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2023年01月10日

第35訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第35訓を垣間見てみます。


序文

コソコソするよりも公平至誠に。


公平.PNG



原文

人を籠絡して、陰に事を謀る者は、
好し其の事を成し得るとも、
慧眼より之を見れば、醜状著るしきぞ。

人に推すに、公平至誠を以てせよ。

公平ならざれば、英雄の心は決して攬られぬもの也。



仮名入り


ひと ろうらく       かげ   こと   はか   もの
人を籠絡して、陰に事を謀る者は、
よ   そ  こと   な    う
好し其の事を成し得るとも、
けいがん   これ   み     しゅうじょういちじ
慧眼より之を見れば、醜状著るしきぞ。

ひと  お        こうへいしせい  もっ
人に推すに、公平至誠を以てせよ。
こうへい            えいゆう こころ けっ     と         なり
公平ならざれば、英雄の心は決して攬られぬもの也。




私流訳

人を巧みに言いくるめて、影でこっそりとたぶらかす者は、
たとえその事ができあがろうとも、

物事の本質を鋭く見抜く力ができる人がこれを見れば、
醜いことがはっきりわかってしまうものである。

人に接し何かを成し遂げる時は、誠実に真心を尽くすことである。
公平でなければ、優れた人の心は決してつかむことはできない。



私流解釈

影で、作略するには、何かエゴがあるものである。
それは自分さえよければとか、私利私欲とか、自分の周りだけとかである。
公明正大であれば、万人のため、日本のためとか多くの人がしあわせになるため
というものでなければならない。

そういったことが欠けたものだから、影でこそこそということになる。
西郷は独断豪傑な物事を裁量することは、ほとんどしていない。
明治政府の初期の様々なことでも、関係する人に話しを聞き、
時には、教えを請うことまでしている。

まだ、渋沢栄一がまだ若い大蔵官僚の時に、西郷は彼の自宅まで行って
教えを請い、情報収集をし、その解決道を探ったのである。
今でいうと大臣が官僚の自宅に頭を下げ、教えを請うようなものである。
これほど公平誠実なことはなかなかできない。

西郷の国や国民を想う心が公平誠実な心をつくりあげていると感じる次第であります。




現代に顧みて

日本は、公平な国であろうか?
何故か国外の人には、手厚い不思議な国である。
国が推進しているカーボンニュートラルは、様々なことがあるが、
電力事業は、国内メーカーの太陽パネルや風力発電のほとんどが
海外製であり、国内にも製造メーカーはあるが、ほとんどが、
中国製の太陽光パネルであり、しかも、ウイグル自治区のものである。

太陽光パネルの国内大手であったシャープは台湾の会社に買収され、
それ以外の国内メーカーは、中国製の安いパネルで痛手になった。
半導体も国内メーカーがあるのに、なぜか台湾企業に数千億の補助金。

日本に税金に払っていないのに、日本国籍をもっていない特に中国人・韓国人に
生活保護や医療費に提供している。留学生もほぼ同じである。
民事裁判も日本人と在日中国人・韓国人では日本人が敗訴の事例が多くなっている。

2000年以前なら、日本がアジアの地域において豊かであったから
こういった補助や困窮を助けるということがあってもいいが
現在は、GDPは日本より中国が上であり、
国民一人当たりのGDPは日本より韓国の方が上である。
それでいて政府・財務省・マスコミは財政不安を声たからかに言い。
国債を発行し、増税案がこの頃よくでる。

日本人の中は、困っている人が大勢いる。
大学を諦めている子供がたくんさんいる。
EV車には補助金がでるが、
お金に困っている田舎の人で、車がどうしても必要な方に
車を購入する補助は何もない。

そもそも、補助金は税金である。
海外の人や高価な購入をする人に対しての補助金に充てられるのであるならば
消費税をなくし、偏った補助金を撤廃しほうがいいのではないだろうか?

そのほうが公平であり、至誠な使い方と信じる次第であります。


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2023年01月02日

第34訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第34訓を垣間見てみます。


序文

日常と非日常


原文

作略は平日致さぬものぞ。

作略を以てやりたる事は、
其迹を見れば、善からざること判然にして、
必したり之れ有るなり。

唯戦に臨みて、作略無くばあるべからず。

併し平日作略を用れば、戦に臨みて作略は出来ぬものぞ。

孔明は平日作略を致さぬゆえ、あの通り奇計を行はれたるぞ。
予嘗て東京を引きし時、
弟へ向ひ、「是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆえ、
跡は聊か濁るまじ、夫れ丈けは見れ」と申せしとぞ。



仮名入り


さくりゃく へいじついた
作略は平日致さぬものぞ。

さくりゃく もっ         こと
作略を以てやりたる事は、
そのあと   み       よ            はんぜん
其迹を見れば、善からざること判然にして、
ひっ     これ  あ
必したり之れ有るなり。

ただいくさ のぞ      さくりゃくな
唯戦に臨みて、作略無くばあるべからず。

しか  へいじつさくりゃく もちう   いくさ のぞ     さくりゃく でき
併し平日作略を用れば、戦に臨みて作略は出来ぬものぞ。

こうめい へいじつさくりゃく いた              とお   きけい  おこな
孔明は平日作略を致さぬゆえ、あの通り奇計を行はれたるぞ。

よかつ  とうきょう ひ    とき

予嘗て東京を引きし時、
おとうと むか    これまですこ    さくりゃく       ことあ
弟へ向ひ、「是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆえ、
あと いささか にご        そ    だ      み      もう
跡は聊か濁るまじ、夫れ丈けは見れ」と申せしとぞ。



私流訳

相手をだまして苦しい立場に追いやり罠をかけるようなことは、
普段はやってはいけない。

相手をだまして苦しい立場に追いやり
罠をかけるようなことを行ったことは、
その結果を見れば、良くないこと明らかであり、
そうなるのは避けられないことである。

ただ戦争の場合だけは、相手をだまして苦しい立場に追いやり
罠をかけるようなこともなければならない。

しかし、普段そのような策略をやっていると
いざ戦ということになった時には、
策略や謀略はできないものである。

諸葛孔明(劉備玄徳の軍師)は普段は策略や謀略をしなかったらから
あの通り、普通では思いつかないような、
相手をあっといわせる巧みな計略を行うことができた。

自分はかつて東京を引揚げたとき
弟(西郷従道)に向かって
『自分はこれまで少しも、謀ごとを、
やった事が無いので、ここを引揚げた後も、
跡は少しも濁ることはあるまい。
それだけはよく見ておけ』
とはっきりと言っておいた。




私流解釈

この遺訓は平常と非日常の2つの時空間が存在している。

西郷は平常の時は、作略はやってはいけないと強く説いている。
この遺訓の中には、無私の澄んだ心でやること素晴らしさが
何度となく書かれておりますが、ここでも作略をもってやることは、
後々のことを考えるとうまくいかないことが書かれております。

このことは、良きことや善なることを成功に繋がっていることを
指しておりますし、そのことが必然と強く伝えています。

しかし、一変に翻し、非日常になる戦争という時空間に入りますと
作略が必然となり、作略や謀略が必要となります。

戦争.PNG


その中で適材となるのが平常で、そのようなことをしない非凡な人が
逸材となり、諸葛孔明が例になっています。

この遺訓では、いかに日常で正しいことをやることが王道であり、
相手をだまして苦しい立場に追いやり罠をかけるようなことは、
普段はやってはいけないと説いていると感じる次第であります。


現代に顧みて

この日本は戦争ができない制約が憲法にあり、国連憲章には敵国条項があり、
日本が侵略戦争をした場合は、国連加盟国は自動参戦してもいい条項がある。
これは、現代において、まだ、有効かどうか議論はあるが、
参戦に関しては、国連常任理事国がその判断をもっているので
いざとなったら、その解釈は適用されるかもしれない。
実質的に日本は侵略戦争が不可能であるが、自衛の防衛はできる。

そこで、近年では敵基地攻撃が議論されておりますが、
日本は、中国・北朝鮮・ロシアと危ない核保有国に囲まれております。

迎撃なんか一発程度なら、できるかもしれないが、
当然、意図した攻撃をされた場合は、飽和攻撃が必然であるから
数十発から数百発が同時に発射されるのは当然でしょう。

防衛予算がGDP1%からGDP2%にアップに進展したことは
素晴らしいことではあるが、どう考えてもまだまだであることは
はっきり言えるでしょう。

そこで、戦争のない秩序をつくり、国際社会でイニアシブをとって
行うことを一貫して日本は行ってきたが、
安倍元総理亡き後、岸田総理や林外務大臣なんかを見てますと
ただただ悲観するしかありませんね。

自国でできる有事を対応できるために、憲法改正はどうなっているのやら、
この頃、このことはニュースにもなりませんね。

今年がいい年になりますように切に願う次第であります。


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2022年12月14日

第33訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第33訓を垣間見てみます。



序文

日常日々の鍛錬が大事。


原文

平日道を蹈まざる人は、事に臨みて狼狽し、
処分の出来ぬもの也。

譬へば近隣に出火有らんに、
平生処分有る者は動揺せずして、取仕末も能く出来るなり、
平日処分無き者は、唯狼狽して、なかなか取仕末どころには之無きぞ。

夫れも同じにて、
平生道を蹈み居る者に非ざれば、事に臨みて策は出来ぬもの也。

予先年出陣の日、兵士に向ひ、我が備への整不整を、
唯味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝いて見よ、
夫れは第一の備ぞと申せしとぞ。



仮名入り

へいじつみち   ふ      ひと   こと  のぞ   ろうばい
平日道を蹈まざる人は、事に臨みて狼狽し、
しょぶん  でき      なり
処分の出来ぬもの也。

たとえ   きんりん しゅっかあ 
譬へば近隣に出火有らんに、
へいぜいしょぶんあ  もの どうよう         とりしまつ    よ   でき
平生処分有る者は動揺せずして、取仕末も能く出来るなり、
へいじつしょぶんな  もの   ただろうばい            とりしまつ          これな
平日処分無き者は、唯狼狽して、なかなか取仕末どころには之無きぞ。


そ      おな 
夫れも同じにて、
へいぜいみち   ふ    い  もの  あら       こと   のぞ    さく   でき       なり
平生道を蹈み居る者に非ざれば、事に臨みて策は出来ぬもの也。

よせんねんしゅっじん ひ   へいし  むか   わが そなえ   せいせふせい
予先年出陣の日、兵士に向ひ、我が備への整不整を、
ただみかた    め  もっ   み    てき こころ   な    ひと  つ     み
唯味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝いて見よ、
そ    だいいち   そなえ    もう
夫れは第一の備ぞと申せしとぞ。




私流訳

普段から自分の志すことも考えず、実践しないものは、
大きなことに出会って、挑戦しても、あわてふためき、
何をどうやったらいいのかもわからず、何もできないものである。

たとえば、近所で火事があった場合など、
常日頃、志すことを常に精進している人は少しも動揺することもなく、
機敏に対処することができる。
しかし、普段から何もしていない人は、ただ、何をしたらいいかわからず、
ただ、慌てふためいて何もできないのである。

それと同じように
常日頃から自分の志すことも考えず、実践しないものは、
何かをやろうと挑戦しても、立派な対策はできないものである。

私が先年の戊辰戦争に出たある日のこと、兵士に向かって、
自分達の防備が十分であるかどうか、
ただ味方の視点だけで見ないで、敵の心になって一つ突いて見よ、
それこそ第一の防備であると説いて聞かせたと言われた。



私流解釈

江戸幕府と新政府は1868年西郷が40歳の時に
鳥羽・伏見の戦いが1月3日に火蓋を切った。
江戸の無血開城が4月11日のわずか3ヶ月足らずで、
官軍が勝利をしたのである。
西郷は実はこれが初陣であります。
初陣であるが、そのまま勝利を得た。

これは、奇跡のように感じることであるが、
それまで西郷は自分の目の前に起きることに、真摯に向き合ったからである。
たとえ、篤姫の嫁入支度でも、タンスの家紋や細かなことから、公家の工作まで、
周りが舌を巻くぐらい、徹底的に細部にこだわり行った。
また、各藩との折衝やはたまた謀略までやってのけた。
そして、これからの日本の行末を、民衆がいかにしあわせになることを
常に考えていた。

そういったことが、初めて戦の大将に任じられた時に、
まさに非凡の才能と運までが味方をし、江戸幕府を打倒して、
勝利に導いたのである。

まさに、常日頃を真剣に、真摯に向き合うことが、
大事なことがあっても見事に成功させた実践者である。


非凡.PNG


現代に顧みて

この遺訓は、何も英雄豪傑だけになるためのものではない。
大事に当たるのは、常に突然現れる。

東北大震災の時に、宮城県南三陸町の防災対策庁舎で、
最後まで防災無線で住民に避難を放送して、逃げおくれ、
被災した危機管理課の町職員遠藤未希さん(24)である。
必死に防災無線で、「6メートルの津波が予想されます」
「異常な潮の引き方です」「逃げてください」と30分もマイクを握った。
その最後まで危機管理課の職務を全うした彼女に、ご冥福をお祈りします。
他にもこういった話はいろいろある。

日本はまだ、西郷が言う「道」を歩んでいる人は
非凡な人ほど多くいると信じる次第であります。



最後まで読んで頂きまして有難うございます。




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2022年12月12日

第32訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第32訓を垣間見てみます。



序文

孤独で地道な努力。


原文

道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。

司馬温公は、閨中にて語りし言も、
人に対して言うべからざる事、無しと申されたり。

独を慎むの学推して知る可し。
人の意表に出て、一時の快適を好むは、
未熟の事なり、戒む可し。



仮名入り

みち ここざ もの    いぎょう とうと      なり
道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。

しばおんこう     けいちゅう  かた     げん
司馬温公は、閨中にて語りし言も、
ひと  たい    い           こと   な    もう
人に対して言うべからざる事、無しと申されたり。

ひとり つつし  がくお      し   べ
独を慎むの学推して知る可し。

ひと   いひょう   で     いっとき  かいてき  この
人の意表に出て、一時の快適を好むは、
みじゅく こと       いまし べ
未熟の事なり、戒む可し。



地道な努力.PNG


私流訳

志しをもってやろうとしている人は、
大きなことばかりにやろうとは思わないものである。

司馬温公(中国北宋時代の儒学者)は、
たとえ寝室の中で妻の話したことや、
他人に言ってはいけないことを、
決して言わなかった。

「独りを慎む」というのはどういうことか深く考えてみれば、
独りの時でも、身を慎み、志を忘れずに、
精進しなければならない。

人をあっと言わせるようなことをするのは、
その時だけのいい気分になることを好むようでは、
未熟者ものであり、
くれぐれも戒め十分に反省すべきである。




私流解釈

大きな目標や偉業をやることは、大切なことではあるが、
その前に、小さなことをコツコツとやらないといけない。
どんなに大きな山でも、小さな石や砂が積み重なったものであり、
どんなに大きな会社でも、一人ひとりの社員や一つ一つの商品の積み重ねでできている。
その小さなコツコツとしたものに志という柱に積み上げれば、
うず高く積み上がるだろう。
しかし、志がなく積み上げても、なかなか上には積み上がらず
何かの拍子に失敗や事故があったら無惨に崩壊してしまう。
単に盛り土をしているようなもので、雨が降ったらそれで終わり様なものであります。

二宮尊徳の「積小為大」が実に素晴らしく言っております。

大事を為さんと欲すれば小なることを怠らず勤むべし、
小積もりて、やがて大となればなり。
およそ小人の常、大なることを欲して、小なることを怠り、
出来難き事を憂いて、出来易く事を勤めず、それゆえ終に大なる事を
なすことを能わず。
たとえば、百万石の米といえども、粒の大なるにあらず。
人一度にしてこれを良くすれば、己はこれを百度にし、
人十度にしてこれを良くすれば、己は千度とす。



「独りを慎む」この言葉をもうちょっと深化してみましょう。
森信三先生は、「長たるもの孤独寂寥(せきりょう)に耐えぬばならぬ」と語られます。
人がいる時や外にいる時は、人の目があるが、
独りになった時は、それは誰の眼もありません。
自分だけであります。
その時に身を制して、自らの志を果たすことができるかであります。
家にいる時こそ、人の差がでます。
家でただ、テレビをみたり、無駄なことをしているようでは駄目です。
家にいる時こそ、成長できる時であり、自らがいちばん精進できる時であります。
自らの心は内面に通じるものであるから、
孤独な時こそ、その内面に通じます。
ただ、孤独と寂しさに耐えねばなりません。
西郷も二宮尊徳も森信三も道を究めた方は同じ境地にいくみたいですね。



現代に顧みて

どんなに華々しい世界でも地道な努力が必要であり、それが花が咲いて
脚光を浴びる。

芸能界では、K-POPが今、世界的にも脚光を浴びているみたいだが、
韓国のシンガーやグループは1ヶ月ほどしっかりレッスンをして、
新作発表するということを聞いた。
私はほとんどK-POPは聞かないが、ヒットチャートが上がっている事は聞く。

経済界では、やはりパナソニックの創業者である松下幸之助かな。
松下幸之助が若い時に、夜道を歩いている時に、
とある家で男女の口論がきこえた。
戦前のことだが、当時、各家には電源コンセントが一つしかなかった。
その男女は、男はラジオが聞きたい、女はアイロンをかけたいと口論していた。
そこで、幸之助はこれを解決するために、二股ソケットのアイデアを思い浮かんだ。
それがパナソニックの創業期のヒット商品になり、
その後、そういったアイデアを次々と創意工夫と地道な努力で今日のパナソニックがある。

政治の世界では、昨年の参議院選挙で新政党で議席を獲得した参政党の神谷宗幣かな。
5年ほど前からCGSという彼のYouTubeを見ていた。私がよく見ていたのは、彼とねずさんの共同のれきしものである。
その中で日本の良さをよく表現した内容ものを作成し、今の政治や世相に問題提起をし、
どうしたらいいのかを自らの意見を提言していた。
過去に地方議員もやり、ネットでも地道な情報を上げて、晴れて参政党という素晴らしい政党を立ち上げ、
参議院選挙で自ら当選したのは素晴らしいものである。
まだ、1議席しかないが、これからの地方選挙や次の衆議院選挙にはぜひとも議席数を伸ばし、
この閉塞感ただよう政治に風穴を開けてほしいものである。

自分の私感で書いておりますが、現代においても
西郷が言う「独を慎むの学推して知る可し。」は有効でありますし、
どんな偉業も地道な努力と苦労がどんな時代でも必然と感じる次第であります。



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私は、小説はあまり読まないのですが、
この本は素晴らしいです。高校生の一人旅を描いた小説ですが、
歳をとった私でも感動し、人生の教訓を感じさせて頂いた本です。

「また、必ず会おう」と誰もが言った







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2022年12月08日

第31訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第31訓を垣間見てみます。



序文

自分を信じる効用



原文

道を行ふ者は、
天下挙て毀るも、足らざるとせず、
天下挙て誉るも、足れりとせざるは、
自ら信ずるの厚きが故也。

其の工夫は、韓文公が伯夷の頌を熟読して会得せよ。




仮名入り


みち  おこな もの  
道を行ふ者は、
てんかこぞって そし       た
天下挙て毀るも、足らざるとせず、
てんかこぞって ほむ       た
天下挙て誉るも、足れりとせざるは、
みずか しん     あつ   ゆえなり
自ら信ずるの厚きが故也。

そ  くふう     かんぶこう  はくい  しょう じゅくどく  えとく
其の工夫は、韓文公が伯夷の頌を熟読して会得せよ。



効用.PNG


私流訳

自分が志した道を進もうとする者は、
世間の人が寄ってたかって非難されることがあっても
決して不満や落ち込むことがなく、
世間の人が誰もが称賛するようなことがあっても
決して満足することやのぼせることがないのは、
自分を深く信じることである。

そのような人物になる工夫は、
唐の時代の韓退之(かんたいし)が書いた
「伯夷頌」を熟読することで学ぶことを勧めたい。



私流解釈

人は志したことをやろうとした時に必ずというほど
非難されたり、批判されたりする。
それは、今までに無いことをやろうとするからだ。
人は現状に甘じてしまう癖がある。
何か新しく改善したり、新たなことは負荷や重責がともなうからだ。

自然の摂理は、常に変化する。
夏の暑さは、秋になると涼しくなり、冬になると寒くなるように。
人もそれと同じように変化し、進化することが人の摂理であるが、
自分の正しさが周りに合わなく、非難されることはよくあることだ。

この訓話の「道を行ふ者」を松下幸之助の言葉に「素直」の言葉を引用して解説してみよう。

以下は松下幸之助の「素直」を見事に言い表した言葉である。

素直な心とは 単に人に逆らわず  
従順であるということではありません。 
何ものにもとらわれず 物事の真実と
何が正しいかを見極めて、これに従う心です
素直な心になりましょう。
素直な心はあなたを強く正しく聡明にいたします



よく人から、「素直になりなさい」と言われることがある。
それは、ほんどの場合は、私の言う事を聞きなさいということで、
そこに矛盾や疑問を感じて質問すると
「あなは素直じゃない」とか「素直に人の意見を聞きなさい」という
こういうことを言う人は、その人は、自分の言っていることの
自信のなさであり、責任のなさの表れである。

松下幸之助が言うように「素直」は
何も他人に従順であることはない。
自分の真実に従う心に従うことである。

この従う心こそ
この訓話の「道を行ふ者」である。
時には、周りが非難・批判されても
自分の信じる道を進むのです。

単に妥協して、後悔するより、
                            いさぎよ
信じる道をとおして、非難されるほうが道を志した者としての潔しであり、
必ず成功の道に繋がっている。



この訓話の中に「韓文公が伯夷の頌」と
あまり聞き慣れない内容がありますがこれを説明します。

韓文公とは、唐の時代の詩人・文人家で唐宋八大家の一人である
韓愈(かんゆ)のことである。
つまり、「韓」が名前で、「文公」は文筆家という意味かな。
「伯夷の頌」とは、その物語の一節で
時代は、中国の殷から周の時代の移り変わりの時に
殷王朝に仕えていた伯夷という兄弟がいた。
周が殷王朝を滅ぼしたが優秀な伯夷兄弟を
周の王様が迎えたいと言ったが、
「二君に使えることを潔しとしません」と言って
兄弟は山にこもり、とうとう餓死しました。
これは忠義を守って命を落とした二人を褒め称え、
武士のモラルを貫いた人物として書き残した。

ここで、私は疑問と矛盾が気づいたのだが、
西郷は生涯に同じ君子に仕えていないのである。
幕府時代には、江戸幕府であり、薩摩藩では、島津斉彬であり、
島津斉彬が死去後は、島津久光になり、
明治維新では、新政府であり、戊辰戦争の時の直属の上司は、
有栖川宮熾仁親王 東征大総督である。
このことを考えると
「伯夷の頌を熟読して会得せよ」と言うこの訓話との矛盾がでるが、
西郷はだれかに使えるよりも、
民衆や困った人やこの日本の行末を考えた人ではないかと推察する次第です。
西郷が島津斉彬に取り立てられたのも、民衆を救済したい意見書からであるし、
薩長同盟も今後の日本の行末このことを考えての同盟でもあるし、
政府がどの形が民衆がいかにしあわせになり、
そのために、どのような体制が一番良いかを追求し、
さらに深化したのではないかと信じる次第であります。



現代に顧みて

現代は、非難や批判の応酬であります。
新聞・テレビ・ラジオ・インターネットなどは、
そのためのメディアになってしまいました。

しかし、真実やためになるものもありますが、
情報は、報道側の目線であり、インターネットは発信者のフィルターであります。

いかに、自分の尺度をしっかりとり
発信者の目線・フィルター・憶測を示唆し、
真実を読み取る力が求められる時代であります。

その中で、自らの真実を深く信じる人が輝くものと信じる次第であります。
西郷のこの遺訓は、現代の情報錯乱の時代に警笛を鳴らしていると感じる次第であります。

最後まで読んで頂きまして有難うございます。




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2022年12月03日

第30訓 命もいらず名もいらず  西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第30
訓を垣間見てみます。


序文

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。



原文・仮名入・私流訳

いのち        な
命もいらず、名もいらず、
命も惜しくもなく、名誉も名声もいらない、
かんい   かね       ひと     しまつ  こま       なり
官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。
地位も役職や肩書もいらない、金もいらない、というような人はどうしようもない器の大きい人物で手に負えないものである。
こ    しまつ   こま  ひと
此の始末に困る人ならでは、
このような手に器の大きい負えない人物こそ、
かんなん とも       こっか   たいぎょう な   え
艱難を共にして、国家の大業は成し得られぬなり。
艱難辛苦のあるような困難を共にし、国家の命運を分けるような大事業を成し遂げることはできない。

さ      かよう    ひと    ぼんぞく  め
去れども个様の人は、凡俗の眼には、
ただ、このような手に負えない器の大きい人物は、なかなか一般の眼では、
みえ            もう       つき
見得られぬぞと申さるるに付、
見抜くことができないと言われるので、そこで聞く者が、
もうし
孟子に
それでは孟子の書の中に
  てんか   こうきょ   お
『天下の広居に居り、
『手に負えない器の大きい人物は天のもとで広々とした所におり
てんか   せい    た    てんか    だいどう  おこな
天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ、
天のもとで正しい立ち位置におり、天のもとで正しい道を実践しており、
こころざし え      たみ   これ  よ
志を得れば、民と之に由り、
志を活躍する場を得れば、民衆と共に正しい道を実践し、
こころざし え       ひと そのみち  おこな
志を得ざれば、独り其道を行ふ、
志を活躍する場を得ることがなければ、独りでも自らの信じる道を実践し、
ふんき    いん       あた
富貴も淫すること能はず、
どんなに富や賄賂や地位で釣ろうとしてもそれで、なびくことはなく、
ひんせん   うつ     あた
貧賎も移すこと能はず、
どんなに貧しく身分が低いともこれによって心が挫けることはなく、
いぶ     くつ        あた
威武も屈すること能はず』
また力をもって、これを屈服させようとしても決してそれはできない』
 
と云ひしは、
と言っておるのは、

いまおお       ごと
今仰せられし如きの、
今、西郷翁が仰られたような
じんぶつ      と                 そ  とお
人物にやと問ひしかば、いかにも其の通り、
手に負えない器の大きい人物のことですかと尋ねたら、いかにもその通りで、
みち  た      ひと         か  きしょう  で  なり
道に立ちたる人ならでは、彼の気象は出ぬ也。
真に道理を実践している人物でなければ、このような精神は得難い事だと答えられた。


西郷隆盛.PNG



私流解釈

私が一等に好きな訓話であります。
まだ、親の会社を引き継いで、幹部だった時に、
京セラの稲盛会長の講話が会社にあったので
ずっと聴いていた。
その中で、「命もいらず、名もいらず」というこの訓話を初めて知った。
当時、こんなすごい言葉があるんだと痛快に感じた。
それから、稲盛会長の盛和塾に入会して、様々なことを学ばさせて頂いた。
稲盛氏の南洲翁遺訓を自ら解説をした「人生の王道」は、
私にとって、座右の書であります。
こんな人になれたらなと、ずっと思っているが、
まだまだである。

ただ、この遺訓の世の中に出回っている解説の本の訳や解釈が経営者やリーダー向けである。
それで、もう経営者でもない自分が、普通の人にも役に立つような目線で
訳や解釈を心掛けて書いております。
この遺訓は、たしかに豪傑で、素晴らしい偉人の理想に思えるが、
最初の「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」は、
何も政治家や経営者だけでなく、
だれでも、時にはこういった思いで仕事をし、何かを為しているのではないかと思う。

特に、母親が子供を育てる姿は、この訓話にも当てはまるだろう。
こういう無欲であり、無心に良きこと向かい、利他の精神は、
日本人の独特のものであり、日本人の良き思想とでも言ってもいいのではないかと
感じる次第であります。
そして、こういったものがある限り、日本はより良くなると信じる次第であります。

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2022年11月27日

第29訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第29訓を垣間見てみます。


序文

道を楽しむのです。


原文

道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、
如何なる艱難の地に立つとも、
事の成否、身の死生抔に、少しも関係せぬもの也。

事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、
自然心を動かす人も有れども、人は道を行ふものゆえ、
道を蹈むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。

故に只管ら道を行ひ、道を楽み、若し艱難に逢ふて、
之を凌がんとならば、弥々道を行ひ、道を楽む可し

予、壮年より、艱難と云ふ艱難に罹りしゆえ、
今はどんな事に出会ふとも、
動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。

仮名入り




みち おこな もの     もと     こんやく   あ
道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、
いか     かんなん  ち    た
如何なる艱難の地に立つとも、
こと   せいひ   み  しせいなど    すこ    かんけい       なり
事の成否、身の死生抔に、少しも関係せぬもの也。

こと    じょうずへた あ    もの    でき    ひと  でき     ひとあ
事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、
しぜんこころ うご    ひと   あ        ひと みち  おこな
自然心を動かす人も有れども、人は道を行ふものゆえ、
みち  ふ      じょうずへた   な    でき      ひと  な
道を蹈むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。

ゆえ  ひたす  みち おこな   みち たのし    も  かんなん  あ
故に只管ら道を行ひ、道を楽み、若し艱難に逢ふて、
これ  しの            いよいよみち おこな    みち  たのし  べ
之を凌がんとならば、弥々道を行ひ、道を楽む可し。

よ    そうねん     かんなん  い  かんなん  かか
予、壮年より、艱難と云ふ艱難に罹りしゆえ、
いま       こと   であ 
今はどんな事に出会ふとも、
どうよう いた        そ        しあわせ なり
動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。


私流訳

自分が志した道を進もうとする者は、もともと困難な事に会うものだから、
如何なる艱難辛苦の場面に立っても、そのことが成功するか失敗するかということや、
自分が生きるか死ぬかというようなことに少しも関係のないのである。

事を行なうには、上手下手があり、
物によっては良くできる人、良くできない人もいるので、
前に進むことで自然に疑いをもって、不安や動揺する人もあろうが、
人は志した道を進むものだから、
志した道を歩み実践している人は、上手下手もなく、できない人もない。

だからただひたすらに精一杯に志した道を行い、道を楽しむのです。
もし艱難辛苦に会い、克服しよとするならば、
いよいよ自分の志の道に挑戦し、自分を高める時として、
道を楽しむのです

自分は若い時代から、艱難辛苦という艱難辛苦にあって来たので、
今はどんな事に出会っても心が動揺するようなことはないだろう。
それだけは実にしあわせだ。


楽しむ.PNG


私流解釈


この訓話は、私にとってホッとするものであります。
上手くいっても手たくそでも、前に進んで歩んでいる証拠であり、
たとえ、壁や困難なことがあっても、理不尽なことがあっても
それが志した道ということ西郷さんは、応援している気がします。


しかも、それを楽しんでもいいとも言っている。
何とも痛快な訓話であります。




現代に顧みて

現代は、艱難辛苦があると逃げてしまったり、辞職したり、
諦めが早くなった気がします。
失敗に対する非難は、ニュースやネットでさらに批判が増幅する。
政治家や芸能人や有名人は、大変な時代であります。
だが、失敗しても、我が志した道を突き進み、
それを楽しんで行う人は、なかなかいないものである。
大臣がドミノ倒しで辞任するというニュースをみたが、
もともと大志もないものが大臣の椅子に座っている事自体がおかしい。

イギリスのサミュエル・スマイルズは自助論の中で、
その国の国民のレベルがその国の政治のレベルになる。
国民のレベルが低いならば、その国の政治もの低いものになり、
国民のレベルが高いならば、その国の政治も高いものになる。
名言であります。
政治家に期待したいものであるが、まずは、日本人のひとりひとりが、
いろいろ意味も深めてレベルを上げていかないと、
四方を危ない国に囲まれたこの国を守ることもできない。
時間はあまりないが、私も自戒しながら、この訓話のような
志を生きたいと感じる次第であります。

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2022年11月24日

第28訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第28訓を垣間見てみます。


序文

尊卑貴賎の差別無し


平等.PNG


原文

道を行うには、尊卑貴賎の差別無し。

摘んで言へば、尭・舜は天下に王として、
万機の政事を執り給へども、其の職とする所は教師也。
孔夫子は魯国を始め、何方へも用ヰられず、屡々困厄に逢ひ、
匹夫にて世を終へ給ひしかども、三千の徒皆道を行ひし也。


仮名入り

みち  おこな       そうぴきせん   さべつな
道を行うには、尊卑貴賎の差別無し。

つま     い      ぎょう しゅん てんか   おう
摘んで言へば、尭・舜は天下に王として、
まんき    せいじ   と    たま        そ  しょく    ところ きょうしなり
万機の政事を執り給へども、其の職とする所は教師也。
こうふし   ろのくに   はじ   いすかた      もちい        しばしばこんやく   あ
孔夫子は魯国を始め、何方へも用ヰられず、屡々困厄に逢ひ、
ひっぷ      よ    お   たま            さんぜん とみなみち   おこな  なり
匹夫にて世を終へ給ひしかども、三千の徒皆道を行ひし也。



私流訳

正しい道を行うことには、身分が高いとか低いとか、
裕福とか、貧乏とかという差別はまったくない。
歴史上の偉人を例に言えば、
古代中国の尭や舜(共に古代中国の偉大な帝王)は、
国王となって、政治の多くの重要なことを善政を行っていたが、
もともとは一介の教育者のような存在だった。

孔子先生は、は魯の国を始め、どこの国にも政治家として用いられず、
何度も困難な目に遭い、最後には身分の低いままにを終えられたが、
三千人といわれるその子弟は、皆その教えに従って道を行ったのである。


私流解釈

南洲翁遺訓には、「道」という言葉がよくでる。
道とは、今までは、「正しい道」と思っていたが
毎回、こうやってブログを書いていると
この道という言葉が指しているのは、「正しい道」という解釈が違うと感じる次第である。
南洲翁遺訓の本は、いろいろあるが大抵はこの解釈で、
私もそういうふうに解釈していたが、
この頃、この道という言葉が指しているのは、
「あなたの道」ということではないかと感じる次第です。
人によって正しさは違うし、歩む道も違う、境遇も違う。
今、自分自身の目の前にあること、
目の前の仕事かもしれない、
目の前のやらないといけないことかもしれない、
自分の今の境遇は、昨日とは違うし、明日は変わるかもしれない、
ただ、今、目の前の境遇は絶対必然であり、自分しか体験できない唯一無二のことである。
自分が向かっていくこと、自分が目的にしていること、それが道と感じる次第であります。
何も王になることや聖人になることが道ではなく、
今、自分が進んでいること、叶えたいことが道であると解釈しほうが
この「道」の解釈がピタとくると考える次第であります。

そして、この道は「あなたの道」という唯一無二であるから、
何にもとらわれず、尊卑貴賤の区別なしの存在であります。



現代に顧みて

尊卑貴賤という言葉で自分の境遇と考えるも良し、
相手に対してもそんなことをしていないか戒めと捉えることもできます。
つい失礼なことを言ってしまったことはよくある。
相手を下と思っていないだろうか、
差別や区別なく常に目の前の人たとえ、
部下や仕入先や年下や高齢者や障害者や
現代で言えばLGBTQとも言えるだろう。

すべての人に対して、尊重し・謙虚に・理解しようと思えば差別・区別はなくなる。
まさに尊卑貴賤の差別無しである。



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2022年11月06日

第27訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第27訓を垣間見てみます。


序文

失敗した時に救いなる。


原文

過ちを改めるに、自ら過ったとさへ思ひ付かば、
夫れにて善し、其事をば棄てて顧みず、
直に一歩踏出す可し。

過を悔しく思い、取繕はんと心配するは、
譬へば茶碗を割り、其欠けらを集め、
合せ見るも同じにて、詮もなきこと也。

救い.PNG


仮名入り

あやま  あらた      みずか あやま        おも  つ
過ちを改めるに、自ら過ったとさへ思ひ付かば、
そ        よ    そのこと     す    かえり
夫れにて善し、其事をば棄てて顧みず、
ただち いっぽふみだ   べ
直に一歩踏出す可し。

あやまち くや   おも   とりつくろ    しんぱい 
過を悔しく思い、取繕はんと心配するは、
たとえ  ちゃわん  わ    そのかけ     あつ
譬へば茶碗を割り、其欠けらを集め、
あわ  み    おな       せん         なり
合せ見るも同じにて、詮もなきこと也。



私流訳

過ちを良いほうへ変えるには、自分が誤ったと気づき反省したら、それでよい。
そのことをグズグズ考えずに、さっぱり思い捨てて、
すぐ第一歩を踏み出し前進し改善することだ。

過去の過ちをいつまでも悔しく思い悩み、
あれこれと考えたり、人を恨んだり・憎んだり、
うわべを飾ったり、体裁を整えるようとするのは、
たとえば、茶碗を割ってそのかけらを集めて
元の状態にしようとするのと同じだ。
何の役にも立たぬことである。


私流解釈

西郷隆盛は、2度の島流しになっている。
1回目は、月照と一緒を逃すために、薩摩に共に逃げてきたが、
薩摩藩は、これを良しとせず、死を命じたが、
西郷は月照と共に入水自殺をしたが彼だけが生き延びた。
それで、薩摩藩は幕府に西郷が死んだと報告し、
1858年 西郷が32歳の時に奄美大島に島流しにした。
流刑というより、かくまったというほうがいいかもしれないが、
4年間の歳月を奄美大島に過ごした。
1862年 西郷が36歳の時に、再びに召喚されたが、
島津久光の命令に背いたということで、
2回目の島流しに沖永良部島になった。
今回は流刑になり、監獄に入ったが、
その後、座敷牢になり2年間を沖永良部島にいた。
1864年に再び召喚され、西郷が鹿児島に戻り、
江戸幕府を倒す中心人物になり、明治維新のなくてはならない存在になった。

この月照と共に入水自殺から沖永良部島からでる6年間に、
彼は腐らず、堕落することもなく、学問に精進し、
島の人達と働き、改善を促し、子供たちに教えもした。

この訓話は、そういった彼の過酷な経験を顧みると重みがまします。


現代に顧みて

失敗や障害など人生様々なことがあります。
他人からの誹謗中傷や理不尽な過失も含まれますが、
親や兄弟や親族・先生など自分の味方から思っていた人の
中傷の言葉や嫌な対応はなかなか忘れることはできません。

感情のレベルでは、自己の感情が増幅して、
かえって忘れることができず、トラウマになってしまいます。

西郷の遺訓は、言葉が少ないので、稲盛氏の「人生の王道」から引用します。

苦しければ苦しいほど、理性を使うのです。
理性をもって、合理的かつ徹底的に解決策を考え尽くし、
その解決にひたむきな努力を注いてくことが大切です。

そして、そこまで合理的に考え尽くし、一生懸命に努力をし、
まさに「人事を尽くし」たなら、あとはうまくいくのだろうかなどと余計な心配はせず、
ただ、成功を信じて「天命を待つ」のです。


過ちを後悔していると、次々のさらに悪いことを考えがちです。
理性を使うという考えは稲盛氏の一等であります。
過ちを犯したことは消えませんが、それに気づき・反省すれば
それで良いと言っている遺訓は、すっきりさせてくれる言葉でもあり、
過ちを改善していくことが一番大事であり、
その一歩をすぐに歩む勇気とも言えるのではないでしょうか?


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2022年10月31日

第26訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて



明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第26訓を垣間見てみます。


序文

しあわせになれない原因


原文

己れを愛するは、善からぬことの第一也。

修業の出来ぬも、事の成らぬも、
過を改むることの出来ぬも、
功に伐り驕謾の生ずるも、
皆自ら愛するが為なれば、
決して己れを愛せぬもの也。



仮名入り

おのれ    あい        よ           だいいちなり
己れを愛するは、善からぬことの第一也。

しゅぎょう でき       こと   な
修業の出来ぬも、事の成らぬも、
あやまち あらた       でき
過を改むることの出来ぬも、
こう  ほこ きょうまん しょう
功に伐り驕謾の生ずるも、
みなみずから あい     ため
皆自ら愛するが為なれば、
けっ   おのれ   あい        なり
決して己れを愛せぬもの也。


私流訳

自分だけを愛することや甘やかすこと、はたまた、
自分さえよければ他はどうなってもいいという思うことは、
最も良くないし、悪くなる前兆でもある。

修行や良き習慣が続かないのも、成功しないのも、
自分の過ちを反省することも、改めることもできないのも、
自分の過去の成功・手柄・成果をいい気になって、
驕り高ぶるのもすべて自分を愛し、甘やかすことから生ずる。
決して自分だけを愛し、甘やかすような利己的なことをしてはいけない。


利他.PNG


私流解釈

この遺訓も西郷の清廉で私利私欲の無いものである。
西郷が、薩摩いる青年時代に、曹洞宗誓光寺の無三和尚に禅の教えを受けていたようである。
和尚も西郷をかなり目にかけていたという。
西郷の様々な経験もあるが、そういった禅の教えもかなり西郷の心中に影響を受けたのではないと感じる次第であります。


現代に顧みて

自分だけを愛することを利己的でありますが、
その反対は利他であります。
自分の心に利他を開花する妙法がこの遺訓であります。
自分を愛することを、自ら律することができれば、
それでいいですが、自己に厳しくなることは、対面に他人にも厳しくなってしまいます。
それよりも、自分以外を愛することが一番であります。
愛することは、すなわち、思いやるとか優しい言葉をかけるとかが
最初かなと考える次第であります。

その次は、自分が嫌だったことや辛いことを人にしないことです。
社会人になってだれだって新人でありますが、
新人の時に先輩や上司にやなこと辛いことをされたら、
自分が上司の立場になったら、部下にそんなをさせないとか、
それを簡単に工夫するとかを考え行うことも利他ですね。
利他的な人は、まだまだ日本人は、たくさんいる人もいます。
忘れている人もいます、
そんな方がすこしでも自己に気づくだけで、日本は良くなると感じる次第であります。




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