります。
そして、それを常に習慣にするということで「一時の詐謀を用う可からず」と続いています。
正道と至誠を考えさせられる遺訓であります。



ここで、西郷が正道を歩んだ事例をあげたいと思います。
西郷の偉業の中に江戸無血開城がありますが、私は、西郷と勝海舟の二人だけの会談で、西郷の豪傑で胆力のある判断で、その場で決めたと思っていたのですが、調べてみると実に繊細に話し合っています。

江戸無血開城1.PNG



慶応4年 西暦1868年
3月 9日 駿府で、幕府側の山岡鉄舟と西郷と会見 江戸城明渡しと武装解除を含んだ7カ条を幕府側に提示。
3月13日 江戸で、西郷と勝海舟の第1回目の会見 7カ条の確認。
3月14日 江戸で、西郷と勝海舟の第2回目の会見 幕府側の回答。
3月15日 新政府側が江戸の総攻撃中止。英国公使パークスからの圧力があり。
3月16日 駿府で、大総督に報告し、その後に京都へ。
3月20~22日 京都で、朝議 慶喜の謹慎先は水戸藩を入れた修正7カ条
3月28日 横浜で、西郷は横浜にパークスを訪問し、新政権の処分案について説明。
4月4日 江戸城で、幕府側は田安慶頼と新政府側 西郷を含む代表団と最終会談ではあるが、
新政府側は勅使としての入城、4月11日に江戸城明渡しを含む5カ条の勅使を下した。
4月11日 江戸城 新政府に明渡し

江戸無血開城の一連の軍事作戦は、東征と言われた。
ここで東征の組織の体制をみると。
東征大総督 有栖川宮熾、
東海道先鋒総督 橋本実梁
東海道先鋒副総督 柳原前光
参謀 西郷隆盛 海江田信義
西郷隆盛は上から4番目の役職であるが、3月上旬から4月までの短期間で江戸無血開城を行い。
上の時系列でみると西郷が東海道を駆けずり回り、新政府幹部や幕府側と折衝を行い、
英国大使までも審議をほどこしたのである。
まさしく、正道を踏み、至誠で行い、
この間には、新政府側も幕府側も一滴の血も流さず世界史でもまれな無血革命というものを行ったのである。

江戸城門と桜.PNG


「事大小と無く」と遺訓の冒頭の言葉ではあるが、「小」を抜かりなく行い、遠回りのうように見えて、
面倒くさいようなことでも行えば「大」を行えた痛快な事例であります。

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2022年04月01日

第6訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて 

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第6訓を垣間見てみます。


南洲翁遺訓 第6訓

原文
人材を採用するに、君子小人の弁酷に過ぐる時は、却て害を引起すもの也。其の故は、開闢以来世上一般十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、其の長所を取り、之を小職に用い、其の材芸を尽さしむる也。東湖先生申されしは、「小人程才芸有て用便なれば、用いざればならぬもの也。去とて長官に居え、重職を授くれば、必ず邦家を覆すものゆえ、決して上には立てられぬものぞ」と也。

仮名入り
じんざい さいよう      くんししょうにん  べんこく  す    とき   かえっ がい ひきおこ     なり 
人材を採用するに、君子小人の弁酷に過ぐる時は、却て害を引起すもの也。

そ   ゆえ   かいびゃくいらいせじょういっぱんじゅう しちはち しょうにん    よ  しょうにん じょう さつ
其の故は、開闢以来世上一般十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、

そ  ちょうしょ と    これ しょうしょく もち   そ  ざいげい  つく       なり
其の長所を取り、之を小職に用い、其の材芸を尽さしむる也。

とうこせえんせいもう          しょうにんほどさいげい ようべん       もち                なり
東湖先生申されしは、「小人程才芸有て用便なれば、用いざればならぬもの也。

さ      ちょうかん す    じゅうしょく さず     かなら ほうか くつがえす
去りとて長官に居え、重職を授くれば、必ず邦家を覆すものゆえ、

けっ   うえ    た                 なり
決して上には立てられぬものぞ」と也。



明るい未来.PNG


私流訳
人材を採用する時、よくよく考慮しなければならない。
世の中には、君子と呼ばれる徳のある人格の高い人と小人と呼ぼれる、あまり徳や人格の低い人がいるが、その区別を厳しくするとかえって問題を引き起こしてしまう。
その理由は、この天地が始まって以来、世の中で十人のうち七、八人までは小人であるから、よく小人の性格や様々なことを考慮し、長所があるはずだから、これをそれぞれの職業に採用し、その才能・特技を十分発揮させる事が重要である。
藤田東湖先生(水戸藩士、尊王攘夷論者)が申されるには、
「小人は才能と特技があって使用するに便利であるから、ぜひ使用して仕事をさせなければならない。だからといって、これを上役にして、重要な職務につかせると、必ず国や組織をひっくり返すような事になりかねないから、決して上役に立ててはならないものである。」と。 


私流解説
君子と小人を区別をしてあるが、君子とは人格が素晴らしく、魅力のある人である。
小人は、才能や能力はあるが人間味がかける人で、言わば「できる人」である。
政治にしても、企業にしても今の日本は、利益・成果・効率を求めるが故に、
できる人が政治家でも社長でも多く感じる。
西郷は、そういった「できる人」を組織の長にすると弊害があるが、
小人がいなければ、また、うまくいかないと言っている。


森信三著の「西郷南洲翁遺訓に学ぶ」では、立教(学問)の立場と為政(政治)の立場でこの遺訓を解説されています。
学問の立場から言えば、君子は、人間をすべて君氏たらしめ、有徳者たらしめんとする努力であります。

すべてをやるときには、どうしても仕遂げないといけないという決心でなければならぬ。
それが教化の事であり立教の受持ちであります。
ところが政治の立場になりますと、現実界の現在の統一ということが眼目であり、政治に於いて最も大事なことは、先ずさしあたり当面いていることを現在可能な範囲においてとにかくまとめるということであります。
たとえば、池を直すという例で学問の立場と政治の立場でたとえると。
学問の立場では、池の水を全部吐かして根本的にゆっくりと築き直しをする。
政治の立場では、池の堰きの壊れている一部を防ぎ直すことであります。
即ち学問の立場では完璧を目指しますが、政治の立場に於いては現在ということが何よりも先ず基準になります。
しかし真の政治というものは、有徳者を上に置いて才能あるものしないという根本原則なのであります。
学問の立場と政治の立場の能力が高い人をあえて小人として、それを清濁あわせ呑む広大な慈愛のある有徳者が真の君子でなければならないのであります。


稲盛和夫著の「人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ」では、君子と小人の対比・第二電電の人事でこの遺訓を解説されています。

「君子」と「小人」という言葉が出ていますが、「君子」とは、素晴らしい徳を持ち、信望があり能力を持っている人です。「あの人は人間ができている」「あの人は徳がある」というように西郷は君子をという言葉を使っています。「小人」とは、才能面ではたいへん優れているが、人間的な修練の未熟な人、悪人ではないがまだ十分に人間ができていない人だと解釈してもいいと思います。社会を見たとき、そういう小人がリーダーになっている場合がよくります。
本当は人格と地位がパラレルになる。つまり、人物がよいから地位も上がっていくというようにしなければならない。しかし、現実には君子は非常に少ない。そのような中、人格的にあまり十分ではないけれど、才能があり、能力のある人にも、組織の中で力を発揮できる場を与えて、使っていくことが大事なのだと西郷はいっているわけです。
第二電電の社長人事についてお話をしします。私が社長に選んだのは、あまり目立たなかった人物でした。それは、トップとしてふさわしい「徳」を備えている、また社内の人々から信頼、信望を得られるという、基準に合致したからです。素晴らしい才能があり、多大な貢献をした人は他にもいたのですが、私はあえてその人を選ばなかった。その貢献に対しては、第二電電が上場する前に株式を持ってもらい、金銭的な面では十分遇しましたが、組織のトップに据えなかった。多くの小人能力、才能を使わなければ、企業経営などできません。しかし、能力があり、仕事ができるからといって、小人をトップにすえたのはでは、会社はつぶれてしまいます。徳や信望がある立派な人間性を身につけた人を見出し、その人を本当に重要な役職につけていかなければならないのです。



最後まで読んで頂きまして、有難うございました。



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