アフィリエイト広告を利用しています
UA-128204775-1

広告

posted by fanblog

2022年04月19日

第7訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて 

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第7訓を垣間見てみます。


南洲翁遺訓 第7訓

原文

事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀を用う可からず。人多は事の指支ふる時に臨み、作略を用て一旦其の指支を通せば、跡は時宜次第工夫の出来る様に思へども、作略の煩ひ屹度生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以て之を行へば、目前には迂遠なる様なれども、先に行けば成功は早きもの也。



仮名入り
ことだいしょう な    せいどう ふ   しせい  お     いちじ さぼう   もち  べ
事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀を用う可からず。
ひとおお   こと  さしつか   とき  のぞ   さくりゃく もちい  いったんそ さしつかえ とお
人多くは事の指支ふる時に臨み、作略を用て一旦其の指支を通せば、
あと  じぎしだいくふう    でき    よう  おも      さくりゃく わずら きっとしょう
跡は時宜次第工夫の出来る様に思へども、作略の煩ひ屹度生じ、
ことかならず やぶ          せいどう もっ これ  おこな
事必ず敗るるものぞ。正道を以て之を行へば、
もくぜん   うえん     よう        さき  ゆ    せいこう  はや    なり
目前には迂遠なる様なれども、先に行けば成功は早きもの也。




私流訳

大きなことや日常の些細なことでも、正しい道を踏襲し、自分が思っている良きことを最大限に尽くし、一時の策略やズルいやり方を用いてはならない。
人は多くの場合、艱難辛苦に出会うと、何か策略ズルいやり方を使ってうまくやろうとするが、策略やズルいやり方した為にそのツケが生じて、その事は必ず失敗するものである。
正しい道を踏襲することは、目の前では回り道をしているようであるが、最初から正道を行ったほうが早く成功することができる。


私流解説

正道は、先人や多くの人生の先輩が切り開いて、それに続く人がさらに磨き上げた道である。
まずは、正道を歩むことであるが、そこに「至誠を推し」と西郷は言っている。
至誠の「至」は、夏至や冬至などに使われているように、太陽の限界点である。つまり。誠の限界であり、自分が思っている良きことの最大限を尽くすことが大切と説いていると私は解釈しました。
正道は一般的なものでは、法律・学問・一般常識や世間で正しいと思われるようなことでありますが、
ただ、これを真面目にやっても至誠にならないと感じるところであります。
そこに自分の最大限の創意工夫・努力・改善という自分の良きことを尽くすことが
至誠に到達すると感じる次第であります。
そして、それを常に習慣にするということで「一時の詐謀を用う可からず」と続いています。
正道と至誠を考えさせられる遺訓であります。



ここで、西郷が正道を歩んだ事例をあげたいと思います。
西郷の偉業の中に江戸無血開城がありますが、私は、西郷と勝海舟の二人だけの会談で、西郷の豪傑で胆力のある判断で、その場で決めたと思っていたのですが、調べてみると実に繊細に話し合っています。

江戸無血開城1.PNG



慶応4年 西暦1868年
3月 9日 駿府で、幕府側の山岡鉄舟と西郷と会見 江戸城明渡しと武装解除を含んだ7カ条を幕府側に提示。
3月13日 江戸で、西郷と勝海舟の第1回目の会見 7カ条の確認。
3月14日 江戸で、西郷と勝海舟の第2回目の会見 幕府側の回答。
3月15日 新政府側が江戸の総攻撃中止。英国公使パークスからの圧力があり。
3月16日 駿府で、大総督に報告し、その後に京都へ。
3月20~22日 京都で、朝議 慶喜の謹慎先は水戸藩を入れた修正7カ条
3月28日 横浜で、西郷は横浜にパークスを訪問し、新政権の処分案について説明。
4月4日 江戸城で、幕府側は田安慶頼と新政府側 西郷を含む代表団と最終会談ではあるが、
新政府側は勅使としての入城、4月11日に江戸城明渡しを含む5カ条の勅使を下した。
4月11日 江戸城 新政府に明渡し

江戸無血開城の一連の軍事作戦は、東征と言われた。
ここで東征の組織の体制をみると。
東征大総督 有栖川宮熾、
東海道先鋒総督 橋本実梁
東海道先鋒副総督 柳原前光
参謀 西郷隆盛 海江田信義
西郷隆盛は上から4番目の役職であるが、3月上旬から4月までの短期間で江戸無血開城を行い。
上の時系列でみると西郷が東海道を駆けずり回り、新政府幹部や幕府側と折衝を行い、
英国大使までも審議をほどこしたのである。
まさしく、正道を踏み、至誠で行い、
この間には、新政府側も幕府側も一滴の血も流さず世界史でもまれな無血革命というものを行ったのである。

江戸城門と桜.PNG


「事大小と無く」と遺訓の冒頭の言葉ではあるが、「小」を抜かりなく行い、遠回りのうように見えて、
面倒くさいようなことでも行えば「大」を行えた痛快な事例であります。

最後まで読んで頂きまして、有難うございます。


押して頂くと励みになります。

人気ブログランキング



稲盛和夫の南洲翁遺訓の解説本 
経営者の視点では素晴らしい本です。



森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。





















この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11353777

この記事へのトラックバック
ファン
<< 2024年03月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
カテゴリーアーカイブ
最新コメント
世界のカジノ会社が日本を狙う。 by ブランドコピー (04/07)
世界のカジノ会社が日本を狙う。 by ビビアン 財布 スーパーコピー 2ch (03/23)
日本人が韓国にキリスト教を伝播 by 金 国鎮 (01/18)
殿(しんがり) ポンペイオ国務長官 by 愛信 (01/13)
日本でも不正選挙? by 愛信 (01/11)
プロフィール
田中さとしさんの画像
田中さとし
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。